カテゴリー「121静岡県 」の記事

2008.05.31

〔瀬戸川〕の源七(4)

4日後。やはり法恩寺門前の蕎麦屋〔ひしや〕。入れこみの奥の卓---。

座りこんでいるのは、銕三郎(てつさぶろう 20歳)と岸井左馬之助(さまのすけ 20歳)、菊新道(きくじんみち)の旅篭〔山科屋〕へ宿泊して探索してきた井関録之助(ろくのすけ 16歳)の3人。

録之助は、はじめての大人っぽい仕事をしてのけて、すっかり興奮している。
だから、微に入り、細をうがった報告をする。
それを、要領よくちぢめて書くと、こうなる。

2日前の昼すぎ、録之助は、武蔵国八王子在の鑓水(やりみず)村の郷士の息子が、江戸へ剣術の修行にきたというふれこみで、〔山科屋〕へわらじを脱いだ。
〔山科屋〕を推したのは、鑓水村で一刀流の道場を開いている岩倉岩之進(いわのしん)師ということにした。

「その、岩倉岩之進っていうのは、何者かね?」
左馬之助が口をはさんだ。
「父上の知り合いに、仙洞院の番士として京で勤めた人がいましてね、その人が帰府談で、岩倉という小うるさい公家さんに手をやいたとこぼしていたのをおもいだしたので、上方出の〔山科屋〕なら、岩倉って姓に恐れ入るかとかんがえて---」
「芸が細かいね」

村長(むらおさ)振りだしの道中手形は、火盗改メ方が贋作してくれた。
前日に八王子を発(た)ち、新宿で一泊した態(てい)に。
府内入りの当日、録之助は、本所・石原町の自家から、わざわざ、土ぼこりで名高い水道橋へ遠まわりして野袴の裾やら足袋をほこりにまみれさせ、通旅籠町の〔山科屋〕へたどりついたのだという。

「はは。水道橋のほこり眼鏡(めがね)を知っていたとは、さすが、世間通じのだ」
これは、笑いをおさえた銕三郎
「冷やかさないでください。これでも、真剣に考えた末ですから---」
「ごめん、ごめん」

「ところがね、岸井さん。驚くではありませんか、岩倉という剣客は、ほんとうにいたんですよ」
「なに?」
「〔狐火(きつねび)〕の勇五郎---〔狐火〕なにがしというのは、勇五郎って名前なんです。その勇五郎が、帳場で岩倉先生の門下の若者が投宿したって聞いたらしく、それはなつかしい、ぜひ、岩倉先生の近況をお聞きしたいから、夕食をごいっしょに---っていわれたのには、困りまました」
「そりゃあ、困ったろう」
「どう切り抜けた?」

録之助は、いまの師・高杉銀平の師範ぶりや言動を話すと、それが岩倉岩之進にぴったりだったという。
「一流の剣客というのは、共通したところがあるんだなあ」
純情な左馬之助は感に堪えたように言ったが、銕三郎は、〔狐火〕が芝居をしたとおもった。
(おそらく、を試したのであろう。油断のならない〔狐火〕。もしかすると、あの時の狸寝入りを、〔瀬戸川(せとがわ)〕)なんとやらが見破ったのかもしれない)。

「その夕食に、〔瀬戸川〕とかは、お相伴しなかったかい?」
「いました。源七(げんしち)といって、齢のころは50前ってとこですかね。小柄ですが、躰全体がぴしっとしまっている、鋭いって感じの男で、しじゅう無言で、こちらが話すことを聞きながしていました」

「ほかには?」
女が一人。20歳前のむすめむすめした感じがのこっているおって名前のとおりに無口な女(こ)で、勇五郎も自分のむすめのように扱っていたという。
なんでも、半年ばかり前から愛宕下の〔井筒や〕という水茶屋に出ているのを、毎日のようにつれだしているらしい。

