正解と説明  問53〜74
問53 剣友・岸井左馬之助の出自は、
正解 (a)総州・臼井の郷士の子
文庫巻8[明神の次郎吉]p95
問54 軍鶏なべ屋〔五鉄〕は、
正解 (b)二ッ目の橋の北詰
文庫巻1[本所・桜屋敷]p66
文庫巻11[見張りの見張り]p118
問55
〔五鉄〕の表の入口が向いているのは、
正解 (b)西
文庫巻14[殿さま栄五郎]p126 に、
問56
〔五鉄〕の紺のれんの文字は、
正解 (a)[相鴨・しゃも鍋――五鉄]
文庫巻5[兇賊]p195
問57
〔五鉄〕の入れこみの畳数は左右、
正解 (b)10畳ずつ
文庫巻8[あきれた奴]p58
問58
〔五鉄〕の表にあったのは、
正解 (b)天水桶
文庫巻18[蛇苺]p94
問59
〔五鉄〕の裏にあったのは、
正解 (a)猫道
文庫巻14[殿さま栄五郎]p126
「猫道」と、よばれている、辛うじて人ひとりが抜けられる細道……。
問60
[本所・桜屋敷]での〔五鉄〕の三次郎の年齢は、
正解 (c)37歳
文庫巻4[夜鷹殺し]は寛政元年
(1789)初夏から秋へかけての事件。
[本所・桜屋敷]はその前年の天明8年(1788)1月の事件。
問61
〔五鉄〕の子どもの数は?
正解 (c)5人
文庫巻6[剣客]p109
問62
〔五鉄〕の二階の部屋数は、
正解 (a)3部屋
文庫巻7[泥鰌の和助始末]p170
「二階座敷は三つあり、そのうちの一つを、おまさがつかっていた。

文庫巻6[狐火]p116
「このごろのおまさは、ほとんど〔五鉄〕の二
階奥の小部屋で寝泊まりしている」
問63
〔五鉄〕の二階の小部屋に寄宿したことがない密偵は、
正解 (c)〔馬蕗〕の利平治
文庫巻3[駿州・宇津谷峠]p218
参考 (a)
〔相模〕の彦十 文庫巻10[むかしなじみ]p174
(b)
〔雨引〕の文五郎 同上
問64
〔大滝〕の五郎蔵と〔舟形〕の宗平の住まいは、
正解 (a)本所・相生町5丁目
文庫巻7[隠居金七百両]p62
注)版によっては相生町4丁目になっている。
問65
彦十が鬼平と再会したときの年齢は、
正解 (a)55歳
再会した[本所・桜屋敷]は天明8年(1788)1月の物語。56歳と明記されている[夜鷹殺し]は翌寛政元年(1789)晩秋の事件
問66
密偵・〔小房〕の粂八が
預かっている船宿〔鶴や〕は、
正解 (b)大横川ぞいの石島町
文庫巻1[暗剣白梅香]p199
問67
お熊ばあさんの茶店〔笹や〕は、
正解 (b)弥勒寺門前
文庫巻6[寒月六間堀]p217
参考 (a)
法恩寺門前のは、再会した平蔵と左馬之助が飲みかわした〔ひしや〕
文庫巻1[本所・桜屋敷]p60
(c)
海福寺門前は一本うどんの〔豊島屋〕
文庫巻7[掻掘のおけい]p110
問68
おまさが密偵志願をしてきたのは、
正解 (c)平蔵が火盗改メに再任された
 天明8年(1788)秋
文庫巻4[血闘]p136
史実ではこのときに火盗改メ本役に就任した。
参考 (a)
平蔵が火盗改メを任命された天明7年秋は、このときの平蔵は冬場だけの火盗改メ助役。
本役は堀帯刀秀隆。池波さんは読者の理解の混乱を恐れたか火盗改メを一人だけの役にした。
問69
おまさが預けている女の子の年齢は、
正解 (c)7歳
文庫巻4[血闘]p138
問70
おまさが住んでいた裏長屋は、
正解 (a)下谷・坂本裏町の与助長屋
文庫巻4[血闘]p141
問71
おまさの父親・〔鶴〕の忠助の呼び方は?
正解 (b)〔たずがね〕の忠助
「たづ(ず)」は鶴の雅称。
その鳴き声からきている。
文庫巻4[血闘]p130
問72
おまさの故郷は、
正解 (a)下総・佐倉の在
文庫巻6[狐火]p111
問73
おまさが五郎蔵とできたのは、
正解 (b)[鯉肝のお里]のとき
文庫巻9[鯉肝のお里]p71
問74
伊三次なじみのおよねの店の屋号は、
正解 (b)〔みよしや〕
文庫巻6[猫じゃらしの女]p46
参考 (c)
〔菱屋〕 木村忠吾がなじみのお松のいる店。
文庫巻2[谷中・いろは茶屋]p65


問1〜24

問25〜52

問75〜100


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