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2008.11.10

宣雄の同僚・先手組頭

長谷川どのは、弓の組頭。先手は、鉄砲(つつ)よりも弓のほうが格が上。鉄砲組のお頭で、弓の組頭への組替えを狙っておられる方がいても不思議はない」
だから、父・平蔵宣雄(のぶお 50歳)の落ち度にめを光らせている鉄砲組の組頭がいる---と、西丸・目付の佐野与八郎政親(まさちか 37歳 1100石)から教えられた銕三郎(てつさぶろう 23歳)は、新大橋で、
「与八郎お兄上。ここで戻ります。これから暗くなります。お足元にお気をおつけになって---」

供の小者にも、
「お兄上の足元を、よく、照らすようにな」
注意して別れたが、そのまま、三ッ目の屋敷へ帰る気にならなかった。
四ッ目の〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ 45歳すぎ)の〔盗人酒屋〕に行こうか、永代橋東詰の〔須賀〕へ顔を出そうかと思案したが、どちらの居酒屋も、徒(かち)目付の下働き・徒押(かちおし)がいるように思えた。

それで、押上の春慶寺の離れに寄宿している剣友・岸井左馬之助(さまのすけ 23歳)を呼びだして、どこかで飲むことにした。

夏なので、戸口を開けはなして夜風を入れている町屋の多い夜道を、竪川ぞいに東へ歩きながら、父の同僚の先手の組頭のだれかれをおもいうかべながら、父の席を狙いそうな仁を捜したが、残念ながら、登営前の銕三郎の知識では、ほんの2、3人しかうかばなかった。

銕三郎に代わって、ここで、宣雄の同僚の先手組頭を紹介しよう。
幕府の先手組は、宣雄宣以(のぶため 鬼平時代は弓の2番手の組頭)・辰蔵(たつぞう 家督後は宣義のぶのり のちに弓の8番手の組頭)は、弓組が10組、鉄砲組が20組、西丸に4組があった。

弓組でも、1番手と9番手は、〔駿河組〕の別名をもち、伝統があった。
鉄砲組の〔駿河組〕は、1番手と16番手の2組だけ---そう、うち16番手は本多采女紀品(のりただ 55歳 2000石)が、ついこのあいだまでお頭に就いていた組である---が同心が50人、ほかは30人ずつ。
家康が駿府にいたころからあった組だが、鉄砲の数がそれほど多くはなかったのであろう。
同心が50名というのは、そのころの名残なのかもしれない。

弓の4番手、5番手の異称は〔割組〕。
同じく6番手が〔新組〕

鉄砲の3番手が〔江戸組〕で、同心50人。

明和5年(1768)初夏現在の、弓組の組頭から、まず---。
番手(組屋敷)
(氏名 年齢 禄高 この年までの在職あしかけ年数)

弓組
1番手(駿河組 牛込山伏町) 
 松平源五郎乗通(のりみち)  74歳  300俵 16年め
2番手(目白台)
 奥田山城守忠祇(ただまさ)  60歳  300俵  6年め
3番手(四ッ目南割下水)
 堀 甚五兵衛信明(のぶあき) 59歳 1500石  9年め
4番手(割組 目白台)
 菅沼主膳正虎常(とらつね)  54歳  700石  3年め
5番手(割組 四谷本村)
 能勢助十郎頼寿(よりひさ)  67歳  300俵  2年め
6番手(目白台)
 遠山源兵衛景俊(かげとし)  61歳  400石  6年め
7番手(麻布竜土町)
 長谷川太郎兵衛正直(まさなお)59歳1470石  8年め
8番手(市ヶ谷本村)
 長谷川平蔵宣雄(のぶお)   50歳  400石  4年め
9番手(新組 関口・角筈)   
 橋本河内守忠正(ただまさ)   58歳  500俵  2年め
10番手(青山権田原)
 石原惣左衛門広通(ひろみち) 76歳  475石  3年め

このリストで気がついたことが2件。

まず、先手組頭は、番方(武官系)幕臣の終着駅かその一歩手前とはいい条、あまりにも高齢化しているということ。
先手組は、戦争となれば、真っ先を駆ける先頭軍団である。
もちろん組頭は騎乗であろうが、60代、70代で、戦闘のような荒れ仕事がこなせるであろうか。

第2件めは、弓組のような格式の高いところへ、長谷川宗家から太郎兵衛正直、支家から平蔵宣雄と、10人中2人も占めていれば、とうぜん、怨嗟の目がむこうということ。
つまり、平蔵宣雄は、狙われるべくして狙われたといえる。

銕三郎は、父の人格を尊敬しているから、そのことには気がまわらない。
父・宣雄は、組頭になって、
(とうぜん---)
と考えている。

ただし、自分の女性関係、交友関係が失点になっても仕方がないとは、自覚した。
これまで、みずからすすんでではないとしても、あまりに無頓着すぎた。
  
参照】長谷川太郎兵衛正直 2008年3月17日[ちゅうすけのひとり言] (9)
[明和2年(1765)の銕三郎] (3) (7)
[火盗改メ索引] (1)

2008年6月15日~[長谷川平蔵宣雄の後ろ楯] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16)  
2007年12月18日[平蔵宣雄の五分(ごぶ)目紙]

[宣雄の同僚・先手組頭] (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) 

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