カテゴリー「124滋賀県 」の記事

2011.01.24

〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵(3)

書院で、長谷川平蔵(へいぞう 36歳)は沈思していた。
机上には『孫子』のある丁(見開きページ)が小半刻(30分)もそのままになっていた。
開かれたままの丁は、冒頭の[計篇]の、

_100兵とは詭道(きどう)なり。故(ゆえ)に能(のう)なるも之(こ)れに不能を視(しめ)し、用(よう)なるも之れを不用視し、近きも之れに遠きに視し、遠きも之れに近きを視(しめ)す。

戦争とは、敵をきれいにだましきる行いである。体制が整っていても整っていないようにおもわせ、訓練ができていても未熟な状態のように見せかけ、目的地の近くまできていてもはるかに離れているように装い、遠くにあってもすぐ近くまできているようにあざむくのである。

(お(りょう 享年33歳)の口ぐせの一つをお(かつ 40歳)は、(手がかりをのこさない)であったとおぼえていた。

(手がかりをのこさない)ことの第一は、その仕事(つとめ)が〔蓑火(みのひ)〕一味、あるいは〔狐火(きつねび)〕一統のものと疑われないことであろう。

ところが、全部にはほど遠かろうが、4件ほど、平蔵は〔蓑火〕の仕事と見破って邪魔をした。

第1の邪魔は、成り行きでそうなってしまった、向島の料亭〔平岩〕であった。

参照】2008年10月15日[お勝(かつ)というおんな] (
2008年10月19日[〔橘屋〕のお雪] (3

第2と第3は、〔尻毛しりげ〕の長助〕が発端であった。
もっとも、〔伊庭(いば)〕の紋蔵もんぞう)事件は、盗賊〔蓑火〕と香具師(やし)の〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 享年62歳)との鞘当てを回避させただけてだあったが。

参照】2008年10月31日[〔伊庭(いば)〕の紋蔵]
2010年4月26日~[〔蓑火(みのひ)のお頭] () (10) (11) (12) (13) (14) (15) (16

4番目の邪魔は、第3件目のおまけのようなかたちで解決したばかりか、〔蓑火〕一族は、〔殿とのさま栄五郎(えいごろう )という至宝を失うことにまでなった。

参照】2010年6月27日~[〔草加屋〕の女中頭助役(すけやく)・お粂] () () () (

もちろん、第3と第4の事件は、〔中畑〕のおが〔蓑火〕一統の軍者(ぐんしゃ 軍師)の任を解かれ、放出するように〔狐火〕の勇五郎(ゆうごろう 48歳=当時)へ渡された。

それにしても、〔蓑火〕の喜之助ほどの大盗人が、毛むくじゃらのせいでひと目で〔尻毛〕の長助とわかる男を連絡(つなぎ)役に使ったのはおかしい。

もちろん平蔵は、日本橋通りの両替為替商〔門(かど)屋を狙う案を立てたのが〔蓑火〕の小頭の一人であった〔五井ごい)〕の亀吉(かめきち 40代)と〔殿さま栄五郎であったとはしるよしもない。

記憶を反芻していた平蔵は、〔狐火〕の勇五郎と14年も前に交わした〔うさぎ人(にん)〕にまつわる会話をおもいだした。
〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 52歳=当時)はこういわなかったか。
江戸だけで、
「〔直(じき)うさぎ〕が3人、ほかに7人の〔独りうさぎ〕と内々の約定をむすんでおります」
さらに、古府中(甲府)は〔初鹿野はじかの)〕の音松(おとまつ 40代)の領分だと。

参照】2008年10月23火[] () (

盗人世界の大物小者の頭(あたま)が江戸へ配っている〔直うさぎ〕の数だけでも20人はくだるまい。
〔独りうさぎ〕は50人はいるとみてよかろう。
しかも彼らは耳にした風評を相互交換しあっていよう。
火盗改メの小者の中にも、〔うさぎ〕に買収されているのがいないともかぎらない。

まずは、身内のそ奴たちをどうやって見つけ、掃除するか。

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2011.01.23

〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵(2)