や。茶汲み女のことはどうでもいい。〔狐火〕というのは、どういう男だった?」
「年齢は40すぎ。なんでも、京の河原町で、小じんまりした骨董屋をやっていて、上客がたくさんついているとか、言ってました。たしかに、名のある骨董屋の主(あるじ)らしく、万事がおっとりと上品でした。〔瀬戸川〕の源七は、大番頭だそうで---もっとも、商人のようには見えませんでしたがね」
「なんに見えた?」
「そうですねえ、あの隙のない気くばりからいうと、すごく眼はしの利く職人かなあ」
「骨董屋の番頭なら、眼はしが利いて、あたり前だろう?」
「いえ、そういう眼はしではないのです。油断を見せないっていいますか、一分の間違いも見逃さないっていうか---」

宿の古手の女中にそれとになくさぐりを入れたら、〔狐火〕と〔瀬戸川〕は、ここ数年、年に2,3回、仕入れと売り込みに江戸へ下ってきており、そのたびに〔山科屋〕へ宿をとっているという。

小田原に囲っている妾に男の子がいるらしいが、こんどのように、水茶屋の女を連れだして同宿したのは初めてとも。
ここ3日、おを泊めているらしい。

4日前から、忠助(ちゅうすけ)という名の、東本所のはずれあたりで居酒屋をやっている男が、おの身請けに一役買っているように、旅籠側は見ているが、なにしろ上客なので、みんな、見て見ぬふりをしているんだと。

「これだけ探り出せば、長谷川さんはご満足であろうと、1泊だけで切り上げました」
「ちゃっかりしてるぅ。それでは1分(ぶ 約4万円)以上、残したろう?」
「残ったらくださるとの、約束は約束ですから---」
左馬之助がおぼえていた。
「おい、。泊まった晩の夕飯も、〔狐火〕の奢りだったとか言っていたな? だったら、素泊まりではないか」
「ふ、ふふふ。はい。きょうの、この店の蕎麦代は、わたくしが持ちます」
「あたり前だ。は、ははは。金主と払い方の、どっちへ礼をいえばいいんだか---」
若い時には、このような他愛もない冗談でも、友情を深めるこやしになる。

参照】〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七 (1) (2) (3) 


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2008.05.30

〔瀬戸川〕の源七(3)

おかねの名は、於嘉根と書くのです」
銕三郎(てつさぶろう 20歳)は、おまさ(10歳)の手習い帳に書きとめていたこころおぼえの、

忠助、おおばさん、彦十のおじさん、瀬戸川のおじさん、瀬古、お兄さん、おかねちゃん---

の文字列から、さりげなく「〔瀬戸川(せとがわ)〕のおじさん」のことを訊きだしたあと、ひらがなで「おかねちゃん」とあった横に、朱墨で、お嘉根---と書き加えた。

は、よいことという意味をもった字です。は、箱根のからとったと聞いています」
さすがに、産みの親の阿記(あき 23歳)が、わが名---銕三郎の「」を別読みし、「かね」に「」と「」をあてたとは、言えなかった。
言えば、おまさがさらに気をまわす、とおもいついたからである。

箱根・芦ノ湯の親元の湯治旅籠〔めうが屋〕で育っている於嘉根(2歳)のことで、〔瀬戸川〕のなにがしから話題が離れて、ほっとしたことも事実であった。

「そろそろ、道場へ行かねばなりませぬ。おまさどのは、手習いをつづけるように---」
銕三郎は、立ち上がった。
一瞬、おまさはうらめしそうな目つきをしたが、
「お父(と)っつあんが帰ってきたら、〔瀬戸川〕のおじさんの名前を訊いておきますね」
「いや。その必要はありませぬ」
「うそ。お知りになりたいのでしょう?」
銕三郎は、おまさの勘のするどさに、内心、舌をまいたが、表向きはあくまで、
「ほんとうに、あの川が懐かしかっただけです」

北本所の出村町の高杉道場へは、〔盗人酒屋(ぬすっとさかや)〕を出、四ッ目通りを北へ5丁、横十間川(天神川とも)に架かる天神橋の通り(法恩寺通りとも)で左折、西へ7丁ほど---いまの時計ではかって15分とかからない。

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(〔盗人酒屋〕から高杉道場への道順 近江屋板切絵図)

