2003年 11月

――敬称略・逆日付順――



11月24日  22日〜17日  15日〜10日  8日〜2日


11月24日
2003年11月24日(月)  19:11

『鬼平犯科帳を歩く』で

発信:ykkchuckさん

先日発売された『鬼平犯科帳を歩く』での、おいしんぼ立ち寄りスポットは本当においしく、また人情がある店だ。街をあるく目的はいろいろあるが、それこそ道草ははずせない。おいしいのがいちばんいいが、さらにそこでちょいとする世間話的おしゃべりがさらに気分を盛り上げる。
甘味処では池上本門寺の門前に店を構える〔相模屋〕のくずもちは絶品。あるき疲れた体と脳みそにかき〜んときくし、店の人たちが暖かい。
塗り絵が一段落したら本の地図を片手にあちこち立ち寄ってみて、お気に入りの店やスポットを書き込んで、道草自分帳が出来上がるのが楽しみだ。


管理者:西尾からのレス

文庫巻 9[本門寺暮雪]で、鬼平と井関録之助が総門前の茶店〔弥惣〕で「葛餅」をとります。p161 新装p168
それで〔相模屋〕を紹介してみました。
門前で「葛餅」を商っている店は、最近まで 4軒あったのか 1軒閉店、いまでは〔相模屋〕と〔池田屋〕、そして池上駅前の〔浅野屋老舗〕の 3軒になりました。


〔相模屋〕全景


「久寿(くず)餅」展示


「葛餅」




11月22日〜17日
2003年11月22日(土)

大森の麦藁細工・ネズミとハト

発信:西尾からのリポート

『鬼平犯科帳』ほかの作品執筆に、池波さんが『江戸名所図会』を発想のバネとしていたことは、当ホームページで幾度となく報告してきました。
凡例。文庫巻7[穴]では、掘った穴から忍びこんだ隣家〔壷屋〕の金蔵へ、のこしてくる藁細工のネズミは、〔平野屋〕源助が川崎大師へ参詣した帰りに大森の麦藁細工店で買ったものである、とか。

大森名産の麦藁細工(右手の下段の棚のネズミ)

部分拡大

じつは大森の麦藁細工、文庫巻7[泥鰌の和助始末]で、市ヶ谷田町の鰻屋〔喜多川〕を訪ねた和助が同類である証しの合図として、亭主の惣七へ、

「へい。これを」
 土間へ入って和助が出して見せたのは、大森産・麦わら細工の鳩であった。

p162 新装p170

 ハトは、同じ『図会』絵の左下、女の子の向こうに10羽ほど描かれています。


部分拡大

こういう「神は細部に宿る」というか、茶目っけも、池波小説の真骨頂の一つでしょう。

 わいわい談議『鬼平犯科帳』 ←こちらをクリック

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2003年11月21日(金)

竹内孫四郎の怪

発信:西尾からのリポート

同心・竹内孫四郎は、[1-1 唖の十蔵]p32 新装p33に初顔見せしてから[14-1 あごひげの三十両]p8 新装p8 にチラッと名前が出たきり、その後はまったく姿を見せていないことを、11月 7日(金)の学習院生涯学習センター〔鬼平〕クラスで言及しました。

学習院生涯学習センター〔鬼平〕クラス教室風景

([唖の十蔵]での捕り物で小川や梅吉に斬られた手首の傷がもとで、病死した気配もありません)。
そればかりか[あごひげの三十両]までに登場した19話中に、年齢、風貌、家族構成などの属性にまったく触れられていないように思えるから、全文を手分けして総チェックしてみてほしい、と依頼しました。
11月21日(金)のクラスでの報告。いずれの篇にも属性の記述なし。
あまつさえ、[9-5 浅草・鳥越橋]p205 新装p214では竹内孫次郎となっている。
また[あごひげの三十両]p8 新装p8 では竹中孫四郎となっている。
……との調査報告もありました。
もっとも『完本 池波正太郎 大成』(講談社)では[浅草・鳥越橋]の竹内孫次郎は孫四郎へ、[あごひげの三十両]の竹中孫四郎は竹内へ訂正されていました。
そこで疑問噴出。『完本…大成』は作家歿後の刊行だが、訂正許可したのはだれなのか? 文春文庫はなぜ訂正しないのだろう? と。
([浅草・鳥越橋]収録『完本…大成5』1998.07.20刊。[あごひげの三十両]収録『…大成6』1998.08.20刊)