「お(りょう)姉さんの口ぐせ---? (手がかりをのこさない)かなあ。それとも、(1000両あったら600両盗ればよしとする)だったかなあ」
(かつ 40歳)が口ごもりながら、おもいだしていた。

は33歳の秋、大津の近くの琵琶湖で溺死した。

平蔵(へいぞう 36歳)が盃を満たしてやった。
浮世小路の蒲焼〔大坂屋〕の2階であった。

白焼きをつまみながら、干した。
こんどはおが、平蔵に注いでから、平蔵の手をさえぎり、手酌した。

「なるほど、(手がかりをのこさない)か---盗人(つとめにん)側に当日も後日も損傷を一人もださない策を講じるということだな。『孫子』でいう、(国を全うするを上とする)の盗賊(つとめ)版というわけだ」
「(国を全うする)って?」
「接している国に対しては常に優位に立ち、こちらに側にどのような損害もださない、とでもいえばいいのかな。ところでおは、〔大滝おおたき)〕の五郎蔵(ごろぞう 43歳)という小頭をしっておるか?」
「わたしはもっぱら引きこみ役で、お盗(つとめ)のときには内側から錠をあけて手引きをすだけでしたからお姿は見たことはありますが、口をきいたことはありません」

平蔵がうなずいたとき、仕事を終えたお乃j舞(のぶ 22歳)があがってきた。
平蔵が酒をすすめると、首をふった。
「そうだった、お乃j舞はやらなかったな」

父親が酒場で知りあったおんなを後妻にし、14歳のお乃舞と11歳の妹・お(さき)が島原あたりへ売られるところを、京都西町奉行所の与力・浦部源六郎(げんろくろう 51歳)の配下同心・長山彦太郎(ひこたろう 30歳)の口添えがあり、家を出られた。

参照】2009年9月26日~[お勝の恋人] () () (
2009年10月26日[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)] (8

父親の酒ぐせの悪さを見ていたので、お乃舞は一滴も口にしなかった。

「それでは、ここで、夕餉をすますか?」
「今日のここの勘定は、わたしが持ちます」
「まかした。お乃舞、下で注文し、ついでに新しい銚子をもらってきてくれ」

乃舞が下へ降りたのを見すまし、
「〔蓑火みのひ)〕の喜之助(きのすけ 59歳)の口ぐせは? お乃舞には聞かせたくないであろうから、親類の爺ぃさんの言葉のようにして話せ」

乃舞が新しい酒を平蔵とおに注ぎ、そのまま、おの横の座った。

「親戚の喜之爺ぃさんには、3年に一度ほどしか顔をあわせませんでしたが、図面が好きで、訪ねると、いつも、特別あつらえの眼鏡をかけても何かしらの図面を眺めていました」
「ほう、図面爺ぃさんであったか。おもしろい爺ぃさんだったのだな」
うなずき、あとは世間話にきりかえた。

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2011.01.22

〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵(1)

「お申し越しの儀、興趣が湧きましたが、熟慮の末、あ会いしないですますほうが、双方にとって護身になろうかと---」
くせの強い筆跡の返書の大意はそういうことであった。
大滝おおたき)〕の五郎蔵(ごろぞう 43歳)から平蔵(へいぞう 36歳)あてのものである。

平蔵からの、(一度、話しあいたい)と書きおくった、中山道・浦和宿の商人旅籠〔藤や〕気付けの飛脚便が熊谷宿・〔富士見屋〕へ転送され、江戸のどこかの盗人宿にひそんでいる五郎蔵の手にわたったらしい。

転送の手順をみても、〔蓑火みのひ)〕一味の機能が並みのものではないことを、平蔵は読みとった。

参照】2010年7月19日~[〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵からの書状] () (

最初に浦和宿の商人旅籠〔藤や〕気付けにしたのは、お(のぶ 28歳=当時)が情人(いろ)の〔戸田とだ)〕の房五郎(ふさごろう 34歳=当時)と遊びにいったことを、旅荘〔甲斐山〕での出事(でごと 交合)を終えたあとに告げたからであった。

