問1〜24 1問正解=1点(全100問)

(正しい答え1つだけに〇を)

問1
長谷川平蔵が19歳で入門した剣術道場は?
(a)一刀流の高杉銀平道場
(b)念流の坪井主水道場
(c)無外流の辻平右衛門道場
問2
その道場主は京都西町奉行に就任した父・宣雄に
随った平蔵の在京中に死去したが、享年は?
(a)63歳
(b)65歳
(c)67歳
問3
父・宣雄の死によって家督を継いだ平蔵が
幕臣として最初に登用された職場は?
(a)西の丸納戸掛
(b)西の丸小姓組
(c)西の丸書院番
問4
長谷川平蔵が御先手組頭へ大抜擢された時の
他の33名の組頭の年齢の平均は65歳強だが、平蔵は?
(a)41歳
(b)43歳
(c)45歳
問5
火付盗賊改メの役料の四十人扶持は、
1日に渡される米の量だが?
(a)2斗
(b)2石
(c)2俵
問6
長谷川平蔵が抜擢された御先手組の組頭の
役料は1500石だが……
(a)役料のみが支給される
(b)長谷川家の家禄にプラス
(c)家禄と役料との差をプラス
問7
『武鑑』などの史料によると御先手組の
長谷川平蔵配下の与力は10人、同心は30人。
が、『鬼平犯科帳』に登場する与力の延べ
(a)14人
(b)19人
(c)24人
問8
『鬼平犯科帳』に登場する与力・同心の延べ人数は?
(a)35人前後
(b)40人前後
(c)45人前後
問9
長谷川家には公式の表紋と、私物につける二つの替紋があるが、
そのどちらでもないのは?
(a)四ッ目結
(b)左藤巴
(c)釘抜
問10
長谷川平蔵は犯罪者へ転落しやすい無宿人の
収容・授産施設である人足寄場を建議、建設・経営の
初回の責任者に任命された。
その時に幕府が平蔵に与えた肩書きは?
(a)寄場頭取
(b)寄場奉行
(c)寄場取扱
問11
平蔵が建設した人足寄場の場所は?
(a)隅田川河口の佃島
(b)隅田川河口の石川島
(c)深川・木場の一隅
問12
平蔵が建設した人足寄場の当初の敷地は?
(a)6000坪
(b)12,000坪
(c)15,000坪
問13
鬼平は笑うと……
(a)両頬にふかい笑くぼができる
(b)右の頬にふかい笑くぼができる
(c)左の頬にふかい笑くぼができる
問14
本所・入江町で屋敷がとなり同士(小説)だった
大橋家のむすめ・久栄が鬼平の嫁として
長谷川家へ嫁入りしてきたときの年齢は?
(a)18歳
(b)19歳
(c)20歳
問15
鬼平と妻女・久栄の年齢差(小説)は?
(a)5歳
(b)6歳
(c)7歳
問16
妻女・久栄の実家の父親・大橋与惣兵衛の家禄は?
(a)廩米100俵
(b)廩米200俵
(c)廩米300俵
問17
長谷川家と大橋家は屋敷がとなり同士だったばかりなく、
剣術道場で同門でもあった(小説)が、大橋与惣兵衛は
銕三郎(のちの鬼平)より何歳年長だったか?
(a)28歳年長
(b)30歳年長
(c)32歳年長
問18
本所・入江町の大橋家が、その後、屋敷替えで引っ越した先は?
(a)神田・小川町
(b)外神田・和泉橋通
(c)牛込・払方町
問19
ある篇に、平蔵夫婦は2男2女をつくったとある。
長男・辰蔵の生年は?
(a)明和5年(1768)
(b)明和6年(1769)
(c)明和7年(1770)
問20
嫡男・辰蔵が生まれたとき、
外祖父にあたる大橋与惣兵衛は存命だったか?
(a)いた
(b)いなかった
問21
養女・お順が誘拐される[むかしの男]で、
「どう見ても、三十四、五歳」に見られていた
妻女・久栄のこのときの実際の年齢は?
(a)41歳
(b)42歳
(c)43歳
問22
平蔵・久栄夫妻の長女・初の嫁ぎ先である河野家の家禄は?
(a)300石
(b)500石
(c)700石
問23
天明8年(1788)、火盗改メの長官となって
清水門外の役宅へ移り住んだ平蔵夫妻に代わり、
目白台の留守宅をとり仕切った用人・松浦与助の年齢は?
(a)44歳
(b)49歳
(c)54歳
問24
春になると、役宅の庭に咲くのは?
(a)コブシ
(b)コデマリ
(c)山桜桃

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