稽古を終え、岸井左馬之助(さまのすけ 20歳)を、法恩寺前の蕎麦屋〔ひしや〕へ誘い、入れこみの奥の卓をとった。
1ヶ月ほど前、銕三郎左馬之助が居合わせた〔盗人酒屋〕で、〔助戸(すけど)〕の万蔵(まんぞう 35歳前後)が急逝し、後家になったおのことから話題を始めた。

「おどのは、〔法楽寺(ほうらくじ)〕の直兵衛(じつは直右衛門)とやらいう、いささかうさんくさい仁の手配で、遺骨を葬りに下野国(しもつけのくに)の足利在へ行ったようだが---」
「銕っつぁん。悪いが、その話はよしてくれ」
「未練は、ないのだな?」
「桜屋敷のふささんに申しひらきができないようなことは、しない」
「〔盗人酒屋〕にも未練はないか?」
「ないが、なぜだ?」
「じつは、頼みたいことがある」
「あの店にかかわりのあることか?」
「いまのところは、よくはわからないが---」
「番町の筋か?」
「うん」

番町の筋とは、銕三郎の本家、新道一番町の屋敷を役宅にしている長谷川太郎兵衛正直(まさなお 57歳 1450石)---すなわち、いまの火盗改メのお頭(かしら)のことである。

「通旅篭町菊新道(きくじんみち)の〔山科屋〕という旅人宿に2泊ほどしてみてくれないか」
「それで、なにを嗅(か)ぐ?」
「京からきて泊まっている、〔狐火(きつねび)〕なにがしと、〔瀬戸川〕なんとやらという者の素性が知りたい」
「その〔山科屋〕への紹介状は手配できるのか?」
「番町へ頼んでみるよ」

「剣術の入門先を探しているとでも、口実にしてくれ。高杉道場が見つかったとでも言って、引き払う」
「念のために訊いておくが、[盗人酒屋]とのかかわりは?」
「〔瀬戸川〕なんとやらが、昨夜遅くに[盗人酒屋]の亭主・忠助(ちゅうすけ)親父(おやじ)を訪ねてきて、親父は今朝、〔狐火〕なにがしに会いに行った」
「それじゃあ、おれではまずいよ。忠助親父に顔をおぼえられている」
忠助親父とは顔をあわさないように---」
「そうはゆくまい。どうだろう、この仕事は、井関録之助(ろくのすけ)にふったら?」

16歳の井関禄之助は、高杉道場に入門したてだが、剣の筋がよく、銕三郎左馬之助が、「録、録」と可愛がり、稽古をつけてやってもいる。
本人は大柄だし前髪もすでに落としているので、20歳そこそこに見えないこともない。

店の小むすめを道場へ行かせた。
まだ道場に残っていた録之助が、小むすめとやってきた。
銕三郎から事情を聞くと、
「おもしろそうです。やらせてください」

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(菊新道の旅籠〔山科屋〕)

銕三郎は、宿泊料として2分(ぶ 半両)、わたした。
「あまったら、残りはいただけるのでしょうね?」
「しょうがない」
「ありがたい、ありがとうございます」
「こいつ、いまから、残す算段をしていやがる」
左馬之助が冷やかした。

当時の2分といえば、いまの8万円にも相当する。
銕三郎とすれば、大伯父の太郎兵衛正直に、1両とふっかけてみるつもりであった。

参照】〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七 (1) (2) (4)


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2008.05.29

〔瀬戸川〕の源七(2)

七ッ半(午前5時)には、すっかり明るくなっている。
おまさ(10歳)は、その前に起きていたらしく、銕三郎(てつさぶろう 20歳)に手ぬぐいと新しい房楊枝、そして小皿に盛った食塩をわたした。

裏手の井戸で塩で歯を磨いていると、忠助(ちゅうすけ)もやってきた。
世話になった礼を言ってから、店の戸を支えている樫のつっかい棒を借りていいかと訊いた。
「なんにお使いに---?」
「素振りです」

家だと鉄条を埋めこんだ木刀を振るので、[盗人酒屋]にも一本、預けておくか、と考えた。
泊まった朝のためではない。もう、泊まることはないとおもっている。
店で騒ぎがあった時の備えである。

