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2005.03.04

〔妙法寺(みょうほうじ)〕の牛松

『鬼平犯科帳』文庫巻11に所載の[男色一本饂飩]の浪人盗賊・寺内武兵衛は、10年前(天明4年 1784ごろ)に上方の盗賊〔妙法寺(みょうほうじ)〕の丑松の下で助(す)けばたらきをし、2年後(天明6年 1786ごろ)、そこで知り合った流れづとめの吉六などとともに独立している。
(参照:寺内武兵衛の項)

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年齢・容姿:まったく記載がない。
生国:近江(おうみ)国神崎郡(かんざきごおり)妙法寺(現・滋賀県東近江市妙法寺町)
妙法寺という地名や寺は、福島県北会津郡、東京都杉並区、神奈川県鎌倉市、三重県安芸郡、同度会郡、奈良県橿原市、兵庫県神戸市、福井県武生市、新潟県刈羽郡などにものこっているが、上方が地盤ということで、池波さんが採ったのは、忍者ものの取材でしばしば訪れた滋賀県からと推測。
神戸市須磨区の妙法寺川も捨てがたいが。

探索の発端:妙法寺の丑松そのものは、寺内武兵衛と、いまはその老僕となっている吉六との出会いの経緯を説明するために引き合いにだされたにすぎない。
が、ただ、それだけのために、わざわざ丑松に〔妙法寺〕という〔通り名(呼び名)〕をあたえたのは、近江のあのあたりの取材の副産物であり、かつ、物語にリアリティをつけるためでもあったろう。

結末:〔法妙寺〕の牛松がお盗めをしていたのは上方だし、長谷川平蔵が火盗改メの任につく前のことなので、追捕にはかかわっていない。

つぶやき:池波さんが座右から放さなかったリファレンス・ブックのひとつが、吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房 明治33年-)であったことは、エッセイにもしばしば書いてい、周知のことである。
しかし、池波小説を論ずるのに、同辞書を確かめた人を知らない。「神は細部に宿りたまう」は小説評価法の一手でもあるのだが。

2006.08.18追記
SNSのミク友で、新潟県三條市居住のレンさん(に、「越後の七不思議」についてご教示をいただいた。
鈴木牧之『北越雪譜』の[雪中の火]と題する項に、「越後の七不思議」の一つとして、蒲原郡妙法寺村の農家の炉の隅の石臼が発する火のことが書かれている。
この「七不思議」に目をとめた池波さんが、〔妙法寺〕の「通り名(呼び名)」をとったとの考え方もできることを付加しておこう。

さっそくにレンさんからレス。
『北越雪譜』の鈴木牧之は勘違いをよくする人で、「蒲原郡妙法寺」もそうだと。正しくは「如法寺(じょほう寺)」だと。

こういうやりとりがいかにも、インターネット的。

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コメント

〔妙法寺〕の牛松は、それほど大物の盗賊ではありません。
寺内武兵衛が、血を見ることもいとわない非道な盗賊であることを証拠づけるために狩り出された人物です。
管理者さんは、池波さんのリアリティをおっしゃっていますが、〔妙法寺〕の牛松のような捨て駒にまで目くばりをなさっている管理者さんこそ、みごととしかいいようがありません。

投稿: 文くばり丈太 | 2005.03.04 16:18

[男色一本饂飩]の締めは兔忠の一言で決まりましたね。
「私は、操を、まもりぬきました。まことでございます。」数多い鬼平犯科帳でゲイをこれまで書いてあるのはこれ一編のみでしょう。
レズは結構ありますよね。
おまさが巻き込まれた時もありました。
「操」は女性が守る最後の砦だと思ってましたが、男が使うとちょっと異和感があります。
池波さんはゲイもレズもその道については知っていたのですね。
火盗改で人質になったのは兔忠とおまさの二人だけでした。
池波さんの二人に対する思い込みがわかります。

投稿: yasu | 2005.03.04 21:17

載せて頂いてありがとうございます。

如法寺は「にょほうじ」と読みます。
近所の地元民は、「みょ」とか「にょ」という発音が苦手らしく、
「にょーほーじ」という人もいます。
多分、地元民も妙法寺とごっちゃになっているのでしょう。

投稿: レン | 2006.08.21 20:51

>レンさん

涼しくなった、おついでの時でけっこうですから、如法寺の山門か本堂の写真でもお送りください。

余分のことのようですが、データの積み重ねがインターネットの核心ですから。

投稿: ちゅうすけ | 2006.08.22 07:29

>如法寺の山門か本堂の写真

残念ながら、古い地元新聞によると……。
「地名如法寺は同名の寺がここにあったことからその門前部落として起きたものである。」のですが、肝心のお寺の方は、
「如法寺は慶長二年三月越後の国主上杉景勝が春日山から会津に転封になったとき、三条の領主であった甘粕近江守も主人と共に会津に移った。そのとき如法寺もまた領主に付き従って会津に移った。そのため、地名の本拠であった如法寺はなくなった。」
ということで、跡形もありません。

この会津に移ったという「如法寺」も私は見つけることができませんでした。あることはあるのですが、800年代に立てられていて、辻褄が合わないのです。また、真言宗ではないかと思われるので、長野の方の如法寺と関係がありそうなのですが、誰もわかる人がいないようです。申し訳ありません。

投稿: レン | 2006.08.24 19:48

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