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2010.06.27

〔草加屋〕の女中頭助役(すけやく)・お粂

薬研堀不動前の料亭〔草加屋〕安兵衛への、お(くめ 35歳)の初顔見せの日は、ちょうど、平蔵が宿直(とのい)にあたっていたために、登城後は躰があいていた松造(まつぞう 25歳)と、〔於玉ヶ池(おたまがいけ)〕の伝六(でんろく 36歳)が付き添った。

亭主の安兵衛(やすべえ 48歳)は顔をみせず、すべてを女房・お(しん 33歳)がさばいた。
「女将どの。こちらは、田沼ご老中さまからの、これは、うちの長谷川の殿からのごあいさつ代わりです」
松造がさしだした紙包みに、おは目を大きく見開き、
「ご老中さまからのごあいさつとは、〔草加屋〕始まって以来の栄誉でございます。よろしゅう、おとりなしおきくださいませ」

は、田沼老中などの要職のお歴々がおについている客と錯覚したらしい。

田沼(意次 おきつぐ 58歳)老中からの金包みは、平蔵(へいぞう 31歳)が田沼家井上用人に頼んで包んだものであった。

はそのままとどまり、女中頭のお(きん 38歳)から仕事の手順を教わることになり、松造はその足で、6丁と離れていない柳原岩井町のおの惣介長屋をのぞいた。
平蔵にいいつけられていたからであった。

「きょうは、(てつ)お父(と)っつぁんは、こないの?」
顔なじみになっていた松造に、手習い帖をとじた善太(ぜんた 7歳)が訊いた。

「こない。お城にお泊りだ」
お父っつぁんがお城に泊まりなのに、おじちゃんは泊まりではないの?」
「泊まりは、お父っつぁんだけだ」
「だったら、おじちゃん、うちに泊まっていきなよ」

「母(かあ)ちゃんが帰ってくるまでいて。晩ご飯はあたいが作るからさぁ」
いくら慣れていても、姉弟と2人きりではさみしいかして、お(つう 9歳)も引きとめた。

3人で、魚屋と土もの(野菜)屋で買いものを楽しんだ。
代金は松造が払った。
ついでに、酒も買った。

鯖の味噌煮と千切り大根の味噌汁は、味がしっかりしてい、9歳のおんなの子の手料理とはおもえなかった。
つい、呑みすぎてしまった。

が帰ってきたのは五ッ半(午後9時)前であったが、善太は先に眠っていた。
が膳に皿をならべ、燗酒もつけ、寝床へ入った。

盃を干し松造が、おへ返した。
「きょうは、わざわざのお付き添い、ありがとうございました」
頭をさげ、酌をうながす。

やりとりが5,度6度ととつづいたころ、松造の盃がふるえた。
横にきたおが手をそえ、そのまま放さないで、
「お泊りになりますか?」
こっくりうなずき、倒れこんだ。

部屋は2つしかない。
子どもたちの隣りにひろげるはずの自分の寝床を、お膳をかたよせ、松造のためにのべた。
余分の夜具がないので、自分はおの横に入るつもりになっていた。

寝衣に着替え、松造をあやしながら着物を脱がせて下帯一つにし、背中から両脇に腕をさしこんで床まで引きずった。
そのとき、下帯の前がずれた。
直そうとした手で、つい、つかんでしまった。
つかんでいる掌の中で、硬くなりはじめたが、松造は半睡のままであった。

口にふくみ、舌をはわせた。
硬さが増した。

仕切っている襖を締める前に、子どもたちの寝相をたしかめた。
熟睡していた。

灯火を落とし、上掛けの端をめくって横にそい、松造のものを、また、にぎってしまった。
25歳のそれは、硬直したままであった。

腰紐をほどき、寝着の前をはだけ、膝立ちで上にまたがり、指先でつまんで導く。
待っていたように潤んでいたそこが、するっ、と受けいれた。

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(清長 柱絵 イメージ)

奥まで達しさせ、半身を両肘で支えてかぶさり、こころをそこに集中する。
(これが、長谷川さまであったら---でも、こんなことにはなりっこない)

乳首が相手の肌にふれたがった。
(里貴(りき 32歳)女将と、ほんとうにこうなっていらしたのであろうか、それなら、村の名をお訊きになるはずがない)

その瞬間、嫉妬で腰がうごいたらしい、違う快感がはしった。

長いあいだ忘れるようにしていた性感が息をふきかえし、躰の芯を愉悦がとめどもなく脈うちてはじめた。
(でも、長谷川さまは、子どもたちに「お父っつぁん」と呼べとおっしゃってくださった)

声をもらさないために口をあわせると、松造が応じ、首に腕をまわし、もう一方の手で尻をつかんでくれた。

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(清長 柱絵 イメージ)

(あたしには相応)


参照】2010,年6月27日~[〔草加屋〕の女中頭助役(すけやく)・お粂] () () (


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148松造・お粂・お通・善太」カテゴリの記事

コメント

久しぶりに、一筆。
きょうの浮世絵の掲示が、なかなかに暗示的で、このブログもしゃれてきたなとおもいましたので。
想像力をかりたてる絵柄のほうが、逆にこちらの体内にエロチックさが増量されるようにおもうのは、私だけなのかな。

投稿: komo | 2010.06.27 06:04

平蔵がなんのためにお粂の子たちに「銕父(と)っつぁん」と呼ばせたのか、疑問におもっていたが、お粂の就職の条件をあげるためだったとは。
どこまでも気くばりがとどいた仁なのだ。
そのお蔭で、松造もなんだが得したみたいだけど、そんなふうに思っていいのかな。

投稿: 左衛門左 | 2010.06.27 06:13

>moko さん
ほんとうにお久しぶりでした。
秘画の掲示の仕方をお認めいただき、ありがとうございます。
これは、管理者が誉められるより、清長が誉められるべきでしょうが、原画には下半身も描かれています。省略したのがよかったのかも。
もっとも、このブログが部分カットしても、ネット上にはこの種のものはあふれていますから、それらとどう区別をつけ、物語上びったりくるものだけを選ぶようにしていくかですね。
これからも、ご期待に即してやっていきますです。

投稿: ちゅうすけ | 2010.06.27 06:56

鬼平も、30歳半ばのおまさが独り寝をしているのは女の躰のためによくない---と、五郎蔵と組にして泊まりこみの見張りをさせ、自然に躰を接しさせます。
「粋なはからいだし、女の精神的生理のためにも必要---」とも感じ入りました。
平蔵が、今後も数人の火盗改メから知恵を借りられるとすると、お粂も情報源の一人でしょう。そうなってくれと、筆者は願いました。

投稿: ちゅうすけ | 2010.06.27 07:07

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