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2012年7月の記事

2012.07.31

幕臣・大名リスト

個人譜の既掲示(なしも含む)の幕臣・大名リスト



安倍式部信旨(のぶむね
安倍兵庫信盈(のぶみつ
阿部伊予守正右(まさすけ)(1011
阿部壱岐守正員(まさかず
阿部十郎左衛門正氏(まさうじ
阿部駿河守正賀(まさよし
阿部備中守正輪(まさとも
青木次郎九郎安清(やすきよ
青山因幡守忠朝(ただとも) (
赤井越前守忠晶(ただあきら) (
赤井弥十郎忠盈(ただみつ
赤井七郎兵衛正幸(まさゆき)3X
秋元摂津守凉朝(すけとも)(
浅井小左衛門
朝倉仁左衛門景増(かげます) () () () () () (7) (
朝比奈織部昌景(まさかげ) (
朝比奈又三郎真直(さねなお) (
渥美善七郎親吉(ちかよし
天野大助正雅(まさちか) (
雨宮権左衛門正方(まさかた
荒井十大夫高国(たかくに)  () () (4)
新井白石(はくせき) (
有馬采女則雄(のりお
安藤信濃守定行(さだゆき
安藤彦四郎重能(しげよし
安藤出羽守愛定(ちかさだ
安藤帯刀直次(なおつぐ
安藤彦四郎直正(なおまさ
安藤又兵衛正長(まさなが



井伊掃部頭直興(なおおき
井伊掃部頭直幸(なおひで
井口新助高豊(たかとよ) (2) (3)
生駒
井沢弥惣兵衛為永(ためなが)(
石谷淡路守清昌(きよまさ) () (3) (4)
伊勢
井出助次郎正興(まさおき
井上伊織寛司(かんじ)(・4)
井上河内守正春(まさはる
井上河内守正賢(まさよし
井上図書正賢 (まさよし
伊能忠敬(ただたか
伊沢播磨守方貞(まささだ)
伊勢新九郎(北条早雲 そううん
伊東長左衛門祐持(すけもち
伊藤弥一郎(金森家家老)伊藤文右衛門祐直(すけなお) (
伊奈半左衛門忠尊(ただたか
池田筑後守長恵(ながしげ)(2101112
石川大隅守正勲(まさよし) (
石河(いしこ)勘之丞勝昌(かつまさ) (
石河土佐守政朝(まさとも
石渡彦太夫正利(まさとし
磯部十兵衛(じゅうべえ
板倉周防守勝清(かつきよ) (
板倉修理勝該(かつかね) (
市岡左兵衛正軌(まさのり
市岡丹後守房仲 (ふさなか
一色源次郎直次 (なおつぐ
一色周防守政沆(まさひろ) (
稲垣藤四郎豊強 (とよかつ
稲葉越前守正明(まさあき
稲葉丹後守正知(まさとも
稲生下野守正英(まさふさ
稲生次郎左衛門正武(まさたけ

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2012.07.28

『鬼平犯科帳』Who's Who 読者のみなさま

「『鬼平犯科帳』Who's Who」主宰 西尾忠久が病気療養中のところ 本日7月28日 逝去いたしました。
生前賜りましたみなさまからのご厚誼に厚く御礼を申し上げるとともに ここに謹んでお知らせ申し上げます


後日「お別れの会」を催す予定となっております
改めてこちらの場所でお知らせさせていただきたいと思います


みなさまからの温かいコメントやこのページを見ていただいていることが 西尾の活力となり 筆を進めていたと思います
連載途中で終わってしまうことは心苦しい限りですが ご了承いただければと思います


スタッフ代表 転法輪 篤

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2012.07.12

口合人捜(さが)しの旅(6)

〔畜生。なんてこった
境木の茶店の奥座敷で外道医・岸本公道の手当てをうけながら唸って入るのは、〔砂井(すない)の鶴吉(つるきち)であった。

公道が親切に訊いた。
「なにか困ったことでもあるのか?」
「はい。〔馬入(ばにゅう)〕の親分さんに届ける手紙が――」
「馬入のといえば、そなたさんもどこかの親分衆のところのお人で――」
「違います。江戸の火盗改メのお頭・長谷川平蔵さまのお使いとなれば、ほうってもおかれぬの。よし、わしが家であずかろう。いや、なに、手紙はわしがところの若いのに〔馬入〕へとどけさせる。安心せい」

