カテゴリー「018先手組頭」の記事

2012.05.18

鎮圧出動令の解除の怪

またしても、些細なトリビアリズムに当面してしまった。

学問的な事項ではないし、幕府行政の習俗といったほとのことでもない。

しかし、長谷川平蔵や天明7年(1787)の江戸・打ちこわしについての後続の史跡研究者の参考のためにメモをのこしておくつもりで書いておく。

江戸市中の打ちこわしは、天明7年5月20日の夕刻からはじまった。

当初幕府の上層部は、町奉行所と火盗改メの本役・先手の弓の7番手――堀 帯刀秀隆(ひでたか 51歳 1500石)の組だけで片がつくと軽くかんがえていたらしいが、とんでもなかった。

23日に、先手組の中でも組頭(くみがしら)が若い組に市中巡回、鎮圧捕縛の命令をだしたことは、これまでの経緯で述べた。

騒擾(そうじょう)のようすは『続徳川実紀 第1巻』の31~33ページにかなりくわしく叙述されているから、大要はのみこめよう。

暴動は24日にはいちおう収束したが、先手10組に巡回解除の通達がでたのはほぼ1ヶ月後の6月18日で、それも、『続実記』によると、奇妙な形であった。


十八日 西城・先手筒頭 奥村忠太郎正明へ、去りしころ市井物騒がしきにより、同僚十人市中巡り命ぜられしが、このほど静謐(せいひつ)に及びしによりその事御免のむね、同僚残りの面々へも申つたふべきよし、(老中)牧野越中守貞長(さだなが 57歳 笠間藩主 8万石)申伝ふ。

先手組はふつうは、若年寄の配下にある。
しかし、江戸の騒擾――天下の一大事ということで老中のあつかいに移されたのかもしれない。

向後、この天明の打ちこわしに論がおよぶときは、先手10組を統率したのは月番の老中であったかもしれないとの意識で判断をしたほうがいいようにおもった。


それはそれとして、先手10組の鎮圧命令がくだったときは、弓組での先任ということで『続実記』は、「先手筒頭」と誤記はしたが、長谷川平蔵を冒頭に置いた。

奥村忠太郎は筒組8名の中にまとめられ、末尾から2番目であった。

参照】2012年5月8日[ちゅうすけのひとり言] (94

ところが解任時は、ほかの9人の組頭をさしおき、1人だけ呼ばれ、あとはそなたから伝えよ、というこであったらしい。

上の【参照】をクリックして検分していただくとわかるが、奥村組頭は年齢からいっても家禄からみても、10名の真ん中へんの人物である。

なにごとにも先例、格式、礼法を重んじる幕府のこと、もしかしたら先任順かとおもいつき、【参照】から並べなしてみた。

 
筒7安部平吉信富(安永5年(1776)5月10日ヨリ)
筒6柴田三右衛門勝彭(天明元年(1781)11月12日ヨリ)
筒19安藤又兵衛正長(天明2年(1782)12月12日ヨリ)
筒17小野次郎右衛門忠喜(天明3年(1783)8月14日ヨリ)
筒2武藤庄兵衛安徴(天明4年(1784)10月28日ヨリ)
筒16河野三右衛門通哲(天明5年(1785)11月15日ヨリ)
弓2長谷川平蔵宣以(天明6(1786)年7月26日ヨリ)

西 奥村忠太郎正明(天明6年(1986)閏10月8日ヨリ)

弓6松平庄右衛門穏先(天明6年(1786)11月15日ヨリ)
筒9鈴木弾正少弼政賀(天明7年(1787)正月11日ヨリ)

奥村忠太郎がほかの9人の組頭と異なるところをしいて探すと、家柄が70年ほど以前に吉宗(よしむね)にしたがって江戸城入りした紀州勢ということぐらいであろうか。

もうすこしうがった解釈は、弓の先任、田沼派に近いという偏見で平蔵がはずされ、それなら4組しかいない西丸の先手からただ一人選抜された組頭であれば、このあとも妬みをかうまいと……まさか。


