明和4年(1767)の銕三郎(てつさぶろう)(7)
「母上。東海道を上る途中、河崎大師(かわさきだいし)村の厄除(やくよけ)大師に祈祷を頼み、霊札でもいただいて行こうかと、思っているのですが---」
厄除大師は、『東海道名所図会(ずえ)』にこう、記されている。
大師河原平間寺 武州橘樹郡(たちばなこほり)川崎郷大師河原村にあり。真言宗新義。別当を金剛山金成(こんじょう)院といふ。
本尊弘法大師像。長(みのたけ)五寸(約15cm)。(略)
当寺の尊像は厄除大師といふ。寺説に云(いわ)く。
現代文に書き直してみる。
その昔---大治(だいじ)年中(1126~1130)、この浦に平間氏(ひらまうじ)という漁夫がいた。尾張国(名古屋あたり)から下ってきて、この浦で漁をなりわいとしていたものの、正直者のつねで、きわめて貧しかった。それでも仏を篤く信仰していたところ、42歳の厄年のある夜、夢に高僧が現われて告げた。
「わたしは、むかし、唐の国で自分の像を彫って、日本の有縁の地へ流れつけと海へ投げた。長年、海底に沈んでいたが、さいわいにも、この浦へ流れついた。おまえが網で曳(ひ)いて安置すれば、厄難を除滅し、長く富貴になるであろう。像がある場所は、毎夜、光明で知らせるから、そこへ網を投げよ」
高僧が告げて消えると、漁師は夢からさめた。
翌夜、光明を目じるしにして網を投じると、貝などが付着した大師の尊像がかかった。伝え聞いた衆が、厄を除いていただこうと、これを拝みに集まるようになった。
そこで、漁師はお堂を建て、平間寺と号し、村の名はだれいうともなく、大師河原となった。
母・妙(たえ 42歳)は、
「銕三郎(てつさぶろう)。妙案とおもいます。だが、阿記(あき 25歳)さまの家が真言宗とはかぎりませぬ。もちろん、弘法大師さまが、功徳を、信徒とそうでない者とを区別なさるとはおもいませぬ。とはいえ、信仰のことゆえ、阿記さまがどうお受け取りになるかは、別です。ちょっとお待ち---」
自分の部屋から、2個のお守(まもり)をもってき、銕三郎(22歳 のちの小説の鬼平)の手に載せた。
(左;熊野坐大宮 右;熊野速玉大宮)
一つは、熊野本宮大社---熊野坐(くまのにます)神社(現・和歌山県東牟婁(ひがしむろ)郡新宮町1100)。
もう一つは、新宮---熊野権現速玉(はやたま)大社(現・同県新宮市新宮1番地)。
「殿さまがお若くて、あちこちを旅してご見聞を深めていらっしゃったころに詣でて、お受けになってきたお守です。長谷川のご先祖に、駿州・小川(こがわ)から熊野へ逃れて、のちに熊野権現を勧請なさったお方がいらっしゃったそうですね。そのご縁で、熊野三山のうち、この本宮と新宮にお詣でになったと聞きました。神社なら、宗派ということもなく、また、長谷川家が勧請し、守護神ともいえる神さまとお知りになれば、阿記さまもお喜びになるのでは?」
「ありがたく、お預かりいたします。拙も、小川へ参ったとき、熊野神社に詣でました。阿記も、長谷川家から認められたと、喜びましょう」
司馬遼太郎さん『箱根の坂』の主人公・伊勢新九郎こと北条早雲(そううん)が庇護した今川家の竜王丸(のちの氏親(うじちか))に、竜王丸・早雲派を援護した小川の実力者・豊栄(ほうえい 死後・法永)長者が描かれていることは、すでに紹介している。
【参照】2006年5月23日[長谷川正以の養父]
2007年8月8日[銕三郎、脱皮] (4)
静岡のSBS学園パルシェで、ともに学んでいる中林さんが『林臾院五百年史』や『今川記』などでお調べになったところによると、天文5年(1536)---いわゆる「天文の乱」に、今川義元(よしもと)が氏親の次男・恵探(けいたん)を破って家督を継ぐが、そのとき、長谷川の本拠だった小川の城も焼かれ、城主・長谷川元長(もとなが)は大和へ逃避、のち、戻って義元へ仕えた。そのときに、熊野三山を小川郷へ勧請。それが現存する焼津市小川地区の熊野神社の縁起であると。
お守は、もう一つ、増えた。
明朝出立という夕刻、〔盗人酒屋〕のむすめ・おまさが長谷川家を訪れた。
「とっつぁんから聞きました。銕(てつ)兄さん、箱根の元恋人のお見舞いにいらっしゃるんだそうですね。銕(てつ)兄さんの恋人なら、まさの姉さんです。早い回復を、亀戸(かめいど)天神さんにお祈りして、お守をいただいてきました。お守なら、荷物にもならないでしょ。姉さんにあげてください」
(亀戸天神は、学問と手習いの神様だがなあ)
銕三郎は、そうは思ったが、おまさにそんな区別がつくはずはない。
神仏に祈れば、平癒すると信じているのである。
鼻の奥がじんと熱くなったが、さりげなく、
「ありがとう。阿記どのに、妹分・おまさどののことをきちんと話しておきます」
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