〔東金(とうがね)屋〕清兵衛の相談ごと
「春米の売却代金でございます」
蔵宿の〔東金(とうがね)屋〕清兵衛(せえべえ 40前)が、金包を6ヶ、平蔵(へいぞう 40歳)の前に並べた。
平蔵が昨年の極月(12月)から西丸・徒(かち)の頭(1000石格)に就任し、家禄との差の足高(たしだか)として給される600俵の半分---2月分の300俵の換金であることは、訊くまでもなかった。
【参照】2011年9月20日[ちゅうすけのひとり言] (77)
足高は、現金でもらう場合と蔵米を希望する者とにわかれていた。
現金支給の方式は、勘定奉行がきめたその季節の米価が江戸城本丸中の口に張りだされたので、張り紙値段と呼ばれていた。
飢饉の余波がのこっていた天明5年3月の100俵の張り紙値段は、98両(1568万円)であったから、平蔵の場合のそれは288両(4704万円)と見込まれる。
もっとも、平蔵は現金支給でなく、蔵米のほうを希望し、その蔵宿に〔東金屋〕清兵衛の店を指名していた。
それというのも、西丸・徒の4の組の徒士たちの蔵米取りを〔東金屋〕一手にまとめ、借財を清算させたからであった。
【参照】2011年9月21日~[札差・東金屋清兵衛] (1) (2) (3) (4)
2011年9月29日~[西丸・徒(かち)3の組] (1) (2) (3) (4) (5)
いろいろと骨をおらしたから、せめて足高分の利ざやなと稼がせやろうと、平蔵の配慮であった。
ところが、〔東金屋〕が持参した金包みは1ヶが50両(800万円)、6ヶで300両(4800万円)であった。
幕府の張紙価格より12両(192万円)も多い。
蔵宿の手数料は100俵につき3分(12万円)だから、300俵で2両1分(36万円)すら取っていない。
2両1分のうち、1両2分(24万円)は人夫賃や船賃だから、〔東金屋〕は平蔵の足高を扱ったことで持ち出しになっている計算であった。
平蔵がそれをいうと、清兵衛は笑い、
「お気づかいなく。きちんと儲けさせていただいております」
「どこで---?」
「お上の張紙値段が市場の実勢よりも低くつけられております」
「お上も、なかなかにずるいな」
「まったく---しかし、手前が申したことはご内密に---」
「たとえ、百貫の石を抱かされて責められても、洩らさぬ。は、ははは」
「ところで〔東金屋〕どの。代金は番頭にとどけさせてもすむものを、主(あるじ)どのがわざわざ出向いてきたのには、わけがありそうな---」
「さすが、長谷川さまのお眼力、恐れいりました」
「追従(ついしょう)はおき、申してみよ」
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