万策尽きた……とはこのような事態のときに使うのであろう。

この事態の解釈案をおもいつかれたら、コメント欄にご提案いただきたい。

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2012.05.01

先手・弓の6番手と革たんぽ棒(5)

細かなことは、近いうちに若年寄衆と町奉行どの、それに先手の若い組頭の数人が寄って詰めるが、まず、江戸を4つに区分けする---」

というのは、10組の先手組を2ヶの組ずつ組ませて5組とし、1区分けの鎮圧は組んだほうの1つの組で受けもつ。
騒擾がすべて片づくまで分担の区分けは変えない。

「なぜ、2ヶ組にするかというと、こんどの騒擾は5日とか7日とかの昼夜にわたる気配がする。1ヶの組では2昼夜で全員が疲れはてて物の用に立たなくなる。2ヶの共ばたらきの組なら、総勢が75人から80人、小者まで含めると150人にはなるから、これを50人ずつの3交代制にしてまわせば、寝たり休んだりが十分にできる。仮に10日におよぶ連日の仕事となってもつづけられよう」

愛宕下(あたごした)〕の伸蔵(しんぞう)が覚めた声で、
「なるほど、働くのが1なら、休むのと寝るのに2をあてると、無理がありやせんな」
「ほころびは、1と1で思案したとき、3日目におきると亡父から躾(しつ)けられた」
「なんでもご存じのお父上でした」

うなずいた平蔵が説明をつづけた。

4つに区分けしたら、その地図にまず、火の見櫓(やぐら)を位置を記し、それぞれの火の見櫓から1丁(109m)ずつ離れている櫓を拾い出してつなぎ(通報)の櫓とする。
つづいて、1つの区分けにした地区を、4つに色分けする――白、赤、青――この3つ色と間違いなく識別ができる色といったら黄色かな、いや、白と赤を斜めに仕切ったほうが見分けがきこう。その4つの小旗をすべての櫓に備えつける。

長谷川さま。昼間はそれで櫓から櫓へとつなぎがとれましょうが、夜はそうは参りませんな」
浅草、今戸をとりしきっている〔木賊(とくさ)〕の今助(いますけ 39歳)が指摘して盃の冷たくなった酒をすすり、恥ずかしげに下をむいた。

今助元締どん、いいところへ気がついてくれた。今助どんならどうする?」
「龕灯(がんどう)かなんかを明滅させますかねえ。1回ずつなら1の地区とか……」
「すばらしい案だが、1つの区画に何十もの龕灯をそろえるのはことだろうなあ」
平蔵の疑問に、〔耳より〕の紋次(もんじ 44歳)が、
「提灯(ちょうちん)を左右に振ったら1の地区、上下させたら2の地区、斜めだったら3の地区…………」
4の地区でつまると、引きとった権七(ごんしち 55歳)が、
「後ろへまわしたら4の地区」
「できた!」
平蔵が低く叫ぶようにいい、
「実際は、持ったまままわって背中をむけるんだろうがね。左右の1との判別がつくようにな」

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2012.04.30

先手・弓の6番手と革たんぽ棒(4)

翌日、平蔵(へいぞう 42歳)は、〔音羽(おとわ)〕の重右衛門(じゅうえもん 60歳)、〔木賊(とくさ)〕の今助(いますけ 39歳)、〔愛宕下(あたごした)〕の伸蔵(しんぞう 57歳)の3人の元締、それに〔耳より〕の紋次(もんじ 44歳)と〔箱根屋〕の権七(ごんしち 55歳)に町飛脚をたてた。

明宵の6ッ(午後6時)に、2ッ目ノ橋北詰のしゃも鍋〔五鉄〕に集まってもらいたい。
裏口から板場へ入れば、亭主の三次郎(さんじろう 38歳)が2階に案内する手はずにしておくと添え書きしておいた。


屋敷で浪人ふうに着替えてから、〔五鉄〕の板場へ顔をだすと、
「みなの衆、お揃いですから酒とつまみだけだしておきました。そろそろ、鍋を2つほど運びあげましょう」
待ちかまえていた三次郎が指図した。