銕三郎(てつさぶろう)時代に、〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 享年33歳)から、〔蓑火〕の喜之助(きのすけ 享年67歳)が、中山道の商人旅籠を買いつないでいたことを聞かされていたから、日信尼の話をやすやすと信じた。

参照】2006,年2月16日[〔駒屋(こまや)〕の万吉]

このほかにも、生前の日俊老尼(にっしんろうに 享年74歳) と、毎夜のように添い寝をしていたことも告白した。
老尼は、
「比丘(びく 男僧)と睦んではならぬ。抜きさしならなくなる。比丘尼同士がこうして肌と肌をあわせながら邪欲を霧消させ、気を鎮めておるだけなら、破戒にはならない」
老尼はいいわけどおりに満足であったろうが、大年増の日信尼の躰のほてりは鎮まるはずがなく、おき火の始末に苦しんだと。

「老尼の滅寂(めつじゃく)後はどうしておる?」
日信尼は、嫣然と微笑んで応えなかった。

ちゅうすけ注】その日から10数年後、密貞おまさが〔荒神(こうじん)〕のおなつ 26歳)とおぼしい者に誘拐されたとき、平蔵(50歳)は、お日俊老尼との夜の営みをもっと身をいれて訊いておくのだったと、ひそかに悔やんだ。

五郎蔵が会見を拒んだとなると、あっちがどれほどにこちらの風聞を手持ちしているか、しりえない。
元日から3日目の五ッ半(午前9時)に、牛込築土下の牟礼(むれい)郷右衛門勝孟(かつたけ 61歳)邸へ年詞へうかがうのはここ数年来のしきたりだが、牟礼家の門番あたりを居酒屋へ連れだして呑ませれば訊けようが、それを歳末から2,3日のうちにやってのけているところに、底しれない組織力を感じた。

いまの幕府のだれきっている役人では、そう、手早くはやれなかったろうし、気くばりもできまい。

五井ごい)〕の亀吉(かめきち 33歳)の女房(いち 38歳)に年越し金をとどけてやったことを2日もしないで耳にいれているということは、深川・島田町の衣知の家にも看察の糸が張られているということだ。

(こういうときにお(りょう 享年33歳)が生きていたら、ある程度は糸の張り方を訊けるのだが---)
ひらめいた。
(〔蓑火〕一味にいたことのあるお(かつ 40歳)がいたではないか)

参照】2008年11月15日~[宣雄の同僚・先手組頭] () () (

には、おほどの計略や策謀の才はないが、観察力はあった。

を浮世小路の蒲焼〔大坂屋〕へ呼び出した。

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2008.10.31

〔伊庭(いば)〕の紋蔵

火盗改メ方の本役・本多采女紀品(のりただ 55歳 2000石)の捕り方同心筆頭・鳥越亥三郎(いさぶろう 48歳)の指揮で、同心4名、小者13名が、〔伊庭(いば)〕の紋蔵(もんぞう 32歳)一味の隠れ家---薬研堀北側の家を急襲した。

参照】本多采女紀品の最新情報は、[〔蓑火(みのひ)〕のお頭] (3)
本多采女紀品と銕三郎のかかわりは、2008年2月10日~[本多采女紀品] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) 
2008年2月20日~[銕三郎、初手柄] (1) (2) (3) (4)

紋蔵は、〔蓑火みのひ)〕の喜之助(きのすけ 46歳あたり)の配下であったが、今年の1月に破門されていた。

参照】〔伊庭〕の紋蔵と〔木賊(とくさ)〕の林造のかかわりは、[〔うさぎ人(にん)・小浪] (4)

破門の理由(ことわり)は、元旦の盗み(おつとめ)・神田鍋町の海苔問屋〔旭耀軒・岩附屋〕で、一味の働きをよそに、またしても、店主・又右衛門(52歳)の後妻・お(とも 28歳)の鏡台から白玉のかんざしを懐に入れたのが、喜之助お頭に知れたのである。
盗(おつとめ)みのたびに、玉類をあさるので、喜之助がいつも叱るのだが、その盗癖(?)はやまなかった。
盗品を故売するわけではなく、玉類に魅せられていたとしか、いいようがない。

