カテゴリー「074〔相模〕の彦十」の記事

2009.07.14

彦十、名古屋へ出稼ぎ

「おや、彦十どの。お久しぶり〕
銕三郎(てつさぶろう 27歳)が声をかけると、〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 37歳)は、齢甲斐もなく首をすくめて、
(てっ)つぁんよう。、遠国(おんごく)盗(づと)めに出むくんで、しばらく会えなくなりやす」
「ほう、どちらへ?」
「尾張は名古屋でやす」

板場(はんば)から顔をだした〔たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 50がらみ)が、
「名古屋といえば、〔鳴海(なるみ)〕のお頭?」
「こんどは、そうではねえんで。〔万場まんば)〕のお頭の助っ人でやす」

ちゅうすけ注】初代・〔鳴海〕の繁蔵(しげぞう 45歳前後=当時)は、『鬼平犯科帳』文庫巻7[盗賊婚礼]に、また〔万場〕の八兵衛(はちべえ 40歳前後=同)は文庫巻10[むかしなじみ]に、どちらも尾張の盗賊の首領としてでている。

火盗改メ・本役のお頭の息・銕三郎がいても、2人とも遠慮なんかしないで、盗賊の〔通り名、呼び名ともいう〕を口にしている。
それだけ、銕三郎が裏の世界に通じたがっている。
また、香具師の元締や盗賊の首領、盗人(つとめにん)、土地の顔役にも信頼されるようになっている銕三郎である。
げんに、目黒・行人坂の放火犯の逮捕も、銕三郎つながりで挙(あ)がっている。

彦十どの。それじゃあ、しばらく、会えないかもしれない」
「あっしも、名古屋の盗めが終わったら、大坂の〔生駒いこま)〕の仙右衛門(せんえもん 40歳すぎ=同)お頭のところを手伝ってきやす」
「そういう長旅だと、お(たみ 24歳)どのもお連れかな?」
「とんでもねえ」

は、彦十がひょんなことから手をつけた、内藤新宿の豆腐屋の出もどりむすめで、この2年ばかり、本所の中ノ郷・横川町のあばら家でいっしょに暮らしていた。

「おさんが、留守を守ることをよく承知しましたな」
銕三郎もじつは、父・宣雄(のぶお 54歳)が京都西町奉行に転じそうだが、生まれて6ヶ月にもならない長女・於初(はつ)を連れての京のぼりは無理ということで、久栄(ひさえ 20歳)に、しばらく江戸に居残り、来春にでも来るように言ったところ、すねられて困っているのである。
久栄の言い分は、(てつ)さまがお奉行になったわけでもないのだから、銕さまも来春まで居残るべきであると。
たしかに、京都町奉行の任期は、たいてい6,7年だから、嫡男が半年遅れで合体しても、どうということはないのである。

「いえ。おは、大枚5両(約80万円)をつけて、千住2丁目の煮売り屋をしている甚五郎に引きとってもれえやした」

ちょうすけ注】池波さんは、『鬼平犯科帳』の最終巻近くでは、1両を気前よく20万円に換算していたが、研究者分野では、当今16万円前後が妥当としている。
【参照】2006年10月21日[1両の換算率

「おいおい、彦十どの。それはむごすぎませぬか」
「なあに、あっしみてえな浮き草稼業の男にくっついているよか、おとしても、安定した暮らしができるってえもんで---」
「まあ、夫婦(めおと)仲のことには、他人が口をはさんではならないが---」
どのにとっては、おんなよりも雄鹿の、なんとか言ったな---あっちのほうが頼りになるんであろう)
銕三郎は、それきり、おのことには触れなかったし、
「拙は、父上について、京へ行くことになるかも---」とも言いそびれてしまった。

このあと、銕三郎---いや、この時は火盗改メ・助役(すけやく)の鬼平だが---が彦十に再会するのは、16年後の天明8年(1788)1月、彦十53歳、鬼平43歳、本所・横川べりで。
そう、文庫巻1[本所・桜屋敷]の中であった。
この時に彦十は、香具師あがりということになっている。

彦十はともかく、〔盗人酒屋〕の忠助である。顔色がすぐれない。
さん。躰がどこ悪いのではないですか? そこの田中稲荷西隣りの了庵先生に診てもらったら?」
「診立ててもらいやした。肝の臓がよくねえってことで、酒をとめられやした」

_360
(四ッ目の〔盗人酒屋〕の南に田中稲荷(赤地))

【参照】了庵医師 2008年4月30日[〔盗人酒屋〕の忠助 () (


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2009.03.05

雌エゾジカ

「いってえ、どうなっちまってるんだよう」
相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 34歳)は、竪川(たてかわ)に架かる一ノ橋の欄干にもたれて満潮になってきた川面に浮かんでいる都鳥を見るともなく見ながら、さきほどから同じ呟きをなんども洩らしている。

聞きとがめた通りがかりの番頭ふうの40男が、
「どうかなさいましたか?」
と訊いたら、彦十はぎょろりと目をむき、
「てめえなんぞに、わかってたまるか。この馬鹿野郎ッ」
怒鳴られた番頭ふうは、鼻白んで、そそくさと立ち去った。

彦十の悩みには、〔馬鹿野郎〕が関係している。
相談相手のだち(友だち)が、ここのところ、まったく姿を見せなくなっているである。

だち〕と言っても、人ではない。
雄鹿である。
それも、彦十の生地である相模国足柄上郡斑目(まだらめ)村(現・神奈川県南足柄市斑目)の森の奥に生息している雄鹿である。
いまは、彦十の胸の奥に棲んでいる。

参照】2008年5月21日~[相模(さがみ)の彦十] (6) (7) (8)
2008年10月31日[伊庭(いば)の紋蔵(もんぞう)]