平蔵の冷や酒だけが追加され、燗酒はもう酌がかわされていた。
ひと息ついたところで、
「じつは、元締衆に、またお願いごとがあり、その前に〔音羽〕の元締をはじめ、頼りにしておる衆の考えも徴しておきたくてな」

音羽台地に並んでおる先手組の弓の3つの組屋敷が肩書きごとに〔音羽会〕をつくり、有無(うむ)融通しあっていること、組頭は4の組が一色源次郎直次(なおつぐ 69歳 1000石)、6の組が(能見松平庄右衛門親遂(ちかつぐ 60歳 930石)であることを述べ、一昨々年につづき、この初夏あたり、大坂で打ちこわし騒動がおきそうな不穏な動きがあること、ことしのこの騒ぎはとりわけ大きく、去年の不作・不出来、長雨のせいで、多くの藩の城下町にひろがりそうでもあることを告げた。

「江戸での鎮圧には、町奉行と火盗改メがあたろうが、そんななまやさしい騒動でおさればいいのだが、われのの読みでは、先手組が10組ほども動員されよう。が、先手の組頭は、世間で[番方(武官系)の爺ィの捨て所]とはやされているごとく、老朽番頭の養老所と化しておる。われがもっとも若手でな。無能ゆえに41歳で爺ィ捨て山ゆきよ」

誰も笑わなかった。

長谷川さまが無能とは、誰もおもっちゃおりやせん。若返りの一番手だったのでございましょう」
音羽〕の重右衛門の言葉に、みんなうなずいた。

「ありがとうよ。みなの衆の慰めでいくらか救われたわ」
こんどは、みんな笑った。

「それで、先手10 組が鎮圧にあたっても、たぶん、おさまらないであろうから、元締衆の力が借りたいのだが、これは夜回りの火の用心のときとちがい、米価の高騰に難儀している町衆の反感をかうかもしれない」
平蔵の予想どおりに、元締衆がうなずいた。

「元締衆の商売は、町衆の人気がなによりも大事だから、うわさにも元締衆の名が表にでては困る。それで、ひそかにやっていただきたいのは---」
平蔵がいいよどむと、〔音羽〕の重右衛門がみなを代表し、
長谷川さま。わしらは、長谷川さまのためらな命のひとつやふたつはいつでも投げだす覚悟でおりやす。おためらいになることはありやせん、どうぞ、おっしゃってください。その上で、それぞれの元締衆が、おれはやる、おれは今回のにかぎっては辞退させてもらうが他言はしないと約定いたしやしょう」

「かたじけない。それではそういう約定の上でということですすめさせてもう。元締衆にやってほしいのは、物見のつなぎ(連絡)仕事なんだが---」
みんなが平蔵のほうへ首をのばした。

こころえた松造(よしぞう 37歳)が階段の上がりがまちへ立っていき、警戒についた。

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2012.04.29

先手・弓の6番手と革たんぽ棒(3)

「先ほども予測したとおり、数百人の暴徒による江戸の町中の騒擾は(そうじょう)は、火盗改メのひと組やふた組の出動で片がつくものではありませぬ。先手が10組……束になった300人でも追っつかないでしょう」

「さようでしょうか?」
小津筆頭が疑念をあらわにした目つきで問うた。

「先手の組頭が65歳から下の組は10組がやっとでした。組頭が老齢であっても、組の衆が男ざかりばかりであれば、これから1ヶ月も調練すれば、五分に戦えるほどまでには統制がとれようが、さて、指揮をだれがとるかです。先手を統率するのは若年寄です。いまの若年寄衆の中に、10組300人を指揮できる方がおられましょうや? いかが、第6の組頭どの?」

平蔵(へいぞう 42歳)に訊かれた松平庄右衛門親遂(ちかつぐ 60歳 930石)は、困ったという表情で答えなかった。

「われの推察では、10組はばらばらで暴徒にあたらされましょう。指揮はそれぞれの組頭にまかされる、といえば体裁はよろしいが、じつは上の方々が逃げをうつといったほうが正しいでしょう。細民の暴徒を抑えた経験はだれももっておりませぬからな」