参照】明和5年正月元旦未明の海苔問屋〔岩槻屋〕の事件は、[〔蓑火(みのひ)〕のお頭] (5) (6) 

紋蔵は、近江国神崎郡(かんざきこおり)の、大津宿に近い伊庭村の漁師の息子である。
父親にしたがって琵琶湖で漁をしていたとき、網に白玉をあしらった根付がひっかかった。
それ以来、玉のあやしい魅力にとりつかれ、けっきょく、盗みの道へ入った。

ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』巻1[座頭と猿}で、〔夜兎ようさぎ)〕の角右衛門一味の〔尾君子びくんし)小僧〕こと徳太郎が、大坂の〔(くちなわ)〕の平十郎に借りられたので、飯倉3丁目で唐物の〔白玉堂〕をだしている紋蔵にあいさつに行く。この紋蔵の前身が〔伊庭〕の紋蔵である。

ということは、本多組の急襲のとき、どうしたわけか、紋蔵はその隠れ家に居合わせなくて、逮捕をのがれた。
深川・櫓下の娼家にでも居つづけていたか、押入れの奥に秘密の抜け道をつくっていたのであろう。
銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)の推察では、抜け穴説である。

武田信玄配下の軒猿(のきざる 忍びの者)の末裔を母親にそだてられた〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 29歳)が、〔蓑火〕一味の盗人宿や支配下の商人旅籠にかならず設ける抜け道を見しっており、薬研堀のそこにもしつらえたのであろう---これは、<事件後、strong>銕三郎がおと面談したときに、たしかめられた。
ただし、抜けでたら外側から封じるので、家の内側をいくら捜しても仕かけは見破れないと。

参照】[〔中畑(なかばたけ)〕のお竜〕 (1)  (2) (3) (4) (5)  (6) (7)  (8)

銕三郎は、自分だけ抜け穴から逃れ、〔蓑火〕一味を脱(ぬ)けてしたがってきた4人を、火盗改メに捕らえさせた〔伊庭〕の紋蔵のやり口は、卑劣で許せない---と、〔木賊(とくさ)〕の林造に告げ、
「あのような卑怯者と手を組んでは、元締の名がすたりましょう」
と説いた。
これがきめてとなり、林造も納得、〔木賊〕一家と〔蓑火〕との対立は、避けられることとなった。

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2007.02.20

〔猿塚(さるづか)〕のお千代

女性経営者ばかりの団体で、近く、『鬼平犯科帳』についてスピーチすることになった。
米国やフランスに女性の大統領が誕生しかねない趨勢だから、女性大臣や女性社長は珍しくもなんともない時代といえる。

そう考えて、職能集団ともいえる盗賊グループにおける女性の首領をチェックしてみたら、[5-3 女賊]の〔猿塚(さるづか)〕のお千代と、[23 炎の色〕の〔荒神(こうじん)〕のお夏しか見当たらない。

2人とも2代目。独力で組織をつくりあげたわけではない。しかも、 〔猿塚〕のお千代は、セックスを道具にして組織を維持している。〔荒神〕のお夏のほうはレスビアン。

つまり、こんどの女性経営者の集まりに、女頭領の話題は不向きと断じざるをえない。

とはいえ、〔猿塚〕のお千代には、魅(ひ)かれるあやしさがある。40歳なのに、小さな白い手は生まれつきとしても、28,9歳の若い女にしか見えない躰つき---のためには、日常、どんな鍛え方をしているのだろう。
かすれ気味のハスキーな声は、ヘビー・スモーキングのせいかな。

ハスキー声がヒントになったのか、吉右衛門丈=鬼平のビデオでは、沢たまきさんが演じて適役と膝をうったが、湯舟の中で自裁しているシーンでは、さすがにデュート(紗)がかかっていた。沢さんの名誉のためにも当然の撮影技法。

配下の浪人たち、年に一度のあてがい扶持---ならぬセックスにつられて、一味を抜けないでいるというのも、なんだかうらさびしい。

そうそう、〔猿塚〕のお千代は、近江(おうみ)国犬上郡(いぬがみこうり)高宮(現・滋賀県彦根市高宮)の出身で、15年前から父親・徳右衛門とともに、牛天神下(赤○)に京菓子舗〔井筒屋〕を構えている。
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近江屋板の切絵図 上水道、牛天神と安藤坂あたり