お兄(にい)さん。何回、振ったのですか?」
汗を拭いてから、飯台に配膳された席へついた銕三郎に、おまさが訊く。
「300回ほど---」
「わたし、99までしか数えられないんです。おかしいでしょ?」
「なに、101から先は、繰りかえしみたいなものだから、すぐに覚えられます」
「お父(と)っつぁんもそういうんです。でも、銭は、100文(もん)ずつ山をつくって、その山の数をかぞえたほうが間違いがないとおもうんだけど---」
「それもそうだが、1両だと、100文の山が40もできてしまいますね」
「そんなに売り上げがあがる夜はないから、大丈夫です」
2人は笑った。
「こんど、壱拾とか弐千、参万の数字の漢字を書いてきてあげよう」

「む。この茄子(なす)の漬物の色合いは?」
白粥を梅干しで食べながら銕三郎は、茄子の漬物の一切れを箸で掲げる。
「茄子はお嫌いですか?」
「いや。色合いが、あまりに美しいから---」
「鉄釘を入れたのです。おっ母(か)さんから教わりました」
「梅干しの塩加減もいい」
「行徳(ぎょうとく)の、(よし)さんとこの塩窯(しおがま)の塩です。それもおっ母(か)さんが選んだものです」
「いい母上だったのですね」
おまさ が瞼(まぶた)を伏せた。

忠助が出かけると、おまさが裏2階から手習い帳と朱墨をもってきた。
おまさの名前の〔まさ〕の字の手本は、銕三郎が書いて与えた。

正、昌、匡、雅、政、斉、祐、聖

_100おまさどのは、自分の名前の漢字として、どの字が気に入ったかな?」
「正です。とりわけ、くずし字が好きです」

ちゅうすけのつぶやき】テレビの『鬼平犯科帳』の故・市川久夫プロデューサーからこんな秘話を聞いた。吉右衛門丈=鬼平で、梶芽衣子さんが演じているおまさ役のファンは多いが、彼女の本名は太田雅子なんで、ご当人は「おまさ」と呼ばれても、まったく違和感をおぼえないと。名実一致とは、まさに、このこと(笑)。

このほかに、おまさが自分で、家のまわりの町や橋や川の名を自筆していた。

北松代町、柳原町、清水町、亀戸(かめいど)町、柳島町、竪(たて)川、横川、天神川、新辻之橋、四ッ目之橋、御旅橋

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(おまさの手習い帳の町名、川、橋など 赤○=〔盗人酒屋]
『近江屋板切絵図 東本所・亀戸』 )

めくると、
忠助、おおばさん、彦十のおじさん、瀬戸川のおじさん、瀬古、お兄さん、おかねちゃん---

銕三郎の視線に気づいたおまさが、手習い帳をひったくって、真っ赤になった。

「訊いていいかな。書いてあった瀬戸川---というのは?」
「京の人です。駿河の藤枝というところの川だとか。〔瀬戸川(せとがわ)〕のおじさんに教わりました」
「その次にあった、瀬古(せこ)は?」
「〔瀬戸川〕のおじさんが生まれたところだと---」
「京じゃなく?」
「京の〔狐火(きつねび)〕という人のところで仕事をしているんです」

「拙は、この駿河の瀬戸川という川を、馬でわたったことがあるのです」
「わぁ、馬で---乗りこなせるんですね」
「これでも、お上の旗本の子ですから」
「そうでしたね」
おまさが、黙りこんだ。
銕三郎は、〔瀬戸川〕という仁への興味を隠すつもりで言ったことが、おまさをしょげさせたらしいとわかり、いささか後悔した。

参照】〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七 (1) (3) (4)


 

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2008.05.28

〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七

「〔瀬戸川(せとがわ)〕の、そうすると、〔狐火(きつねび)〕のお頭(かしら)は---」
飯台に伏せって眠ってしまっていた銕三郎(てつさぶろう 20歳)の耳に、忠助(ちゅうすけ 40がらみ)の抑えた声がはいった。

