カテゴリー「002長谷川平蔵の妻・久栄」の記事

2010.07.27

次女・清(きよ)

安永5年(1776)の長谷川家の慶事といえば、桜花が終わるころに、次女・(きよ)が誕生したことであろう。

産事は辰蔵(たつぞう 7歳)、長女・(はつ)のときのように、久栄(ひさえ 24歳)が実家、和泉橋通りの大橋家へ帰って果たした。

久栄はいつもそうなのだが、21日目の宮参りの前日に、三ッ目の長谷川邸へ戻ってきた。
産道がまだ本復していないのに、平蔵(へいぞう 31歳)に求められると拒めないとおもっているからである。

辰蔵の産辱についていたときに見舞いにき、手をにぎり、
「苦労であった。礼をいうぞ。ところで、まだ、帰れぬか?」
これが、なんと、7日目のことであった。

もっとも、平蔵(当時は銕三郎 てつさぶろう)は一人っ子で育ったため、産婦を見たことがなかったせいもあった。
平蔵の精力の強さからいって、久栄の要心は当然ともいえた。

長谷川邸へ戻ってきた久栄は、夫の変化を瞬時に察した。
もちろん、里貴(りき 32歳)が紀州へ帰ってしまったことは知らなかった。

「外遊びは、おしまいになりましたか?」
「わかるか?」
「私は、あなたさまの妻で ございますよ」
「そうだな。お前はいいおんなだ」
笑って、久栄はそれきり追求しなかった。
家庭をかえりみなくなる平蔵とは、おもっていなかったせいもあった。

平蔵ほどの男を、おんなたちが放っておいてくれるとは.おもっていなかったから、終わるのを待っていればいいと、悋気(りんき)を抑えてはいたが、寂しくなかったといえば嘘になる。

盟友の浅野大学長貞(ながさだ 30歳 500石)のところの於四賀(しが 23歳)が初産(ういざん)で男子を産んんでいた。
久次郎(きゅうじろう)とつけた」
「長男なのに、どうして次郎なのだ?」
四賀の実家の諏訪家方がそのようなしきたりらしいのだ。次郎としておくと、悪疫のほうが太郎がいるとおもい、次郎をみのがすというのだ」

「悪疫からの目こぼしなら、八郎とか十郎のほうがもっと効きそうなものだが--」
「どうせ元服するときには改名するのだから、実家のいうとおりにしておいた」
「いや、つい、口がすべった。許せ。なにはともあれ、長子の誕生はめでたい。〔貴志〕は店を閉めたが、別のところでよければ、祝杯をあげようか」
「いいな」
長野(佐左衛門孝祖 たかのり 31歳 600俵)にも声をかけてみよう」

当初は、お(くめ 35歳)が女中頭をしている薬研堀不動前の料亭〔草加屋〕とおもったが、〔蓑火(みのひ)〕の一件が女将・お新(しん 33歳)の口からぽろりとでもこぼれたら、詭計がばれないともかぎらない。
とくに浅野長貞は〔志貴〕の里貴がお気にいりであった。
に、里貴の色気を求めるのは無理というものである。

それで、女将の色気を主眼において、深川・高橋(たかばし)北詰の西側横丁の小料理屋〔蓮の葉(はすのは)〕に決めた。
〔蓮の葉〕の女将・お(はす 31歳)なら、里貴とはちがう雌獣のようでいて、下品さのない色気を発散する。

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(小料理〔蓮の葉〕)下は小名木川 ↑北
池波さん愛用の近江屋板)

ただ、市ヶ谷牛小屋の浅野邸からも本郷元町の長野邸からもいささかへだたっていることが気になったが、帰りは駕篭か小舟で送ればいい。

前もって、連れの2人は気のおけない盟友であるから、とりたてての料理を出すことはない、と告げてあった。
頬のこけたほうの長野は、昨年、情人とそのおんなが産んだ赤子をうしない、厭世気分におちいっているから、気を引きたててやってほしいとも、おへの結び文をもたせてあった。

参照】2010年4月8日[長野佐左衛門孝祖(たかのり)] (5)
2010年5月13日[長野佐左衛門孝祖(たかのり)の悲嘆] 

そういう沈滞なら、大学長貞にもあった。

参照】2010年5月17日~[浅野大学長貞(ながさだ)の憂鬱] () () (

おんなの20代には性の炎が発火を待っており、男の30歳前後には、避けることができない家族のわずらわしさがのしかかってくるということであろうか。


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2010.04.17

久栄の懐妊

「身ごもったようです」
夕餉(ゆうげ)のとき、久栄(ひさえ 22歳)がうちあけた。

辰蔵(たつぞう 5歳)、(はつ 2歳)につづく3度目の孕(はら)みなので、あっさりした口調であった。
「生まれるのは?」
「月のものが停まったのがこの月の初めですから、来年の夏ごろかと。近く、とりあげ婆さまのところで診(み)てもらいます」
「なにはともあれ、めでたい」
「猫腹だとおっしゃられるかと、おもっていました」

