〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵(3)
書院で、長谷川平蔵(へいぞう 36歳)は沈思していた。
机上には『孫子』のある丁(見開きページ)が小半刻(30分)もそのままになっていた。
開かれたままの丁は、冒頭の[計篇]の、
兵とは詭道(きどう)なり。故(ゆえ)に能(のう)なるも之(こ)れに不能を視(しめ)し、用(よう)なるも之れを不用視し、近きも之れに遠きに視し、遠きも之れに近きを視(しめ)す。
戦争とは、敵をきれいにだましきる行いである。体制が整っていても整っていないようにおもわせ、訓練ができていても未熟な状態のように見せかけ、目的地の近くまできていてもはるかに離れているように装い、遠くにあってもすぐ近くまできているようにあざむくのである。
(お竜(りょう 享年33歳)の口ぐせの一つをお勝(かつ 40歳)は、(手がかりをのこさない)であったとおぼえていた。
(手がかりをのこさない)ことの第一は、その仕事(つとめ)が〔蓑火(みのひ)〕一味、あるいは〔狐火(きつねび)〕一統のものと疑われないことであろう。
ところが、全部にはほど遠かろうが、4件ほど、平蔵は〔蓑火〕の仕事と見破って邪魔をした。
第1の邪魔は、成り行きでそうなってしまった、向島の料亭〔平岩〕であった。
【参照】2008年10月15日[お勝(かつ)というおんな] (4)
2008年10月19日[〔橘屋〕のお雪] (3)
第2と第3は、〔尻毛(しりげ〕の長助〕が発端であった。
もっとも、〔伊庭(いば)〕の紋蔵(もんぞう)事件は、盗賊〔蓑火〕と香具師(やし)の〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 享年62歳)との鞘当てを回避させただけてだあったが。
【参照】2008年10月31日[〔伊庭(いば)〕の紋蔵]
2010年4月26日~[〔蓑火(みのひ)のお頭] (9) (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16)
4番目の邪魔は、第3件目のおまけのようなかたちで解決したばかりか、〔蓑火〕一族は、〔殿(との)さま〕栄五郎(えいごろう )という至宝を失うことにまでなった。
【参照】2010年6月27日~[〔草加屋〕の女中頭助役(すけやく)・お粂] (1) (2) (3) (4)
もちろん、第3と第4の事件は、〔中畑〕のお竜が〔蓑火〕一統の軍者(ぐんしゃ 軍師)の任を解かれ、放出するように〔狐火〕の勇五郎(ゆうごろう 48歳=当時)へ渡された。
それにしても、〔蓑火〕の喜之助ほどの大盗人が、毛むくじゃらのせいでひと目で〔尻毛〕の長助とわかる男を連絡(つなぎ)役に使ったのはおかしい。
もちろん平蔵は、日本橋通りの両替為替商〔門(かど)屋を狙う案を立てたのが〔蓑火〕の小頭の一人であった〔五井(ごい)〕の亀吉(かめきち 40代)と〔殿さま〕栄五郎であったとはしるよしもない。
記憶を反芻していた平蔵は、〔狐火〕の勇五郎と14年も前に交わした〔うさぎ人(にん)〕にまつわる会話をおもいだした。
〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 52歳=当時)はこういわなかったか。
江戸だけで、
「〔直(じき)うさぎ〕が3人、ほかに7人の〔独りうさぎ〕と内々の約定をむすんでおります」
さらに、古府中(甲府)は〔初鹿野(はじかの)〕の音松(おとまつ 40代)の領分だと。
盗人世界の大物小者の頭(あたま)が江戸へ配っている〔直うさぎ〕の数だけでも20人はくだるまい。
〔独りうさぎ〕は50人はいるとみてよかろう。
しかも彼らは耳にした風評を相互交換しあっていよう。
火盗改メの小者の中にも、〔うさぎ〕に買収されているのがいないともかぎらない。
まずは、身内のそ奴たちをどうやって見つけ、掃除するか。
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