そのだちに、相談したいことができているのだ。
なのに、いくら呼んでも、雄鹿が姿をみせないのである。

相談したいことというのは、両国橋東詰脇の入り堀に架かる駒止橋ぎわの水茶屋の茶汲み女・お(ぎん 15歳)にかかわることであった。

は、この春からその水茶屋につとめていた。
家は、回向院東の松坂町の裏長屋で、叩き大工の父親が仕事先の屋根から落ちて大怪我をし、働けなくなった。
家には弟と妹が3人いる。
ととのった小顔が評判になり、彦十も贔屓客の一人であった。
というより、彦十は、幼いときに洪水で死にわかれた妹のようにおもわれ、親身に支援した。

ところが、そのおが行方がわからなくなり、5日も断りもなしに店を休んでいる。
松坂町の長屋にも帰っていない。
それで、事情を訊くために、だちの雄鹿を呼び出すのだが、いっこうにあらわれてくれないので、弱りきっていたのである。

竪川の都鳥が羽音をたてて、いっせいに飛び立った。

_180水しぶきの向こうから、鹿が一頭、姿をみせた。
角がないから、雄鹿のだちではない。

雌鹿は、訴えるような悲しげな目で、彦十をみつめている。
「おめえさん、どこから来なした?」
「蝦夷(えぞ)です」
「蝦夷---って、陸奥(むつ)の海の向こうの蝦夷かえ? それでうしろに雪が積もっているんだな」
「はい」
「そのエゾジカのおめえが、なんでここに---」
「助けてほしいのです」
「助ける?」
「あたしは、斑目(まだらめ)のゆう)さんと割りない仲になったのです。ところが、エゾジカのおきてで、本土の雄(おす)と情を通じたというので、牢にいれられてしまいました。ゆう)さんは、牢のまわりをぐるぐるまわっていますが、どうにもならないのです」

そう告げると、雌鹿は消えた。

彦十はエゾジカの暗示に気がついたが、躰がふるえた。
は、土地(ところの)の悪業ご家人・木村惣市(そういち 50歳近い)の息子---源太郎(げんたろう 30歳近い)に拐(かどわか)されたのだ。
そういえば、水茶屋で、おにしつこくからんでいる源太郎を幾度か見かけたことがあった。

彦十は、三ツ目通りの長谷川家へ急いだ。

ちゅうすけ注】ここから先は、『鬼平犯科帳』文庫巻22[迷路]p301 新装版p285 からを読みなおしてください。

が無事に救いだされたことは、書くまでもない。

ちゅうすけのひとり言】阿寒湖のそばに住んでいる、ネット友だちの numapy さんに、鹿の写真を頼んでおいたら、エゾジカの雌の写真がeメールでとどいた。
角のある雄鹿の写真は、春になったら奈良へ撮影に行く予定をしているが、もっと東京に近いところで撮影できそうな場所をご存じでしたら、このコメント欄へお教えいただくとありがたいのですが。

ちゅうすけのムダ口】上記[迷路]のミス・プリを記録しておく。p343 新装版p327

この事件は、平蔵の父・長谷川宣雄が〔西の丸・書院番頭〕という御役目についていただけに、幕府も捨ててはおけず、とりあえず平蔵は父の屋敷に置いて謹慎を命じられた。

---とあるが、宣雄が書院番を勤めた史実はない。番頭は、3000石以上の大身幕臣の席である。400石の宣雄が命じられわけがない。
当時、宣雄は、〔西丸・書院番士〕から〔小十人頭〕を経て、先手・弓の8番手の組頭(1500石格)であった。

何かの拍子に「」の字が混入してしまったのであろう。

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2008.05.27

〔相模〕の彦十(12)

池波さんが『鬼平犯科帳』に書きこんでいる、〔相模無宿(さがみむしゅく)〕の彦十の、気質、性向などを[彦十の言行録]とでも銘うって、並べてみる。
とりあえず、史実の長谷川平蔵が生きていた寛政7年(1795)の事件まで。その後は稿をあらためて---ということに。

区分は、あくまで仮のもの。
ファンなら、一読、池波さんが想定していたとおりの情景がパッと眼前に浮かぶであろう。忘れていたら、いい機会だから、もういちど文庫をお手になさって。

銕三郎との関係(かかわりあい)

「入江町の銕(てつ)さんのおためなら、こんなひからびたいのちなんざ、いつ捨てても惜しかあねえ」 巻1[本所・桜屋敷]p68 新装版p69

_2「なあに、銕つぁんのためなら、いつでも死ぬよ」
と、彦十は昔なじみの気やすさで、平蔵の若きころの名をおくめんもなく口にのぼせ、
「ですがねえ、銕つぁんの旦那、たまにゃあ、奥方のお眼をぬすみ、あぶらっ濃いのを抱いて若返って下せえよ。このごろどうも銕つぁんは老(ふ)けちまって、いやだよう」 巻2[お雪の乳房]p256 新装版p269

「岸井の旦那。そのこと(若いころの銕三郎と針売り・おろくとの関係)なら、いくらでもはなしやすよ。当時はこの彦十、銕さんの腰巾着(こしぎんちゃく)というやつ、いつもぴったりおそばにくっついていたのでごぜえやすからねえ」 巻1[むかしのおんな]p278 新装版p294

「だって、おじさん。あの長谷川さまが、お盗めの助ばたらきをしたとおもうと……」
「したのではねえ。しかけたのだ。松岡重兵衛のおかげで、二人とも汚れをつけねえですんだのだ。考えても見ねえ。盗賊改メの鬼の平蔵が、むかし盗みをしたとあっちゃ、こいつはどうも、さまにならねえや」 巻7[泥鰌の和助始末]p176 新装版p185

密偵としての彦十

_4縄つきとなって出て来た法楽寺の直右衛門の前へ、
「へい、お久しふりで」
と、相模の彦十が顔を出した。
「あっ……て、てめえは彦……」
「いまは、長谷川平蔵さま御手の者だよ。安くあつかってもらうめえ」
爺つぁん、胸を張ったものだ。 巻4[おみね徳次郎]p231 新装版p242

「……いや、笑っているだんじゃあねえ。あの敵討ちのはなしを長谷川さまのお耳へも入れておいたほうがよくはねえかえ。他の御門人衆はさておき、沢田さんはれっきとした火付盗賊改方の同心だ。うかつにうごかれても長谷川さまがお困りになるだろ……」 巻6[剣客]p90 新装版p96