「なにをいう---子は多いほどよい」
そう答えてから平蔵(へいぞう 29歳)は、30人兄弟姉妹で、おんなの10番目と自嘲ぎみにいった菅沼家の後家・於津弥(つや 35歳)が、暗夜の階段の踊り場でもたれかかってきた重い躰の感触をおもいだした。
(なんということだ、おもいだすにもこと欠いて---今夜あたり、久栄を寝間へ招いておくか)

辰蔵---と、男、おんな、ときましたから、こんどは男かとおもわれます」
「その男とおんなが、いまのところ、無事に育っているのだから、つぎはどちらでもいい」
「いいえ。わたくしの顔つきがきつくなったから、男でございましょうと、有羽(ゆう 40歳)が太鼓判をおしてくれました」

有羽は、平蔵の母・(たえ 49歳)づきの小間使いである。
16歳のときから長谷川家に奉公にあがり、そのまま嫁にもいかず、屋敷のなかのこまごましたことの片づけにあたっていた。

いまは、暇をみては、辰蔵のしつけにあたっていた。
「七代さまは、こうなさいました」
「備中守さまは、こうでした」
口ぐせであった。

〔七代さま〕である宣雄(のぶお 享年55歳)が、なんども縁談話をもちかけたが、
「お屋敷においてくださいませ」
首を縦にふらなかった。
少女時代に、よほどに辛いおもいをしたのであろう。

京都で病床についた宣雄が、銕三郎を枕頭に呼び、
「江戸の留守宅をとともに守ってくれている有羽は、かんがえてみると、長谷川家におんなの一生をささげたようなものだ。終生、気にかけてやれ」
言いのこした。

平蔵は、おどけて、
「子を産んだことにない有羽に、腹の中の子が男かおんなか、いいあてられるわけはない」
笑いとばしたが、よけいなことを口にしたと、しばらく後味が苦かった。

久栄の面相がきつくなっているのは、腹の子が男の子だからではなく、おれの所業が気にくわないからだ)
これも、口にしてはいけない。
うっかり言うと、溜めていた不満が一気にふきだすことは目に見えていた。

風が雨戸をたたきはじめたころ、桃色の寝衣に着替えた久栄が、足音もたてずに、するりと横に入った。
顔を平蔵の胸にくっつけ、しばらくふるえていたが、腰紐を抜き、寝衣の前をひらいた。

ちゅうすけ注】このとき懐妊していた子が、『鬼平犯科帳』巻10[追跡]で、辰蔵からへそくりをせびられる次女・(きよ 15歳)である。

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2009.10.02

姫始め(4) 

「吉報をお待ちしております」
銕三郎(てつさぶろう 明けて28歳)は、香具師(やし)の元締・〔左阿弥(さあみ)〕の円造(えんぞう 60すぎ)にあいさつをして立つと、2代目・角兵衛(かくべえ 42歳)が門口まで送ってきた。

長谷川さま。父にええ仕事をつくってもろて、ありがとおした。父も若返りますやろ」
「それほどにご執心ですか?」
「色ごころ抜きで、孫みたいに気ィをつこうてあげとりますのんで」
「それは上々」
「ところで、代人料ですが---」
「あちこちへ支払いをすますと、のこるの3両(48万円)です。その半分、1両2分(24万円)ではどうでしょう?」

参照】2009年8月30日[化粧(けわい)指南師お勝] (

「板ごとにでおますか?」
「そのつもりです」
「ありがとさんです」
月に3板刷るとう4両2分(72万円)である。
角兵衛は、父親へ報せるために、いそいそと引き返していった。
香具師のあがりはもっと大きかろうし、お披露目枠の扱い代だって3板なら6両(98万円)はいるのに、自分たちの腹が痛まない話なので、1板ごとに1両2分でもうまい話におもえるのであろう。

茶店〔千際(せんざい)〕は、お(とよ 明けて25歳)がいったとおり、表戸をおろしていた。
くぐり戸をコツコツとたたくと、すぐに開いて、おが顔をのぞかせた。

なんと、洗い髪を巻いている。
「どうした。さっきはきれいに結っていたで゜はないか」
銕三郎の手をとって引っぱりこみ、
「髪油の匂いが(てつ)さまの肌にのこっては、奥方にしれますでしょ」
「正月早々、そのおねだりか」
「お年玉をいただくのです」
「姫始め」
「はい」