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屋号の〔井筒屋〕は、上段の店から借用

物語は寛政元年(1789)の初夏の事件だから、15年前といえば、安永3年(1774)前後で、お千代は25歳---まるで嫁ぎたての若嫁に見えたろう。近所の人は、30歳も年の違う父親・徳右衛門を夫と思ったというから、徳右衛門もそこそこに若く見えたのかも。

牛天神といえば、現在は社号を北野神社とあらためているが、神職はたしか春日姓の女性で、誤解をおそれずにいうと、お千代のように若々しく見える魅力的な神主さんだ。
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牛天神の俗称は、絵の左端、寝牛の形の大石による。現在は拝殿左に鎮座(『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

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2006.03.11

〔犬神(いぬがみ)〕の竹松

『鬼平犯科帳』文庫巻13に載っている[殺しの波紋]で、つい冒した犯罪を隠すためにさらに殺人を重ねた火盗改メ方与力・富田達三郎を強請(ゆす)るのが、〔犬神(いぬがみ)〕の竹松である。
3年前、属していた〔下津川(しもつがわ)〕の万蔵一味が火盗改メに襲われたとき、自分はどうにかのがれたものの、弟を富田与力に斬殺された恨みもあった。
(参照: 〔下津川〕の万蔵の項)
情婦のお吉を使って強請り状を役宅あてとどけさせた。

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年齢・容姿:年齢の記述はないが、お吉とのじゃれあいから察するに、40男であろう。濃い体毛---ということは、鬚の剃り跡も青かろう。
生国:このシリーズには、〔犬神〕という「通り名(呼び名)」の盗賊がすでに登場している。
巻10で[犬神の権三]のタイトルにもなっている権三郎がそれである。
権三郎の生国を、ぼくは近江国犬上郡富尾村(現・滋賀県犬上郡多賀町富之尾)と断じ、現地取材までした。
そのリポートは、
http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2005/05/post_8dac.html

[犬神の権三]は、『オール讀物』1973年4月号に掲載された。[殺しの波紋]は、2年のちの同誌1975年8月号である。いくら売れっ子だった池波さんでも、タイトルにもした主人公の「通り名」は覚えているはず。
それでも竹松に〔犬神〕を冠したのは、犬神伝説が全国にあるとい吉田東伍博士の説を信用したからかもしれない。
〔下津川〕の万蔵が紀伊の出身ということもあり、あえて、権三郎と同郷説をとってみた。

探索の結末:〔平野屋〕の番頭・茂兵衛が浅草・阿倍川町の竹松の隠れ家を突きとめるが、そのことで逮捕の手がのびたとは書かれていない。火盗改メが必死で探索していたとあるにしては、あっさりした扱いといえる。

つぶやき:『完本 池波正太郎大成』(講談社)の[殺しの波紋]も改めてみたが、竹松の〔犬神〕は削除も改変もされていなかった---ということは、池波さんは、あえてこの「通り名」に固執していたと断じてよかろう。

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2006.02.22

仏具屋〔今津屋(いまづや)〕佐太郎

『鬼平犯科帳』文庫巻5に収められている[おしゃべり源八]でで、畜生ばたらきが専門の〔天神谷(てんじんだに)〕の喜佐松一味の盗人宿として、駿府で仏具店〔今津屋〕の主人としてとり仕切っていたのが佐太郎である。
(参照: 〔天神谷〕の喜佐松の項)
事件の5年ほども前に、京がくだってきたといって、駿府のどこかに店を出して、ふつうの町人を装っていた。

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年齢・容姿:60がらみ。容姿の記述はないが、年齢にふさわしく、灰汁(あく)ぬけのした、人のよさそうな風貌で、じつは〔天神谷〕の軍師格であったろう。
生国:上方から下ってきたというからには、京都弁にも馴れていたろう。
近江(おうみ)国高島郡今津村(滋賀県高島郡今津町今津)。
ほかに候補としては、丹波(たんば)国桑田郡今津町(現・京都府亀岡市今津)がかんがえられるが、池波さんが馴れている地名として滋賀県を採った。