「て、銕つぁん……」
いきなり、彦十が平蔵若き日の名を呼び、平蔵の胸をつかまぬばかりの血相となって、
「いやさ、長谷川さまよ。事のなりゆきがどうなろうと、今度は、まあちゃんの顔をたててくれねえじゃあ、このおれが、おさまりませんぜ」
と、いいはなった。
長谷川平蔵は、彦十の老顔をぬらしている泪を手ぬぐいでふいてやり、苦笑まじりに、こういった。
「彦よ。むかしむかしの本所の銕のころから、このおれのすることに、お前、一度でも愛想(あいそ)がつきたことがあったかえ、どうだ」 文庫巻4[狐火]p146 新装版p154

「あの二人なら、きっと出来るとおもったのだ。それも彦十、三十をこえたおまさが、何年も男の肌から離れているのは、こいつ、女の躰のためによくねえことだと、おもったからさ」
「けれど銕……いえ、長谷川さまよ。おまさはむかしから、お前さんに惚れこんでいて……」
「ばかをいうな……」
「へ……」
「盗賊改メの御頭が、女密偵に手をだせるか」 巻9[鯉肝のお里」p80 新装版p84

_11彦十が、血に染(そ)んだ土間から、小さな珊瑚玉の簪(かんざし)を拾いげ、平蔵へ見せた。
「長谷川さまよう。この簪を。おぼえていなさいますかえ」
「む……いま、おもい出した」
「お前さまが、五両の餞別といっしょに、お百へくれてやった、さんごのかんざしだ。この、かんざしを両国まで買いに行ったのは、この彦十だったっけ……」 巻11[密告]p213 新装版p222

「へへえ、へへえと感心してばかりいねえで、おらにもいっぺえ、もって来てくんなよ」
「よし、よし」
「こいつ、大人(おとな)ぶった口をきくねえ。むかしは、おめえをおぶってやって、小便をひっかけられたこともあるんだぜ」
「どうも爺つぁんと長谷川さまには、かなわねえや」 巻12[いろおとこ]p13 新装版p13


彦十の人生観

「さすがに銕つぁんの旦那だ。ねえ。夜鷹を殺した野郎には御詮議(ごせんぎ)がねえのですかい。そ、そんなべらぼうがあってたまるかい」 巻4[夜鷹殺し]p279 新装版p293

「ときに、彦十」
「へ、へい……」
「お前が、むかし、金をつけて、千住の煮売り屋へ押しつけた女は、いま、どうしている?」
「よそながら、ときどき前を通って見かけやすがね。へえ……へえ、もうあれから四人も子を生んで、いい婆さんになっておりやすよう」
「いい気なものよ」 巻10[むかしなじみ]p214 新装版p226

長谷川平蔵が、これまでのことをざっと語って、
「その、今戸の井坂宗仙という町医者のことを探ってくれ。あのあたりには、いくらも、お前がくびを突っこむところがあるはずだ」
金を紙につつんで彦十へわたし、
「一夜の酒手(さかて)には、それで充分だろうよ」
「へへっ、すみませんねえ、銕つぁん。おらあ、小づかいをもらうのが大好きだ」 巻11[毒]p243 新装版p253

彦十 ここにいる六人は、みんな、いい機会(おり)さえありゃあ、むかし取った杵柄(きねづか)というやつで……お盗めの見本を世の中に見せてやりてえと、こうおもっているのさ。 巻12[密偵たちの宴]p162 新装版p171

肋骨(あばらぼね)の浮いた、渋紙のような肌をした老体を隅に沈めながら、彦十が、
「むかし、上方(かみがた)の、高窓(たかまど)の久兵衛(きゅうべえ)お頭(かしら)のところで、嘗役(なめやく)をしていた利平治(りへいじ)というのが二人連(づ)れで、この宿屋へ入る(へえ)って来ましたよ」 巻13[熱海みやげの宝物]p10 新装版p10

平蔵が振り返って見ると、六郷川の岸辺に馬蕗の利平治が両膝をつき、こちらへ向って合掌しているではないか。
渡し舟から下りる人、乗る旅人が、利平治をながめ、ざわめいている。期せずして、人びとの視線が平蔵と彦十へあつまるものだから、
「へ、へへ……鬼平大明神でごぜえますね」
彦十が鼻をうごめかすのへ、
「つまらねえことをいうな」 巻13[熱海みやげの宝物]p52 新装版p53

目利きの彦十

(牢を出され、彦十の長屋へ寄宿して、大工の万三を探している五郎蔵について訊かれ)
「毎日、いろいろ服装(なり)を変えて出て行きますぜ。あの人はでえじょうぶだ。もう。すっかり、銕つぁんの旦那におそれ入zwまさあ」 巻5[深川・千鳥橋]p24 新装版p25

「痔もちの盗人か、それはおもしろい」
「それでね、銕つぁん。野郎、なかなかふんぎりがつかねえようだ」
「ほほう……」
「ありゃあ何だね、牛尾の太兵衛のところにいた盗人だというけれど、ろくな盗めはしていませんぜ。せいぜい、田舎の盗人宿の番人ぐれえなところで」 巻9[泥亀]p115 新装版p121

「お、彦十。どうだ、見おぼえがあったか」
といった平蔵の口もとが微(かす)かに、渋い笑いをたたえていた。
「あの顔は、殿さま小平次そっくりというやつで……」
彦十がいうのへ、平蔵はこういったものである。
「おれも、いま、その男の名をおもい出したところだ」 巻11[密告]p190 新装版p198

彦十の女性観

「まあちゃん。三十をこしてもお前はまだ、むすめみてえな気もちが残っているのだなあ」
「女は、みんな、そうなんですよ」 巻6[狐火]p133 新装版p141

「男と女の躰のぐあいなんてものは、きまりきっているようでいてそうでねえ。たがいの躰と肌が、ぴったりと、こころゆくまで合うなんてことは、百に一つさ。まあちゃん。お前と二代目は、その百に一つだったんだねえ」 巻6[狐火]p134 新装版p142

