0578深川霊雲院
『江戸名所図会』巻之七 揺光之部
曹洞宗(戦災で、東村山市富士見町5-10-53へ移転)
広重『名所江戸百景』[深川万年橋]
『鬼平犯科帳』に登場
(万年橋)
[6―3 剣客]p79 新装p84
[7―4 掻掘のおけい]p134 新装p140
[11―1 男色一本饂飩]p8 新装p8
[12―2 高杉道場・三羽烏]p69 新装p73
[13―4 墨つぼの孫八]p164 新装p171
[14―2 尻毛の長右衛門]p54 新装p55
[15雲竜剣―3 闇]p135 新装p140
[15雲竜剣―4 流れ星]p191,193 新装p197,199
[18―3 蛇苺]p97 新装p100
つぶやき:
東村山の住宅地域のふつうのしもた屋風の家へ移転後、数年前に庵主が病死し、 いまは千葉のほうの同宗派の寺の管理下にあると。戦争は人生を大きく変える。
『御宿かわせみ』に登場
霊雲院(万年橋)
[6-3 梅一輪]p89 新装p84
[13-4 忠三郎転生]p145 新装p144
[19-5 薬研堀の猫]p155 新装p155
[22-2 蝦蟇の油売り]p66
[23-1 虹のおもかげ]p36
[30-6 招き猫]p230
[31-5 亥の子まつり]p159
2152 松下 亨 SBS学苑パルシェ〔鬼平〕クラス
2153 杉山三雄 SBS学苑パルシェ[鬼平] クラス
投稿者 nishiot : 2006年03月17日 07:27
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コメント
小名木川は、信玄が味わった塩不足を極度におそれた家康が、行徳の塩を江戸城まで円滑に運び入れるために掘らせた運河である。
命名の由来は、小名木氏にかかわるとも、うなぎ川から転じたとも。
大川(隅田川)側河口に架かるのが万年橋。
雪旦は、徳川家の信心をうけた霊雲院を大川ぞいの名所として描いたとき、東から注ぎこむ(?)小名木川をそえた。ま、一点景のあつかい。名所はあくまで霊雲院。
(?)は満潮時とそうでない時間には小名木川の流れの向きが変わるから。
広重は、小名木川に高々と亀を吊るし、橋名にかけて「亀は万年---」と、しゃれた。
この頓知は印象深く、橋名は亀の姿態とともに記憶されたろう。が、果たして、万年橋が江戸名物だったかというと、首をかしげたくなる。
蛇足:明治到来とともに徳川の支援を失い、空襲で焼けた霊運院は、東村山へひっそりと移転、院号も霊運院と改号。いまは無住。
http://homepage1.nifty.com/shimizumon/board/index28.html
の1月5日、1日の項。
投稿者 西尾忠久 : 2006年09月10日 05:29