湯もちゃんとわかしてあった。

あがるとき、閉じぶたを浮かす。
「こうしておくと、匂いおとしにおつかいになるとき、湯がさめていないのです」
(ずいぶん、馴れているな)
ちょっと不審におもったが、いわなかった。

終わって浴びてみると、おの言葉どおりであった。
「湯冷(ざ)めにお気をおつけになって」
見送られ、底冷えのする暗い街並みを急ぎ足で役宅へ帰りついたのは、六ッ半(午後7時)すぎであった。

書院では、久栄(ひさえ 明けて21歳)が、舅(しゅうと)・備中巣守宣雄(のぶお 55歳)の肩をもんでいた。
宣雄は、あいさつ廻りでくたびれきったのか、うつらうつらしている。
久栄が唇に指をあて、帰宅のあいさつをいうなと合図した。

自分たちにあたえられている部屋の隣室では、辰蔵(たつぞう 4歳)がすでに眠りこけていた。
部屋には床がのべてあった。
着替えていると、久栄がはいってきて、銕三郎の着物・袴を手ばやくたたみ、さっと帯をほどき、着物は衣紋かけになげるようにかけ、寝衣の腰紐もむすばないで床へはいった。

銕三郎が横にならぶと、
松造(jまつぞう 明けて22歳)をお連れくださいね。そうでないと、連絡(つなぎ)がつきませぬ」
「なにかあったのか?」
「舅どのの、新しい召使いを、浦部(与力 明けて51歳)どのがお連れになりました。あなたさまのお目にかなうかと心配しておいででした」
「おれの召使いではないのだから、父上がよければそれでいいのだ」
「いいえ。浦部どのは、舅どのは好き嫌い口になさらないからと---」

「その話は、あすでいい」
のばした手をまたではさみ、
「冷たい。あったまるまで、こうしていてください」
「姫初めだ。指があいさつをしたがっておる」
「きょう、あいさつをしてきたおなご衆のことを吐くまで、なりませぬ」
「ばか」
久栄が股をひらいた。


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[姫始め] () () (

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2009.10.01

姫始め(3)

「板元(はんもと)の名代(みょうだい)---」
銕三郎(てつさぶろう 明けて28歳)がぜんぶ言い終わらないうちに、〔左阿弥(さあみ)〕の2代目・角兵衛(かくべえ 明けて42歳)が、
「それでしたら、先日おすすめした祇園社の---」

長谷川さまのお話をぜえんぶお聞きしたあとで、おまはんの案をいうたらええ」
円造(えんぞう 60がらみ)が゜、ぴしゃりと釘をさした。

「2代目さんが申された、祇園社の鳥居内の〔藤屋〕さんも悪くはないのですが、この際、商い人(あきないびと)は避けたほうがよろしいとおもいまして---」
「なんぞ、不都合でも?」
角兵衛が訊いた。

銕三郎の説明は、理にかなっていた。
〔化粧(けわい)読みうり〕は、煎じつめれば、お披露目引き札(広告チラシ)である。
お披露目は、ちょっとのものを大げさにふくらませていうことがないではない。
そこのところを世間には、〔千三ッ屋〕と極論する者もいる。
千に三ッしか真がない---ということらしい、

しかし、泰平がつづいている当今、物の売り買いがさかんになり、商いが繁盛している。
物には、質がピンからキリまであるが、ピンの物がかならずしも評判をとるとはかぎらない。
評判は、風評で上下する。
大切なのは風評である。
風評をきめるのは、人の口端(くちは)によることも大きいが、お披露目だって隅におけない。

「全部がそうだというのではないが、商人は、利にさとい。いえ、そのことをとやかくいうのではありませぬ。しかし、ことの実を伝えるはずの読み売りの板元が、商人とわかると、信が薄れましょう」
「なるほど、もっともや」
円造が賛意を示した。
2代目・角兵衛もうなずく。

「板元には、人びとが信を置く人がよろしいとおもうのです」
「たとえば?」
「手習い所---上方では、寺子屋と申しましたな、そこのお師匠とか、寺のご住職とか---」
「奉行所のお奉行はんとか?」
「いえ。幕臣は脇職を禁じられております」

「祇園社の執行(しぎょう)はんとか?」
「お引きうけくださいますか?」
「むずかしおすな」

「そうや、誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに)はんはどないやろ?」
「さすがは元締、ええとこに気ィがつきはらはった。名案どす」

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(赤○=誠心院 右から2堂目:蛸薬師 『都名所図会』)