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2003年11月19日  12:10

楽しい取材でした

発信:担当カメラマン・西林 真さん

『鬼平犯科帳を歩く』の撮影を担当させていただいたカメラマンの西林です。
その節はお世話になりました。
今まで、鬼平にはまったくといっていいほど興味がなかったのですが、取材をしていくうちにこれはおもしろいなあと感じ、只今、夢中になって読んでいます。
今度は仕事ではなく、休日にのんびりとカメラ片手に夫婦で史跡巡りをしようと計画しております。


『鬼平犯科帳を歩く』の写真を撮った西林さんのデジカメ


管理者:西尾からのレス

拙編著で、鬼平ファンが新しく2人誕生ですね。そうなんです、ご夫婦で……がいいんです。会話の糸口ができますから。朝日CCのクラスにもご夫婦で見えているカップルがあります。
ぼくも25年前に、家人がもっていた鬼平の文庫本ではまった口です。



2003年11月18日  17:08

さっそく、鬼子母神まわりを歩きました

発信:旬報社 企画編集部長 木内洋育さん

新刊『鬼平犯科帳を歩く』は、小説を絵解きするように、舞台となった場所を紹介する西尾先生の文章と50点の『名所図会』、そして地図とコースデータがB5判94頁の中に凝縮された魅力的な本となったと自負しています。
版元の弊社は、本書「平蔵ゆかりのコース編2」で紹介されている目白台にあります。
あたりには豊島区、文京区「史跡めぐりコース」もあり、気候のよい季節など、地図を片手に文学散歩を楽しむグループがたくさん訪れます。
私自身いつか歩いてみたいと思っていたものの、一人ではどう歩けばよいのか見当もつかず躊躇していたのですが、刊行をきっかけにやっと実現することができました。
いま雑司ヶ谷の鬼子母神では樹齢 600年の銀杏の巨樹が黄葉となり、落ちた実を拾う人たちの姿が見られます。鬼平も銀杏を酒のつまみにしたのだろうかなどと、愚にもつかないことを考えながら、しばし見とれていました。


銀杏の巨樹が黄葉している雑司ヶ谷鬼子母神

本書があればどなたでも独りで鬼平と同じ道を歩けます。私も、次はどこを歩こうかと頁を繰るのが楽しみです。


管理者:西尾からのレス

ページ数の関係で入りきらなかったので割愛したコースがあと30ほどあります。いずれも朝日CC、森下熱愛、学習院の3クラスが実際にウォーキングを楽しんだコースです。本を手に歩かれた読者の方々からのご要望が強くあれば、なんらかの形で、それら30コースも公開したいですね。
ご要望は、このホームページへお寄せください。



2003年11月18日(火)  08:55

学習院の兎忠さんへのお返事

発信:朝日カルチャーセンター(新宿)〔鬼平〕クラス
   幹事・田代 宏さん

学習院生涯センター〔鬼平〕クラス 兎忠様
11月15日付、朝日CC宛てのメッセージ、有難うございました。
友人たちへ『鬼平犯科帳を歩く』を送るための挨拶状、宛名の作成、梱包などに時間をとられていて、お返事が遅くなったこと、お詫びいたします。
『鬼平犯科帳を歩く』は、われわれメンバーの塗り絵をすこしでも外部へ発表できないか、と西尾先生が発案されたものです。
幸いにも、朝日カルチャーでは講座シリーズというムック本を出しており、便乗することが出来た次第です。
それとわれわれの講座はすでに 7年目を迎え、マンネリになってはいけない、と西尾先生のなみなみならぬご苦労もありました。
とはいうものの昨日、本屋を覗いて『鬼平犯科帳を歩く』が山積みになっているのを見、思わず「やった!」という気持ちになりました。
同じ講座を受けているのですから、一度はそちらの皆さんとウォーキングのときなど機会を設けて交歓できるといいですね。