「長谷川さまは、先代・狐火の妾のお静さんとできちまった。それをまた、まだ十二か十三のおまさが、小むすめのやきもちをやいてねえ」
「そんなことが、あったのか---」
「とぼけちゃあ、いけませんや」
「あのころの、おまさは、まだ子どもよ」
「女の十二、三は、躰はともかく、気もちはもう、いっぱしの女でござんすよう」 巻6[狐火]p157 新装版p165

「色の浅ぐろい、痩せた女だねえ、おじさん」
「む、ああいう女(の)にかぎって、色のほうもすさまじいのだよ」 巻8[白と黒]p225 新装版p237

「とんでもねえ。ああいう女と男は、たがいに顔がきれいだとか様子がいいとかいうのではねえ。天性(てんせい)そなわった色の魔物が、躰の中に巣食っているのでござんしょうよ」 巻8[白と黒]p227 新装版p239

「小むすめの勘は、するどいものだ」
「ところが女も、年を食うにつれて、間がぬけてきやすからねえ」 巻12[二つの顔]p224 新装版p235

【参照】[相模(さがみ)〕の彦十] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11)

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2008.05.26

〔相模〕の彦十(11)

相模無宿(さがみむしゅく)〕の(ひこ)の不思議の三つ目は、年齢である。

明和2年(1765)の初夏---本所・四ッ目の〔盗人酒屋(ぬすっとざかや)〕での銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)との運命的な出会いを、彦十の31歳の時と設定した。

天明8年(1788)の小正月の事件である文庫巻1[本所・桜屋敷]に、

何気なく、あたりを見まわしたとき、うすくつもった道の一角から、にじみ出すように人影が一つ浮いて出た。
編笠のうちから、こっちへ近づいて来るその五十男の顔を見とどけ、平蔵はにやりとした。
(やはり、あいつだ)
本所へ来て、岸井左馬之助に出会ったのも偶然(ぐうぜん)なら、こやつに出会うのも二十何年ぶりのことであった。(中略)
「おい、彦や」
長谷川平蔵が笠をとって声をかけるや、
「あっ---」
彦十は素袷(すあわせ)一枚の尻端折(しりはしょ)りという見すぼらしいやせこけた躰をがたがたふるわせ、
「て、て、銕さんじゃ、ごせえやせんかえ?」
おう。よく見おぼえていてくれたな」
「ほ、ほんとかね。ほんとかね」
すがりつかんばかりの彦十、めっきり老(お)いてた。

この正月、長谷川平蔵は43歳。

銕三郎の将軍家へのお目見(めみえ)が明和5年(1768)12月5日(23歳)で、そのちょっと前から身をつつしんでいるから、まあ、20年何年ぶりというよりも、20年ぶりの再会といっていい。

この再会の時---彦十は54歳のはず。

つぎに、彦十の年齢が明記されるのは、寛政元年(1789)6月から9月へかけての物語である文庫巻4[夜鷹殺し]---横川べりでの再会から2年後で、56歳と。

これから逆算すると、相模国(さがみのくに)足柄上郡(あしがらかみこおり)斑目(まだらめ)村での、坊やの誕生は、享保19年(1734)でなければにならない。
ところが、この享保19年の8月には、酒匂(さかわ)川の堤防が決壊し、村は水の下に沈んだ。
それで、避難小屋で身ごもられ、翌20年に、生まれおちたことにした。

1歳のちがいを、どう正当づけるか。
池波さんの思惑ちがいというわけにはいかない。
だいたい、池波さんは、彦十の生誕の地をご存じない。いや、相模ならどこでもいいとお考えになっていたはずである。
仕方がない---ここは、彦十に責任をおっかぶせることにしよう。

少年時代から、生活苦にさいなまされた。
江戸へ逃げてきてからは、1歳でも大人にみせるために、どうせ、無宿人だから、どこに戸籍があるというものでもない、齢に下駄をはかせているうちに、自分でもその齢を信じるようになった---ということで、つじつまをあわせる。

池波さんのほころびを指摘するわけではないが、寛政6年(1794)夏の終わりの出来事である文庫巻10[むかしなじみ]では、

五十を越えたというより、六十に近い年齢になっている---p173 新装版p182

寛政元年に56歳なら、寛政6年には61歳でなければならない。

いつか、彦十のチャランポランについて言及しておいた。
この程度の年齢のチャランポランも、あってしかるべきなのである。

彦十なら、こういうであろう。

「完全な人間なんて、いるわけがねえやな。見なよ、いまは火盗改メのお頭(かしらで)で、泣く子も泣き止む鬼の平蔵---なんていわれてるが、あっしが知ってる、若けえころの銕っつぁんは、飲む、打つ、買うの、箸にも棒にもひっかからねえ、旗本の長男坊だったのよ。いえね、不正はとことん、憎んでやしたがね。だからよう、完全ぶってる男がいたとしたら、そいつぁ、化け物だ、って言いてえの」

【参照】[相模(さがみ)〕の彦十] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (12)

 

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2008.05.25

〔相模〕の彦十(10)

相模(さがみ)〕の彦十の名がシリーズへ出てくる篇は90あると、この項の(1)にあげた。

その中でも、個人的に、とくに好きな篇は、文庫巻20[高萩の捨五郎]と、巻21[討ち入り市兵衛]である。
共通点は、シリーズも後半部なことと、彦十が盗人に信用されて物語が展開するところ。
つまり、60をすぎた彦十に、池波さんが花をもたせるべく、物語りづくりをしている。

