日信尼の煩悩
深川の霊巌寺門前町は、海辺橋(うみべばし)と高橋(たかばし)を南北にむすぶ通りの中間あたりにある「く」の字形のささやかな区画であった。
浄土宗の大壇林・霊巌寺と身延山の弘通所(ぐつうしょ)・浄心寺にのしかかられたように身をちぢめている町屋ともいえる。
一月の某日の夕暮れに、その門前町の茶店で、長谷川平蔵(へいぞう 36歳)が中年の尼僧と、ささやくように話しこんでいた。
顔の半分を尼頭巾で覆っている尼僧はいうまでもなく、浄心寺の塔頭の一つ・浄泉尼庵で仏に仕えている日信尼(にっしんに 40歳)である。
2人の席からずっと離れたところに、松造(よしぞう 30歳)が、平蔵の影のようにひかえてはいたが、2人とはかかわりがないみたいに、あらぬ方を眺めて茶をすすっていた。
「お信(のぶ)---これは失礼、日信尼どの。落飾前の古い話をもちだしてすまないが、〔戸田(とだ)〕の房五郎(ふさごろう 刑死42歳)のことを教えてほしい」
【参照】2010年9月8日[〔小浪〕のお信(のぶ)] (8)
お信が入信したのも、かつて房五郎とともにその一味にいた〔神崎(かんざき)〕の伊之松(いのまつ 刑死52歳)らが上総(かずさ)の大多喜藩の刑場で処刑されたとき、捕縛を逃れた一味の報復を危惧し、平蔵が浄泉尼庵へ隠した。
「尼であるいまのわたしには、遠い昔のことです。記憶も薄れています。その房五郎さんのことをお訊きになるなど、ひどいお人」
「ひどいことは承知している。しかし、盗人の非道を許しておいては、世のためにならぬ」
「房五郎さんは、この世の人ではないのですよ。仏さまの膝下にいっていらっしゃいます」
「じつは、先日、〔五井(ごい)〕の亀吉(かめきち 41歳)という上総(かずさ)の市原郡(いちはらこおり)生まれと称する男が〔三文(さんもん)茶亭〕へき、尼の居どころをお粂(くめ 40歳)に訊いた」
で、身延の尼寺へ入ったと応えたら、法名をしりたがったが、知らないと返事しておいた。
「もしかして、房五郎とのつながりで、亀吉と知り合ったのではないか」
質(ただ)すと、日信尼がうなずき、清澄な両目に涙をうかべた。
その亀吉が行方しれずになったので、残された女房が生計(たつき)に難儀していたので、知行地生まれのおんなでもあり、小金を用立てたら、〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵(ごろぞう 43歳)というならび頭(がしら)が返してきた。
日信尼が涙をぬぐった。
「わしのことを見張っているとしかおもえないのだ。それで、五郎蔵と腹を割って話しあいたい。あの者たちに連絡(つなぎ)をつけるにはどうすればいいのだ?」
「捕縛なさるのではないのですね?」
「父上はそうであったが、いつかも蔵前のあの家で申したとおり、わしは火盗改メではない」
【参照】2010年9月9日〔小浪(こなみ)〕のお信(のぶ) (9)
「銕(てつ)さま---」
日信尼が、俗世間で抱き合っていたときの呼び名を思いつめた声で口にした。
目もとにうっすら紅がさしていた。
平蔵(へいぞう 36歳)が瞶(みつめ)ると、目を伏せ、
「松造(まつぞう)さんをお帰しくださいますか?」
「あれの名の呼び方は、いまでは、よしぞう(30歳)、お粂(くめ 40歳)の亭主で、2人の子持ちだ」
「おしあわせな、お粂さん。たしか、わたしと同(おな)い齢でしたね」
「尼僧は幾つになられたかの?」
「むかしもいまも、銕さまより4つ齢上でございますよ」
科(しな)をつくり、下から斜(はす)に見上げるように睨み、つぶやきを洩らした。
「松造を帰すのは簡単だが---」
「場所を変え、〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵(ごろぞう 43歳)さんとの連絡(つなぎ)のつけ方をお教えしてさしあげます」
