長谷川家の養女・与詩の行く方
与板の大店〔備前屋〕の後取り・藤太郎(とうたろう 17歳)は、実家へ帰っていった。
三ッ目通りの長谷川邸へ戻った与詩(よし 28歳)は従前どおり、平蔵(へいぞう 40歳)の生母・妙(たえ 62歳)の世話をしたのだが、3日目に悲鳴があがった。
悲鳴の主は老母・妙であった。
与詩の寝言がひどく、しかも失禁の癖が再発したと訴えた。
お寝しょの癖は、長谷川家へきた6歳のときに直っていたのだ。
【参照】2008年1月5日[与詩(よし)を迎えに] (16)
与詩をこの前の書見の間へ呼んで問い質(ただ)すと、藤太郎との閨事(ねやごと)の夢をみ、頂上へぼりつめると失禁しているのだと。
藤太郎との交合で、性の深奥への扉がひらきっぱなしになってしまい、もう、独り寝には耐えられないから、男を見つけてほいしとまでいった。
「初穂刈りだったはずだが、それほどであったとは---」
「はっきり申します。三宅の爺ィさんの3倍の持ち主です」
顔を赤らめるどころか、平蔵を瞶(みつ)めていいはなった。
武家のおんなとしての抑制が、藤太郎との房事であっけなく霧消 おんなの生来の本能に帰ったのであろう。
「三宅の爺ィさんのをそこいらのどぶ川としますと、あの人のは大川です。あの人の国の信濃川です」
「そうか。3倍の持ち主か。それほどの男でないと満足できなくなってしまったのだな。おことを藤太郎にさしむけたのは浅慮であった」
大川端の旅亭[おおはま]の湯桶で互いに握りあって男の約定を交わしたときには、さほどのものとはおもわなかったが、こればかりは膨張力によるから、ふつうの状態ではつかめない。
【参照】2011年12月9日~[〔備前屋〕の跡継ぎ・藤太郎] (1) (2) (3) (4) (5) (6)
ことに及んだおんなしかたしかめようのない秘事の一つである。
「しかしな、与詩。代わりの男をおことにあてがうとしても、いちいち、貴殿のなにのその時は何寸であろうか? などと訊くわけにはまいらぬ。合衾したあとで、貴殿のは与詩が求めておる半分ほどでござったそうだから、この話はなかったことに---といって、天下の旗本の長谷川平蔵が頭を下げるわけにはいかぬ」
「はい。わかっておりますが、このままでは、寝言も失禁もやみjせん」
「そうだな。道は一つしかない。与詩が与板へ住みこみ、藤太郎のわたりを待つことだ」
「行かしていただけるのですか?」
「『備前屋』がどういうかはわからぬが、藩主の井伊兵部少輔(しょうゆう)直朗(なおあきら 39歳 西丸・若年寄)さまはなじみがあるから、お許しはいただけよう。『備前屋』の女将・佐千(さち 38歳)どのになんとか頼んでみる」
この晩から、与詩のお寝しょの癖はとまったが、寝言はあいかわらずで、
「そこ、そこッ---」
などと、老母・妙を赤面させ---というか亡夫・宣雄との睦みをおもいだして寝苦しくさせていた。
与板藩庁からの永住の許しがあり、佐千からも男友だちへの息子のいらだちも消えた感謝と与詩の暮らし向きことは引きうけたといってき、与詩はいさんで旅立った。
もちろん、下僕が与板までついた。
【ちゅうすけ後記】与詩については、不思議がある。
三宅家を不縁になり実家ともいえる長谷川家に出戻ったことは『寛政譜』に記されている。
ところが、香華寺・戒行寺の霊位簿に歿年も戒名もない。
少なくとも、江戸の長谷川家からは葬式がでていない、ということで、与板死亡説もゆえなしとしない。
(『寛政譜』 平蔵宣以の妹たち)
(上図の部分拡大)
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