タカ(鷹)
 寛政三年の、年があけた。
 長谷川平蔵は、三ガ日を清水門外の役宅ですごし、新年の行事をすませたのち、四日の午後になって、
「久栄(ひさえ)。骨やすめだ」
 妻女をともない、目白台の私邸へ戻った。(略)
「今日は、上様(将軍)が小松川のあたりへ鷹狩(たかが)りにおいであそばしたはず……」
(6―1 礼金二百両)p7 新装p7


オオタカ  調布市 2003.01 。約50cm。距離130m。
      望遠鏡にデジタルカメラを押しつけて撮影。みごとにブレている



ハヤブサ 鹿児島県出水市。2001.01.03。約45cm。

各務:鷹狩りとは、タカ(オオタカ、ハイタカ、ハヤブサなど)を飼い馴らし、野鳥をとらえさせるゲーム。日本には4世紀半ばに百済(くだら)から伝えられたといわれている。
ツルや白鳥は将軍家しか捕らえることが出来ず、とくにツルは朝廷への献上品で、将軍家の権威の象徴ともなっていた。
西尾:火盗改メは、大晦日は徹夜い市中を見廻るので、年賀は2日に行うのがしきたりであった。
さて、私邸でくつろいだ鬼平が、眠りから覚めた寛政三年正月五日の『徳川実紀』には、
「小松川のほとり。御放鷹として成らせられ、御獲物は五位鷺六羽。真鴨二羽。小鷺一羽なり」
とある。


『江戸名所図会』の「目黒不動堂」(目黒区)の絵には、将軍家光の鷹が見えなくなったとき、別当実栄(じつえい)の祈念で飛び帰ってきてにこの松止った、〔鷹(たか)居(す)ゑの松〕が描かれている。

千駄ヶ谷寂光寺(新宿区)の〔遊女の松〕の由来は、これも家光の鷹〔遊女〕が逸(そ)れたので、この松の樹蔭で休んでいると、樹上で鈴の音がし〔遊女〕が拳(こぶし)へ帰ってきたための命名。寂光寺はいまはない。
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千駄ヶ谷八幡宮前(渋谷区)の〔鈴掛(すずかけ)の松〕も、家光の鷹の鈴がこの松にかかったための命名。
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文芸評論評家&バードウォッチャー 各務三郎





ウグイス(鶯)  ・ツル(鶴)  ・ガン(雁)  ・ツバメ(燕)
ヒバリ(雲雀)  ・シラサギ(白鷺)  ・モズ(鵙)  ・スズメ(雀)
トビ(鳶)  ・クイナ(水鶏)  ・ホオジロ(頬白)  ・ヒタキ(鶲)
カラス(鴉)  ・ウグイス(鶯)  ・コマドリ(駒鳥)  ・ヒワ(鶸)
バン(鷭)  ・ムクドリ(椋鳥)  ・チドリ(千鳥)  ・タカ(鷹)

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