角兵衛銕三郎に解説した。

誠心院(中京区京極六角下ル東側)は、蛸薬師(現・中京区蛸薬師上ル)の北にあり、和泉式部が剃髪して住んだといわれている寺で、貞妙尼は2年ほど前に武家の夫を亡くし、まだ23歳やいうのに仏道にはいってしまったのだと。
浪人だった夫は、祇園社の境内で蝦蟇(がま)の油を売っており、〔左阿弥〕一家と顔見知りであった。

「〔化粧(けわい)読みうり〕の板元代人料のいくばくかでも入れば、お布施のたしになりまひょ」
話は、円造自らがつけに行くという力の入れようであった。
「誠心院はんへお布施がいくんなら、月に4度の板行にしたかて、かめしまへん」
2代目も張り切った。
「ということは、貞妙尼さん、よほどの美人のようですな」
銕三郎は、図星をいいあてたようであった。

蛸薬師通りには、盗賊・〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 明けて53歳)の妾・お(きち 明けて37歳)と息・又太郎(またたろう 明けて15歳)などか住んでいる家があることは、いう必要もないので、黙っていた。


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[姫始め] () ()  (

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2009.09.30

姫始め(2)

「木を隠すには、森に置く」
(りょう 享年33歳)が、生前に言った。

「人を潜めるには、人ごみにまぎれさせる」
銕三郎(てつさぶろう 明けて28歳)がつぶやいた。

すれちがった男が、怪訝な視線をくれたが、銕三郎は意にかいさない。
賀茂(かも 33すぎ)母子がひそんでいるのは、京のまん真ん中かもしれない。
あるいは、伏見か。

昨年の12月のはじめ、東町奉行所の町廻り同心・加賀美千蔵(せんぞう 30歳)とともに、荒神河原に近い太物扱い〔荒神屋〕を改めて逃げられたとき、舟で賀茂川をさかのぼって逃げたと、銕三郎は推察した。

参照】2009年9月17日~[同心・加賀美千蔵]() (

加賀美同心たちの目をくらますために、川上へ避難したことはまちがいない。
しばらく刻(とき)をかせいで、川下の南へ漕ぎついて隠れたろう。
そのときには、丑三(うしぞう 40がらみ)とその女房らしいおんなは降り、舟に乗っていたのは、お賀茂とややであったか。

銕三郎は、舌打ちをして四条大橋を東へわたった。

祇園社は、初詣での人でごったがえしていた。
拝殿で賽銭をなげ入れ、家族の安寧を祈念し、とりわけ、父・宣雄(のぶお 45歳)の健康を長く願ったのは虫の報せであったかも。

雑踏をよけて北門から東へぬけると、〔千歳(ちとせ)〕が店をあけていた。
晴れ着の参詣帰りの客で満席らしい。

銕三郎の姿を認めたお(とよ 明けて25歳)がすばやく寄ってき、
「七ッ(午後4時)には店をi閉めておきます」
耳元でささやいて、客席へ去った。
(なぜ、かせぎ刻に店を閉めるのだろう。まさか、おれのためとは思えないが---

祇園一帯の香具師(やし)の元締・〔左阿弥(さあみ)〕の家を訪ねると、2代目・角兵衛(かくぺえ 明けて42歳)があわてて出迎え、
「こっちからお年賀にうかがわななりまへんのに、商(あきな)いびらきにとりまぎれ、かんにんしておくれやす」
恐縮しながら、奥へ通した。

奥座敷では、長火鉢の向こうの円造(えんぞう 60すぎ)が、肉づきのいい頬をゆるめて迎えた。
が、えらい、知恵習いをさせてもろうて、ありがとさんです。お屠蘇(とそ)を召しあがりはりますか?」

見ると、円造が手にしているのは茶であった。
「元締さんは?」
「暮れ六ッまでは、盃を手にせえへんことにきめとりますのや。家にこうしていることが多うおますよって、呑みぐせがついたら、どもなりまへんよって」
「では、拙も、見習って---」
「そうどすか。では、おぶうを---」

円造は、化粧(けわい)読みうりの思いつきを誉めにほめた。
「ものをやりとりせんと、口先だけでおたからがはいるいう術(て)があるのんは、この齢まで気ィがつきまへんどした。には、ええ学問どした」


角兵衛は、父親の前でかしこまっている。
「じつは、正月早々、そのことでご相談に伺いました」
「なんぞ、不調法でも?」
角兵衛が心配げな眼差しを向けた。

「そうではありませぬ」
銕三郎は、いそいで笑顔をつくり、
「先日、板元の名代(みょうだい)のことをお話しになりました」


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[姫始め] () () (

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2009.09.29

姫始め

賀茂川土手を川下に向かってあるきながら、銕三郎(てつさぶろう 明けて28歳)に、お(かつ 明けて32歳)が言った、
「姫始めですよ。それとも、奥方となさるお約束ですか?」
にこだわっていた。
(そうだな。久栄(ひさえ 21歳)の姫始め---を、な)