探索の経緯:平塚の旅籠〔米屋〕に滞在して〔天神谷〕一味の探索にあたっていた〔小房〕の粂八あての、同心・久保田源八の文を取り次ぐべく受け取った番頭・梅太郎は、その夜から駿府へ旅立ち、そのまま戻ってこなかったという。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)
2年前に、梅太郎を〔米屋〕へ紹介してよこしたのが、〔今津屋〕佐太郎であった。
同心・竹内孫四郎が駿府へ駆けつけてみると、梅太郎がやってきたとおぼしい去年の11月に店をたたんで
いずこともなく消えていた。

結末:〔天神谷〕の喜佐松の本拠である川崎宿の小さな旅籠〔大崎屋〕へ、火盗改メが打ち込んで捕らえた一味7名の中に、佐太郎老人がいたかどうかは書かれていない。

つぶやき:この篇の検証をするために、湯行寺と遊行阪を歩いた。30数年前、三崎半島へ海遊び゜のために車でこの阪を通ったが、歩いてみて、なるほど、小説の舞台としてはうってつけの景色と納得質。池波さんも、時宗の本山・遊行寺へ詣でたにちがいない。

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2006.02.07

浪人剣客(けんかく)・下氏九兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻10に収録されている[追跡]で、雑司ヶ谷の鬼子母神に詣でた鬼平が、火盗改メのかつての目明しで盗賊とぐるになっていた〔藪の内〕の甚五郎を見かけ、宿坂、姿見橋(面影橋)から高田馬場へ出る坂まで尾行(つ)けたところ、堂々たる体躯で髭面の浪人に試合を懇望された。
男は、彦根藩の浪人・下氏九兵衛と名乗った。
(参照: 〔藪の内〕の甚五郎の項)
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姿見橋(面影橋)(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:40歳前後。高い頬骨に髭面。堂々たる体躯。
生国:近江(おうみ)国彦根城下(現・滋賀県彦根市内)。
50石とりの彦根藩士の3男。早くから剣を学ぶが、鬱積しているので乱暴狼藉者としてもてあまされていたが、新しい師・林久米蔵門下となってからは神妙になったが、林師の縁者〔日野屋〕の後妻と通じてしまい、師弟ともに諸国を放浪する破目となった。

事件の経緯:剣に自信はあるものの、精神に異常をきたしていた九兵衛は、甚五郎の尾行に気のせいている鬼平に、あっという間に片をつけられる。
逃げこんだのは、4年前からささやかな道場をかまえている旧師・林久米蔵の許であったが、常軌を逸していた九兵衛は、通行人にも斬りかかった末、鬼平に取りおささえられたのち、牢死。

つぶやき:池波さんが書きたかったのは、九兵衛の狂気を呼んだのが、間接的には50石の低俸給の家の3男に生まれた封建社会での閉塞状況と不運---ということではなかったろうか。
それは、百万言をついやしても救いようのない現実であろう。しかしだからこそ、作家がつむぎだした百万言が光り、共感を呼ぶのである。

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2006.01.12

〔井筒屋〕番頭・勝四郎

『鬼平犯科帳』文庫巻5に入っている[女賊(おんなぞく)]のヒロイン〔猿塚(さるづか)〕のお千代は、40すぎとはとてもおもえない女躰を餌に男どもをあやつり、盗みを働いている。
(参照: 〔猿塚〕のお千代の項)
ときどき、お千代を抱かせてもらっているのが、店をとりしきっている番頭・勝四郎だ。
お千代は、表向きは牛天神前の菓子舗〔井筒屋〕の女房ということになっており、勝四郎は番頭であるとともに一味の小頭役でもある。
一味がいま目をつけているのは、橘町の乾物問屋〔大坂屋〕で、すでにお千代の女躰のとりこになっている〔大坂屋〕の手代の幸太郎(20歳)が、間取りや雇い人の数などをすっかりもらしてしまっている。

