« 〔下津川(しもつがわ)〕の万蔵 | トップページ | 〔灰谷(はいだに)〕の菊松 »

2005.05.16

〔蛇(くちなわ)〕の平十郎

『鬼平犯科帳』文庫巻2に収録の[蛇の眼]のタイトルは、互いに素性を知らないで出会った時の、互いの視線で相手を互いに察知しあったことを暗示している。
もっとも、タイトルの[蛇(くちなわ)]は、大盗・平十郎の〔通り名(呼び名)〕。したがって、タイトル全体から伝わってくるのは、蛇の眼のように冷たく残忍さをたたえた眼をもった男---の挙措である。

202

年齢・容姿:40がらみ。5尺(150センチ)にも足りない小男。才槌頭(さいづちあたま)。眼は細いが、上記したごとく、視線が一瞬、白く冷たく光ることがある。
生国:摂津(せっつ)国・大坂の西横堀本町の印判師の一人っ子。本名・与兵衛。
両親の愛を一身に受けて育ったために、「他人をゆるすことを知らず、他人を容(い)れることを知らず」で、負けること、ゆずることの嫌いな性格のまま大人になった。
父がの病死のあと、母親がほかの男と情を通じているのをゆるすことができなかった与兵衛は、鉈で2人を殺して逃げ、盗みの世界へ入り、盗人としては平十郎を名乗った。

探索の発端:鬼平と平十郎が出会ったのは寛政3年(1791)初夏で、本所・源兵衛橋ぎわの蕎麦屋〔さなだや〕において。
そこで冒頭に記したような視線を交わしあい、鬼平のほうは(油断のならぬ怪しい奴)としかおもわなかったが、平十郎は相手を鬼の平蔵と察知した。
日本橋・高砂町で〔印判師・井口与兵衛〕の看板をあげている〔蛇〕の平十郎は、浜町堀をはさんで斜向(はすむか)いの道有屋敷の金蔵を狙っていた。
配下は、、本所・成願寺裏の百姓家に住む、以前は飯倉の唐物屋〔白玉堂(はくぎょくどう)〕の主人だった紋蔵。
(参照: 〔白玉堂〕紋蔵の項)
志度呂(しどろ)の金助(35歳)
片波(かたなみ)の伊平次(40歳)
(参照: 〔片波〕の伊平次の項)
駒場(こんまば)の宗六(30歳)
(参照: 〔駒場)の宗六の項
鶉(うずら)の福太郎(25歳)
(参照: 〔鶉〕の福太郎の項)
それと、農夫のふりをしている本所の百姓家の主。
これより前の事件---文庫巻1に所載の[座頭と猿]で逃げ隠れていた座頭・彦の市が女に会いに現われて逮捕され、〔蛇(くちなわ)〕一味の盗人宿が相州・小田原宿の北の部落・上之尾にあることを白状した。

結末:上之尾へ馬で急行、待ち構えていた鬼平以下の火盗改メに、全員逮捕、死罪。
平十郎だけは過去の残虐な所業もふくめて、市中引き回しのうえ火刑。

つぶやき:30歳代の池波さんが、長谷川平蔵という幕臣に興味をもち、長谷川伸師の書庫などで資料をあれこれ探していることを知った長谷川伸師が、のちにテレビ版『鬼平犯科帳』や舞台・映画をプロデュースした故・市川久夫さんに、「池波が長谷川平蔵のことを調べているよ」と告げたと、市川さんのエッセイにある。

資料調べは難航していたようで、明治22年の『江戸会誌』6月号で「長谷川平蔵の逸事」に書かれた「幹事の才あり」で、人物像の具体化の端緒をやっとつかみえたようである。
幹事とは、人びとの「長」の意である。

『鬼平犯科帳』の構想としてはそれでも、巻1[唖の十蔵]のように同心・与力を主人公に据えるか、同[血頭の丹兵衛][老盗の夢][座等と猿]や、巻2のこの篇[蛇(くちなわ)の眼]のように盗人を主人公にして物語を構成するつもりだったと見る。

「幹事の才あり」を換骨奪胎して池波流の長谷川平蔵を造形・主人公に据えるようになったのは、、『鬼平犯科帳』のテレビ化の話が具体化してきていた、巻3[盗法秘伝]あたりからと推察する。

|

« 〔下津川(しもつがわ)〕の万蔵 | トップページ | 〔灰谷(はいだに)〕の菊松 »

126大阪府 」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 〔下津川(しもつがわ)〕の万蔵 | トップページ | 〔灰谷(はいだに)〕の菊松 »