参照】[盗人酒屋] (8)

忠助は、ここ、本所も東端、竪川(たてかわ)に架かる四ッ目ノ橋に近い深川北代1丁目裏町に面した居酒屋〔盗人酒屋(ぬすっとざかや)〕の亭主である。

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(東本所・四ッ目橋に近い〔盗人酒屋〕 尾張屋板)

銕三郎は、長谷川本家(1450余石)の大伯父で、いまは火盗改メのお頭(かしら)を勤めている太郎兵衛正直(まさなお 57歳)に言われ、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)と探りにきていたのだが、この探索はなんとなく意にそまないとおもいはじめていた。
というのも、店を手伝っている忠助の一人むすめのおまさ(10歳)を妹みたいに感じるようになったからでもある。

酔いつぶれた銕三郎をそのままにして、、権七と〔相模無宿(さがみむしゅく)〕の(ひこ)(31歳)が帰っていったのには気づかなかったのに、〔瀬戸川〕という言葉に無意識に反応したのは、6年前に、父・平蔵宣雄(のぶお)の言いつけで、駿州・田中城へでかけた時に、藤枝宿の西を流れているこの川を見たからである。

いや、見たというのは正確ではない。
その時、長谷川家の祖・豊栄(ほうえい 没後・法永)長者こと今川家の臣で小川(こがわ)城主だった長谷川次郎左衛門尉正宣(まさのぶ)の墓に詣でるため、瀬戸川を乗馬のままでわたった。

銕三郎は、伏せったまま動かず、目もあけないで耳だけをすませた。

「うん。いつもの菊新道(きくじんみち 通旅篭町)の〔山科屋〕だがね。こんどばかりは、忠助どんの顔を借りないと---」
瀬戸川〕と呼ばれた男は、それきり、ひそひそ声になった。

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(通旅籠町菊新道(じんみち)〔山科屋〕 近江屋板)

ややあって、忠助が、
「えっ。お頭が---」
絶句したあと、
「わかりました。明日、五ッ(午前8時)に〔山科屋〕さんへ伺いますです」

瀬戸川〕という男が出てゆき、忠助が見送っている時も、銕三郎は動かないで眠っているふりをつづけた。

参照】〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七

戸締りをすませた忠助が、銕三郎の肩をゆすって、
長谷川の若さま。こんなところでお寝(やす)みになっていてはいけません。お帰りにならないのなら、裏2階に仮床をしつらえますから、そちらで---」
「う、うーん」
いま、やっと目覚めた態(てい)で、
「なん刻(どき)ですか?」
「四ッ(午後10時)をすぎました」
権七どのは?」
彦十どんと、五ッ(午後8時)にお帰りに---」
「これはしたり。木戸が閉まっている」
「お泊めいたします」
「いいのか?」
「そのかわり、明朝、おまさの手習いを見てやってください」
「心得た」

おまさが寝巻きのまま降りてき、どんぶりに水を入れて、
「酔いざめの水です。(てつ)お兄(にい)さんは、あまり飲(い)けないのだから、無理して飲むことはないのです」
「負うた子に教えられ---だ」
「子ではありません。手習い子です。それより、明日の朝ご飯は---」
おまさどのがつくってくださるのですか?」
「わたししか、いません」
「そうでした。では、白がゆと梅ぼし、香のもので---」

参照】〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七 (2) (3) (4)


 

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2006.03.14

〔天竜(てんりゅう)〕の岩五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻12に入っている[二人女房]で、深川の大島町の飛び地におときと妾宅をかまえている首魁が〔彦島(ひこじま)〕の仙右衛門(55,6歳)である。
(参照: 〔彦島〕の仙右衛門の項)
この仙右衛門の片腕だったのが〔天竜(てんりゅう)〕の岩五郎だ。
そう、だった。この夏---寛政7年(1795)に病死していたのである。
生前は、仙右衛門が一ト仕事終えて江戸や京都や温泉で骨休めをするとき、ぴったりとくっついていた。

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年齢・容姿:62歳---というから、当時としては、まあまあ生きたほうかも。容姿についての記述はない。
生国:遠江(とおとうみ)国豊田郡(とよだこおり)天竜村(現・静岡県浜松市天竜・鹿島)

