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2006年03月30日

2019みやこのお豊 鬼平熱愛倶楽部

0013 十軒店雛市  『江戸名所図会』巻之一 天枢之部  

 

0024  於玉ヶ池の古事  『江戸名所図会』巻之一 天枢之部             季刊誌『お元気ですか』に掲載

                                                      【丸善・日本橋店の展示に出品】

 

0027   馬喰町馬場 『江戸名所図会』巻之一 天枢之部

 

0030  両国橋  『江戸名所図会』巻之一 天枢之部

 

0099  品川牛頭天王社御輿洗  『江戸名所図会』巻之ニ 天旋之部

  

 

0101  磯の清水  『江戸名所図会』巻之ニ 天旋之部

 

0141  末広松『江戸名所図会』巻之ニ 天旋之部

 

0169  浅間社  『江戸名所図会』巻之ニ 天旋之部

【浅間神社へ奉納】

 

0185   杉田村 海鼠製  『江戸名所図会』巻之ニ 天旋之部 

   

 

0347  淀橋水車  『江戸名所図会』巻之四 天権之部

 

0373  山吹の里  『江戸名所図会』巻之四 天権之部   第1回世界塗り絵大会 入選

 

0393  波切不動堂  『江戸名所図会』巻之四 天権之部

 

470 根津権現 『江戸名所図会』 巻之五 玉衡之部                             【根津神社へ奉納】

 

0507  浅草寺節分会  『江戸名所図会』巻之六 開陽之部                       【浅草寺へ奉納】

 

0576 深川木場

 

0583 回向院御開帳 

 

関 地蔵堂(『東海道名所図会』)

 

祇園 (『東海道名所図会』)

投稿者 nishiot : 2006年03月30日 16:31

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コメント

色使い、濃淡陰影が印象に残ります。それがどっしりとした感じや、飛び出して何か訴えるようにも伝わってくるので見飽きしない。 「磯の清水」も夜降った雪の感じが良くでていて見とれてしまう一品です。 これも居合い修行・研鑽が一つのベ-スなっているのですね。

投稿者 聡庵 : 2006年04月11日 11:41


お豊さんの塗り絵は空間がすっきりしていて全体がしまるんですね。色を塗らない部分が生きているやっぱりこれが日本画の基本なんだとしみじみ再認識させていただいています。

投稿者 亀戸のおK : 2006年04月11日 09:54


507 「節分会」について 私達が始めて奉納させていただいた塗り絵なので、思い出一杯ですが、 なんと言っても同じ元絵を熱愛倶楽部と朝日カルチャーの皆様と塗ったことです。 中心の柱、お札を取り合う人々のの彩色に個性が出て、夫々が感じたままに塗って楽しんでいる様子が良く表されていると思います。 「大人の塗り絵」が本当に人生の活性化につながる見本です。

投稿者 みやこのお豊 : 2006年04月08日 00:10


393 「波切不動堂」について 「鬼平犯科帳19-4逃げた妻」で 浪人と駆け落ちした妻りつから、「助けて」と指定してきたのが「波切不動の鳥居前の茶店」 私はこんなことが気になります。 「重ね重ね悪うございました。 すぐに連れて逃げてくださいませ。お願いでございます、お助けくださいませ。 旦那様         りつ」 逃げた妻からこんな結び文がきたら 現代の男性はどうするのでしょう、と。 北は板橋宿、西には富士見坂、南は大塚中町から小石川へ通じ、正面に茅葺屋根の茶店、左手に鳥居、石段をあがると黒塀と小さな門、その奥に本堂がある。 真に「江戸名所図会」の通りで、池波さんがこの絵を見て書かれていることが よく理解できます。

投稿者 みやこのお豊 : 2006年04月08日 00:07


373 「山吹の里」について 江戸城を築城した太田道灌の若い時の 有名なお話です。 雨の降る様子を描くのに、太く塗ると雨の感じがせず、細いと突然の俄か雨の激しさが見えず、又傘もない貧しい娘の着物に苦心いたしました。 もっと暗さが出せたらよかったのではと思っています。

