参道は芝生の原にはさまれて

 駒込神明宮(『江戸名所図会』)

円通寺から中仙道へつづく往還へ出ると、通りの向う側の彼方に、駒込神明宮の森がのぞまれた。岩ふじ海道とよばれる往還から、神明原とよばれる広大な、いちめんの芝生をへだてて、遠くに神明宮の鳥居と森がのぞまれる。

 『鬼平犯科帳』文庫第七巻に収録されている「盗賊婚礼」の一節である(旧版 254ページ、新装版 266ページ)。
 「おや?」とおもった。「江戸でも芝生を栽培していたのかな?」で、『江戸名所図会』の駒込神明宮(現・天祖神社 文京区本駒込 3-14- 1)の絵をたしかめた。あった!!将軍が日光へ参詣に行くときの御成道でもある岩ぶち海道ぞいに広大な芝生の原が描かれている。
 「芝生」にこだわったのは、『名所図会』にふんだんに描かれている樹木や草の名がわかるとこの絵本をひらく楽しさは数倍、とかねてからおもっていたからである。松と杉はわかる。桜と梅も区別がつく。矢竹、淡竹(はちく)もわかった。
 数え方にもよるが、『江戸名所図会』は 667景所載と見ている。うち松が描かれていないのは87景……わずかに13パーセント、しかもその中には報恩講や作業場などの室内が13景もあり、厳密に戸外で松がない絵は11パーセントにすぎない。それほど府内と近郊には松樹が多かった。
 江戸は武家の町だから、どんな環境にも緑を絶やさない――変節しないということで好まれたわけではあるまい。「遊女の松」とか「鎧掛けの松」といった有名松の呼び名の由来には、不変節をほのめかしたいい伝えはない(ちなみに「遊女」は将軍の鷹の名で、彼がその松の枝へ戻ってきたための命名)。
 池波さんが『名所図会』から小説構想の芽をよく得ていたことは、前号に引用したご当人の言葉でわかっている。が、駒込神明宮前の芝生原の例を見ると、それが文章の端ばしにまでおよぶこともままあったようだ。それほど作家は『名所図会』を熟視していた。
 全 667景のうち、『…犯科帳』に登場する場所は、東海道・保土ヶ谷の科濃(しなの)坂(権太坂)や女密偵おまさの親戚のいる下総(しもうさ)・松戸まで入れて 191景。登場(?)頻度ベスト10(表1)をつくると、作家のお好みのロケーションがある程度類推できそうである。

1 亀戸天満宮神輿渡     56話
  (二ッ目の橋・軍鶏鍋屋〔五鉄〕がらみ)
2.両国橋          27話
3.弥勒寺          26話
  (お熊の茶店〔笹や〕がらみ)
4.富岡八幡宮        23話
5.浅草寺          20話
6.不忍池          17話
7.上野山下         16話
8.飯田町・九段坂・中坂   14話
  (清水門外の役宅に近い)
8.筋違御門・昌平橋・加賀原 14話
8.増上寺          14話
  (大川は除外)
次点
  湯島天満宮        13話
  目黒不動堂        13話
  小名木川         13話
  法恩寺(高杉道場がらみ)   13話

 『…犯科帳』の読み手側としては、少なくともリストの10数景は頭に入れておくのが良策というもの。
 「池波さんって、決断がとてつもなく早い人だなあ」 作家の生前に10年間、読売映画広告賞の審査員としてごいっしょしたときに感心した。候補作品を掲げた係の列が審査員席の前へ出るより早く、池波さんの声が飛ぶ。
「3番と6番。ぼくは、ね」
 ぼくも早決めのけがあるが、池波さんのはそれ以上であった。必然的に早とちりもままできる。冒頭に引いた文章の中の「岩ふじ海道」がその一つだ。『名所図会』の補記は「岩ぶち海道」。作家が逝ってしまっているのでいまさらどうにかなるものではないが、これなんかは編集者がきちんと『名所図会』をあたり、生前に訂正を乞うておくべきであった。
 早とちりの代表例は、鬼平こと長谷川平蔵の私邸の目白台。当時の幕府要人の紳士録ともいえる武鑑の御先手組頭の項に、
・長谷川平蔵 四百石 △目白台
とある、組屋敷の△印を私邸の場所と勘違いしたらしい。したがって、平蔵が組頭をつとめた先手弓第二組(駿河組二番手ともいった)の組屋敷は、小説では四谷坂町にせざるをえなくなった。
 引用の駒込神明宮の絵に沿った池波さんの即断の秘話をもう一つ。
 円通寺(文京区本駒込 2-19- 8)を亡母・園の香華寺としたのは、神明宮の芝生に惚れこんだあと、切絵図で近くの寺院を探した結果であろうが、ここは臨済宗妙心寺派、長谷川家の菩提寺である戒行寺(新宿区須賀町 9)は日蓮宗。当時、宗派のちがいは男女の結びつきの障碍にはならなかったろうか。
 『…犯科帳』ファンであるためには、『名所図会』の一揃いぐらいは座右に置いて……とすすめたが、じつは表1をつくるための基礎データづくりには悪戦苦闘した。小説の「筑紫ヶ原」を目にしたらとっさに『名所図会』の表記は「広尾の原」と翻訳しなければならない。「渋谷川」は「笄橋」の絵、「相模殿橋」は四の橋の異称で絵は港区白金の「鷺森神明、西光寺、氷川神社」とわからないといけない。
  191景(あるいは全 667景)をデータベース化するには、『亀戸天満宮神輿渡』を例にとると、検索ワードとして「二ッ目の橋」「二ツ目の橋」「二ッ目之橋」「二ツ目之橋」「二ッ目の通り」……「竪川」〔五鉄〕〔笹や〕「林町」「相生町」「松」「材木置場」「猪牙舟」……といった10以上も配慮しないといけないとおもっただけで立ちすくんでしまうのである。




「鬼平を斬る!」記載誌


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