管理者:西尾からのレス

ほかの〔鬼平〕クラスの一部メンバーに「朝日CCに依怙贔屓」と非難されていますが決してそうではありません。
ほかの〔鬼平〕クラスも、機会をみては新聞記事になったり、テレビに出演したりしていますからね。
クラスでのことが、単なる親睦に終わらないで、一つの社会的文化活動につながるように努めているつもりです。



2003年11月17日(月)  15:21

『鬼平犯科帳を歩く』その後

発信:ユニゾン(編集プロダクション)
   山下 実さん

11月14日に『鬼平犯科帳を歩く』が発売となりました。
学習院生涯学習センター〔鬼平〕クラス、森下文化センター〔鬼平〕熱愛倶楽部のみなさまにも購入していただきました。ありがとうございました。
また、本書制作に深く関わっていただいた朝日CC〔鬼平〕クラスのみなさまには追加注文もいただき、この場を借りてお礼申し上げます。
さて、本書を読んでいきますと、「ちょっと一息」というコラムに目がとまります。そのなかでもとくに旨いもの屋案内は、西尾先生が講座の鬼平史跡ウォークのために、実際、食して選んだところばかり。
う〜ん、食べてみたい! と思いつつ、そうだ、この旨いもの屋をテーマに新しい本が出来るぞ! と。
『鬼平犯科帳「江戸美味独案内」』なんていうのはいかがでしょう?
ところで私のこれからの休日の過ごし方は、本書を持って歩くこと。まずは品川の海雲寺の天井絵を見る。そして、〔若出雲〕の特製弁当を冬の日溜まりのなかで広げる。みなさん、どうですか、こんなの……。


品川の海雲寺の千躰荒神堂の天井絵


池波さん絶賛の〔若出雲〕の折詰弁当

追記:本書p74のコラム「池波正太郎の舞台裏」文中で、「寛政重修諸家譜」と記すところを「寛政重州諸家譜」としてしまいました。まったくもって編集の未熟そのもの。深く反省するとともに、お詫び申し上げます。


管理者:西尾からのレス

『鬼平犯科帳「江戸美味独案内」』……ですか?
よろしいのですか、次の企画を漏らしてしまって。
しかし、〔若出雲〕の特製弁当を携えての史跡ウォーキングはいい線ですね。
池波さん絶賛の〔若出雲〕の特製弁当は、どの鬼平本もこれまで見逃してきました。



2003年11月17日  11:51

番場忠太郎地蔵尊

発信:朝日カルチャーセンター〔鬼平〕クラス
   富川博見さん

先日「中山道歩き」で「番場宿」(滋賀県米原町)を訪ねた折り、〔番場忠太郎地蔵尊〕が祀られていた「蓮華寺」に参詣して来ました。
ご存じ、長谷川伸の戯曲『瞼の母』の主人公・番場の忠太郎に因む地蔵尊でした。
忠太郎が番場宿の旅籠屋の息子という設定であったことに由来することのようです。
長谷川伸が「南無帰命頂礼 親をたづぬる子には親を子をたづぬる親には子をめぐり合わせ給へ」と悲願をこめて建立したものだそうです。
最近は親子縁結びのお地蔵さんとしてお参りする人が多いのだそうです。
「西尾鬼平の門下生です」と、地蔵尊にぬかずき頭を垂れて来ました。
「春慶寺と岸井左馬之助」のものとは、恐らく比較にならない位に大規模なものなのではないでしょうか。
上尾図書館で長谷川伸著『瞼の母・沓掛時次郎』(ちくま文庫)を借り出し、通読しました。[瞼の母][沓掛時次郎][関の弥太ッペ][雪の渡り鳥][一本刀土俵入り]「暗闇の丑松」の 6篇が収録されていました。


『瞼の母・沓掛時次郎』(ちくま文庫)

