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2006年03月22日

0602柳島 妙見堂(本性寺)

『江戸名所図会』巻之七 揺光之部

日蓮宗(墨田区業平5-7-7)

【法性寺へ奉納】

広重『名所江戸百景』[柳しま]

 

『鬼平犯科帳』に登場

 [1―1 唖の十蔵]p29 新装p30
 [1―2 本所・桜屋敷]p49 新装p52
 [12―2 高杉道場・三羽烏]p61 新装p65

つぶやき:

絵の左端に描かれているのが霊樹・影向松(ようごうまつ)で、別名「星降(くだ)り松」 「千年松」ともいわれる。妙見は北極星。これが松の頂きにかかるのか。

剣友・岸井左馬之助が寄宿している春慶寺の親寺がここ。

春慶寺(墨田区業平2-14-9) http://homepage1.nifty.com/shimizumon/dig/index.html の [岸井左馬之助と春慶寺]を選択。

 [1-2 本所・桜屋敷]p54 新装p57
 [1-6 暗剣白梅香]p211 新装p223
 [2-1 蛇の眼]p7 新装p7
 [4-2 五年目の客]p47 新装p49
 [4-7 敵(かたき)]p250 新装p262
 [8-3 明神の次郎吉]p95 新装p100

 『御宿かわせみ』 に登場

柳島妙見堂(法性寺)
柳島橋
 [15-1 雪女郎]p15 新装p15
 [25-1 冬鳥の恋]p16
 [26-3 千手観音の謎]p81
横十間川
 [15-1 雪女郎]p15 新装p15
 [26-2 江戸の湯舟]p36

                                                                                        朝日カルチャーセンター 2110   島川富男

 

 

 

 

投稿者 nishiot : 2006年03月22日 06:14

コメント

>広重はリアリストだったんだなあ なるほど~。どこまでも画家、という感じがします。 いつも思うのですが、雪旦の方が道幅などが広々して見えますね。 人がアリのよう、といいますか……。 江戸は人がいっぱいいたんでしょうね~。面白いです。

投稿者 レン : 2006年09月20日 15:45


雪旦の[柳島 妙見堂]と広重の[柳しま]を見比べて、つくづくおもった---広重はリアリストだったんだなあ、と。 雪旦の妙見堂(法性寺)には、左端に、信仰の象徴ともいえる霊樹の影向松(ようごうまつ)が描かれている。『江戸名所図会』から引用すると「本尊初めてこの樹上に降臨ありしといふ。ゆえに星降り松とも、千年松とも呼べり」 妙見は、北辰---すなわち北極星。〔星降り松〕の別称は、北極星が梢にかかって輝いたことを暗示している。 広重は、松寿を画面の外に出した。魔神妖怪の類を認めなかったのかも。 『百景』からその種の風景をほとんど排除している(例外は王子稲荷の衣装榎の狐火のみか)。 参詣人の数も、広重は、ちらほら。 雪旦は、『図会』に「近世霊験著しとて、詣人つねに絶えず」とあるのを絵解き。 かなたの山容は、雪旦はなだらかな秩父山、広重は筑波嶺(ね)か?

投稿者 西尾 : 2006年09月20日 03:37


広重には霊樹・影向松(ようごうまつ)が見えませんね。 この松は柳島(妙見堂)のシンボルだったのでしょうか。

投稿者 みやこのお豊 : 2006年09月06日 08:16


ここもマンションになってますか。 最近寺社の姿がどんどん変ってきますね。彩色して名所図会を残す事は歴史的にも意義あることだと思います。

投稿者 みやこのお豊 : 2006年03月23日 08:18


母方の菩提寺で馴染深いお寺です。先生から元絵をいただきましたが、手をつける勇気がまだありません。 物心ついたときはお堂があったように記憶していますが、現在はマンションになってしまいました。(2階にお堂があります) 鬼平よりも剣客商売に登場したときが切絵図を買うきっかけとなりました。

投稿者 豊島のお幾 : 2006年03月22日 09:41


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