鶴吉は戸塚の公道の家へ引き取られて養生することになった。

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2012.07.10

口合人捜(さが)しの旅(5)

同心・小柳安五郎やすごろう 33歳)とお(その 32歳)より1日おくれで江戸を発した〔砂井(すない)〕の鶴吉は、先行の2人が本牧(ほんもく)あたりでもたもたしているあいだに、
〔2本(りゃんこ)差し)なんかにまけるものか〕
といったみょうな競争心をだしてしまった。

大滝(おおたき)の五郎蔵(ごろうぞう 58歳)から、くれぐれも、
「おれたちは長谷川さまのために働いてんでいるのであって、世の中を正そうとか、直そうとか大きなことをかんがえるではねえ」
いわれて納得していることを、つい、わすれてしまっていた。


境木の茶屋の前で石蹴りをして遊んでいた子どもの石が武士の足先をかすめただけで、酔っていた武士を逆上させてしまった。
茶台で休んでいたおんな客の一人が、
「あれしききのことで……」
つぶやいたのが耳へはいったらしい。

武士もこのごろは諸物価の高騰で家計が苦しくいらいらしている。
それにくわえての昼間っからの酔いである。
子どもを踏みつけ、刀をぬいた。
それに鶴吉がぶつかっていった。

武士がよたっているすきに子どもなきながら逃げたが、刀傷をおったのは鶴吉で、右足をやられた。
武士も血をみてかかわりになるのを恐れて逃げた。
茶屋の爺いが家へ引きいれて介抱してくれたが歩けなかった。

くやしかった。

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2012.07.09

口合人捜(さが)しの旅(4)

岸壁めぐりから、早々と帰ってきた2人を認めた本陣・〔苅部〕の主人は何を勘違いしたか、
「船頭が気をきかせて金沢勝景あたりまでご案内しているとばっかりおもっていましたが、浜風はやはり、江戸育ちのお客さまにはまだ冷たかったようですな。これからなら帷子(かたびら)川」あたりなら大丈夫かも。昼餉(ひるげ)にもちょうどよろしゅうござ゜いましょう」
すすめた。

1
(金澤勝景・右側 『江戸名所図会』 塗り絵師:(ちゅうすけへへ)

たしかに、金沢勝景はすばらしいが、旅の目的からそれている。。
年を改めよう。


帷子川へ向かった。
これまでお園は、ほとんど街中で暮らしてきた。
日本の田舎をあまり見てはこなかった。
土地には土地のよそおいががあった。
たとえば、このあたり里は松と杉樹と柿でできていた。


Kado1

山には落葉樹が多い。
くぬぎの類。
合戦があると樹木が生え替わる。
おんなも男ゆによってかわるのか。
子どもによって変るのであろう。

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2012.07.08

口合人捜(さが)しの旅(3)

江戸名所図会』の本牧(ほんもく)の[吾妻権現社]の塗り絵をみておどろいた。
素絵(もとえ)は春とも夏とも不明であるのに、5年前にちゅうすけは晩秋と判断したらしい。多くの樹木や山を紅葉、黄葉に塗っていた。

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(本牧(ほんもく)の[吾妻権現社] 『江戸名所図会』 塗り絵師: ちゅうすけ) 

前後の素絵(もとえ)にそういう風景が少なかったからであろう。

小柳安五郎(やすごろう 33歳)とお園が本牧(ほんもく)の[吾妻権現社]を海側から眺めたのは(旧暦)の2月初旬である。
塗りなおすにはちゅうすけの躰力が、もはや、ない。

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(本牧(ほんもく)の[吾妻権現社] 『江戸名所図会』 素絵(もとえ))

鬼平ファンの方々に赤系統が緑や桜色に変る色眼鏡をかけたつもりになっていただくか、素絵をご自分で新緑に塗りなおしてご鑑賞いただくしかない。

幸い、朝日カルチャー・センター(新宿の鬼平教室)で受講していた細矢則行さんの同じ画題をパソコンに記録していた。
こちらは緑の季節なので掲載させていただく。

「あれ、おまささんの――」
が口にした瞬間、安五郎のたもとを引き、視線を船頭へふり、ここでは名前をだすなと頭を軽く左右した。

船が着岸するまで、おは気もそぞろでなかった。

「帰路にこっそり調べに行ったほうがよさそう――でも、気になります」
の提案に安五郎も同調した。


急に秋雨がふった日、おまさが裾を帯にはさみ、長谷川邸へかけこんだことがあった。
そのとき、紅花ぞめの濡れた腰巻が見えた。
「40おんなは冷えがちだからって、五郎さんが買ってきてくださったんです」
おまさがけろりとのろけた。