松造がむっつりしたまま、でていった。
「10歳も齢下のご亭主って、かわいいでしょうね」
「4歳しか違わなくて、悪かったな」
「齢より、相手です。銕さまには、会っただけで秘所の奥がしびれて熱くなってくるんですから---」
【参照】2010年6月27日[〔草加屋〕の女中頭助役(すけやく)・お粂] (1) (2)
臆面もなく平蔵に寄り添うようにして霊巌寺の境内抜け、脇門から山本町の旅籠〔甲斐山〕にあがった。
「無造作に並んで歩いているから、誰も疑いません。びくびくするから発覚(ば)れて、噂になるのです」
〔甲斐山〕は、4年前の俗名・お信(のぶ 36=当時)が身を隠すためにさげ(有髪)尼として浄心寺の塔頭の尼寺・浄泉庵で得度しながら、ここで平蔵との密会をしばらくつづけていた。
僧がおんな連れ、尼が男とともに部屋をとっても珍奇の目で迎えられない、江都でも数少ない旅荘の一つがここであった。
【参照】2010年9月15日[〔下ノ池(しものいけ)〕の伊三] (3)
部屋へおちつくと日信尼は、すぐに平蔵の手をとり、甲をなつかしげになぜつづけながら、口を小さくあけ、ため息をもらしはじめた。
「4年前、仙台堀の河岸で、煩悩を鎮めるといいきったぞ」
【参照】20101011[剃髪した日信尼]
「鎮まらないから、こうして、ここへきたのです」
尼頭巾をむしりとり、唇をあわせようとしたとき、女中が酒と肴をもってき、さすがに控えた。
「どうぞ、ごゆっくり。風呂はいつでもお使いになれます」
「すぐに使わせておくれ」
「お信。前もっていっておくが、わしは、4年前の銕ではない。いま、ねんごろにしているおなごもいる」
「分かっております。でも、この1刻(とき)だけは、煩悩を断ち切れずに苦しんでいる哀れな尼を帰俗(きぞく)させてください」
せきたてて、浴衣と丹前に着替えた。
風呂場でも、躊躇しないで裸になった。
2人連れの客が多い旅荘なので、向いあって脚を半分交又させ、いっしょに浸かることができる長四角の板湯舟であった。
「3年も禁欲していたのです。長かった---」
足のつま先で平蔵のものに触れ、尼僧にしてはしたない、40歳の大年増に戻っていた。
(おんなというのは、変わり身が速い)
いや、おんなといいきってはいけない---経験をつんでいるおんなというべきかも。
腹をくくり、日信尼の足指のいたずらにまかせていた。
「日俊(にっしゅん)老尼は、お達者か?」
「昨秋、入寂(にゅうじゃく)なされました」
「さぱけた老尼であったが---」
「とんでもございません。情欲の塊のような先師でした。その話は寝間でゆっくり---」
平蔵のものが硬くなったのをたしかめ、顔を沈めて口にふくんだ。
髪がないからできた、思いきった愛技であった。
「すこし、肥(こ)えたな」
でん部をもんでやりながら、つぶやいた。
現実の浄心寺とは無縁の架空の話です。
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コメント
大変エロう御座いました。 これは夜に読むものですね。
夜勤の傍ら、沢田小平次を調べながらここに漂着しました。ありがとうございます。
投稿: 獅子田 | 2011.01.21 05:18
>獅子田 さん
ようこそ、いらっしゃいました。
レスが遅れて申しわけありませんでした。
ちょっと込み入った作業に追っかけられていまして。
というのは、mixiの鬼平コミュに鬼平についての本、家中のあちこちにおいているものを集めてリスト化をアップするスキャニングをしていまして。
一部かアップしましたから、ぜひ、そちらもご覧いただきたく。
ところで、このブログは、長谷川平蔵のイタセクスアリスも一つの狙いなので、いつつかエロいところもありますが、おおよそは、未開拓の史実の発掘です。
これからも、ご遠慮なくコメントをくださいますよう。
投稿: ちゅうすけ | 2011.01.24 08:34