0060金六町 しがらき茶店
投稿者 nishiot : 2006年02月12日 15:40
コメント
はじめまして。
杉並区高円寺に住まいます、奥村茂と申します。
私は、銀座8-3に生まれまして、小学校5年生まで銀座の生家で過ごしました。
学校も泰明小学校を卒業しています。
生家は、「奥村」という料亭を生業としておりました。
戦前は、「桐屋」という芸妓置屋で、祖母は新橋芸者「二代目・蝶子」と申しました。
戦前、東踊りではタテ三味線を勤めておりました。
金六町は、銀座8-3と名称が変わったのは戦後すぐのことだったのでしょう。私が生まれた当時は金六町とは言わず、8-3になっていましたようで。
近所には、常磐津林中師(名人と呼ばれた)松尾太夫、その息子さんの故千東勢、三東勢太夫さんがお住まいでした。三東勢太夫の長女・福田安代氏は同級生で今でも仲良くしています。
また、名人・故杵屋六郎助師もご近所でした。
投稿者 奥村茂 : 2007年07月24日 03:42
企画・書き手は、江戸でも由緒のある草分(くさわけ)名主の斉藤家です。町名からして早くからの町とわかる三河町など4町だか5町だかを管理・世話していました。
板元も江戸ではもっとも堅い須原屋茂兵衛ですから、はたして、広告契約などしたかどうか。
武智徹二さんから聞いたところでは、歌舞伎なんかでは、表看板の役者が、舞台で、堂々と銘柄を口にしたそうですから、広告文句はそれほど嫌悪されてはいなかったかも。
投稿者 西尾 忠久 : 2006年09月30日 10:40
『江戸名所図会』に書いてもらったお店にとっては
大変な宣伝になっていますね。
こういうのはやはり、版元と広告契約のようなものがあったのかしら?
投稿者 ~flow : 2006年09月30日 10:38
わぁ、面白~い!
ずっと見ていると、人の声が聞こえてきそうですね。
現代だとうるさいのでしょうが、機械的な音がしないから、
意外と静かだったりするのでしょうか。
子供は裸足なんですね。
地下足袋の人もいるようですが、何か履いているのかしら。
お腹がでている人はいるようですが、太っている人もいませんね。
歩くのが普通だからなんでしょうか、みんな筋肉質っぽいですね。
武士はともかく、みんなリラックスしている感じがいいですね。
時代劇を見慣れているせいか、
思ったより月代が広く、髷が小さいのに驚きました。
投稿者 れん : 2006年09月30日 10:12