「農民一揆の経験なら---」
口をはさみかけた長谷川組の筆頭与力・脇屋清助(きよよし)に、平蔵が、
「いや、筆頭の意見はもっともなれど、一揆には交渉の相手となる発頭人が向こう側におる。松代で調べてきた。ところが、一昨年の大坂の米問屋の打ちこわしには、相手方に代表がいなかった。とつぜん、自然に発火したような騒擾で、町方や定番衆が代表を探しているうちに、2軒の米問屋がこわされてしまっていたらしい」

持っている情報の量が、平蔵とではケタ違いであった。
脇屋とすれば、平蔵がいつのまに天明4年の大坂の異変を調べたのかしらなかったから、その手まわしのよさに舌をまき、ついていくしかないと観念していた。

参照】2012年1月14日~[庭番・倉地政之助の存念 ] () () () () () () 

「ところで、6番手のお頭に折り入ってのご相談があります」
松平親遂が夢からさめたように緊張してのりだした。

「革たんぽつき樫棒が納められたら、われの2番手組と合同で調練をやらしていただけないでしょうか?」
「ということは、本番のときにも2番手と6番手はいっしょに行動するということですな?」
「できれば、松平さまに総指揮をおとりいただき、われが総指揮並みという資格でお手伝いさせていただきます」

小津筆頭が笑みを隠しながら、組頭にうなずいた。

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2012.04.28

先手・弓の6番手と革たんぽ棒(2)

「いや、秘策といったのは、革たんぽつき樫棒のことではござらぬ」
平蔵(へいぞう 42歳)が、弓の6番手の筆頭与力・小津時之輔(ときのすけ 48歳 220石)の言葉を訂正しながら訊いた。

「こちらの組が火盗を最後におやりになったのは---?」
組頭の松平庄右衛門親遂(ちかつぐ 60歳 930石)と小津筆頭がぼそぼそと指おり数えたり訂正したりのやりとりを交わし、
「八代前の坂部左大夫明之 あきゆき 享年78歳=安永7年 800石)どのが明暦9年(1759)年まで足かけ10ヶ月ほどお勤めになったのが最後です」

「その明暦9年に、小津筆頭どのは---?」
「20歳でした。父が与力筆頭並だったので、与力見習いというかたちで皆さんの足手まといをしておりました」
「そうしますと、引き継ぎのときには---」

「書類送りの人足でした」
苦笑ぎみの返事に、
「いや、われは28歳でしたが同じでしたよ。う、ふふふふ」
平蔵が自嘲 ぎみに慰めたので、小津は48歳という年齢でありながら救われたように安堵のため息をころした。

それを見定めてから、
「筆頭がそういうことでしたら、ほかの与力、同心の衆もほとんと経験がないと推察します。つまり、火盗改メは捕り物用具のさす股、突(つ)く棒、打ち込みなどは次の組へ順送りにまわしていくので、火盗改メでない先手組は、そういう用具を備えていないということです」

「あ、なるほど……」
初めて気がついたように、松平組頭が合点した。
先手の 各組頭や与力たちが、騒動鎮圧に動員されることすら予測もしていないこともこれでわかった。

「革たんぽつき樫棒は、さす股や突く棒を持たない先手組の捕り物用具ということですな」
小津筆頭があらためて納得した。
「家に重代伝わっている本物の鑓(やり)や長刀(なぎなた)をひっさげて市中を走りまわるわけにはいきませぬ。そんな合戦いでたちでくりだしたら、天秤棒(てんびんぼう)や物干し竿竹の、暴徒たちを逆に興奮させるだけです」

平蔵につづけて脇屋清助(きよよし 59歳)筆頭が、
「うちの組頭は、大小の腰のものはどうするかも考えておくようにと組の者たちに謎をなげかけておられます」
「いや、火盗改メがふだん相手にしている盗賊たちではなく、ふつうの町の者たちが興奮しているだけの暴徒ですからな、あつかい方がむつかしい」
平蔵の補足に、齢かさの松平組頭は、そこまで深慮をすすめていたかと、うなうなずいた。