そのことをおが寝間がたりに話し、
五郎蔵も意外に女房おもいなんだな」
安五郎がひやかすと、
「おんなは32歳を境に躰が変るっていうんですよ」
「おにもか買ってやらないと、かな」
「う、ふふふ。試してご覧になってみて――」
そんな夜ばなしが交わされたことがあった。

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2012.07.07

口合人捜(さが)しの旅(2)

(旧暦)2月は暮れが遅くなっている。

同心・小柳安五郎とおは、まだ明るいうちに、程ヶ谷の本陣・{苅部] 清兵衛方へ入った。
火盗改メのお頭・長谷川平蔵(へいぞう 50歳)から、縁者ゆえよろしく----との速(はや)飛脚便が宿主あてにとどいていたので、夫妻は下にもおかないもてなしをうけた。

さりげなく、夫婦混浴がすすめられた。
照れたのは安五郎のほうで、おはおおようによろこびで、湯船のなかでも夫の躰のあちこちを刺激くした。
夫婦や恋人同士にとっての混浴は、おんなにとっての羞恥心の垢捨て場なのかもしれない。

〔苅部屋〕とすれば、10年前のことだが建部(たけべ)大和守広殷(ひろかず 58歳=当時 1000石)が禁裏附に赴任するとき、公方(くぼう)たちへの献上品を奉るじるため本陣・苅部方へ宿泊したことがあった。
その貴品を狙った道中師・〔磯部(いそべ)}の駒吉(こまきち 40男=当時)一味を、平蔵の手くばりで程ヶ谷宿で捕縛したことがあった。

参照】2011 年12月21日[部大和守広殷を見送る
2011 年12月22日[道中師・〔磯部〕の駒吉

本陣の宿主・清兵衛はその事件と平蔵の名を忘れていなかった。

平蔵からの手紙に、宿泊の翌日は半日、本牧(ほんもく)あたりを遊覧させてやってほしい----とも書状に添えてあった。

寝床のに中で豊満なお園の躰のあつかいいにもようやく馴れてきていた安五郎が、
長谷川さまが本牧へ行けとおっしゃっているからには、お気がかりなことがおありなのであろう。おは船は大丈夫か?」
「あなたの上でゆられているのはこころよいゆれですが――」
「ばか……」
ぴしゃり――お園の尻がぶたれた。
「お、ほほほ」


翌日は、熟春をおもわせるうららかな天候で、絶好の船びよりとなった。
海からの本牧は奇岩たちの行列出迎えといった趣きといってよかった。

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(芒(のけ)村・姥(うば)島 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

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(本牧塙 十二支天社 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

本牧吾妻権現宮に達したとき、小柳安五郎がじっと凝視をしたものがあった。
「安五郎さま。ここらあたりへも、弟橘媛(おとたちばなひめ)の遺品がながれつきましたか?」
は、夫の邪魔をしないように、小さく訊きながら夫の視線の先を追っていた。

漁師小屋らしい苫屋(とまや)の軒先に薄桃色なものが見えた。


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2012.07.06

口合人捜(さが)しの旅

小柳(こやなぎ)。この役はおぬしでなければつとまらぬ。新婚そうそうで申しわけないが、明日、清書して掛川と吉田(のちの豊橋)のご城代へとどけ、了解をとりつけてくれ」
「承知つかまりました」
「ここに30両(48万円)つつんである。これは公費とは別の、われからのこころづもりじゃ。使ってくれると嬉しい」
「おこころ遣い、無用と存じます。公費だけで十分にまかなえます」
「小柳。勘違いするでない。30両は新婦のお(その 32歳)の宿賃と旅支度料じゃ。これはおの関所手形……行きも帰りもいそがずとよい。ゆっくり見物してゆけ」
「か、かたじけのう、ございます」
「内緒だぞ」

小柳安五郎とおは、翌々日の七ッ半(5時)すぎに目白台の組屋敷の門から出立したが、なんと、まだ暗い時刻にもかかわらず平蔵(へいぞう 50歳)は愛馬・(2代目)月魄(つきしろ)にまたがり、芝田町四丁目の札の辻まで見送った。