事件の経緯:〔彦島〕の仙右衛門が江戸・深川の大島・飛び地に妾おとき(27歳)を囲っていることを、大坂にいる本妻お増(40過ぎ)に告げたのが、岩五郎だと、小悪党で仙右衛門の嘗役もやっている〔加賀(かが)屋〕佐吉(35,6歳)はいう。もちろん、佐吉のつくりごとである。お増が50両で仙右衛門を殺してくれと頼まれたともでまかせを口にした。
それを本気にした仙右衛門は、50両でお増の始末を、佐吉に頼む。

結末:なんのことはない、佐吉が高木軍兵衛にもちかけた話は、鬼平につつぬけになっていて、仙右衛門、佐吉とも御用。

つぶやき:仙右衛門を刺殺することになった軍兵衛が泊まった夜、地響きのように家がゆれた。大男の仙右衛門と搗きたての臼の中の餅のようなおときの愛の営みが始まったのである。
いや、笑わないではいられない。池波さんの読者サーヴィスもこれほどとは。

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2006.02.20

〔志度呂(しどろ)〕の金助

『鬼平犯科帳』文庫巻2の所載の[蛇(くちなわ)の眼]で、頭の平十郎配下の1人が、この〔志度呂(しどろ)〕の金助。
(参照: 〔蛇〕の平十郎の項)
あとの3人が、
〔片波(かたなみ)〕の伊平次(40歳)
 (参照: 〔片波(かたなみ)〕の伊平次の項)
〔駒場(こまんば)〕の宗六(30歳)
(参照: 〔駒場〕の宗六の項)
鶉(うずら)の福太郎(25歳)
(参照: 〔鶉〕の福太郎の項)
さらには、蛇の平十郎の軍師役・〔白玉堂(はくぎょくどう)〕紋蔵。
(参照: 〔白玉堂〕紋蔵の項)
このうち、〔志度呂〕の金助は、「小舟を漕いで屋形舟などの間をぬい、真桑瓜西瓜を売る」舟商人となって、浜町堀に面した〔道有屋敷〕を見張りながら、盗んだ金子を向島の盗人宿へ舟で運ぶ役を与えられている。

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年齢・容姿:35歳。容姿の記述はない。
生国:遠江(とおとうみ)国敷知郡(しきちこうり)志度呂(しとろ)村(現・静岡県浜松市志度呂町)。
佐鳴湖の南西、浜名湖にそそぐ新川右岸だから、子どものときから、小舟の扱いにはなれている。

探索の発端:これより前の事件---文庫巻1に所載の[座頭と猿]で逃げ隠れていた座頭・彦の市が女に会いに現われて逮捕され、〔蛇(くちなわ)〕一味の盗人宿が相州・小田原宿の北の部落・上之尾にあることを白状した。
(参照: 座頭・彦の市の項)

結末:上之尾へ馬で急行、待ち構えていた鬼平以下の火盗改メに、全員逮捕、死罪。

つぶやき:志度呂は、志戸呂と書くという。「志戸呂」だと、島田市に合併された大井川ぞいの金谷にも同名の地があるが、舟のあつかいに長ずるには、やはり琵琶湖に水つづきのほうがいい。

ただ、池波さんは「しどろ」とルビをふっているが、「志度呂」も「志戸呂」も読みは「しとろ」。池波さんは、現地を踏んでいなくても、三方ヶ原近辺の地図はしっかり見分したろう、そのときに発見した地名かも。

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2006.01.28

〔地蔵(じぞう)〕の八兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収録されている[泥鰌の和助始末]で、主人公の〔泥鰌(どじょう)〕の和助がかつて配下だった〔地蔵(じぞう)〕の八兵衛は、3代つづいた名門で配下も多く、2手3手に分かれて、三河、遠江、駿河から江戸へかけてのお盗めをこなしていたが、それも何年もかけての本格的な仕事ぶりだった。
(参照: 〔泥鰌〕の和助の項)
ところが、3代目が30歳で若死にしてから、後継者がいなかったので、配下はばらばらに散っていった。