参照】2006年4月26火[長谷川平蔵の裏読み

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2012.04.27

先手・弓の6番手と革たんぽ棒

「それでは3月の中旬までに、1尺5寸(45cm)に棘(とげ)起こしをした鉄板を巻いた先っちょに、革たんぽをしっかりとつけた槍棒を30本、間違いなく納めてくれるのだな」
駄目おしをした平蔵(へいぞう 42歳)に、数奇屋河岸西紺屋町の武具舗〔大和屋〕仁兵衛(にへえ 57歳)が、
「一日でも遅れましたら、〔大和屋〕、長谷川さまへの申しわけに、代金を一文もお申しうけいたしませぬ」
「さすがは〔大和屋〕、みごとな申し状である。だがな、仁兵衛どん、 こたびのこれは、金銭ごとではないのだよ。期日なのだ。こころえておいてくれ」
「とくと腹に入れましてございます」

仁兵衛が退出するのを見とどけてから、この屋敷の主(あるじ)――松平庄右衛門親遂(ちかつぐ 60歳 930石)へ、〔大和屋〕が見本として持参したたんぽ槍棒のうちの1本を手渡し、
「お頭(かしら)どのもしっかりとお見定めいただいたとおり、革たんぽ棒は、3月中旬にはかならず納品されますから、騒擾(そうじょう)は4月以降であれば、いつ起きても治められましょう」

組頭の親遂に代わり、先手・弓の6番手の筆頭与力・小津時之輔(48歳 220石)が平蔵に訊きかえした。
「したが長谷川さま。ほんとうに騒擾は起きるのでございますか?」

「4月か5月には、間違いなくおきます」
「そのとき、わが第6の組に鎮圧の任が振られることも---?」
「間違いないでしょう」

長谷川組の筆頭与力・脇屋清助(きよよし 60歳)が問いを引きとった。
小津筆頭どの。 〔目白会〕の筆頭仲間ということで、失礼を神棚にあげてお尋ねします。こちらのお頭のお齢は---?」

小津筆頭松平組頭のうなずきをたしかめてから、60歳と応えると、脇屋筆頭が言葉をつないだ。
「34組ある先手のお頭のうち、弓はうちの長谷川さまと火盗ご本役の堀 帯刀(52歳)さまをのけて、50歳代以下のお頭は---?」
「---なし」

「鉄砲(つつ)組のお頭では――?」

武藤庄兵衛安徴(やすあきら) 46歳 2の組
安部平吉信富(のぶとみ) 59歳 7の組
鈴木弾正少弼政賀(まさよし) 48歳 9の組
小野治郎右衛門忠喜(ただよし) 54歳 17の組
奥村忠太郎正明( ただあきら) 56歳 西丸 4の組

「5人の組頭さま――のみ」
「10ヶ所で同時に狼藉を働かれたら、まるで手不足ですな」
「あと――何組?」
「4組。60歳を入れてみてだされ」

「うちのお頭――
筒の19の安藤又兵衛正長( まさなが)]さま、60歳」

「60歳代では、ほかに――?」

「弓の7の河野勝左衛門通哲(みちやす)さま、64歳
筒の6・柴田三右衛門勝彭(かつあきら)さま、65歳」
「できた!」
と平蔵。

「つまり、わしの組ものがれられないということか」
松平庄右衛門がしみじみとした声音でいったので、座が笑いにつつまれた。
愛宕下の塔頭を20院ほども擁している名刹・天徳寺の門前町、先手・弓の6番手松平家の屋敷であった。

長谷川うじ。4月が5月という読みは?」
「大坂の東のお町(奉行)・佐野豊前(守政親 まさちか 56歳 1100石)さまからの秘密の狼煙(のろし)です」


(能見)松平庄右衛門 親遂が、去年――天明6年(1786)閏10月に病死した新見(しんみ)豊前守正則(まさのり 享年59歳)の後任として先手・弓の6番手の組頭に就任したことはすでに記した。
庄右衛門 親遂の前職は、本丸の小十人頭で、平蔵の亡父・宣雄(のぶお 享年55歳)が先手の組頭につく前のポストであったから、平蔵はなんとなく親しみをおぼえていた。