若いころの彦十には、どこか気負ったところと、妙に銕三郎(てつさぶろう)の顔色を読むところがあった。
すでの引用しているが、文庫巻1[本所・桜屋敷]では、

こやつ、相模無宿(さがみむしゅく)の彦(ひこ)十という男で、本所(ところ)の松井町一帯の岡場所に巣食っていた香具師(やし)あがりの無頼者で---

「香具師あがり」とあるのに、巻6[盗賊人相書]では、

かつては、盗賊界に名を知られた粂八と彦十であるが、人相描きを見てくびをかしげた。

粂八が名を売っていたらしいことは納得できるが、銕三郎の記憶にあった彦十は、香具師の配下であって、一流の盗賊としてではない。

それが、いつのまにか、顔のひろい盗賊あがりということになってしまっている。このシリーズの不思議の一つである。

寛政6年(1794)の夏の終わりごろの事件である文庫巻10[むかしなじみ]にも、20年前---彦十40歳前後の出来事として、

当時の彦十は、小粒ながら独りばたらきの盗人として、
「あぶらの乗った---」
ところであったから、処方の盗賊から、
「助(す)けてくれ」
と、たのまれる。
もっとも、久六同様に、盗みで得た金は、ところかまわず撒(ま)き散(ち)らし、遊びまわっていたのだから、その金がなくなれば当然、はたらかねばならぬ。p183 新装版193

この時は、名古屋の盗賊・〔万馬(まんば)〕の八兵衛から助(すけ)っ人を請(こ)われて出かけている。

参照】 〔万馬(まんば)〕の八兵衛

もちろん、彦十が盗賊たちとひろく顔馴染みでないと、展開しない物語が多いのだが。
一方では、顔が売れすぎていると、密偵としての行動半径が狭くなることもたしか。
そのあたりの均衡は微妙である。

まあ、シリーズを書きつないでいる10数年のあいだに、池波さんの頭の中で、彦十は一丁前の盗人として成長したのだと、理解しておこう。

不思議の2は、あげ足とりととらないでいただきたいのだが、シリーズ中での彦十の住まい。
20年前は、「松井町の岡場所に巣食って」いたことは、上掲に記したとおりである。

鬼平に再会してからは、文庫巻5[深川・千鳥橋]では、本所・三笠町1丁目の裏長屋。p23 新装版p24 
文庫巻6[狐火]では、おまさが訪ねていったのは本所・四ッ目の裏長屋。p131 新装版p112 引っ越したとは書かれていない。

_360
(彦十の住まい 上青〇=三笠町1丁目 下青〇=四ッ目裏町
赤○=〔五鉄〕 尾張屋板北本所図)

まあ、〔盗人酒屋〕もあった四ッ目だから、池波さんとしても、このあたりに住まわせたかったのであろう。
(ちょっときついことをいうと、三笠町は、[狐火]が書かれた段階で、校正されてしかるべきだったのでは---)。

以後は、文庫巻8[明神の次郎吉]でも四ッ目。p106 新装版p112

文庫巻10[むかしなじみ]で、二ッ目の〔五鉄〕の2階の奥のひと間に。p174 新装版p183いずれにしても、名古屋や上方へ助っ人に行ったとき以外は、本所から離れていない。
上方へは、[狐火]に、〔(たずがね)〕の忠助(a(ちゅうすけ)について2度ほど、先代の〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう)の盗(つと)めの手助けに出向いたとある。p131 新装版p139

このほかに、大坂へも助っ人として行ったらしいかすかな記憶があるのだが、パソコンのデータ・ベースに入力し忘れているので、見つからない。

【参照】[相模(さがみ)〕の彦十] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (11) (12)

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2008.05.24

〔相模〕の彦十(9)

彦十爺(と)っつぁんのことを、シリーズを一読したころは、狂言まわしの一人と読みすごしていた。
継母にうとまれて、家に寄りつかず、無頼な生活をしていた若いころの銕三郎(てつさぶろう)と、無類の手際で物語を盛り上げていく主人公の現在とをむすびつける、何人かの一人と見ていたもので。

何人か---おまさであり、〔五鉄〕の三次郎であり、〔笹や〕のお婆あさんであり、剣友の岸井左馬之助井関録之助であり、表御番医・井上立泉(りゅうせん)であり、二本榎の細井彦右衛門であり---。

もちろん、銕三郎が火盗改メ・長官になってからの狂言まわし役は、ほかにもいる。同心・木村忠吾細川峯太郎がそう。

しかし、鬼平の過去と現在をむすび、しかも狂言まわしの2役がつとめられるのは、彦十爺(と)っつぁんと、〔笹や〕のお婆あさんの2人---しかし、おの初出は、文庫巻7[寒月六間堀]だから、巻1[本所・桜屋敷]から顔を見せている爺(と)っつぁんには、はるかに及ばない。

_24_2そうおもいながらも、便利な使い走りを兼ねた狂言まわしという見方を永いあいだ、ふっきることができなかった。

文庫巻17長編[鬼火]での、こんな科白(せりふ)も軽く読みながしていた不明も、いまでは恥じている。

「まったくどうも、長谷川さまときたら、油断も隙(すき)もあったものじゃあねえ」
彦十は、おもわずぼやいて、
「これ、口をつつしまぬか」
佐嶋与力に叱られたものだ。
「ま、よいわ。この老爺(とつ)つぁんは、わいがむかしなじみゆえ、わしもちょいと頭があがらぬのじゃ」p129 新装版p132

文庫巻24[二人五郎蔵]で、鬼平彦十に、

「---お前は、この平蔵の宝物(たからもの)だよ」p90 新装版p86

文庫24冊を何度も読み返していて、この感慨の真意におもいがいたった時、シリーズがすすむうちに、池波さんが彦十に与えている役割の重さを変えたことがわかってきた。

そうおもうと、文庫巻4[夜鷹殺し]の、鬼平のこんな会話にも、深い奥行きを感ずるのである。

「おれとお前とで、かたをつけてやろうじゃあねえか」
「てへっ----ほ、ほんとうなので?」
平蔵が片眼をつぶって見せ、
「むかしにもどってなあ」
「ありがてえ。かたじけねえ」
彦十は感激の極に達したようである。
平蔵もまた、こやつと酒をのんでいると、年甲斐もなく、若いころの自分になってしまい、ことばづかいまでむかしにもどってしまうのが、われながらふしぎであった。p280 新装版p294

これに類する科白や文章は、その気になって読んでいると、とてつもなく多くの篇で出会う。
要するに、彦十は、鬼平の青春の鏡的な存在になっていたのである。
青春のおもい出は、だれにとっても、ほろ苦く、ほの甘い。