2月の東海道は参勤の上下はない。
尾張藩と紀伊家の交替は3月の下旬であった。
つまり、ち2月中なら、本陣に宿泊しているのは幕臣の公用者ということであった。

南品川の駅停の茶店で海を眺めながら朝餉(あさげ)をとった。

102
(品川駅 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

「この近くに寄木明神社というのがあってな.。そのむかし、日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの近くで娶った弟橘媛(おとたちばなひめ)と同船し、千葉へわたろうとされたとき、嵐を鎮めるためにおん身を海に沈められた。

600
(弟橘媛入水 『江戸名所図会』塗り絵師:ちゅうすけ)


「そのときの船木がながれ着いた地に寄木明神社が建立されたという」
「わたくしも、安五郎さまのおためなら、いつでも命をささげます」
「それは、おれがいうことだ。れは命をかけておを守る」
「幸せ。でも、食事のしたくや家事から離れて、2人きりの旅というの、いいものですね」
長谷川さまのおこころづくしだ」
「わたくし、長谷川さまが実の兄上のような気がしてなりませぬ」
「それはそれとして、旅費を30両もくだされたが、同心の家禄の1年分にも相当するのだから、あまりいい気にならないように----」
「こころえております」

「保土ヶ谷まで6里半(26km)だ。馬にするか?」
「家政にひびきます」
「旅のあいだは、家政は忘れよう」
「あい。しかし、わたくしにできる内職といったら、酒の肴をつくるぐらいで――」
長谷川さま、(たち) 筆頭さまへ買ってもらうか。はっははは」
「ほ、ほほほ」

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2012.07.05

口合人捜(さが)し(5)

「ご府内線引きの内側で口合をやっている者の評判は、まもなく密偵たちが拾ってこよう」
平蔵(へいぞう 50歳)のつぶやきに五郎蔵(ごろぞう 58歳)がうなずき、
「東海道すじの口合の衆のところへは、〔砂井すない)〕の鶴吉(つるきち 29歳)にまわってもらうつもりだが、その前に〔佐沼さぬま)〕の爺(と)っつあんに口合人の行儀作法をざっと仕こんでもらいたい」
鶴吉は、五郎蔵にみっちりしこまれて、一人前の男になったから、こういうときに役立つ」
平蔵が眼をほそめて保障した。

「行儀だの、作法だのといいましても、人間、着せられた恩を忘れねえ----ってことに尽きまさあ。それさえ忘れなきゃあ、信用がつきます」
71歳の久七(きゅうしち)の説経じみていない詠嘆には、さすがに重みがあった。

そこへ同心・小柳安五郎(やすごろう 33歳)が数通の書簡の下書きをもってはいってき、検閲をねがった。
2は掛川藩と吉田藩の城代へのもので、城下の口合人捜(さが)しの了解を願った文書。
もう3通は馬入(ばにゅう)の勘兵衛(かんべえ 67歳)、小田原の〔宮前(みやまえ)の小右衛門(こえもん 31歳)、島田宿の〔(おおぎ)〕の千太郎(せんたろう 37歳)へあてたものであった。

小右衛門、千太郎はそれぞれ徳右衛門万次郎を襲名していたが、まだ生きて養生していたのでそちらに敬意をはらったのである。

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2012.07.04

口合人捜(さが)し(4)

「実ぁな、爺(と)っつぁん。おまさを拐(かどわか)していったのは浪人者だということまではわかっておるのだが、裏にいる黒幕がわからない。
それで口合人という口合人に、こっそり、最近、上方から浪人の口合を頼まれたことはないか、探ってもらうわけにはいくまいか。爺っつぁんのところにひとり、口がかかるのをの待っているおんな賊がいるって餌つきで----」
平蔵(へいぞう 50歳)の案に興味をおぼえたらしい〔佐沼さぬま)〕の久七(きゅうしち 71歳)がのりだしてき、
「その、おんな賊たぁ――?」

「爺っつぁんの横におるおいと 38歳)は、所帯をもとうと約束していた男を〔鳥浜とりはま)〕の岩吉(いわきち)が雇った浪人者に始末させた。おのれがやっている畜生働きを批判されたからだ。非は岩吉にあった。おの傷は癒えてはおるまい。この件で働いてまぎらせてもらうつもりだ」

「ありがたいことです。それではあっしは〔寺尾てらお)〕の治兵衛(じへえ)どんあたりから声をかけてみやしょう」
久七の顔をまじまじと瞶(みつめ) た平蔵が、
「いまのご府内で顔見知りの口合人は、久七爺(と)っつぁん独りになってしまったっていわなかったかな?」

