〔江嶋(えじま)〕の由五郎
『鬼平犯科帳』文庫巻18に入っている[草雲雀]で、目黒の小間物屋〔かぎや〕の亭主・友次郎と、権之助坂上、白金10丁目で行きあったのが〔鳥羽(とば)〕の彦蔵(37,8歳)で、この男が属していたのが〔江島(えじま)〕の由五郎一味。
年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:出雲(いずも)国意宇郡(いうごうり)江島(えしま)村(現・島根県松江市八束町)。
〔鳥羽〕の彦蔵の地縁で、三重県鈴鹿と愛知県宝飯(ほい)郡一宮町の江島(えじま)も考慮に入れた。池波さんはとりわけ、鈴鹿市へ足を運んでいる。
が、松江市八束町の地図をみて、咄嗟に、迷いを一掃した。中海(なかのうみ)に浮かんでいる江島のすぐ東に鳥取県の西端の境港(さかいみなと)市が接していた。池波さんはここの美保(みほ)海軍飛行場に終戦まで駐屯していたのである。夕陽が江島の向こうの中海を染めながら落ちるのを眺めていたはず、と決めこんだ。
辛気くさい生国調べをしていて、胸のつかえがパッと晴れる瞬間である。地元の読みは(えしま)と濁らない。江島小麦が有名と資料にあった。
探索の発端:記述されていない。
試算では、この篇は寛政10年(1798)の事件になる。しかし、長谷川平蔵は寛政7年(1795)5月10日薨じてしまっている。それでも読者の熱望で連載はつづけられた。
〔江島(えじま)〕の由五郎とその一味8名の逮捕は一昨年とある。
つぶやき:池波さんが23歳、美保海軍航空隊での句。
青麦の畑のそよぎに分け入りぬ
砂浜の海の極(きわ)まで麦実り
(『完本池波正太郎大成』 別巻 講談社 「泥麦集」より)
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