先戯曲を手にするのは初体験でしたが、読み慣れてくるにしたがい、ぐいぐいと引きずりこまれてしまいました。

橋本正樹氏の解説――
「世間という荒波をのりきるために、不幸な生き方を選ばざるを得なかった主人公が、心のいちばん弱い部分を律しながら運命に立ちむかいやがて抗いきれずに自らの人生を切り刻んでゆくというのが、六作品に共通した筋立てである」
「旅役者が長谷川伸を慈父のようにあがめるのは、多くの代表作を無断上演しても、あえて苦言を呈さなかった寛容さを、幕内で語り伝え、いまもって徳としているからである」
「幕切れのクライマックスまで観客をぐいぐい引っぱっていく巧さと、役者の趣向で千変万化しうる独特な台詞で、長谷川伸は一頭地を抜いていた」「もっと高く評価されるべきは、観客の心を完全に掌握した、もしこんな言葉があるなら”観客通”だった点だ。舞台の展開にともなう観客の微妙な心の動きや反応をきっかり計算しつくして、長谷川伸は戯曲を書き進めていたのではあるまいか。さらには舞台と客席がかもしだす劇場の空気までも視座におさめていたのかも知れない」


――示唆的でありました。
長谷川伸氏は「三歳のとき母と生別、家が破産して一家離散し、小学校を中退、出前の小僧や土方、石工などの辛酸をなめた。」と履歴にあります。
池波正太郎と同じような境涯にあったのですね。「番場の忠太郎碑」が建立された所以のものでもあったのですね。菊池寛がお師匠さんだったことも初めて知りました。


管理者:西尾からのレス

すばらしい[瞼の母]詣ででしたね。〔番場の忠太郎〕は『鬼平犯科帳』でいったら、さしずめ、伊三次ですかね。池波文学研究の一つの道が、長谷川伸考究です。
[わいわい 長谷川伸]ページを新設しましょう。

 わいわい談議 長谷川伸 ←こちらをクリック



2003年11月17日(月)  10:12

お世辞抜きにいい角度の企画

発信:ぬまピーさん

『鬼平犯科帳を歩く』の上梓、おめでとうございます。さっそくに入手しました。
マーケッターの目から見て、いやあ、お世辞抜きにいい角度の企画なんです。
コレクションものとしても楽しい。
すぐにも増刷でしょうね。
来週『日経マスターズ』の編集長に会います。話をしてみたいと思います。


管理者:西尾からのレス

「すぐにも増刷」……そうなると嬉しいのですが。
書店さんがどこへ陳列してくださるか、によります。
また、年配の鬼平ファンは書店へそう頻繁には行かれないでしょうから、この層へどうやって伝達するかですね。
何分ともによろしく。



2003年11月17日(月)  00:15

【鬼平犯科帳を歩く】

発信:朝日カルチャーセンター〔鬼平〕クラス
   Cさん

【鬼平犯科帳を歩く】、とても楽しく拝見しました。
『江戸名所図会』の元絵と彩色された作品を一緒に見れるので、とてもわかりやすいです。
元々の『江戸名所図会』が素晴らしく、貴重な資料ということであっても、見る力も想像力もない私にとっては、お恥ずかしながら昔の白黒の絵ということから広がりにくいのです。
彩色されたものを見ると、ぐっと江戸時代を感じることができますし、対比できることで、元絵まで身近になりました。
現在の街並みから昔を想像することも大変難しく、昔をしのびながらのんびり歩くということがなかなかできなかったので、この本を片手にぜひ歩いてみたくなりました。
彩色の手順も大変参考になりました。
私もこのたび、朝日CC〔鬼平〕クラスに参加し、彩色に初挑戦しました。が、何をどう塗っていいのかわかりませんでした。早速この本をお手本にトライしてみます。

[彩色の手順](一部)

次回第2集の出版までには、きっと諸先輩のように塗り絵師になっている!! なっていると思う!? なっているんじゃないかなぁ…、なりたいなぁ。
うーん、まずは塗り絵を楽しんでみたいです。


管理者:西尾からのレス

そう。ものごとなんでもそうですが、理屈よりも、まず、楽しめるかどうかです。
小説は、おもしろいかどうか、です。池波さんは、編集者へ原稿を渡すとき、まず、読ませて、
「おもしろいか?」
と聞かれたそうです。



11月15日〜10日
2003年11月15日(土)

お疲れさま&……

発信:永 六輔さん

お疲れさま&ありがとうございます。


永さんが放送中の TBSラジオの「土曜ワイド」スタジオでしたためたハガキ


管理者:西尾からのレス

古いお付き合いです。彩色『江戸名所図会』展のことなどを放送で紹介していただいているので、『鬼平犯科帳を歩く』を贈ったのです。
放送で触れたあとはいつも、こんなふうな短い文のハガキで知らせてくださる律義さです。



