口合人捜(さが)し(5)
「ご府内線引きの内側で口合をやっている者の評判は、まもなく密偵たちが拾ってこよう」
平蔵(へいぞう 50歳)のつぶやきに五郎蔵(ごろぞう 58歳)がうなずき、
「東海道すじの口合の衆のところへは、〔砂井(すない)〕の鶴吉(つるきち 29歳)にまわってもらうつもりだが、その前に〔佐沼(さぬま)〕の爺(と)っつあんに口合人の行儀作法をざっと仕こんでもらいたい」
「鶴吉は、五郎蔵にみっちりしこまれて、一人前の男になったから、こういうときに役立つ」
平蔵が眼をほそめて保障した。
「行儀だの、作法だのといいましても、人間、着せられた恩を忘れねえ----ってことに尽きまさあ。それさえ忘れなきゃあ、信用がつきます」
71歳の久七(きゅうしち)の説経じみていない詠嘆には、さすがに重みがあった。
そこへ同心・小柳安五郎(やすごろう 33歳)が数通の書簡の下書きをもってはいってき、検閲をねがった。
2は掛川藩と吉田藩の城代へのもので、城下の口合人捜(さが)しの了解を願った文書。
もう3通は馬入(ばにゅう)の勘兵衛(かんべえ 67歳)、小田原の〔宮前(みやまえ)の小右衛門(こえもん 31歳)、島田宿の〔扇(おおぎ)屋〕の千太郎(せんたろう 37歳)へあてたものであった。
小右衛門、千太郎はそれぞれ徳右衛門、万次郎を襲名していたが、まだ生きて養生していたのでそちらに敬意をはらったのである。
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