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年齢・容姿:中年。でっぷりと肥えて愛想がいい。
生国:近江(おうみ)国犬上郡(いぬがみこうり)高宮(現・滋賀県彦根市高宮)。
お千代の父親、先代の徳右衛門が丁稚として連れてきたもので、同郷とみた。

探索の発端:東海道は岡部宿の小間物屋〔川口屋〕に、引退して寄宿している〔瀬音(せのと)〕の小兵衛だが、通りがかりの〔福住(ふくずみ)〕の専蔵から、隠し子の幸太郎が〔猿塚〕のお千代のなぐさみものになつているときいて、矢もたてもたまらず、江戸へやってき、出会った密偵おまさに苦悩を訴えたことから、鬼平が乗りだした。
(参照: 〔瀬音〕の小兵衛の項)
(参照: 〔福住〕の千蔵の項)
(参照: 女密偵おまさの項)

結末:根岸の〔盗人宿〕からは押しこめられていた幸太郎が救出され、牛天神門前町の〔井筒屋〕では、お千代が自裁していた。記述されてはいないが勝四郎も捕縛されたろう。

つぶやき:40をすぎていて27,8歳に見えたという〔猿塚〕のお千代は、吉右衛門さん=鬼平のビデオでは沢たまきさんが演じていたが、カメラはデュート(紗)をかけていた。
デュートなしでやれたのは、40歳ごろの森光子さんだったろう。
じつは、出たばかりの電気洗濯機の使用説明書の主婦役モデルを、30代の森光子さんにお願いしたことがある。彼女の京都て゜の無名時代である。

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2006.01.09

〔瀬田(せた)〕の万右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻18の[馴馬の三蔵]のタイトルとなってに登場している〔馴馬(なれうま)〕の三蔵(60歳前)に、亡妻の敵(かたき)と狙われて傷つけられたのが、橋場の料亭〔万亀〕の主人〔瀬田(せた)〕の万右衛門である。
(参照: 〔馴馬〕の三蔵の項)
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橋場の渡 手前の大川ぞいに料亭が並ぶ
(『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:50歳前後。すべてに品がよく、恰幅も愛想もいい。
生国:近江(おうみ)国坂田郡(さかたこおり)瀬田町村(現・滋賀県大津市瀬田)。
テリトリーが近江・美濃へかけてとあり、元は万右衛門の女だったおみのという名前もあるから、美濃(みの)国可児郡(かここおり)瀬田村(現・岐阜県可児市瀬田)も有力候補だったが、「上方そだち」から大津の瀬田を採った。

探索の発端:客を舟で万亀へ送った〔小房〕の粂八は、かつて〔野槌(のづち)〕の弥平の配下だった時代に、一味を助(す)けていた〔馴馬〕の三蔵が物置小屋へ忍び入ったを見かけ、居坐り盗めをやるのかとおもった。
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
で、夜、ふたたび猪牙舟をあやつって見張りに出かけた。
が、〔瀬戸〕の万右衛門は、十数年前、東海道・岡部宿で小間物屋をしていた三蔵の女房おみのと、粂八が預けた恋人お紋を惨殺していたのだ。粂八は、お紋の旦那の〔鮫津〕の市兵衛の仕業とばかりおもいこんでいたのだが。

結末:亡妻の敵(かたき)をとりに忍びこんだ三蔵は、万右衛門へ傷をおわせたものの、〔万亀〕の用人棒浪人に斬られ、粂八の舟でこと切れる前に、おみのが元は万右衛門の女だったこと、それでお紋が巻きぞえをくったことを、粂八に打ち明けた。
早速に火盗改メが出張って、一味を逮捕。

つぶやき:19歳のときに押し込み先で下女を犯し、〔血頭〕の丹兵衛一味を追放されたほど女好きの〔小房〕の粂八は、その後は自重しているのか、密偵になってからも女っ気がまったくといっていいほどない。
(参照: 〔血頭〕の丹兵衛の項)
しかし、24,5歳のときにお紋とも熱い関係があったことが初めて明かされた篇でもあり、粂八にも躰の中を赤い血がたぎることもあるとわかって、安心(笑)。

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