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年齢・容姿:30年ほど前に、30歳で病死。容姿の記述はない。
生国:伊豆(いず)国加茂郡(かもこおり)地蔵堂村(静岡県田方郡中伊豆町地蔵堂)。
三河、遠江、駿河から江戸へかけてがテリトリーだったというから、現・岡崎市美合町地蔵も考えたが、江戸期には記録されていない地名なのであきらめた。
近江国犬上郡地蔵村(現・滋賀県彦根市地蔵)の彦根を池波さんはよく訪れているし愛してもいたから捨てがたかったが、テリトリーに遠すぎる。

探索の発端・結末:3代目が30歳で病死、一味を解散しているのでどちらもなし。

つぶやき:〔泥鰌〕の和助は、父親・留次郎の代から〔地蔵〕一味にいたという。なんだか、地方の中小企業に親子2代とも勤めているという、まことに日本的な奉公ぶりをみるおもいがする。

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2006.01.25

〔小鼠(こねずみ)〕の安兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻10に所載[犬神の権三]で、〔雨引(あまびき)〕の文五郎が、襲ってくるはずの〔犬神(いぬがみ)〕の権三郎を待ち受けるために、仮の宿を貸したのが、千住大橋の南詰、誓願寺(荒川区南千住6丁目)の脇で小さな桶屋をやっている安兵衛である。
(参照: 〔雨引〕の文五郎の項)
(参照: 〔犬神〕の権三郎の項)
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千住大橋左詰に誓願寺(『江戸名所図会』 塗り絵師:西尾 忠久)

盗人稼業から10年も前に足を洗っているから、本来ならば〔桶安(おけやす)〕と紹介すべきだが、本格派の首領〔西尾(にしお)〕の長兵衛と組んで---などと書かれているので、往時の「とおり名(呼び名)」の〔小鼠(ねずみ)〕の安兵衛でいきたい。
(参照: 〔西尾〕の長兵衛の項)

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年齢・容姿:70近い。小柄な細い躰をきびきびと動かして、食事の支度をする。
生国:遠江(とおとうみ)国長上郡(ながかみこおり)鼠野村(現・静岡県浜松市鼠野町)。
伊勢、尾張、三河あたりをテリトリーとした〔西尾〕の長兵衛と組んだとすると、遠江あたりがふさわしかろう。

探索の発端:筆頭与力・佐嶋忠介がせっかく捕らえた〔犬神〕の権三郎を牢破りさせたのが、密偵になってさほどに歳月が経っていない〔雨引〕の文五郎とわかるや、火盗改メは探索にとりかかった。
一方で、権三郎の行動を見張っている。

結末:権三郎は、いっしょに盗めたときの盗め金の金額をごまかしたのを文五郎が責めていると誤解したが、じつは、文五郎が牢破りをさせたのは、かつて病妻の面倒をみてもらった恩返しのつもりだった。
だから、権三郎を追った火盗改メが安兵衛の家を取り囲んだとき、短刀で胸を刺して自裁して果てた。
安兵衛の過去の詮索はなし。

つぶやき:この世は人と人の誤解でなりたっている---というのが、長谷川伸師譲りの池波さんの人生哲学でもある。だから、つぎつぎと小説が生まれる余地があるのだとも。
この篇は、それを主題にして重い物語に仕上げられている。

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2005.12.22

〔枝場(えだば)〕の甚蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻7の[雨乞い庄右衛門]、つまり題名にもなっている首領〔雨乞(あまご)い〕庄右衛門(58歳)は、巨盗〔夜兎〕角右衛門に仕込まれた本格派である。
(参照: 〔雨乞い〕庄右衛門の項)
(参照: 〔夜兎〕の角右衛門の項)
駿河の山奥の温泉湯治場「梅ヶ島」で療養しながらも、次の盗め先と狙いを定めている深川・熊井町の油問屋〔山崎屋〕へ、1年半前から下男(飯炊き)として〔枝場(えだば)〕の甚蔵を住み込ませている。