「えっ! そういたしやすと治兵衛どんも処刑を……?」
「いや。処刑ではない。気が触れた旗本に白昼、斬られた」
「なんて間の悪い……」
久七の眼が曇った。
(齢を経ると、世事にも耳遠くなると申しますが、治兵衛どんまで届かなくなってしまっているとは……」
「いや。あの件はお町(奉行所)が外聞がわるいともみ消した」

参照】[寺尾の治兵衛]の事件は、聖典『鬼平犯科帳』文庫20[寺尾の治兵衛

「 あと、知っていた口合人は、上州・高碕で張っている〔赤尾(あかお)〕の清兵衛(せべえ)と、浪人・西村虎次郎の口合人をしていた〔塚原(つかはら)の元右衛門(もとえもん)くらいだが、〔塚原〕は処刑されてしまっておる」

久七平蔵の覚えのよさに下をまいた。

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2012.07.03

口合人捜(さが)し(3)

五郎蔵。すまぬが、去年の夏から秋へかけての[炎の色]事件の経緯(すじがき)を、爺(と)っつあんに話してやてくれ」

こころえた〔大滝おおたき)」の〔五郎蔵(ごろそう 58歳)が要領よく、おまさが盗みの道へはいって間もなく〔荒神こうじん)〕の助太郎(すけたろう)お頭にかわいがられたこと。
助太郎お頭は14年前に亡じていること。
遺児のおなつ 26歳)が二代目として乏しい配下をまとめていたが、昨年の〔峰山みねやま)〕の〔初蔵 はつぞう 50代)一派とのあわせ盗(づとめ)にしくじり、両派ともほとんど全員処刑されたが、おだけ、捕縛者の中にいなかった。
もちろん、しくじりね原因はおまさが密偵であることを誰もしらなかったことによるから、もし、捕縛もれの者がいて、その気になればおまさをほうっておきはすまい----。

さすがの五郎蔵も、ここで言葉をきって息を休めた。

眼をとじて黙然と聴いていた平蔵(へいぞう 50歳)が手をあげて五郎蔵をとめ、、
「聴いたとおりてだ。五郎蔵は、おというおんな男の些細な色欲だというのだが、どうだろう、〔佐沼〕の。拐(かどわか)しともなると、これは死罰にもなるほどの罪である。見捨てるわけにはいかない」
「で……あっしになにをしろと」
久七は、もう迷ってはいなかった。

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2012.07.02

口合人捜(さが)し(2)

佐沼さぬま)の爺(と)っつあん。いろいろ事情もあろうが、こんどばかりはわれを助(す)けちゃくれまいか?」
それぞれが座についたところで、平蔵(へいぞう 50歳)が切りだした。

それまで平伏ぎみであった久七( きゅうしち 71歳)がさっと背中を立て、白濁がはじまっている双眼で平蔵を睨むように見返した。
その斬りこむような久七の視線を、笑(え)みをたたえた双眸(ひとみ)で受けながした平蔵は、ゆっくりと湯呑み茶碗をとりあげ、呑むでもなく呑まぬでもない姿勢(なり)で〔大滝おおたき)の五郎蔵(ごろうぞう 57歳) にうなずいた。 

「じつはな、爺(と)っつあん。こんどのことは、おれの女房のおまさの――」
「な、なんだって――。おまささんがどうかしたのか?」
おまさが拐(かどわか)された。誘拐されたのよ」
「か、拐されたって――どこのどいつにだ?」

「まだわかってない。それでもったいなくも、長谷川さまが、探索にのりだしてくださることになった」

久七平蔵を正視し
長谷川さまがそれを先におっしゃってくださっていたら……」
おもわず鼻をすすりあげたのへ、懐から家紋を染めた半栽(はんきれ)の手拭いを出してわたしてやった平蔵が、
「そうか。こだわりなく、助(す)けてくれるか。じつはな、この平蔵、江戸には知っている口会人は爺(と)っつあん独りきりというお寂しいかぎりなのだよ」
 
はっと平蔵を見あげた久七に、うなずいて、
「〔鷹田( たかんだ)〕の平十(へいじゅう)どんのことは、無念であった。われの気くばりがもう一歩先へいっていたら、ああはならなかったものを----」

