姫始め(2)
「木を隠すには、森に置く」
お竜(りょう 享年33歳)が、生前に言った。
「人を潜めるには、人ごみにまぎれさせる」
銕三郎(てつさぶろう 明けて28歳)がつぶやいた。
すれちがった男が、怪訝な視線をくれたが、銕三郎は意にかいさない。
お賀茂(かも 33すぎ)母子がひそんでいるのは、京のまん真ん中かもしれない。
あるいは、伏見か。
昨年の12月のはじめ、東町奉行所の町廻り同心・加賀美千蔵(せんぞう 30歳)とともに、荒神河原に近い太物扱い〔荒神屋〕を改めて逃げられたとき、舟で賀茂川をさかのぼって逃げたと、銕三郎は推察した。
【参照】2009年9月17日~[同心・加賀美千蔵](4) (5)
加賀美同心たちの目をくらますために、川上へ避難したことはまちがいない。
しばらく刻(とき)をかせいで、川下の南へ漕ぎついて隠れたろう。
そのときには、丑三(うしぞう 40がらみ)とその女房らしいおんなは降り、舟に乗っていたのは、お賀茂とややであったか。
銕三郎は、舌打ちをして四条大橋を東へわたった。
祇園社は、初詣での人でごったがえしていた。
拝殿で賽銭をなげ入れ、家族の安寧を祈念し、とりわけ、父・宣雄(のぶお 45歳)の健康を長く願ったのは虫の報せであったかも。
雑踏をよけて北門から東へぬけると、〔千歳(ちとせ)〕が店をあけていた。
晴れ着の参詣帰りの客で満席らしい。
銕三郎の姿を認めたお豊(とよ 明けて25歳)がすばやく寄ってき、
「七ッ(午後4時)には店をi閉めておきます」
耳元でささやいて、客席へ去った。
(なぜ、かせぎ刻に店を閉めるのだろう。まさか、おれのためとは思えないが---
祇園一帯の香具師(やし)の元締・〔左阿弥(さあみ)〕の家を訪ねると、2代目・角兵衛(かくぺえ 明けて42歳)があわてて出迎え、
「こっちからお年賀にうかがわななりまへんのに、商(あきな)いびらきにとりまぎれ、かんにんしておくれやす」
恐縮しながら、奥へ通した。
奥座敷では、長火鉢の向こうの円造(えんぞう 60すぎ)が、肉づきのいい頬をゆるめて迎えた。
「角が、えらい、知恵習いをさせてもろうて、ありがとさんです。お屠蘇(とそ)を召しあがりはりますか?」
見ると、円造が手にしているのは茶であった。
「元締さんは?」
「暮れ六ッまでは、盃を手にせえへんことにきめとりますのや。家にこうしていることが多うおますよって、呑みぐせがついたら、どもなりまへんよって」
「では、拙も、見習って---」
「そうどすか。では、おぶうを---」
円造は、化粧(けわい)読みうりの思いつきを誉めにほめた。
「ものをやりとりせんと、口先だけでおたからがはいるいう術(て)があるのんは、この齢まで気ィがつきまへんどした。角には、ええ学問どした」
角兵衛は、父親の前でかしこまっている。
「じつは、正月早々、そのことでご相談に伺いました」
「なんぞ、不調法でも?」
角兵衛が心配げな眼差しを向けた。
「そうではありませぬ」
銕三郎は、いそいで笑顔をつくり、
「先日、板元の名代(みょうだい)のことをお話しになりました」
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