河原では、子どもたちが凧をあげている。
悠々と空にとまっているのもあれば、くるくるとまわりながら落ちていくのもある。

(しかし、なんだな。姫始めというのは、2様に解釈できるな。おんながその年初めて男のものを迎えることをいっているようでもあるし、男がその年に初めて秘女(ひめ)に接するという意味にもとれる)

銕三郎は、〔孔雀(くじゃく)〕という言葉をおもいだした。
正月用に結いあげた髪をくずさないように、おんなが裾をひろげて上位になるのだと。
〔孔雀〕といえば、お(りょう 30歳=当時)が、掛川城下の川が見下ろせる貸し座敷で、裾を割って銕三郎の太股にまたがって秘部をあわせ、
「これが孔雀です」
と教えてくれた。

参照】2009年1月24日[銕三郎、掛川城下で] (

(そういえば、齢上のおなごに、いろいろと教わった)

14歳のときに、お芙沙(ふさ 25歳)。

参照】2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙佐(ふさ)]

19歳のときの芦ノ湯の阿記(23歳)

参照】20081月1日~[与詩(よし)を迎に] (12) (13) (14) 

22歳では、お(なか 33歳)。

参照】2008年8月7日~[〔梅川〕の仲居・お松] () () 
2008年8月14日~[〔橘屋〕のお仲] () ()  

そして、23歳のときからのお(りょう 29歳)。

参照】2008年11月17日[宣雄の同僚・先手組頭] (8

27歳になって、お

参照】2009年8月5日][お勝、潜入] (

齢下といったら、久栄は別として、21歳のときに18歳のお(しず)。

参照】2008年6月2日[お静という女〕 (

ここ、27歳でのお豊(とよ 24歳)だが、あのしたたかさは齢下といえるのかな。

参照】2009年7月29日[〔千歳(せんざい)〕のお豊] (10

(なぜに、新年早々から、なぜ、性歴なんぞを繰っているのだ、おれは---)
とはいえ、おとこにとっては、大事な功名手柄でもある。

銕三郎は、おもった。
(省みると、どのときも、もののはずみであったような---どうも、おれは、もののはずみに弱い。しかし、もののはずみがなければ、男とおんなのあいだ柄は、前にすすむものではない)

そういえば、銕三郎の誕生だって、父・宣雄(のぶお 26歳=当時)と、知行地の一つ・上総(かずさ)国武射郡(むしゃこおり)寺崎村の村長(むらおさ)・戸村のむすめだった妙(たえ 19歳=当時)のはずみの結実だったともいえる。

は、宣雄が家督しても正妻というの公式の座を求めず、陰の奥方として、この22年間、すごしてきた。

銕三郎久栄とのなれそめも、5年前、府中(甲府)への途中、深大寺へ寄り道し、掏られて困っていた久栄主従に、はずみで、つい声をかけたことからは始まった。

参照】2008年9月8日[中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう)] (

(あのとき、おれは、〔中畑〕のお竜に興をそそられ、府中を訪ねるべく、甲州街道を歩いていたのであ
った)

中畑村の村長・庄左衛門(しょうざえもん 55歳=当時)に、おが『孫子』を学んでいたと教えられた。

参照】2008年9月13日~[中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう)] () (

(人が身をひそめるとき、おは、どうすると言った?)
「木を隠すなら、森へ置く」

お(賀茂が身を隠すとしたら---)

銕三郎は双眸(りょうめ)をほそめて、三条大橋の西側にひろがるのいらかを瞶(みつめ)た。


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[姫始め] () () (
 

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2009.03.18

久栄のおめでた(4)

「若奥方さま。ようこそ、おわたりくださいました」
雑司ヶ谷の料理茶屋〔橘屋〕の主人・忠兵衛(50歳すぎ)は、豊頬に笑みをみせて、久栄(ひさえ 17歳)にあいさつした。

なんと、1年前まで、お(なか 34才=当時)の宿直(とのい)の夜ごとに、銕三郎(てつさぶろう 23歳=当時)が泊まりにきていた部屋である。
(忘れろ、というこころづかいかな)
銕三郎は、そっと忠兵衛の顔色をうかがうが、かれはそしらぬ顔で、久栄にやさしげな目を向けている。
その忠兵衛の斜めうしろには、女中頭・お(えい 37歳)が静かにひかえている。

「婚儀のお祝いもの、かたじけなく---と、篤く述べるようにと、父上からくれぐれもいいつかっております」
久栄が、武家育ちらしく、かしこまった口調で礼を述べる。
こういうときの久栄は、17歳の新妻とはとてもおもえない、しっかりした言葉づかいである。