そういう眼でシリーズを読んでいくと、鬼平には、少年時代のおもい出が書かれていない。
(当ブログに、お芙沙(ふさ)や阿記(あき)を配したいいわけのつもりはない)。
誕生と実母の死、そして、いきなり青年時代前期の継母との確執である。
これも、このシリーズの謎の一つといっておこう。
継母との確執が、史実上はありえなかったことは、これまで何度も証してきた。

その都度、小説は史実とはちがうのだから、池波さんの創作は創作として受けとめればいい---その上で、史実に基づいて空想を飛ばすのは、読み手の自由とことわってきた。

彦十の出生と少年期にも、史実はない。ないが、池波さんが創作した断片から、推察はできる。
この項の趣旨は、そういう次第と読みながしていただきたい。

【参照】[相模(さがみ)〕の彦十] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (10) (11) (12)

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2008.05.23

〔相模〕の彦十(8)

銕三郎(てつさぶろう 20歳)は、おもいのほか呑みすぎたらしく、飯台にうつぶせに眠ってしまった。
おまさ(10歳)が、2階から父親・忠助のらしい半纏(はんてん)をもってきて、かけた。

「〔斑目(まだらめ)の彦十どん---」
風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)が、彦十(ひこじゅう 31歳)の脇に手を入れて立ち上がらせた。
の兄ぃ。斑目は、言わねえって約束だったろう。あっしには、いいおもい出が一つもねえ土地なんだよ」
「悪かった。さ。相模(さがみ)組は退散するとしようぜ」

権七は、目でおまさに、銕三郎を頼むと指示して、よたつく彦十の躰を支えて表に出た。
のだんな。どこへ帰る?」
「松井町に、きまってるじゃねえか。あの妓(こ)が、待ってらあな」

〔盗人酒屋(ぬすっとざかや)〕から松井町は、竪川ぞいに西へ10丁(1km)ほど。大川へのとば口にあたり、一ッ目弁財天の後背地で、娼家が数軒あることは、すでに述べた。

参照】一ッ目弁財天社の裏手の娼家[〔耳より〕の紋次 (2)

_360
(上が西。西から黄〇=一ッ目弁天社。緑〇=松井町1丁目 
赤○=〔五鉄〕 四ッ目は切絵図からもっと下にはずれる)

おまさが提灯を---と言うのを遮って、暗い夜道をよたよたとあゆむ。

左手に三之橋を見たあたりで、ひょっこり、彦十が立ち止まった。
だち(友)が出てきた」
権七は見まわしたが、それらしい人影はない。
彦十が話しかけた。
「よう。あっしは、酔ってませんって」
「------」
「そりゃあ、ちいっとは呑みやしたよ。付き合いってもんで。わかってますって。てめえの躰のことでやすから---」
「------」
「このあいだ話した、あの仕事は、あんたのご託宣どうり、降(お)りやした。やっぱ、やべえって気がついてね」
「------」
「なあに、忠助どんに、代わりを頼んどきやしたから---」
「------」、
「それより、銕三郎って若えおさむれえ---あんたのいうとおり、いい男でやしたよ。な、の兄ぃ。いやぁ---この兄貴分は小田原の人で、権七つぁんってんだ。箱根の雲助さま。こちらが7(なな)で、あっしが彦十で10(とう)だもんで、あっしが弟分ってことになって---ね、いいだろう?」

すこし気味が悪くなってきた権七
「おい。のだんなよ、誰と話してるんでぇ?」
「誰って、だちが、そこにいるじゃねえか」
「見えねえぜ」
「おれには、いるんだ。ほら、の兄ぃを大事にしろって言っとるよ」
(気がふれたか)
権七はおもった。

「じゃ、またな」
彦十が歩きだしたので、しかたなく、権七もあとを追う。
「いまのは、誰でえ?」
「村からずっといっしょの、だち
「村って、おめえの生まれた斑目?」
「そう。おっ母(かあ)の世話も見てくれとるんよ」
「つじつまがあわねえな」
「いいってこと---」

「ところで、のだんな。住めえは、松井町っていったよな?」
「一ッ目弁天社の裏手」
「金猫、銀猫か。お安くねえな」
「金猫も銀猫も銅猫もかんけえねえって。うちのは土猫よ。けどよう、気立てがよくって---女は、きりょうじゃねえ、やっぱ、気立てだねえ。そうだろ、の兄ぃ?」

ちゅうすけ注】一ッ目弁天社は現・江島杉山神社の境内(墨田区千歳1丁目)
松井町1丁目(現・墨田区千歳一丁目)
金猫・銀猫は松井町の娼婦の異称。一つ目は猫に小判を見せる所(とこ)

「ところで、の兄ぃの棲家(すみか)を聞いてたっけ?」
「言ってなかったかい?」
「聞いてねえような気がする」
「永代橋東詰で、〔須賀〕って居酒屋をお須賀がやってる」
「その、お須賀姐(あね)さんってえのは?」
「女房みてえなものさ」
「みてえなもの---ってぇのが、うれしいねえ」
「こんど、呑みにきてくんな」

兄ぃんとこが呑み屋だってのに、なんで、はるばる、四ッ目くんだりまで---」
「だからよう、あっしの親分の長谷川さまに、虫がつかねえように気をくばってるんじゃあねえか」
「---おまさ坊は、虫じゃあねえよ」
「そうだ。虫じゃあねえ。蛹(さなぎ)だよな」
「蛹のうちは、おまさ坊。蝶ちょになった時にゃあ、まあちゃん、ってことに---」

【参照】[相模(さがみ)〕の彦十] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (9) (10) (11) (12)


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2008.05.22

〔相模(さがみ)〕の彦十(7)

(てつ)お兄(にい)さん。ほんと、ですか?」
耳ざといおまさ(10歳)が、眉間を小さく寄せて訊いてきた。
なにか言いかけた〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)を制した銕三郎(てつさぶろう 20歳)が、
於嘉根(おかね)のことですか? ほんとうです」