(この本丸・小十人の頭時代に継室の仲立ちをしたのかもしれない)

酒と食事が供されたついでに、つい、老中職・田沼意次(おきつぐ)の木挽町(こびきちょう)で火盗改メの組頭・横田源太郎松房(としふさ 42歳 1000石)ともどもに諮問をうけたことを打ち明けた。

参照】2011年9月10日[老中・田沼主殿頭意次の憂慮] () () () (

つづいて、大坂からひそかに出府してきていた佐野豊前守政親もいた席で、べつに秘策があると洩らしていた。

参照】2012年4月8日[将軍・家次の体調] (

「そのとき、秘策と申されたのが、この革たんぽつきの樫棒でございましたか?」
小津筆頭が納得の声を発した。

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2012.04.25

先手・弓の目白会(6)

(そういえば、『鬼平犯科帳』全24巻の中に、火盗改メの組屋敷に放火する盗賊団の凶行はあったかな)
老練な組頭・一色源次郎直次(なおつぐ 68歳 1000石)の自慢と矜持ともつかない独断を拝聴しながら、ちゅうすけは池波さんと交わした会話をおもいだしていた。

池波さんとともにちゅうすけは、読売新聞社による〔映画広告賞〕の審査員を10年間ほどつとめていたことがあった。

審査後のくつろいだ雑談のときに、
長谷川平蔵は火盗改メですから、放火犯を捕らえるのも役目のうちですが、そっちの話はあまりでてきませんね」
うっかりいってしまった。

池波さんは怒りも しないで、
「火事の描写はむずかしいんだよ。ぼくは火事がきらいでね」
これだけおっしゃった。

ところが、それから半年もしないうちに長編『炎の色』が発表された。
「あ、ご返事のおつもりだな」
おもうとともに、未完におわった『誘拐』の、少なくともおまさを救出する場面だけは、このブログで書かないと、と奮起した。

そのつもりで今年までやってきた。
ところが、ちゅうすけに病魔がとりつき、余命がいくばくもないことを担当医に宣告された。

平蔵はまだ41歳、火盗改メにすらなっていない。

ところで、悪知恵にたけた盗賊団が報復のために放火するとしたら、組屋敷であろうか、役宅か。それとも平蔵の自宅か。

犯科帳』は物語の都合で役宅が重要な地位をしめている。
もちろん、池波さんもそのことは百もご承知だし、読者のほうもこころえながら、架空の役宅での起伏をたのしんでいる。
ただ、ちゅうすけとしては、このブログでは史実どおりに、三ッ目の通りの長谷川邸を役宅としたい。
とすると、放火されるのは長谷川邸となる。
ただ1238坪もある敷地だから樹木も多かろう、周囲の幕臣の屋敷も似たようなものだ。
日本橋あたりの商舗が密集した地区のように大火になるかどうか、自信(?)がない。

ということで、思案がきまらない。
で、目白台の組屋敷に通じている一色直次老にうかがいを立ててみた。

「それは君ィ、盗賊によるさ。〔蓑火みのひ)〕の喜之助や〔狐火きつねび)〕の勇五郎なら放火なんかしないだろうがね」
「両巨頭ともすでに死んでしまっています。相手は、〔荒神こうじん)〕のおです」
「おなご、なあ。おなごは日によって気分がころころと変わるからの。その場になってみないことには、なんともいえない。ま、両様の対策をたてるんだな」

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2012.04.24

先手・弓の目白会(5)

「そうそう、女将(おかみ)どのはこの店を継ぐために紀州からくだってみえたそうじゃが、目白不動尊にお参りになったことがあるかの?」
一色源次郎直次(なおつぐ 68歳 1000石)老は、座敷では長老格なものだからご機嫌であった。

