月輪尼の初瀬(はせ)への旅(3)
「先宵、宴をご一緒した茶寮〔季四〕で、ふたたび朝鮮膳をお召しあがりいただきたく、このたびはご正室さまもご同席のほどを---」
浜町の藩邸を訪れ、年寄格(家老)の佐治茂右衛門(もえもん 48歳)にじきじきの取次ぎを頼んだ。
佐治年寄格とは、3年前の佐倉城下の商家あらしの怪盗逮捕のことで知りあった。
【参照】2011630~[おまさのお産] (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10)
先宵の朝鮮膳とは、西丸・若年寄の井伊兵部少輔(しょうゆう)直朗(なおあきら 39歳 与板藩主 2万石)の呼びかけで、同じ齢ごろの寺社奉行・佐倉藩主(11万石)の堀田相模守正順(まさあり 41歳)と同・高崎藩主(8万2000石)の松平右京亮((うきょうのすけ)輝和(てるやす 36歳)とともにもよおした宴にでた料理であった。
【参照】2011年10月21日~[奈々の凄み] (1) (2)
その堀田正順が(天命5年 1785)3月の寺社奉行の月番となっていた。
先宵と同じ朝鮮膳に佐倉藩主の正室も大喜びであった。
正室は、松平讃岐守頼恭のむすめとあるが、『寛政譜』の索引の頼恭の項にも讃岐守の項にも、それらしい大名がみたらないので、未詳のままあげておく。
宴が終り、送りの黒舟の屋根船Iへ乗る前に、正室が平蔵に、
「今宵は、珍しいもののふるまいに、侍女たちも感激しておりますぞえ」
頭を軽くさげた。
そのあと正順が小声で、
「長谷川うじ。用件は、いつにても佐治の爺ぃに託(ことづ)けられよ」
船が遠ざかったのを見すまし、見送っていた奈々(なな 18歳)に、
「尼どのに確かめておきたいことがあるで、今宵はこのまま去(い)ぬ。明晩、待っている」
平蔵の腕をとり、胸にみちびいて、
「きっと、ね」
屋敷では、月輪尼(がちりんに 24歳)を書院へ呼び、
墨染(すみぞ)めの法衣(ほうえ)を示し
「乗馬のとき、後ろの裾が割れるように燕尾に仕立てさせた。その下にはく白い長股引(ももひき)だが、ゆるゆるにしてあるゆえ、下衣(したえ)に見えよう」
「なによりのご報謝---おおきに」
双眸(ひとみ)をきらめかせた。
「ついでだが、帰俗(きぞく)し、長谷川家に帰嫁(きか)するお気持ちはありや、なしや?」
一瞬、硬くなった尼は、すぐに涙をにじませ、
「よろしゅうに---」
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