2003年11月15日(土)  11:53

朝日カルチャーセンター〔鬼平〕クラスの皆さん

発信:学習院生涯学習センター〔鬼平〕クラス
   兎忠さん

『鬼平犯科帳を歩く』という楽しいご本が出版され、お喜びのことと思います。
江戸時代の遺産の『江戸名所図会』と、池波さんの『鬼平犯科帳』と、西尾先生のン十年? にわたる研究成果のエッセンスともいうべき文章と、随所に配された塗り絵師の方たちのページを華やかに彩っている力作とが合体して、素晴らしい仕上がりですね。
まさに時空を超えた遊び心に溢れたコラボレーション!
です。
西尾先生がお引きになった滝沢馬琴の言葉を借りれば、
「文六分、絵四分」(先生、ごめんなさい)というところでしょうか?

『鬼平犯科帳を歩く』第一ウォーキング・コース(一部)

読んだり眺めたりするだけでなく、鬼平にまつわるウォーキング・コースを実際に歩いてみたくもなり、『江戸名所図会』の元絵が24点も挿入されているので、塗り絵に挑戦してみたくもなり、1粒で2度おいしいどころか、1冊で何度でもおいしさが味わえそうです。
とりあえず、鬼平講座の一員として、朝日カルチャーセンターの皆さんのお喜びを分けていただいたような嬉しい気分をお伝えしたくて。
いつか皆さんとお会いできる機会があればいいですね?


管理者:西尾からのレス

兎忠さんのすてきなメッセージ、朝日CCのメンバーに代ってお礼を申しあげます。
お蔭さまで本のほうは、書店からの注文も順調に伸びているとか。
それにしても『鬼平犯科帳』をつうじて各〔鬼平〕クラスがエールを交換しあうって、ほほえましい光景ですね。
朝日CCからも、だれかが何かをいうべき刻です。



2003年11月15日(土)

まさに画期的な内容です!

発信:SBS学苑パルシェ(静岡)〔鬼平〕クラス
   杉山幸雄さん

『鬼平犯科帳を歩く』、まさに画期的な内容で、彩色『江戸名所図会』はもちろんのこと、切絵図、ちょっとひと息、コースデータ等々、受講生である私向きというか、ぴったしのご新著であります。


管理者:西尾からのレス

鬼平の活躍エリア……江戸在住〔鬼平〕クラスのメンバーにとどまらず、静岡にお住まいの杉山さんに「ぴったし」といっていただいたことで、拙編著が小選挙区本でなく全国区対象本のお墨付きを得たに等しいです。





2003年11月13日(木) 16:50

サミュエル・ジョンソンって?

発信:森下文化センター〔鬼平〕熱愛クラブ
   おまささん

最近、立てつづけに「鬼平関連」の書籍が発売されていますよね。
鬼平フアンとしてはとても嬉しいかぎりです。
でも、貧乏になりそうだわッ(笑)
さっそく『鬼平犯科帳を歩く』を購入しました。
『江戸名所図会』の塗り絵も綺麗に彩色されているし、解説も丁寧なので、読んでいて楽しいし、知識も身につく気がします。
ところで質問なんですが、あとがきに辞典編纂者サミュエル・ジョンソンが言った「ロンドンに飽きたら、人生に飽きたに等しい」って、どこに記されているのですか?


『鬼平犯科帳を歩く』あとがき
上の画像をクリックすると、拡大画像がご覧いただけます。


管理者:西尾からのレス

うーん。サミュエル・ジョンソンを説明する前に、 7年前の拙著『探偵と恋人の愛の会話―スペンサーとスーザンに学ぶ』(太陽企画出版)から始めます。


『探偵と恋人の愛の会話―スペンサーとスーザンに学ぶ』
(1994.11.18)


