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2008.02.02

与詩(よし)を迎えに(39)

江の島---正確には、島の対岸なのだから、片瀬村というほうがあたっているのかもしれない。ま、ここは世俗に従って、江ノ島海岸の旅籠・〔三崎屋〕としておく。

遅い朝餉(あさげ)を、下の大部屋で、4人、そろって摂った。
与詩(よし 6歳)が、今朝は、お芙沙(ふさ)母上から貰った黒漆塗りの木匙で食べたいといいだした。
「けさも、おねしょ、なかった。ごほうびにいいでちょ---しょ」

参考】黒漆塗りの木匙の1件は、2008年1月20日 [与詩(よし)を迎えに] (30

黒漆塗りの木匙は、お芙沙が家業を継いだ三島宿の本陣・〔川田伝左衛門方が、尾張侯紀州侯などの貴顕の膳に添える食器の一つである。そのため、参勤交代の大名が宿泊する宿で使うことは、お芙沙から、きびしく禁じられたいた。
しかし、〔三崎屋〕は、参勤交代の道筋の本陣ではないばかりか、遊楽客が一夜だけ泊まる、いってみれば団体客のための宿である---と、銕三郎'(てつさぶろう)は判断を甘くして、
「一度だけですよ」
と、許した。
油断である。
銕三郎は、阿記(あき)の美貌に馴れてしまっていた。
彼女は、〔芦の湯小町〕と謳われたこともあり、引きつめの半髪、薄化粧、地味な着物でも、人目を惑(ひ)く。

阿記に向けていた羨望と好色のなまざしの片隅に、与詩の匙をいれた男がいた。

先に食事を終えていた40がらみのその男は、食後の茶をすすっている銕三郎たちのところへ寄ってきて、でっぷりした顔に似合わないかん高い声で、
「ご免なさって。わっちは、武州・八王子で塗師(ぬし)をやっとる弥兵衛と申す職人でごぜえます。こちらの和子(わこ)がお使いになっとった黒漆塗りが、遠目にも、あんまりみごとだったから、失礼とは存じましたが、もし、お許しがでるなら、ちょっくら、拝観をさせていたたけねえかと存じまして---」

銕三郎が黙ってその男を見ているので、藤六(とうろく)が気をきかせて、
「八王子のお方。こちらは急いでおります。お申し越しは、ご無用ということに---」
ところが、与詩が、匙をさし出して、
「いいでちょう---しょう」
銕三郎の動きは速かった。
「なりませぬ。口で汚したままのものを人さまのお目に入れるものではありませぬ」
泣きそうな顔になった与詩を、阿記が立たせて、大広間から連れ出す。

藤六。旅籠のご亭主をお連れしろ」
そう命じておいて銕三郎は、弥兵衛の顔をやんわりと見すえて、
弥兵衛どのとやら。塗師といわれましたな。掌をお示しいただきたい」
あわてるかと思いのほか、弥兵衛は贅肉のついた顔をほころばせて、
「見破られたのでは、仕方がありませんな。お若いに似合わず、心得がおありのようで---」
「ご用件を承りましょう」
「名は、さきほど名乗ったとおりの弥兵衛---ただし、世間ではその上に---」
窮奇(かまいたち)〕の通り名がついている、と言おうとしたのを、
「待たれい、弥兵衛どの。そこから先は、この場では、聞かないでおいたほうがよさそうです。幸い、〔三崎屋〕のご亭主が見えました。ご亭主の前での、話しあいとしましょう」

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(鳥山石燕『図画百鬼夜行』[窮奇かまいたち]
 起こした風が剃刀のように人を切る動物と)

なにごとかと、いぶかる亭主に、
「ご亭主。お手間をかけて申し訳ありませぬ。さきほど、こちらの八王子の弥兵衛どのから、拙が連れている妹の持ち物を見せてほしいと乞われました。あれは、わが家の家宝の品だったゆえ、お断りいたした。もっとも、弥兵衛どのがわが家の家宝がお目当てだったのか、それは口実だったのかは、わかりませぬが、とにかく、弥兵衛どのと、ここでかかわりができたこと、ご亭主のご記憶にとどめおきいただき、もし、公儀にかかわるようなことが起きたときには、証(あか)し人(びと)に立っていだければと---」
「さような大ごとが起きるのでございますか?」
「いや。起きないように、お願い申しておるのです」
「お若いお武家さん。おめえさんの勝ちだ。この弥兵衛の負け。あきらめたよ。ところで、のちのちのために、お名前を聞かせてはくだるまいか?」
「名乗るほどの者ではありませぬが、告げなければおあきらめくださるまい---江戸で火盗改メのお頭(かしら)を拝命している本多紀品(のりただ)どのの相談役・長谷川銕三郎宣以(のぶため)と申します」
「あ、火盗改メ---」
〔三崎屋〕の亭主のほうが驚いていた。
火盗改メは、代官支配地や幕臣の知行地の多い相模国あたりへまで出役(しゅつやく)しているからである。

「ほう。火盗改メの相談役をねえ。桑原、くわばら。長谷川さん、ご縁があったら、また、お会いしましょう」
弥兵衛どの。お別れする前に、一つだけ、お教えいただきたい。〔荒神〕の助太郎というお仲間をご存じないでしょうか?」
「〔荒神〕のお頭が、なにか?」
「やっぱり---」
「あのお頭は、りっぱなお盗(つとめ)をなさるとの、もっぱらの噂ですよ」

「若。あの男の正体が、鍵の手だと、よくお分かりになりました」
「いや。〔ういろう〕屋のことがなければ、気がまわらなかったであろうよ」

「なにが狙いだったのでしょう?」
「さあ、それはあの男に聞いてみないとわからぬが、阿記どのほどの美人を嫁にとっている商家なれば、よほどに裕福とみて探りにかかったか。あるいは、与詩の匙を商っていた店の名でも聞きだそうとしたか。あれほどの品を扱う店なら大きな塗物(ぬりもの 漆器)問屋---江戸でいえば、日本橋室町の〔木屋〕あたりであろうよ」

ちゅうすけ雑語】室町の塗物問屋〔木屋〕は、いまの三越百貨店のライオン口に向かって左手半分に、大震災まで店構えした大店であった。この〔木屋〕からのれん分けされ、向いに主家とは異業種の店を出したのが打物(刃物)の〔木屋〕である。

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(室町2丁目の塗物の大問屋〔木屋〕 震災で廃業)

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(塗物〔木屋〕からのれん分けして向かいに開店した打物〔木屋〕)

それから銕三郎たち4人は、江嶋の弁財天の本宮、上の宮、下の宮を巡った。

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(江島弁天宮 『東海道名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

阿記は、
「弁天さまは、女体でありながら、子授かりの功徳ではなく、弁舌・音楽・財福・知恵の神様なのがつまらない」
と、いささか罰あたりな感想をもらした。
まあ、江嶋が海中から一夜にして出現し、そのときに天女が舞ったという経緯からいって、天女が子を孕んだなどということは伝わっていない。

Photo_2
(江ノ島の某所から移したという、静岡市梅ヶ嶋の旅館〔梅薫楼〕に
鎮座している弁才天。ここは、文庫巻7[雨乞いの庄右衛門]も湯治
した、武田軍の負傷者用の秘められた温泉場)

与詩は、本宮へは(こわい)と言って入らなかった。


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