「とんでもないことでございます。長谷川さまとは兄弟同然のあいだがらゆえ、謝辞などにはおよびません。こんごとも、叔父の家とおぼしめして、しっかりとおわたりくださいますよう---」
忠兵衛は、細い目をいっそう細めて、久栄にそそぐ。

そこへ、お(ゆき 24歳)が折敷(おしき)に伊勢えびの剥き身を運んできた。
「若奥方さまが、お悪阻(つわり)はまだ、とうかがっており、帳場が、酢のものを多めに調理させていたしたようでございます」
が口をそえる。
(危ない。おが口をすべらせなければいいが---)
銕三郎の懸念をよそに、おは2人に配膳すると、そしらぬ表情で引きさがる。

参照】2008年10月11日[お勝というおんな] (
2008年10月22日[〔橘屋〕のお雪] (

久栄が箸をおろすと、忠兵衛は、それをしおに引きさがった。
あとは、無難に、おが応酬する。

食事が終わったころあいに、忠兵衛があらわれ、銕三郎を離れの外へいざなった。
「あの部屋でお寝(やす)みいただくのもはばかられますので、手前の家に寝所を用意いたしました」
「ご配慮をどうも。ところで亭主どまの。おとのこと、久栄に告げて、さっぱりしたほうがよろしいかとも---?」
「なりませぬ。そのために、この離れを用意いたしました。おとのことは、夢のなかでのあだなしごととお割り切りなさいまし」

参照】2008年8月14日~[〔橘屋〕のお仲] () (
2008年12月29日[〔橘屋〕の忠兵衛] () 

忠兵衛は、女房に浮気の現場へ踏み込まれ、上布団をはがれた亭主の科白---
「しっかり見さだめろ。まだ、半分しか入っておらん」
それで女房は、悋気と勘気をおさめたという笑い話を引き、
「山の神どのというのは、しらなければしらないで安心しているものなのですよ」
世慣れた男としての教訓をたれた。

その夜。
〔橘屋〕から、忠兵衛の提灯にみちびかれた2人は、鬼子母神の裏手ぞいに忠兵衛の屋敷の、布団が並んで敷かれた客間へ案内された。

「今夜はひかえよう」
用意されていた寝着に着替えて横になるとき、銕三郎が久栄の耳もとでささやく。
「はい」

おとなしく自分のふとんにはいった久栄が、すぐに銕三郎の横へ入ってき、その手をとって腹へたくりり寄せ、
「ほら、ややがご馳走によろこんでいます」
銕三郎の指は、蜘蛛が這うようにもぞもぞと、もっと下へ移っていった。

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2009.03.17

久栄のおめでた(3)

一の鳥居の手前で、久栄(ひさえ 17歳)が駕籠を降りた。
片手で腹をおさえながら、もう一方の手を横へのばして伸びをする。

そのあいだ、銕三郎(てつさぶろう 24歳)は、〔橘屋〕の知った顔の座敷女中に出会わないかと、あたりに気くばりながら、
「ややに、変わりはないか?」
久栄へ、いたわりの言葉をかけることを忘れない。
母・(たえ 44歳)から、動揺と冷えがお腹(なか)の赤ん坊によくないと、きつくいましめられたのである。

参道の欅は、早くも、半分ちかくの葉が色を変えはじめていた。
旬日のうちに、参道ぞいの酒肉店(りょうりや)は、大量の落ち葉の掃除に、毎朝、おわれるであろう。

鬼子母神(きしもじん)は、子授け、安産、子育ての功徳がいわれているインドの女神である。
この女神から生まれたのが、美と繁栄の吉祥天(きっしょうてん)といわている。
その下を行き来している参詣者は、さすがに女性が多い。

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(鬼子母神と法明寺(右上方) 『江戸名所図会』
塗り絵師:ちゅうすけ)

参道の右側には、茶店や食べ物屋が軒をつらねている。
10月8日13日までの会式(えしき)には、こんな人出ではすまない。
堂内には、大がかりな機械(からくり)を仕掛けて人寄せをし、そのさまは、

 群集して、稲麻のごとし。

とものの本に書かれている。

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(10月の会式 『江戸名所図会』塗り絵師:ちゅうすけ)

鬼子母神を祀っているのは、日蓮宗の寺院が多い。
雑司ヶ谷の鬼子母神堂も、日蓮宗の法明寺の子院である。
住職は、ふだんは、法明寺に住持している。

しかし、町飛脚便で銕三郎・久栄の参詣をこころえた〔橘屋〕忠兵衛が、法明寺へ布施したとみえて、寺僧が待っていた。
身の丈5寸ほどの本尊の前で安産祈願の経をあげた。
銕三郎には、