「お嘉根ちゃんっていうんですか? いくつですか?」
「2歳です」
「会いたい。いつ、会えますか?」
「それが、会えないのです。拙も、まだ、顔を見たことがないのです」
「どうして?」

参照】[妙の見た阿記] (5)

銕三郎が声を落として話した。
おまさ彦十が身をのりだして耳をそばだてる。

平塚の婚家先から、芦ノ湯村の実家に逃げかえった阿記(21歳=当時)を、鎌倉の縁切り寺まで送ったこと。婚家先がよこした顔役・〔馬入(ばにゅう)〕の勘兵衛(かんべえ 35歳=当時)を、権七の機転で手を引かせたこと。
阿記が縁切り寺で於嘉根を産んだこと。
銕三郎の実母が於嘉根の引き取りを申し出たが、拒まれたこと---。

馬入〕の勘兵衛のくだりで、権七が口をはさんだ。
「あっしが、勘兵衛を説き伏せたんじゃねえんで。長谷川さまに、勘兵衛のやつがころっとまいっちまったんでさぁ」

【参照】[与詩を迎えに] (37)

「わかるわ。誰だって、お兄さんには、ころりっ、よ」
おまさが相槌をうつ。
彦十は、
おまさ坊。おめえって娘(こ)は、いつでも気が早すぎるんだよ」
彦十のおじさんが、遅いだけよ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
彦十は、裏の厠へ行くふりをして、裏庭に立った。

呼ぶまでもなく、井戸端で鹿が待っていた。
「あの長谷川って若ぇのを、信用していいものかね?」
鹿が応えた。
「もう、信用しちまってるくせに---」
「いやぁ、念には念をいれて---と思ってね」
「裏切られたって、失うものなんか、なんにもないだろうに---」
「ちげぇねえ。ま、これで2人の意見が一致したってことだ」
「いつでも、責任はこっちのせいにするんだから---」

戻ってきた彦十が、景気のいい声で言った。
「縁がために、じゃんじゃん、やろうぜ」
おじさん。人に奢るんなら、うちへの借りを払ってからにして」
おまさ坊。それを言わなきゃ、おめえは四ッ目小町なんだがなぁ」
彦十どの。今夜のところは、拙におまかせを---」
「若えのに、嬉しいことを言ってくれやすねえ」

新しいちろりを運んできたおまさが、
お兄さん。お嘉根ちゃんに会いたいでしょう?」
「そりゃあ---」

_300
(歌麿「針仕事」 阿記と於嘉根のイメージ)

「ところで、おみねどのは、物井に?」
まぎらすように、銕三郎が訊いた。

参照】物井→[盗人酒屋]の忠助(5)

「おおばさんといっしょに、遺骨をお墓へ納めに行ってます」
「香料をつつもうとおもっていたんだが---」
「おこころざしを、おおばさんへ伝えておきます。でも、万事、〔法楽寺〕のお方がよくなさったみたいで---」
おまさが〔法楽寺〕の名を口にした時、たまたま、別の飯台へ肴をもってきた父親の忠助の肩がぴくりと動いた気配を、銕三郎は目の端でとらえた。
彦十は、もう、すっかりできあがっていた。

【参照】[相模(さがみ)〕の彦十] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (8) (9) (10) (11) (12)


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2008.05.21

〔相模(さがみ)〕の彦十(6)

相模国(さがみのくに)足柄上郡(あしがらかみこおり)斑目(まだらめ)村の北を流れる酒匂(さかわ)川が氾濫、堰をこわして村と田畑を流失させたのは、享保19年(1734)8月である。

彦十の母の前夫と、その間にできていた男の子と女の子の3人が濁流にのまれて死んだ。
彦十は生まれていなかった。
はげしい雨の中を、高みにある村長(むらおさ)の家へ、濡れた桑葉を嫌う蚕(かいこ)のために、水気を拭きとりに行っていた彼女ひとりが助かった。

家を流された者たちは、井野(いの)明神社のある西の丘に、仮小屋をつくって藩のお救いを待った。
一家でひとりだけ残って途方にくれていた彼女に、
「ここで、雨露をしのがねえだか---」
声をかけた男がいた。
男もかみさんと子を濁流に失っており、むしろと板で組み立てた仮小屋に一人で住んでいた。

男と女が一つの小屋で寝泊りしたのだから、30j前の彼女が彦十を身ごもるのはわけなかった。
彦十は、翌年の晩春に生まれた。
男も女も、ほとんど風呂へはいらない躰で交わったのに、産湯ともいえないぬるま湯で洗った赤子のはだは、搗(つ)きたての餅のようにつやつやしていた。

村におりたとき、男は、彦十にも母にも冷たかった。
男は、父親であることを放棄していた。

河川敷になっていた田畑を元の姿に戻すために、母は休むまもなく働き、彦十が10歳のとき、疲れきったはてに、いまでいう過労死をした。

枯れ木のように軽い遺体になった母を背負い、井野明神社の裏手の林に運び、彦十はひとりで埋めた。
穴に横たえた母に土をかけている時、林の奥から一頭の雄鹿が出てきて、少年を見つめた。
その鹿の右の瞳(め)が、白くまだらだった。
(こいつが、村の主(ぬし)だったなんだ)
「ここにおっ母(かあ)を寝かせただ。目ぇ覚ましたら、なんか、食うもんを恵んでやってくんな」
鹿は、わかったと、首をふった。

彦十少年はさらに言った。
「いまは、早く、森へ帰ェれ。村人さぁ見っかると、左の瞳もまだら目にされちまうぞ」
鹿はうなずいて去った。

_320
(赤〇=斑目村・相模国足柄上郡 青〇=小田原 水色=酒匂川)

彦十少年はその日に村を捨て、東海道の旅人の荷を宿場から宿場へと持たしてもらいながら、江戸へたどりついた。
彦十が、こころのこもった会話がしたくなると、まだら瞳の鹿があらわれ、相手をしてくれた。
鹿は、明るく振舞ったほうが、駄賃が多くなると教えた。
「おめえのことは、だれにも告げるもんではねえ」
彦十は、鹿の教えを守った。