ちゅうすけ注】痛快篇[殿さま栄五郎]は『鬼平犯科帳』文庫巻14に収録されている。
年代記を記すと寛政8年(1796)――史実の長谷川平蔵が病没した翌年の事件である。
鬼平ファンの多くが愛しているのは池波小説の江戸――そして鬼平という主人公であろう。
だから『鬼平犯科帳』にスポットされている鬼平史跡をめぐる。

ちゅうすけ とて、余人と変わらない。池波さんが『江戸名所図会』でふくらませた江戸に、ちゅうすけは稚拙なりに彩色という新手でいどんだりした。

参照】[わたし彩(いろ)の『江戸名所図会』]の左枠の最後尾の7篇がそれである。
殿さま栄五郎]は、『犯科帳』で最初に登場する〔鷹田〕の平十が鬱々として家を出、いつの間にか平十は松平伊豆守の下屋敷と上野山内に挟まれた道を、不忍池の方へ下りききっていた。

声をかけたのは〔馬蕗うまぶき)〕の利兵治(りへいじ)であることは、鬼平ファンならみんなしっている。
ちゅうすけの関心はそれではなく、松平伊豆守(三河・吉田藩主)の下屋敷にある。
20歳になろうという藩主の継嗣・音之助(おとのすけ のちの信礼 のぶうや)が側室・清見(きよみ)にここで産ませたのが春之丞(はるのじょう )で、のちに信明(のぶあきら)としてこのブログの平蔵にからんでくるところに、えにしを感ずるのである。

457c_360
不忍池 『江戸名所図会』) 塗り絵師:ちゅうすけ)

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2012.07.01

口合人捜(さが)し

「〔佐沼さぬま)〕の久七(きゅうしち 71歳)爺(と)っつあんをお連れしましてございます」
大滝おおたき)〕の五郎蔵(ごろぞう  57歳)は、町駕篭から久七の手をそえておろしている女密偵・〔金古(かねこ)〕のお糸(いと 34歳)に目くばせしてから、書院の平蔵(へいぞう 50歳)に声をかけた。
「おう。苦労をかけた。久七爺っつあんもかまうことはないからあがってくれ」
部屋から声がかえってきた。

(と)っつあん――聖典『鬼平犯科帳』文庫巻24[女密偵女賊]に顔を見せた口合人である。

も、そう。
女賊だったお糸が通り名を〔金古〕名のっていたことはこ密偵になってからしれた。
上州・群馬郡(ぐんまこおり)金古村の貧しい馬飼いの家の次女にうまれただった。

火盗改メの役宅の、しかも 白梅が満開のお頭の奥庭へ通されただけでも恐縮している久七だったが、さらに平蔵の居間へあがり、奥方さまからじきじきに茶をふるまわれ、ますますちぢこまっているのに、
「殿かいつもいつもお世話になっておりますのに、たいしたおもてなしもできませず、困惑のきわみでございます。どうぞ、ゆっくりなさってくださいまし」
あいさつを受けたものだから頭がぼおーとして、湯呑み茶碗を落とす不始末をしでかした。

すぐに脇の五郎蔵がふところから手拭いで始末し、おがそれを井戸端で清めおわるまで待った平蔵が、
「本来なればわれのほうから渋谷の宝泉寺門前まででむき、頼むべきなのだが、われも年来のいそがしさが祟(たた)ったかして、息切れがひどくての」
「それはいけません」
「横着しても五郎蔵とお糸を迎えにさしむけた次第……」
「もったいないことでございます」

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(渋谷  宝泉寺・右下、氷川神社 『江戸名所図会』(部分)
塗り絵師:ちゅうすけ) 

                                                                  盗賊の世界でいう口合人とは、独りばたらき(フリー)の盗賊をヽ諸方の〔お頭〕へ周旋し、周旋料をとる。
独りばらきの盗賊が、
「ひとつも、どこぞのお頭へ口をかけておくんなさい」
と、口合人にたのむこともあれば、盗賊団のお頭(首領)が、
「どうも手が足りねえから、これこれの役に立つ者を世話してもらいたい」
依頼をすることもある。
ときには、双方から周旋料をもらうこともあるのだ。
おまさも、かつて、独りばたらきの女賊であったとき、佐沼の久七の世話になったことが、何度かある。
いまの久七は、渋谷の宝泉寺という寺の門前で、小さな花屋をやっている。
七十歳になった久七は盗みの世界から一応は足を洗ったかたちだが、それでも年に何度かは口合人の稼業をしているようだ。([女密偵女賊〕 p10 新装版p  )

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