 「もし、人、天の中に生まれれば、勝妙の楽を浮け、もし、仏前にあらば、蓮華のなかに化生せん」

という箇所だけが聞きとれた。

ついてに記しておくと、長谷川家の香華寺・戒行寺も日蓮宗である。
戒行寺の本山は、身延の久遠寺と、ものの本にある。

座敷で茶をすすめられた。
境内の樹齢500年以上という子授け銀杏(いちょう)の太幹を、深夜、人目をさけて抱き、題目をとなえると子がさずかるとの奇縁を話したあと、寺僧は、
「奥方さまは、すでにお子が授かっておられますから---」
と笑った。

_100退去ぎわに寺僧は、お守りを久栄に渡し、帯締にでもさげておくようにとの言葉をそえた。
写真のお守りは、いまのものであるが、鬼子母神の「鬼」の字を形づくっている上の「田」に角(つの)のようについている「ノ」がない。
「仏に角はございませぬ」
と、いまの法明寺の住持・近江師に教わった。

ただ、都内にのこっている唯一の市電の駅「鬼子母神」は「鬼」の字のままである。
切符の印刷など、すべてから「ノ」を取り去るには、億という額を要するゆえ、手つかずのままのこしてあるとも。

一の鳥居の編額からは「ノ」が除かれている。

参照】〔〔白峰(しらみね)〕の太四郎の項
〔掘切(ほりきり)〕の次郎助の項

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2009.03.16

久栄のおめでた(2)

(てつ)さま。お願いがございます」
久栄(ひさえ 17歳)があらたまって、夫・銕三郎(てつさぶろう 24歳)の前に三つ指をついた。

「冬の着物でもほしくなったかな」
「いいえ。ややが無事に生まれますように、雑司ヶ谷の鬼子母神(きしもじん)さまへお連れいただきたいのです」
「鬼子母神は、雑司ヶ谷までゆかずとも、入谷(いりや)にもあるが---」

銕三郎としては、鬼子母神の隣の料理茶屋〔橘屋〕の座敷で、座敷女中をしていたお(なか)の宿直(とのい)の夜を、一年以上も合歓(ごうかん)していたこともあり、そこへ久栄と参詣に行くのは、なんともはばかられた。

「お母上にご相談したら、〔橘屋〕のご亭主・忠兵衛どのへ頼めば、夕餉(ゆうげ)のあと、一泊くらいは計らってもらえるとか、おすすめくださいました」
「母上が、さように---?」
「はい。お料理が、ぜいたくだけれど、たいへんにおいしいとも、おすすめいただきました」
「うむ。考えておこう」
「悪阻(つわり)がはじまらぬ前がいいとも、おっしゃいました」
「それもそうだな。悪阻では、せっかくの料理が胃の腑に納まらなくなる。では、明日にでも、忠兵衛どのへ、便をつかわそう」
「うれしゅうございます。2人きりの外での夜は、寺嶋村のあの家以来---」

けっきょく、銕三郎久栄に押し切られた。
(いくらなんでも、母者(ははじゃ)は、おれがおと睦んでいたことまでは、洩らしておられまい)

そういえば、おに仕込まれた性戯を、まだ、ほんの2,3しか、久栄に与えていない。
夫婦(めおと)の床技は、小出しにほどこしていても、妻のほうが快楽のむさぼり方を自然に会得してしまうもの、とおの忠告を守ってきた。

その日がきた。
父・宣雄(のぶお 51歳)が贔屓にしている菊川橋のたもとの船宿〔あけぼの〕から舟を頼んだ。
横川から小名木川へ出、高橋(たかばし)をくぐると大川。

_130は〔橘屋〕の座敷名である(そのときは、まだ、お 33歳)で、南本所・弥勒寺の塔頭(たっちゅう)・竜光院前の五間堀から舟にのった。
刺客の目をさえぎるために、おは夜鷹ふうに手拭いをかむっていた。(歌麿『寄辻君恋』 お留のイメージ)


_130_2武家の初々しい新造らしい薄紅色の揚げ帽子が、久栄にはよく似合っている。(清長 久栄のイメージ)

大川から日本橋川へはいり、江戸橋、日本橋をくぐっても、久栄は端然と銕三郎の顔をみつめていて、左右に眸(め)を散らさない。
銕三郎も、過去の連想を断ち切っていた。
一石橋、常盤橋、神田橋、一橋橋、俎板(まないた)橋でも、久栄のその姿勢は変わらなかった。

