0406氷川明神社 祇園橋
『江戸名所図会』巻之四 天権之部
(文京区千石2-10-10)
『鬼平犯科帳』に登場
[19―4 逃げた妻]p169 新装p175
鬼平熱愛倶楽部 2024 所沢のおつる
投稿者 nishiot : 2006年02月25日 07:38
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コメント
祭神は素盞鳴命、この地を開拓した出雲一族が出雲大社を勧請したという神社。もともとは現在の小石川植物園の中にあったとか。承応元年に綱吉の白山御殿が作られることになって、白山神社と共に現在の場所に移転したのが元禄十二年なのだそうだ。
手前に描かれている川が千川なんですね。田畑の真ん中に建つ立派な神社。塗るのがとても難しそう。
投稿者 豊島のお幾 : 2006年03月13日 11:40
神社の高台に向って右手の坂が網干坂。坂の右手は、幕府の御薬草園(いまの小石川植物園)。
広大な御薬草園の真ん中あたりにあった坂が鍋弦(なべつる)坂で、坂上に山本周五郎『赤ひげ診療譚』で知られている療養所がありましたね。
簸川明神社の手前の祇園橋へ下りていく坂が湯立坂。
投稿者 西尾 忠久 : 2006年03月13日 10:15
自称塗り絵師6作目、少しはましになってきたかな、と言う出来?
ウォーキングを思い出しながら、仕上げました。
みやこのお豊さん、コメント有難う!
あの急な階段も懐かしく、身近になりました。
投稿者 所沢:おつる : 2006年03月13日 10:09
氷川神社は方々にありますが、先日ウオーキングした千石の簸川神社なんですね。
絵の中には田園の中の小道、松や杉の木立が鬱蒼として、小高い丘の上に社殿がみえますが、
今の神社は街並みの中でしたが、
急な高い石段だけは、当時の面影をのこしておりました。
一枚の絵の中に遠近のある壮大な景色ですね。それが塗り絵をすることによって、いっそうくっきりと表現されて配色やポイントにご苦労されたのではないでしょうか、参考にさせていただきます。
投稿者 みやこのお豊 : 2006年03月13日 00:20