2004年 2月

――敬称略・逆日付順――



2月25日  13日


2月25日
2004年02月26日(木)  14:44

大滝(宿)のこと

発信:世田谷の金さん(ジパング倶楽部)

2月24日の講義で、〔大滝〕の五郎蔵の出身地の大滝についての考察結果を拝聴し、全国にわたっての調査に敬意を表さざるをえませんでした。
じつは小生が、以前に福島に勤務していた時、福島市から山形県米沢市へ抜ける国道13号線ぞいの谷間に大滝川が流れ、近くに「大滝宿」という宿場があり、休日のハイキングで立ち寄ったことがありました。
西尾先生のことだから、すでにご調査済みで、五郎蔵の郷里候補としては不適と判定されているとおもいますが、一応、お知らせします。
今回、再確認したところでは、明治初年、当時の山形県令・三島通庸が福島=米沢間に馬車の通れる道(のちに万世大路と命名)を建設したとき、栗子山隧道工事のため、人足宿場を設置したところだそうです。


明治21年(1888)陸地測量部製作

昭和54年までは住人もいたとのことですが、現在は無人のはずです。
(一時、地元のバス会社が手を入れて、観光資源として利用していたことがあるようです)。
13号線ぞいには小さなドライブイン大滝宿と大滝宿入口の大きな看板が健在です。


管理者:西尾からのレス

貴重な情報、ありがとうございます。
「大滝」の地名については、池波さんが座右においていた吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房 明治33年〜)の、11箇所から大滝から探しました。

 ・大和(現・奈良県吉野郡川上村)
 ・近江(現・滋賀県犬神郡甲良町)
 ・紀伊(現・和歌山県伊都郡高野町)
 ・越前(現・福井県今立郡今立町)
 ・越中(現・富山県西砺波郡福岡町)
 ・美濃(現・岐阜県不破郡垂井町)
 ・信濃(現・長野県下高井郡野沢温泉村)
 ・武蔵(現・埼玉県秩父郡大滝村)
 ・上総
 ・羽前(現・山形県最上郡小国町)
 ・羽後(現・秋田県大館市)


今日では「郵便番号簿」で検索すると、上記にさらに 7箇所加えられますが、池波さんは、『大日本地名辞書』の教室で読み上げた記述に魅せられ、秩父郡大滝村から採ったと判断しました。

 わいわい談義〔大滝〕の五郎蔵←こちらをクリック



2004年02月23日(月)

五寸釘の拷問

発信:管理者の西尾

加来耕三さんの『新撰組の謎』に、捕らえた西木屋町四条上ル真町の桝屋喜右衛門が山科毘沙門堂の臣・古高俊太郎とわかった……との記述がありました。


加来耕三さんの『新撰組の謎』(講談社文庫)

桝屋は、京都で池波さんがよく行った飯屋〔しる好〕の東隣で、古高俊太郎逮捕の地の石碑も建てられています。




飯屋〔しる好〕とその東隣の石碑

新撰組では、近藤隊長が拷問にかかりましたが、口を割りません。

副長の土方歳三もほとほと手にあまし、いろいろ工夫した結果、まず古高の両手をうしろへまわしてしばり梁へさかさにつるしあげた。それから足の裏へ五寸釘をプツリととおし、百目ろうそくを立てて火をともした、みるみるろうが流れて熱鉛のようにトロトロのやつが古高の足の裏から脛のあたりへ……

これって、[1−1 唖の十蔵]で、粂がやられた拷問にそっくりですね。
池波さんは『鬼平犯科帳』連載の5年前に『幕末新撰組』を書き始めています。そのとき集めた史料で、古高の拷問ぶりを知ったのかも。

 わいわい談義〔小房〕の粂八←こちらをクリック



2月13日
2004.02.13(金)

同心筆頭・酒井祐助の柳剛流

発信:管理者・西尾

新選組の土方歳三を主人公に据えた司馬遼太郎さんの『燃えよ剣』(新潮文庫)を読んでいたら、

 武州一円には、そういう連中に教える田舎剣法の流儀が三つあった。
 一つは、武州蕨(わらび)を本拠とする柳剛流(りゅうごうりゅう)で、
 これは相手のすねばかりをねらって撃ちこむ喧嘩剣法である。江戸の剣客
 は、柳剛流ときけばすねばらいを嫌って試合をしない。p22


