盗人の〔呼び名〕づくりの宝典は――


 
「手っとりばやくいうと、盗人とそれを捕らえる火盗改メの物語である『鬼平犯科帳』を、池波さんは、組織対組織の命をかけた知恵くらべに置き換えて描いてみせる。 捕縛する側には、一騎当千といいきるには面はゆい者もいなくはない与力・同心40名、それとほぼ同数の一癖も二癖もある密偵たちを、みごとな采配で使いこなす長谷川平蔵がいる。
 追われる側も負けてはいない。平蔵の命を狙う一団、火盗改メへスパイを潜入させる大胆なグループ、江戸中を火の海にしようと企む無法者……といった悪人たちが個性的、魅力的に描かれているために、『鬼平犯科帳』は凡百の時代小説と一線を画す。
 盗人たちに冠された呼び名(通り名)もその一つのあらわれだ。

・〔簑火〕の喜之助([老盗の夢]ほか)
・〔血頭〕の丹兵衛(同題)
・〔海老坂〕の与兵衛([浅草・御厩河岸])
・〔雨引〕の文五郎(同題)
・〔尻毛〕の長右衛門(同題)
・〔雨乞い〕庄右衛門(同題)

……書きつらねはじめたらとまらなくなる。呼び名をつけられた盗賊は 323人も登場するのだ。
 このほかにちゃんとした姓のある浪人くずれ、おまさやおみねのように呼び名をもたない女賊(おんなぞく)もいるのだが。
 いかにもそれらしい呼び名をもった 323人を前にして読み手は、
「なにしろ池波さんは、ネーミング(名づけ)の天才だから……」
と嘆息する。
 ネーミングといえば、コピーライター生活30有余年を通して、その種の仕事をこなすことも多かった筆者だが、 300件の半分も手がけていない。池波さんに長らく圧倒されていた。
 雑誌に載った池波さんの仕事場の写真をルーペで丁寧にのぞいて、吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房)の背表紙を見つけたとき、胸のつかえが氷解した。 300余人の少なくとも八割方は同書から引いた呼び名と推察できたからである。


池波正太郎氏の書斎(復元)


『地名辞書』は明治33年(1900)から刊行がはじまりあしかけ8年後にやっと完結した大著である。増補再刊は昭和45年(1970)から。
 『鬼平犯科帳』の連載開始はその2年前の『オール讀物』昭和43年新年号。
 作家の仕事場にあったのが後者とすると、引用できるのは文庫第5巻以降の篇になるが、

・〔海老坂〕の与兵衛(前出。海老坂は富山県長岡市守山地区)、
・〔布引(ぬのびき)〕の九右衛門([浅草・御厩河岸]神戸市中央区ほか)
・〔前砂(まいすな)〕の捨蔵([老盗の夢]埼玉県北足立郡吹上町)

などが、池波さんの記憶の中にあった地名だとすると、その強記ぶりにはにあらためて驚く。
 もっとも、師・長谷川伸の書庫にあった明治版のほうを開いていたという憶測も捨てきれない。というのは昭和45年5月号で顔を見せた〔大滝〕の五郎蔵にひっかかるからである。執筆は月号の少なくとも3か月前。
 大滝という地名をCD版『ぽすたるガイド』で検索して出てくるのは山形県から高知県までに16か所。うち『大日本地名辞書』に採用されているのは11か所。中でも、池波さんのこころをつかんだであろうとおもえるのがのつぎの記述である。
 いまの文章になおして紹介しよう。

 秩父郡の山奥は、峰また峰が東西南北八方に聳えて平地がなく、耕地といえば焼き畑ばかり。暮らしの苦しさは想像を絶する。畑が細かく分断されているので、春から積雪のある初冬まで、夫妻子母が山をへだて谷を越えた別々の場所へ堀っ建て小屋をつくって移り住み、収穫期には昼は猿を、夜は猪鹿を、声をあげ板木を鳴らして逐って明け方まで眠れない。(略)こうやっても年間の収穫は半年を支えるに足らないので、橡や栗の実などを食糧としている。
 村人を見るに、髷をゆわないで惣髪にしている者が多く、髭なども伸ばしっぱなしだし、着るものも短い単衣ですごし、寒くなると単衣を2,3枚重ねるだけ。綿入れなどは持っていない。夜も布団がないために囲炉裏をかこんで一晩中火を燃やして暖をとる。灯油のたくわえもないから松根を焚いて灯火としている。原始の生活は、かくや、とおもえるほど。