「いえ。罰あたりやなあおもうては、首、ちぢめとりますねん」
「それはいかんな。江戸には目黒、目白、目赤、目青、目黄の有名5色不動があってな。一生のうちにひとわたりお参りしておかぬと、いつ厄をつかむかしれぬとのいいつたえがある。花の季節になったら、爺ィめが手引きして進ぜよう」
「うれしい。げんまん」
奈々(なな 19歳)がためらいもなく小指を一色老にからませたので、平蔵(へいぞう 41歳)は安堵した。
松平庄右衛門親遂(ちかつぐ 59歳 930石)も笑いながら、奈々一色老の、
「針、千本」
に和唱していた。

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目白不動堂 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

「第6のお組頭の松平どのが証人じや。きっと約束したぞ。ところで松平どのは着任まだ1ヶ月だからご存じかどうか、目白台地に組屋敷がある先手・弓の長谷川どの第2の組、一色組の第4、松平どのの組の第6の、この3組をご公儀がもっとも頼りにしている理由(わけ)をお耳になさったことがおありかな?」

常遂がしらないと応えてたのにつづき、平蔵も、
「手前も不肖にして聴きおよんだことがありませぬ。ぜひ、お教えください」

直次老が顔の前で掌をふり、
「明和9年(1772)の目黒・行人坂の火付け犯をお挙げになった長谷川うじはご存じとおもっておったが---」
もったいをつけた。

「江戸の半分を焼いたといわれておる行人坂の大火で、そのずっと前の明暦の大火でも、目白台地の3つの組の組屋敷は類焼しておらん。したがって、余燼がくすぶっているときから火元の探索と犯人の捜査に活躍しましたのじゃ」

なるほど、火事があれば火盗改メに任じられている組はもちろん、そうでない先手の与力・同心も動員されるのは道理だが、組屋敷が類焼していては出動どころではあるまい。

一色老の尻馬にのっていうと、類焼すれば復旧までの数ヶ月間は役務にさしつかえようし、公儀の見舞金もかなりのものであろう。

ちゅうすけのつぶやき】一色源次郎老の見解が正しいかどうか、ちゅうすけも史料をあたってみた。
類焼した町々の地図を手元におき、目黒・行人坂の大火後から5年間のうちに火盗改メに任じられた組頭10人の組屋敷を拾ってみると、

類焼とは無縁の組屋敷
目白台( 弓の2、4の組)  3人 

四谷本村(弓の8の組)   1人

本所四ッ目(弓の3の組)  2人

小日向(鉄砲の19の組)  2人

はっきりしない組屋敷
麻布谷町(鉄砲の7と8の組)2人     


ちゅうすけ注】江戸五色不動

目白不動(戦後廃寺。現・金乗院 豊島区高田2-12)
目黒不動(滝泉寺 天台宗 目黒区目黒 3-20-26)
目赤不動(南谷寺 天台宗 文京区本駒込1-22)
目青不動(教学院 天台宗 世田谷区太子堂4-15)
目黄不動(永久寺 天台宗 台東区三ノ輪 2-14- 5)

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2012.04.23

先手・弓の目白会(4)

「江戸と薩摩のあいだはまもなく肌1枚分もなくなる」
平蔵(へいぞう 42歳)が、わざとしもじものたとえでいったのは、つい半年前まで西丸に勤仕していたこころやすだてからであった。

だれとのこころやすだて? 若君として西丸の主(ぬし)であった家斉(いえなり 14歳=天明6年)と茂姫 (しげひめ 14歳=同上)である。

ちゅうすけ注】一橋家が薩摩藩の金銭的援助を期待しての婚約といわれていたが、治済(はるさだ)の息・豊千代(とよちよ のちの家斉)が将軍家の継嗣養子となったため、茂姫はあらためて近衛経熙卿の養女・寔子(ただこ)ということで格式をあげた。
いったい、どの段階で寔子と記せばいいのか、浅学にして判断がつかないのはご容赦。

一橋と薩摩の藩主・重豪(しげひで 41歳 72万8700余石)のむすめ・茂姫の婚約が成り、姫は天明元年(1781)にはやばやと一橋家へ居を移していた。
ときに豊千代・茂姫はともに10歳であったから、このだんかいでの同衾はありえまい。
(双方ともに安永2年(1773)の生まれだが、姫のほうが5ヶ月姉)

