江戸案内をする被害店

 『鬼平犯科帳』はいろんな読み方ができる。拙著『江戸の中間管理職 長谷川平蔵』(文春ネスコ)のように、組織とリーダーのあり方という視点で学ぶこともできる。また、江戸の人情や風物を楽しんでもいい。本稿では作家の思考過程を、データ分析を行いながら推理してみたい。
 『鬼平犯科帳』は、商店から金品を掠(と)る盗賊、その賊たちを捕(と)らえる火付盗賊改メ、さらには盗賊に金銭ばかりか運が悪いと生命や貞操も盗(と)られかねない商人との、三つ巴のドラマといえる。
 商店側の資料も、とうぜん必要となる。書き手の池波さんの手元にはさいわい、文政7年(1824)板行の『江戸買物独案内』があった。もっとも一般消費者向けの「ピア」ふうショッピングガイドではなく、上府してきた地方都市の小売店が仕入れ先を選別するための業種別問屋名鑑みたいなものである。池波さんはこの『江戸買物独案内』から盗賊による被害店を選んでいた。
 文庫24冊で狙われた江戸の店を業種別にリスト化してみる。


既遂(軒)
未遂(軒)
計(軒)
飲食店
菓子舗
10
酒・醤油・味噌問屋
明樽問屋
茶・乾物問屋
呉服・太物・糸物問屋
真綿問屋
小間物・袋物店
10
15
化粧品店
足袋股引問屋
雪駄・提灯問屋
医者・薬種問屋
12
20
線香問屋
油・蝋燭問屋
釘鉄・畳表問屋
紙・文具・書籍問屋
神仏具屋
硝子細工所
瀬戸物問屋
66
37
103


 雪駄・提灯、油・蝋燭、線香問屋といった存在が、江戸庶民の生活ぶりを彷彿とさせる。
 ついでに記しておくと、業種別にならべられている店名広告をバラバラにばらして町ごとに編みなおし名寄せしてみると、「線香問屋」は薬種問屋の一営業部門である場合がほとんどであることがわかる。同様に、文庫21巻に収録の「討ち入り市兵衛」で本格派の盗人〔蓮沼〕グループが、鬼平の鼻をあかしてまんまと 4,200余両を盗み去る尾張町角(中央区銀座4丁目)の真綿問屋〔恵比須屋〕は、じつは呉服問屋が主業だが、真綿問屋の項をはじめ木綿、繰綿、綿打道具、麻苧、下り蝋燭、下り傘、畳表の8部門に名を出している。事業部制か小会社制でもとっていたのだろう。だいたい真綿のように容積(カサ)ははるが低単価のものを尾張町角のような準一等地で単独で商えるはずがない。
 ポケット判サイズ『江戸買物独案内』の 532丁(1丁は2ページ)には、 2,622商店が広告を掲載していると『江戸学事典』(弘文堂)にあるが、兼業の 300枠余を見落とした数字のようだ。「 2,622枠に広告が出されている」とすべきであろう。
 町ごとに編みなおしてわかったことのもう一つは、29枚に区分された尾張屋版切絵図中の1枚「日本橋北・内神田・両国浜町明細絵図」に、 2,622枠のきっちり半分―― 1,311枠に、問屋群の出広が収まっていることだった。日本橋北と内神田が江戸における商業の中枢地域だったことを示している。
 『鬼平犯科帳』の盗賊たちの押し込み先の半分は日本橋北と内神田に集中……とおもったが、被害店のデータは逆だった。


既遂(軒)
未遂(軒)
計(軒)
日本橋北・内神田など
12
21
上記外の町
46
36
82
58
45
103


 つまり池波さんは被害店をいろいろな町へ散らすことで、期せずして江戸案内をおこなっていたのだ。切絵図を片手に、盗賊たちが目ぼしをつけた店と町、そこからの逃走の足どり、密偵の尾行経路、火盗改メの見張り所や追捕配置などを現場であたってみると、往時の江戸の町なみや名所が鮮明に浮かびあがってき、休日の安上がりウォーキングとなる。



「鬼平を斬る!」記載誌


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