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年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:いろいろと地理書をあさったが、記載がなかった。「枝葉」のような軽い男のもじりかともおもい、『旧高旧領』を検索したが、やはりなかった。
庄右衛門の地縁で考えると、甲斐国か駿河国の富士川ぞいのどこかの村とおもえるのだが。
もっとも庄右衛門の湯治中に手配されているので、それをした参謀格の〔鷺田(さぎた)〕の半兵衛(60近い)の地縁でいうと、美濃国のどこかもありうる。
(参照: 〔鷺田〕の半兵衛の項)
いちおう、駿河(するが)国駿東郡(すんとうこおり)水土野村(現・静岡県御殿場市水土野)としておく。

探索の発端:〔枝場〕の甚蔵の探索ではなく、庄右衛門である。
自分でも快癒とおもうほどに回復したので、妾のお照の待つ江戸で一仕事すべく、東海道をくだっているとき、平塚宿で配下に殺されかかったのを岸井左馬之助に助けられた。
六郷の渡し舟で心臓発作をおこし、左馬之助の手の中で絶命した。そのいまわのきわに、妾・お照(20代の半ばすぎ)の住いを告げたのが、探索の発端となった。
(参照: 女賊お照の項)

:結末:捕縛された〔勘行(かんぎよう)〕の定七らが、責められて、引き込みの甚蔵の所在を白状におよんだはず。
(参照: 〔勘行〕の定七の項 )

つぶやき:「狙いを定めている深川・熊井町の油問屋〔山崎屋〕」とさりげなく書かれているが、2重の意味で、池波さんの凄さを感じる。
その1.熊井町のそばに「油堀」という名の堀がある。油屋があったための命名という。
その2.徳川期の前、油の特権を有していたのが、山崎の八幡宮であったと、司馬遼太郎さんの『国盗り物語』(新潮文庫)で知った。なんとも符号する屋号であることよ。

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2005.12.21

〔馬返(うまがえ)し〕の吉之助

『鬼平犯科帳』文庫巻13に収録の[一本眉]で、ノー天気な同心・木村忠吾に酒をおごってくれる、一本眉の男、じつは盗賊の首領〔清洲(きよす)〕の甚五郎のやっている煮売り酒屋〔次郎八〕の亭主が、〔馬返(うまがえ)し〕の吉之助である。もちろん、一味の盗人。帳場にすわって、あれこれと若い者を指図している。
(参照: 〔清洲〕の甚五郎の項)
酒屋の場所は、湯島天神裏門に近い。去年(寛政8年 1795)の夏ごろ開店したが、流行っている。女は置かないで若い者5人がきりまわしているのも珍しい。
452B
湯島天神(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

213

年齢・容姿:40男。おだやかそうな風采。
生国:駿河(するが)国駿東郡(すんとうこおり)水土野(現・静岡県御殿場市水土野)。
「馬返し」と呼ばれた土地は、日光市と富士山の山梨県側、長野県小県郡新張牧(みはりのまき)にもあるが、尾張出身の〔清洲〕の甚五郎との関係から御殿場を採った。

探索の発端と結末:〔清洲〕の甚五郎は、一味よりも一ト足さきに元飯田町の銘茶問屋〔栄寿軒・亀屋〕に押し入り、一家を惨殺した〔倉渕(くらぶち)〕の佐喜蔵一味を割り出し、その盗人宿---板橋の料理・貸し座敷〔岸屋〕を襲って制裁したので、逮捕も仕置きもない。
(参照: 〔倉渕〕の佐喜蔵の項)

しばらく江戸を去るにあたり、やってきた木村忠吾に酒をおごったうえに、5両の小遣いをわたしてやったが、忠吾は例によっていっかな気づかない。

つぶやき:この篇の事件は、寛政8年だから、史実の長谷川平蔵はその前年に病死しているが、そのことはいまはとわない。

湯島天神裏門に近い〔次郎八〕は、改装しなかった7,8年前の〔しんすけ〕がモデルのような気がする。改装後は、〔次郎八〕の雰囲気が失われた。江戸らしい飲み屋がつぎつぎに消えていく。惜しい。

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