綿谷雪・山田忠史編『武芸流派大辞典』(新人物往来社1969.05.15)には、こうある。

 柳剛流(剣、薙刀、居合、柔、棒、杖)
 祖は岡田総右衛門希良(まさよし)である(略)。各地を遍歴して諸流の
 玄妙を知り、臑(すね)を斬ること(跳び斬り)を始めて、一流をなし
 た。幕府親藩一橋家の師範となり、また神田お玉ヶ池に道場を建てた。文
 政 7年(1824) 9月24日死、62歳。


柳剛流の免許皆伝を受けている同心筆頭・酒井祐助の初登場は文庫巻1、天明 8年(1788)年小正月の事件の[1-2本所・桜屋敷]p71新装p76。
この年、岡田希良は26歳……すでに神田お玉ヶ池に道場を構えていたかどうか。
酒井同心が皆伝を得るまでに数年の修行期間があったと見ると、20歳代前半の岡田希良から指導を受けたことになるが、はて、希良は柳剛流をすでに立てていたろうか。


司馬遼太郎『燃えよ剣上』(新潮文庫)


綿谷雪・山田忠史編『武芸流派大辞典』(新人物往来社)



2004年02月07日(土)

高田馬場の薬舗〔回生堂〕をお探しの堀さんへ

発信:管理者の西尾の追信

2003年10月22日当欄へ、学習院生涯学習センター〔鬼平〕クラス堀眞治郎さんから、『乳房』に登場している高田馬場下の薬舗〔回生堂〕は実在かどうかとのご質問がありました。
『江戸買物独案内』には〔回生堂〕という薬舗はないとお答えしましたが、京都の『商人買物独案内』には薬舗〔回生堂〕がありました。ついでなので、追補しておきます。


『商人買物独案内』の〔池田回生堂〕


2冊組の『商人買物独案内』



2004年02月07日(土)  15:31

京都の名菓「白兎」

発信:鬼平熱愛倶楽部:高川 章さん

池波正太郎『近藤勇 白書』(講談社文庫 上、下)に、勇の大好物として京 五条・堺町の菓子舗〔藤屋伊兵衛〕の〔白兎〕が出てきます。
実在の店舗なのでしょうか。それとも池波先生の創作でしょうか?
長谷川家は代々「伊兵衛」ですよね。平蔵は違いますが。京都独買物案内にはあるのかも? 教えてください。




『近藤勇 白書』(講談社文庫 上、下)



管理者:西尾からのレス

高川さんがお読みになった講談社文庫の『近藤勇白書』は、昨年末に出た新装版のほうですね。その「上」p264に、たしかに、こうあります。

 この女を見たとき、勇の脳裡にうかんだのは、五條・堺町の菓子補〔藤屋
 伊兵衛〕で売っている白兎(しろうさぎ)という菓子であった。
〔白兎〕は小豆餡(あずきあん)を包んだ卵形の餅で、これを、いつか、八
 木邸で出されてから、勇の大好物となっている。


京都の商店の広告を集めた『商人買物独案内』にある〔藤屋〕は、五条・堺町でなく元誓願寺堀川西へ入で、店主の名も〔伊兵衛〕ではなく〔佐伯信春〕。名代は〔一流名菓雲の香〕。
もう1軒は、東六条〔藤屋〕守一。ここは大仏御殿御用調進所。



〔藤屋〕佐伯信春


〔藤屋〕守一

なお、五條にあった菓子舗は、次の3店。


〔亀屋〕大和大椽


〔鯛屋〕伊賀


〔大坂屋〕新助


〔藤屋伊兵衛〕の名の伊兵衛は、たしかに長谷川家の歴代の名でした。
三男の子である平蔵宣雄が急きょ婿となって以後、当主は平蔵を名乗るようになりました。



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