家斉寔子が本丸へ居を替えたのは天明6年の11月――ともに14歳のときのようだが、式はあげていなかった。
江戸と薩摩のあいだは、まだ、400余里(1600km)へだたっていたと見る。

九節板(クジョルバン)の実を不器用に包みはじめたころあいに、平蔵がなにげない口調で
一色さま。女将がお口にかなったかどうか、気にいたしております」

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(クレープ包み クジョルパン(九節板)〔松の実〕製)

「もちろん、この九節板をはじめ、初めての料理ばかりじゃ。初ものを食(しょく)せば寿命が3年は延びると世にいう。されば、今宵の6品はすべて初もの――3年に乗ずることの6倍で18年長生きさせてもろうた。女将、お礼をいわせてくだされ。ひき換え、お上のこたびの印旛沼干拓の中止、金銀の山掘りもやめ、蝦夷地の開発も見あわせでは、新しいことはなにもやらないも同然」

奈々(なな 19歳)が微笑んで、一色老の碗にマッコリを少なめによそい、すすめた。


Photo
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(先手・弓の4番手の組頭・一色源次郎直次の個人譜)


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2012.04.22

先手・弓の目白会(3)

一色さま、松平さま。申しあげるのが遅くなりましたが、今宵、席を設けましたところは、いま、一色さまのお口からでました田沼侯にかかわりのある者の内室であった女性(にょしょう)が女将をやっていた茶寮です」

いまは、亡じた女将の縁者が取り仕切っているが、との平蔵(へいぞう 42歳)の前触(さきぶ)れに意外にも、松平庄右衛門(親遂 ちかつぐ 59歳)が応じた。
田沼侯にかかわりのあるが茶寮と申されると---一橋の北の---そう、〔貴志〕とか申した---」

その〔貴志〕が深川へ移り、〔季四〕と店名を改めてやっているが、今宵は店で出しているふだん料理ではなく、朝鮮の宮廷料理のほんの一部を特別にたのんでおいたと告げると、
「朝鮮国の宮廷料理とは---初めて口にする」
大よろこびであった。

食材が手に入らないので、これは今宵かぎりの献立であり、2度と所望できないことも強調した。


屋根船が2舟着きに寄せると、奈々(なな 20歳)が〔黒舟〕のお(きん 43歳)と出迎えた。

奈々平蔵に指示されたとおり、まるで孫の嫁でもあるかのように一色源次郎直次(なおつぐ 69歳 1000石)につきっきり、下船のときは手をとってささえながら足元に気をくばり、大地をふんでからも掌と腰にそえた手をはなさない。
組頭とすると、おもいもかけない好遇に苦笑するどころか、奈々の手を握りしめんばかりの勇みぶりであった。

奈々も、しつらえられた座敷の上座につけるまで、差しそえた手を引かないで孫嫁孝行をやめなかった。
(いや、おんなが男をその気にさせるのは、こりゃあ、天性のものらしい)
平蔵も内心、舌をまいていた。

出された朝鮮料理については、体調がすぐれないので、過去の記事で手抜きさせていただく。
この3ヶ月間、料理はおろか水も酒も、一箸一滴、喉を通していない。
(これから先も、同じ日々がつづく)

参照】2011年10月21日~[奈々の凄み] () () () (


長谷川うじが並みの武士でないことは、以前の西丸の徒(かち)の頭衆のうわさで承知はしていたが、唐・天竺(から・てんじく)の料理にまで通じておるとは夢にもおもわなかった」
一色どの。唐・天竺ではございませぬ。朝鮮の宮廷料理の一部です」
「いや、唐・天竺は朝鮮とは地つづきでござろう?」
「それはそうですが、天竺と朝鮮は江戸と薩摩までの隔たりの10倍ではきかぬほど離れております」
「それよ。朝鮮から天竺までは、江戸・薩摩藩の10倍以上もあるということを、幕府の武士たちでしっておるのが何人いることか」

「江戸と薩摩のあいだはまもなく肌1枚分もなくなることは、みな存じておりますが---」
「なに? 肌1枚分も? ああ、そのことか。そうであった、あは、ははは」

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