江戸では、本所・五ッ目の五百羅漢堂の床下を寝ぐらにしていた時に、香具師(やし)の小頭(こがしら)・っつ(42歳)ぁんに声をかけられた。
「どこからきた?」
鹿が、「足柄山でやす」といえと言った、
「足柄山で何をしていた?」
鹿が、「熊と相撲をとったり、猿と木登り競(くら)べをしてやした」と答えろとすすめた。
「おもしろい。ついてこい」
こうして、小頭の使い走りとなった。

15の時に、声色(こわいろ)の芸をおぼえて、五百羅漢堂の北面の道の物売りの露店がならんでいる隅でやった。
熊や猿、鶯(うぐいす)や鳶(とんび)の鳴き声である。
とりわけ、熊との取り組みと、猿の群れの瀬渡りの時の騒ぎが受けた。
鹿の声は使わなかった。

_360
(本所・五百阿羅漢寺の北脇の露天 『江戸名所図会』)

鬼平犯科帳』巻1[本所・桜屋敷]に、

こやつ、相模無宿(さがみむしゅく)の彦(ひこ)十という男で、本所(ところ)の松井町一帯の岡場所に巣食っていた香具師(やし)あがりの無頼者で---p65 新装版p69

いま、銕三郎の目の前にいるのは、彦十のおじさん---とおまさ (10歳)が呼んでいる30男であった。
大川の水で、足柄山の垢をすっかり落とした男といえる。
かわりに、赤子のときのつやつやしていた肌は、酒焼けして赤いまだらができている。

参照】一ッ目弁財天社の裏手の娼家[〔耳より〕の紋次 (2)

彦十が、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)に問いかけた。
「おめえさんちと、こっちの若えおさむれえは、どういった仲なんでぇ?」
「こちらの長谷川さまのお子をお産みなさった女(ひと)の、義理の兄きってことよ」
おまさが、
「ひえっ!」
悲鳴をあげた。

参照】 2008年5月6日~ [おまさ・少女時代] (2) (3) 
参照】 2008年3月20日~ [於嘉根(おかね)という名の女の子]   (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
参考】2008年4月20日~ [〔笹や〕のお熊] (1) (2) (3) (4) (5) (6) 
参照】 〔風早(かざはや)〕の権七 (A) (B) (C) (D) (E) (F) (G)
参照】2008年5月16日~  [相模(さがみ)の彦十] (1) (2) (3) (4) (5)  (7) (8) (9) (10) (11) (12)

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2008.05.20

〔相模(さがみ)〕の彦十(5)

相模(さがみ)〕の---というより、いまは〔斑目(まだらめ)〕の彦十(ひこじゅう 31歳)と呼ぶべきだろうが、彦十自身が斑目村生まれを自称することを嫌がっているので、やはり、〔相模〕の彦十で通すことにしよう。

彦十と〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)は、同じ相模で、しかも小田原藩の領内育ち同士とわかると、幾分か親しみが湧いたようである。
郷土愛というほどのものではないが、なんとなく許しあうところが見えた。徳川が設けた270余藩という、土地の小割りの効果ともいえようか。

もっとも、権七が箱根の荷運び雲助だったと知ると、格の点でいささか引け目を感じたものの、この20年來、江戸で暮らしてきていることを、彦十のほうは気ばりの支えにしたようでもあった。

彦十のおじさん。まだらめ村の、まだらってどう書くの?」
おまさは、なんでも字習いのタネにしてしまう。

「2つの王(おう)って字のあいだに文(ふみ)って字が割って入ってやがるんだ」
「あら、王偏(おうへん)に、旁(つくり)が2つなんて、めすずらしい」
「なんでい、その旁ってえのは?」
彦十のおじさんには、かかわりないの」
「ちぇっ。聞いておいて、なんてえ、言いぐさでぃ」

おまさどの。王(おう)と書いてはいますが、ほんとうは玉(ぎょく)でしょう。玉(ぎょく)に文(あや)---文様(もんよう)がついているから、まだらじゃないのかな。印材(いんざい)の鶏血石(けいけつせき)といって、緑がかった石に鮮やかな朱色の血がまだらに流れているようにみえるのがありますから」
(てつ)お兄さん、その鶏血石、もってますか?」
「朱色の流れが多いものは、とても高価で、拙などは手がでません。拙が父上からいただいているのは、鶏血石とは呼べないような、ちょろちょろっと朱色がまだらに見える、いうなれば、貧血石の---」
「貧血石はよかった---」
彦十が、わざと素っ頓狂な声をだしたので、みんな、大笑いし、それで、一気に座がなごんだ。

_300
(貧血石の印材)

彦十には、そういう、機転をきかして人の気持ちをもりあげる得がたい才能があるようだ。
(この才能は、のち、〔笹や〕のおとの壮絶な舌戦で、読み手を笑わせてくれる)。

彦十どの。お生まれになったという斑目村にお寺か神社は?」
「高台に、井野(いの)明神社ってのがありやして、子どもたちの遊び場のひとつでやした」
井野明神社の苦いおもい出ははなさない。
「ご神体は?」
「見たことがないもんで、知りやせん」
「鏡かなにかに、まだらな文様でもついていたんですかねえ?」
「そのこととはかかわりがあるかどうか、井野明神の神さまは、井戸がお嫌いというんで、村には一つも井戸がありやせんで---」
「水はどうしていたのですか?」
「酒匂(さかわ)川から堰をつくって引いてた、用水を使っておりやした」
「変わったご託宣の神さまですね」

彦十が生まれたのは享保20年(1735)の春だが、その前年の8月に、酒匂川の堤がきれて、村中に濁流が走って多くの人馬がまきこまれ、母の前夫と、その間に生まれた男の子と女の子も水死したこと、生き残った村人は井野明神社のある丘に小屋がけして暮らしたこと、彦十の誕生は、そのむしろ張りの小屋にかかわりがあること、田畑は河川敷と化していて、藩からのお救い米で命をつないだことも、口にしなかった。

参照】 [おまさ・少女時代] (2) (3) 

【参照】[相模(さがみ)〕の彦十] (1) (2) (3) (4) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12)

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