雌エゾジカ
「いってえ、どうなっちまってるんだよう」
〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 34歳)は、竪川(たてかわ)に架かる一ノ橋の欄干にもたれて満潮になってきた川面に浮かんでいる都鳥を見るともなく見ながら、さきほどから同じ呟きをなんども洩らしている。
聞きとがめた通りがかりの番頭ふうの40男が、
「どうかなさいましたか?」
と訊いたら、彦十はぎょろりと目をむき、
「てめえなんぞに、わかってたまるか。この馬鹿野郎ッ」
怒鳴られた番頭ふうは、鼻白んで、そそくさと立ち去った。
彦十の悩みには、〔馬鹿野郎〕が関係している。
相談相手のだち(友だち)が、ここのところ、まったく姿を見せなくなっているである。
〔だち〕と言っても、人ではない。
雄鹿である。
それも、彦十の生地である相模国足柄上郡斑目(まだらめ)村(現・神奈川県南足柄市斑目)の森の奥に生息している雄鹿である。
いまは、彦十の胸の奥に棲んでいる。
【参照】2008年5月21日~[相模(さがみ)の彦十] (6) (7) (8)
2008年10月31日[伊庭(いば)の紋蔵(もんぞう)]
そのだちに、相談したいことができているのだ。
なのに、いくら呼んでも、雄鹿が姿をみせないのである。
相談したいことというのは、両国橋東詰脇の入り堀に架かる駒止橋ぎわの水茶屋の茶汲み女・お銀(ぎん 15歳)にかかわることであった。
お銀は、この春からその水茶屋につとめていた。
家は、回向院東の松坂町の裏長屋で、叩き大工の父親が仕事先の屋根から落ちて大怪我をし、働けなくなった。
家には弟と妹が3人いる。
ととのった小顔が評判になり、彦十も贔屓客の一人であった。
というより、彦十は、幼いときに洪水で死にわかれた妹のようにおもわれ、親身に支援した。
ところが、そのお銀が行方がわからなくなり、5日も断りもなしに店を休んでいる。
松坂町の長屋にも帰っていない。
それで、事情を訊くために、だちの雄鹿を呼び出すのだが、いっこうにあらわれてくれないので、弱りきっていたのである。
竪川の都鳥が羽音をたてて、いっせいに飛び立った。
水しぶきの向こうから、鹿が一頭、姿をみせた。
角がないから、雄鹿のだちではない。
雌鹿は、訴えるような悲しげな目で、彦十をみつめている。
「おめえさん、どこから来なした?」
「蝦夷(えぞ)です」
「蝦夷---って、陸奥(むつ)の海の向こうの蝦夷かえ? それでうしろに雪が積もっているんだな」
「はい」
「そのエゾジカのおめえが、なんでここに---」
「助けてほしいのです」
「助ける?」
「あたしは、斑目(まだらめ)の雄(ゆう)さんと割りない仲になったのです。ところが、エゾジカのおきてで、本土の雄(おす)と情を通じたというので、牢にいれられてしまいました。雄(ゆう)さんは、牢のまわりをぐるぐるまわっていますが、どうにもならないのです」
そう告げると、雌鹿は消えた。
彦十はエゾジカの暗示に気がついたが、躰がふるえた。
お銀は、土地(ところの)の悪業ご家人・木村惣市(そういち 50歳近い)の息子---源太郎(げんたろう 30歳近い)に拐(かどわか)されたのだ。
そういえば、水茶屋で、お銀にしつこくからんでいる源太郎を幾度か見かけたことがあった。
彦十は、三ツ目通りの長谷川家へ急いだ。
【ちゅうすけ注】ここから先は、『鬼平犯科帳』文庫巻22[迷路]p301 新装版p285 からを読みなおしてください。
お銀が無事に救いだされたことは、書くまでもない。
【ちゅうすけのひとり言】阿寒湖のそばに住んでいる、ネット友だちの numapy さんに、鹿の写真を頼んでおいたら、エゾジカの雌の写真がeメールでとどいた。
角のある雄鹿の写真は、春になったら奈良へ撮影に行く予定をしているが、もっと東京に近いところで撮影できそうな場所をご存じでしたら、このコメント欄へお教えいただくとありがたいのですが。
【ちゅうすけのムダ口】上記[迷路]のミス・プリを記録しておく。p343 新装版p327
この事件は、平蔵の父・長谷川宣雄が〔西の丸・書院番頭〕という御役目についていただけに、幕府も捨ててはおけず、とりあえず平蔵は父の屋敷に置いて謹慎を命じられた。
---とあるが、宣雄が書院番頭を勤めた史実はない。番頭は、3000石以上の大身幕臣の席である。400石の宣雄が命じられわけがない。
当時、宣雄は、〔西丸・書院番士〕から〔小十人頭〕を経て、先手・弓の8番手の組頭(1500石格)であった。
何かの拍子に「頭」の字が混入してしまったのであろう。
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