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2008.01.28

与詩(よし)を迎えに(35)

畑宿(はたしゅく)村の長(おさ)・茗荷屋畑右衛門(60歳近い)の屋敷には、阿記(あき 21歳)と、芦の湯の湯治旅籠〔めうが屋〕次右衛門夫妻が待っていた。

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(緑=箱根宿 赤=芦の湯村---阿記の実家 青=畑宿村
明治19年刊 陸地測量部製。道=旧東海道)

畑右衛門も出てきて、荷運び雲助・〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 31歳)に、先日、〔馬入(ばにゅう)〕の勘兵衛(かんべえ 35歳)をうまく引き取らせた礼を述べた。
実家へ逃げ帰った阿記をつれ戻しにきた夫・幸兵衛(こうべえ 25歳)が、父の次右衛門をおどすために、勘兵衛を伴って、芦の湯村へやってきたのだった。
権七は、銕三郎(てつさぶろう)のほうを見て、柄にもなく、照れている。
「先を急いでおります。発(た)たせていただいてよろしいでしょうか」
銕三郎(18歳)の言葉で、しばしの別れの愁嘆場はきりがついた。

阿記どの。馬に乗り、与詩(よし 6歳)が落っこちないように、しっかり支えてやってください」
裾の乱れを気にしている阿記の腰を、銕三郎が押し上げる。巻いた白い脚絆がもろに露出する。それも押し上げた。そのさまを、次右衛門夫妻が目をほそめて見ている。むすめを、もう、すっかりまかせきった感じだ。
阿記の荷は小さかった。
尼寺へ入れば法衣なのだし、髪もおとすから、髪飾りも化粧品も不要である。

小田原まで3里10丁ばかり。
ほとんど下り坂なので、与詩は、赤いしごきで阿記とむすばれている。
「あき(阿記)おばちゃまは、あにうえ(兄上)のことが、す(好)きなのでしゅか---すか?」
「あ---はい。大好きです。与詩さまは、阿記のこと、お好きですか?」
「まだ、きめて、いません」
「早く、決めてください」
「そんなに、はやくは、きめられましぇん---ません」
「あら、どうして?」
「あとで、いじわる、されると、きらいになるから」
「意地悪はしません」
「よしが、あにうえと、いっしょに(寝)ても、でしゅか---すか?」
与詩さまは、あ兄上と寝たいのですか?」
「おね(寝)しょ、しないように、おこしてもらうのです」
「替わりに、阿記が起こしてさしあげます」
「それなら、すきに、なる---なります」

小田原には、九ッ(正午)ごろ、着いた。
東海道に面している薬舗〔ういろう〕に近い休みどころで昼食をとった。
銕三郎が、権七をうながして、薬舗〔ういろう〕の前へ立つ。
店構えの両側の猫道に、それとなく目を向けているのに、権七は気づいていた。
「この猫道に沿ったどこかに、ふだんは使っていない通用口があるはず」
「あとで、確かめさせます」
「それの、落し桟(おとしさん)の仕組みを調べてみてください」
「大磯の旅籠に知らせにこさせます」

茶店へ戻ると、阿記与詩も深めの網代(あじろ)笠をかむっていた。
阿記のを見て、与詩も欲しがり、藤六(とうろく 45歳)が子ども用を求めてきたらしい。
「明日、平塚を過ぎるときに役立ちますな」
銕三郎が笑った。
荷は、継ぎ馬に移されている。

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(広重 小田原の東の酒匂川 『東海道五十三次』
 銕三郎の一行は向こう岸から手前に渡った。
 右の山の下に小田原城が描かれている。)
参照】大きく見るには、 [東海道五十三次](1)のNo.10の場面までスロー・ダウン。

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