ちゅうすけとしても、気がひけるのだが、おの名を出したてまえ、2年前の参照ファイルだけは引いておく。
参照】2008年8月6日~[〔梅川〕の仲居・お松] () () (

江戸川橋のたもと桜木町で舟を降りたが、久栄は船酔いもしていなかった。
音羽町9丁目の角の駕籠屋で久栄が乗ると、勢いよく、目白坂をのぼってゆく。

のぼりきったところの右手が、先手・弓の2番手の組屋敷である。
奥田山城守さま組方衆の組屋敷でございましょう?」
駕籠の中から、声をだした。
「さよう」
応えたものの、
(いつのまに、奥田山城守忠祇(ただまさ 67歳 300俵)どののことを、どのようにして探索したのものか。これでは、もしかすると、〔橘屋〕でのおとのあいだのことも調べつくしているのかもしれないぞ)

銕三郎の思惑を読んだように、久栄が言った。
奥田さまは、舅(しゅうと)どのとご同役でございます。失礼があってはなりませぬゆえ、実家(さと)の父に、弓組の組頭衆のあれこれを教わりましたのです」

行く手に鬼子母神の森が見えてくると、銕三郎の緊張はいよいよ高まった。

参照】2008年8月14日[〔橘屋〕のお仲] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)

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2009.03.15

久栄のおめでた

(てつ)どの。久栄さんは、もしやして、おめでたではないのかえ?」
母・(たえ 44歳)が、私塾・学而(がくじ)塾へ出かけるために、離れから内庭を抜けようとした銕三郎(てつさぶろう 24歳 のちの鬼平)を呼び止めた。

久栄(ひさえ 17歳)は、嫁してきて3ヶ月がすぎ、夜中、灯(あ)かりなしでも手さぐりをしないで厠へ行けるようになっていた。

「あ。そういえば---」
「そういえば、って、月のものは---」
「ですから、それがないので、毎夜---」
「あきれたこと。月のものが止まれば、ややができたに決まっているでしょう」
「むすめのころ、ないこともあったと言うものですから---」
「いつからない---いえ、それは久栄の口から聞きましょう」

そういうことで、長谷川家では、その晩、赤飯を炊いて、おめでたを祝った。
父・宣雄(のぶお 51歳)も、わざわざ、
「祝いの膳ゆえ、奥も、久栄もともに---」
と、膳を書院へ運ばせた。

久栄。丈夫な子を、たのむぞ」
「明日から、2,3日、お実家(さと)帰りをなされては?」
も、久栄の躰をいたわるように言った。

「ありがとうございます。しかし、実家へは帰りとうはございませぬ。このまま、さまといてはなりませぬか」
「ならぬということはありませぬが、ややの腰が定まるまで 夜のことは控えぎみになされませぬと---」
「お母上が、さまをお身ごもりなりましたときも、実家へお渡りになりましたのでございますか?」

は、軽く笑いにごまかしながら、
どのが宿ったのは、実家にいたときです。殿さまが、知行地の一つである寺崎の新田開拓の監督においでになっていて、村長(むらおさ)であったわたくしの家の離れに、ずっとお泊りになっておられまして---」
「あら。ご婚儀なし---でございましたの?」
「婚儀もなにも---」
「これ。奥、人聞きのわるいことを話すでない---」
「いいえ。久栄はもう、長谷川の嫁なのです。隠すことありませぬ」
は、毅然と突っぱね、宣雄は、てれ笑いですませた。

「あのときは、わたくしのほうから離れへ押しかけたのですよ。そうでもしないと、殿さまは、言い寄る村の後家でおすましになりそうでしたゆえ---」
「これ。---」
「わたくしが、湯もじもつけない浴衣一枚で押しかけましたのに、殿さまときたら、本から目を離そうろとなさらないので---」
「もう、いいではないか。20何年もむかしのことじゃ」
「ですから、むしゃぶりついて---」
「よさないか。そんな話をしては、若い者が、今夜も張りきるぞ」
「おっほほほ。ほんに、わたくしまで、芯が熱くなってきて---」

参照】2007年6月12日[神尾(かんお)五郎三郎春由(はるより)]
2008年10月10日[〔五井(ごい)の亀吉] (

C_360
(歌麿『ねがいの糸口』 20数年前の夜のイメージ)

離れでの会話を盗み聞いてみる。
「お父上にも、火がついたみたいでしたよ」
「いいではないか。まだ、お若いのだ」
「------」
「------」
「------ う、ふん」
「---む」
「ややに、あいさつをしてやってくださいまし」
「こんにちは、赤ちゃん、拙が父だよ、ってか。よし、まいろう」

_360
(清長 久栄のイメージ)

虫の声がはげしくなり、その先は聞こえなくなった---ということにしておこう。


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