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2006年02月27日

0446湯島聖堂

『江戸名所図会』巻之五 玉衡之部

キャプション

『新葉集』釈尊 から人のむかしのかげをうつし来てあふげば高き秋の夜の月 妙光寺内大臣

(文京区湯島1-4)

広重『名所江戸百景』[昌平橋聖堂神田川]

小林清親 湯島元聖堂之景

『御宿かわせみ』に登場

 [2-2 花冷え]p50 新装p52
 [1-5 倉の中]p169 新装p177
 [1-6 師走の客]p184 新装p194
 [2-3 迷子石]p70 新装p75
 [11-1 牡丹屋敷の人々]p97 新装p103
 [12-3 岸和田の姫]p69 新装p66

投稿者 nishiot : 2006年02月27日 13:06

コメント

湯島聖堂は幕府の学問所。小説の人物---『御宿かわせみ』の神林東吾や畝源三郎、逢坂剛さん『重蔵始末』の近藤重蔵などは苦もなく合格しているが、試験もけっこう厳しかったらしい。 彼らにとっての「わが母校」の雄姿を、雪旦は、『卒業記念アルバム』の巻頭を飾ってる校舎写真のおもむきで写している。 対する広重は、タイトルこそ[昌平橋聖堂神田川]だが、正面を避けに避けて、登下校時に目にした懐かしの景色でいなす。掲載ベージは真ん中以後、肩のこらない雑文の部。 画家の気質・才能の違いというより、江戸名所という主題を、どう受け止めていたかの表れのような感じがしてならない2景ではある。

投稿者 西尾 : 2006年09月06日 08:32


『御宿かわせみ』を読みかえしていたら、神林東吾と畝源三郎が湯島聖堂で机を並べていた仲だったとあった。 町奉行所の与力の弟の東吾はともかく、源三郎は同心の家柄、聖堂へ入れたのかな。 それとも、幕末のころともなると、幕府は、同心の身分の子弟でも入学を奨励していたのかしらん。

投稿者 西尾 忠久 : 2006年04月16日 17:40


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