投稿者 みやこのお豊 : 2006年04月07日 23:56


347「淀橋水車」について 淀橋淀橋水車は今の新宿区と中野区の境、 青梅街道近くに造られた、神田上水初の水車といわれています。 現在は新宿西口の都庁をはじめ超高層ビルの建ち並ぶ副都心になっていますが、当時は江戸と八王子、青梅を結ぶ青梅街道沿いの商家も多い賑やかな町のひとつでした。 この淀橋を中心として茶屋、商家、武士、商人、旅人、駄馬が、そして背景に広がる田畑、遠くに見える多摩の山々と遠近法で描かれたスケールの大きな絵です 雪旦は街の絵師といわれていますが。 たいへんすぐれた画家だったのだと彩色をしてみて、深く感じました。 --------

投稿者 みやこのお豊 : 2006年04月04日 23:38


185「杉田村海鼠製」について 江戸時代海鼠(ナマコ)は日本の重要な輸出品でした。江戸周辺では東京湾の横浜港から根岸、金沢八景の沿岸が主力生産地だったようです。 この図は当時の加工方法を知る貴重な資料だと思います。 鉄の大鍋で海鼠を茹で、庭先で桶に入れて処理をし,莚に広げて天日乾燥させている。 杭には防鳥用の半月形の弓が結わいつけられています。 右下には旅姿の商人や男が描かれています。 現在杉田方面は埋め立てられ,海岸線や漁村風景は見られません。

投稿者 みやこのお豊 : 2006年04月04日 23:34


101「磯の清水」について 江戸時代海辺に沿った地域の品川宿は潮さす井戸が多く、飲用に適した井戸が少なかった為、水屋から買ったり、 付近の良水の湧き出す井戸から汲んで使っていました。 名水と呼ばれた「磯の清水」は、現在の京浜急行「北品川駅」南側付近にありました。 「清水井」の水は銘々で汲むことは出来ず、水屋から買い入れて使用しました。

投稿者 みやこのお豊 : 2006年04月04日 23:31


027 「馬喰町馬場」について 私の始めての塗り絵でこれは色鉛筆で彩色しました。 大先輩方々とご一緒に掲載されて、恥ずかしい限りです。 でもこれがきっかけで塗り絵の楽しさを知った思い出の作品です。 「馬喰馬場」は江戸でもっとも旧い馬場といわれ、関ケ原の合戦の時は、此処で馬揃えをしたそうです。 その他馬市が開かれ、博労(ばくろう)達が住むようになり、馬喰町の名になたといわれております。 現在は問屋街の馬喰横山町あたりで、 私たちが「塗り絵」の展示会をしているところです。

投稿者 みやこのお豊 : 2006年04月04日 23:23


024「お玉ヶ池古事」 美しい娘が二人の男性から求婚され、決めかねて身を投げたという、この於玉ヶ池は江戸の頃までは、桜の名所でした。 その為この景勝地の近辺には文人や学者が多く住み、北辰一刀流千葉周作の 「玄武館」などが有名です。 又東京大学医学部の出発点の幕府直轄の種痘所があり、今は碑が建ってます。 その他歌舞伎や落語にもしばしば登場するお玉が池ですが、現在は所縁の「於玉稲荷」がマンションの狭間にポツンと残っています。

投稿者 みやこのお豊 : 2006年04月04日 23:17


所沢 おつる様 ありがとうございます。 個人画廊にアップすると、色彩の濃淡がとても大事なことに気がつきました。

投稿者 みやこのお豊 : 2006年04月03日 07:53


とても素敵な、個人画廊ですね、色ずかいもとても綺麗! これからも楽しみに見せていただきます。

投稿者 所沢;おつる : 2006年04月02日 10:39


田無の弱法師様ありがとうございます。 桜の季節で、その雰囲気がでてるでしょうか。 始めに彩色した時は全体にもう少し色を抑えておりましたが、掲載するのに薄すぎるというご指摘があり、ポイントごとに色を重ねてみました。 実際に見るのとアップされるのとの違いを学びました。

投稿者 みやこのお豊 : 2006年04月01日 19:12


お豊さんとても綺麗な色ずかいです。 まえに良いなと思った雪の絵もですが、『お元気ですか』に掲載されているという[於玉ケ池古事]はさすがに素晴らしいと拝見しました。

投稿者 田無の弱法師 : 2006年04月01日 09:41


楽しみに待ってます。

投稿者 みやこのお豊 : 2006年03月30日 20:44


お豊さんの塗り絵、[於玉ヶ池古事]が浦表紙に掲載されている雑誌『お元気ですか?』春号が、今日、版元から届きましたから、明日、お送りします。 なかなか、見栄えがしていますよ。

投稿者 西尾 忠久 : 2006年03月30日 17:52


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