スペンサーとスーザンは、いまはもう盛りは過ぎたけど、ミステリー好きを、いっとき、熱狂させたシリーズ・ヒーロー&ヒロインです。スペンサーはボストンの私立探偵、恋人は心理療法士。
『ユダの山羊』(ハヤカワ・ミステリ文庫)で、ロンドンへ仕事で出張したスペンサーが、この街はニューヨークと同様、気持ちが高揚する、と電話で告げると、
「ロンドンに飽きたら、人生に飽きたに等しい」
と応じたスーザン。
シリーズ中にふんだんにあるこのテの気のきいた会話を集めて解説したのが前掲の本です。
(うまいなあ)と感心していたら、辞典出版社勤めのSさんが、スーザンの台詞のもとが収録されている『オクスフォード引用句辞典』を、原典のジェイムズ・ボズウェル『サミュエル・ジョンソン伝』の該当ページとともに送ってくださいました。
『引用句辞典』に「ロンドンに飽きたら……」が入っているということは、多くの人がロンドンを語るときに引用するってことですね。
このことを話題にしたところ、渡部昇一上智大教授から、スコットランドの上流家庭出身のボズウェルが『ジョンソン伝』を上梓した時、もの書きごときの男の言動をあらわすとはなにごとか、と父親から叱りとばされたと教えられました。
それらの経緯を前書きにしたためたのが、拙著『ミステリー風味ロンドン案内』(東京書籍)です。

  
『ミステリー風味ロンドン案内』( 1988 7.25)
『ミステリー風味ロンドン案内2』( 1990 7.25)

『…ロンドン案内2』は同じ版元から 2年後に出ました。

ところで「ロンドンに飽きたら、人生に飽きたに等しい」には、つづきがあります。
「ロンドンにはなんだってあるんだから。老後、夫婦で話しあい反芻して楽しむためには、ロンドンには夫婦で滞在しないと……」
ロンドンを江戸に置きかえても同じですね。
「夫婦で話しあって楽しむには、江戸研究(鬼平の研究)は夫婦でやらないと……」
上記 3著とも絶版です。

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2003年11月13日(木)

彩色されているのがいいですね

発信:「新潮文庫」編集部 三室洋子さん

『鬼平犯科帳を歩く』、やっぱり色が付いているのは、いいですね。
先日、サトウサンペイさんの、著作がケンブリッジ大に寄贈された記事、も出ました。


管理者:西尾からのレス

三室さんは、ぼくの『剣客商売 101の謎』(新潮文庫)を、ご担当というより、発案なさった編集者です。サトウサンペイさんと3人でたまに食事をしています。



2003年11月12日(水)

色をつけるという発想に感服

発信:文藝春秋 青山 徹さん

楽しい御著書をご恵送いただきありがとうございました。街歩きの原稿はやっていてとても楽しく、先生の御本も、それだけにうらやましく拝読しております。
彩色も力作ぞろい。色をつけるという発想に感服いたしました。
ホームページも見ておりましたが、紙になるといいですね。


管理者:西尾からのレス

青山さんには、文藝春秋デジタル出版部の事実上の責任者として『鬼平犯科帳』』をシャープのザウルスへ配信することを企画なさった時にお会いしました。
その後、お仕事がらみで『暮らしとパソコン』誌のホームページへ発表されていた鬼平史跡めぐりのルポに注目していました。
それで拙編著『鬼平犯科帳を歩く』を評価していただきたかったのです。安心しました。


『鬼平犯科帳を歩く』(旬報社 2003.11.20)
B5版 94ページ うちフルカラー47ページ
書店に並ぶのは 11.14前後です。




11月8日〜2日
2003年11月08日(土)  21:04

千石の資格でつとめる火付盗賊改方の長官が…?

発信:学習院生涯学習センター〔鬼平〕クラス
   堀 眞治郎

池波先生のアラ探しばかりやりおって、と云われそうで躊躇していましたが、思い切って投信します。
文庫巻 8[流星]』を読み返していて、p190、

いかに平蔵が「下情(かじょう)に通じている」とはいえ、四百石の旗本で、いまは千石の資格でつとめる火付盗賊改方の長官が、千住節までおぼえているとは……

に、びっくりしました。
前に読んだ時は何も感じなかったのですが! 火付盗賊改方長官の「役高は千五百石」と教わりましたので、池波先生の勘違い、誤植…と考えましたが、池波先生に勘違いを起こさせるような史料等があるのでしょうか?
 単なる間違いとしたら、編集者、校正者は何やってんでしょう! 完本では訂正されているのでしょうか? ご教示、お願い致します。


