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2007.04.01

『堀部安兵衛』と岸井左馬之助

小谷正一さん---と書いても、知らない人のほうが多かろう。
ぼくにとっては、恩ばかり受け、恩返しもできなかった、あまりにも大きすぎた先達である。

井上靖さんに[闘牛]という佳品がある。たしか、芥川賞受賞作ではなかったかな。
井上靖さんがまだ毎日新聞社に在籍なさっていたときの同僚で、小説[闘牛]の主人公が小谷正一さん。企画の天才。
のちに、夕刊紙を発刊。まだ大丸の宣伝部員だったサトウサンペイさんを起用された目ききでもある。

100_31その夕刊紙に、1966年(昭和41)連載されたのが『堀部安兵衛』である。
そのご縁からか、角川文庫『堀部安兵衛』(1973.3.10)に巻末解説を寄せていらっしゃる。

二部上場の銘柄と見做(みな)されていたものが、みるみるうちに一部上場の花形株となり、今や高配当、堅調をはやされているものに、池波正太郎株がある。

『鬼平犯科帳』の連載と池波株の大ブレイクは、『堀部安兵衛』の2年後で、これをうけての小谷さんの評言は、じつにあざやか。

100_32池波さんのエッセイ集『小説の散歩みち』(朝日文庫 1987.4.20)に収録されている[堀部安兵衛]に、高田馬場の血闘のあとの安兵衛を解説した、こんな文章がある。

安兵衛は、江戸の東郊・柳島村へかくれて、事件後の成りゆきを見まもっていたというが、このときのシーンで、決闘の翌日、安兵衛が手鏡に自分の顔をうつし、酒で洗ったぬい針で、わが顔面へめりこんだ刃の破片をほじくり出すところを私は書いた。
これは---むかし、私が剣道をやっていたとき、師匠から聞いた〔はなし〕の中で、真剣の型を演じたときたがいに打ち合う刃と刃が、その刃の細片を飛び散らせ、これがひたいへのめりこんだことがある---というのをおぼえていて、小説につかったのだ。

池波さんが『鬼平犯科帳』で大ブレイクしたことは、先に書いた。
その第72話目---[11-2 土蜘蛛の金五郎]『オール讀物』 1973年12月号)で、長谷川平蔵に成りかわった岸井左馬之助と鬼平が、汐留川のほとりで、組太刀による偽りの決闘を演じて、盗賊の金五郎をだます。

その3,4日後、清水門外の役宅で岸井左馬之助は、問いかけた酒井祐助同心へ、

「なあに、平蔵さんと久しぶりに、高杉先生直伝の組太刀をつかって斬り合ったとき、双方の刃と刃が噛み合い、細かな破片(かけら)が飛び散って、額へめりこんだのをほじくり出しているのですよ」

『堀部安兵衛』より先に[土蜘蛛の金五郎]のほうを手にとった読み手は、この場面に驚かなかったろうか。

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