 感情のこもった、読み手のイメージをかきたてるように文章で、『辞書』という書名を見直したくなるほどだが、こんな寒村の五男(?)に生まれた五郎蔵のこと、口べらしに早くに村を出てはみたものの江戸でまともな職業が見つからない。根が純朴で真っ正直なために盗人になるにしても、女を犯さず殺傷もせず貧しきからは盗(と)らない……正統派の〔簑火〕の喜之助の配下になったのだろう、と推測した。
 『地名辞書』の大滝村のこの記述に池深い感銘をおぼえた池波さんの頭に、猿・鹿・猪の文字が焼きついたにちがいない。

〔猿皮〕の小兵衛[はさみ撃ち]
〔猿塚〕のお千代[女賊]
〔猿野〕の仙次[お熊と茂平]
〔鹿川〕の惣助[乞食坊主]
〔鹿谷〕の伴助[一寸の虫]
〔鹿留〕の又八[あきれた奴]
〔鹿間〕の定八[討ち入り市兵衛]
〔鹿山〕の市之助[流星]

 『地名辞書』にないこんな呼び名をすらすらと新造しているのを、その結果とみる。
 もっとも、筆者の秩父郡大滝説に反論する鬼平ファン仲間もいる。
 H氏もその1人で、五郎蔵が〔簑火〕の喜之助のもとから独立したとき、千葉県長生郡白子町五井(現・市原市)生まれの〔五井〕の亀吉と〔ならび頭〕を組んだのは、簑火のもとでともに修行したという理由だけでは根拠として弱すぎる、同郷意識、地縁があったからであろうとの推論から、千葉県夷隅(いすみ)郡大多喜(古くは大滝、大田木、緒滝を併用)説を述べている。
 甲論乙駁(こうろんおつばく)は望むところだ。そもそも、池波さんの仕事場の『大日本地名辞書』に気づいた七年前、盗人たちの呼び名をニフティの推理小説フォーラム(FSUIRI)に公開、該当すると思われる市町村を広くつのったことから出身地探しがはじまった。
 もっとも、そのときには『地名辞書』そのものが手近になかったので、同好の士の地縁に頼るしかなかったのだが。
 いまは同書も簡単に参照できる状態になったし、CD版『ぽすたるガイド』もできている。
 CD版『ぽすたるガイド』、たとえば、〔落合〕の儀十([のっそり医者])という盗人の呼び名の「落合」の検索を命じるとほんの1、2秒で、63市町村の落合をあげてくる。二つの川が合流する地点にはかならずといっていいほどころがっている地名だ。が、『地名辞書』が記載しているのはその中の18か所でなので、候補はおのずからしぼられる。困難なのは、18か所から1か所にしぼりきる知的作業だ。
(ついでだからCD版『ぽすたるガイド』について言及しておくと、平成12年1月現在のこの郵便番号簿、郵便局の窓口で希望を伝えるとのこってさえいれば無料でもらえる。つまり早い者勝ち。じつに便利なデータベースだから入手をおすすめしておく
 CD版があると、「寺」の字を含んだ地名と「神」とではどちらが多い? 「川」と「山」では? といった遊びもできる。答え。「寺」は「神」の約二倍。「山」と「川」は多すぎるからと中断されるが、双方とも2500前後と推定している)。
 インターネットという、より広い世界も開けている。池波さんが呼び名として使った町名や村名のゆいしょを、不特定多数の方から教えてもらうのは、そうむずかしいことではなくなった。現に、地方自治体の関連部署からの教示も増えてきている。
 『鬼平犯科帳』を陰で支えている文献は『江戸買物独案内』、『江戸名所図会』、江戸切絵図そして『寛政重修諸家譜』というのが常識だが、今回は大方の意表をつく形で『大日本地名辞書』にスポットをあててみた。池波さんも、呼び名命名に使っていることは隠して、世話になっているとだけ告白している。
 この大著に拠って盗人たちの出身地探しをすることで、『―犯科帳』が江戸案内にとどまらず、期せずして日本案内にもなっていることを指摘したかった。


「鬼平を斬る!」記載誌


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