管理者:西尾からのレス

結論から申しあげます。
新装版p200 も、『完本 池波正太郎 大成5』p230 も堀さんお手持ちの文庫版のとおりで、直ってはいません。火付盗賊改方長官の役高については、『柳営補任(りゅうえいぶにん)』に、

元御役料五百俵、天和二年戌(1616)四月廿一日御役料地方直御加増、其後千五百高三百俵御役料被下、享保八年卯(1723)六月十八日ヨリ千五百高定ル

享保 8年は平蔵が火盗改メに任命される約50年前ですから、千石は明らかに池波さんの「弘法も筆のあやまり」です。『完本 池波正太郎 大成』の編集責任者・小島 香さんからのお手紙に「いろいろ、誤植がありますが……」とありましたから、お気づきにはなってはいたでしょうが、作者が物故されたのちの編集ですから、直しようがなかったのでしょう。
それにしても、文春にも優れた校正者がいらっしゃるでしょうにね。


『完本 池波正太郎 大成5』(講談社 1998. 7.20)

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2003年11月06日  23:49

茨城県の神崎村について

発信:てらさん

神崎=「かんざき」
私の友達のお祖父さんが、かつて神崎村の村長さんだったそうです。
その友達が「かんざき村」と言っていたので間違いないかと思います。
石神外宿=「いしがみとじゅく」と読みます。
現在の東海村にあります。


管理者:西尾からのレス

あ、やっぱり、神崎は(かんざき)と呼びましたか。
(かんざき)と訓じる盗人だと、10月25日のレスで書きましたように、文庫巻10[蛙の長助]で、今年56歳の長助の元お頭、血なまぐさいことが大嫌いの〔神崎〕の伊予松。長助の「引退(ひき)祝い」に50両包んだほど気前もいい。p61 新装p65。

もう一人は、巻12[二つの顔]p238 新装p250 。湯島3丁目代地の古手呉服店〔和泉屋や〕を根城にしている、兎口で急ぎ盗(づと)めの〔神崎〕の倉次郎。
てらさんのお住まいかと思える茨城県那珂郡那珂町に編入された元の神崎村の出身とすると、〔神崎〕の伊予松としたいところですね。

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2003年11月02日(日)

藤枝の染飯(そめいい)弁当

発信:管理者・西尾のリポート

静岡の SBS学園パルシェの〔鬼平〕クラスの今月は、史跡ウォーキングで、三方が原で戦死し、『寛政重修諸家譜』で長谷川家の祖あつかいされている正長が守っていた田中城(藤枝市)、その正長の墓所・信香院(焼津市)、正長の2代前で「小川長者」と呼ばれていた政宣の墓所・林叟院などを巡りました。
いずれ、すべての手配をしてくださった受講生の中林さんから報告があることとおもうので、珍しかった昼食の染飯(そめいい)弁当を。
くちなしの実で黄色に染めたモチゴメのお握りだった。


藤枝名代の染飯(そめいい)弁当 (750円)

写真の染飯弁当を調整したのは、
藤枝駅前の〔喜久屋〕 tel.054-641-0668
           http://www.kikuya-f.co.jp/index.htm

同店のリーフレットは、
弥次さん喜多さんも食べた〔瀬戸の染飯(そめいい)〕
と題し、
「昔から瀬戸(藤枝)地区では、くちなしで染めた鮮黄色の強飯(おこわ)[染飯]を晴れの日の御馳走として食べた。
漢方でもくちなしは腎臓の薬とされ、農作業に疲れたお百姓さんに、疲労回復の良薬として用いられてきた(略)」

くちなしはお節(せち)の栗きんとんの着色にも用いていますね。
宣雄が京都町奉行として赴任する道中、その死後に江戸へ帰る途中に、長谷川平蔵も藤枝でこの染飯を試食したでしょうか。
おいしいものに目のない木村忠吾なら、文庫巻 3[盗法秘伝]で鬼平のお供をしたとき、きっと堪能したはずです。

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