おまさのお産(7)
雑司ヶ谷の鬼子母神の一の鳥居の脇に人だかりができていた。
於初(はつ 11歳)と於清(きよ 8歳)がかきわけてのぞきこんだ。
「久栄(ひさえ 31歳)、辰蔵(たつぞう 14歳)と先に〔橘屋〕へ参り、ご亭主・忠兵衛(ちゅうべえ 48歳 2代目)どのへあいさつをしておいてくれ」
用人・桑島友之助(とものすけ 51歳)がこころえ、2人をうながし、境内の南ぞいを去った。
2匹の猿が、斬りあいを演じていた。
猿たちはよく訓練されてい、刀を数合あわせると、仇討ちの景ででもあったのだろう、総髪にみせかけた鬘(かつら)をかぶっていた方の猿が倒れたところで、拍手がおきた。
小銭をひねって投げてやった平蔵(へいぞう 38歳)が2人のむすめの肩をおし、散るt観客にあわせてその場をあとにした。
料理茶屋〔橘屋〕で出迎えた仲居師範・お栄(えい 51歳)に小粒をもたせ、
「鳥居のところででんでこ猿芝居をやっている者に、片づいたらここへ参るように---」
口説いてきてくれ、と行かせた。
案内された離れは、銕三郎(てつさぶろう 22歳=当時)時代に ここの女中・お仲(なか 33歳=当時)が宿直(とのい)の夜ごとに睦みあった部屋であった。
そのころの思い出はいろいろあるが、強く記憶しているのは、亡父・宣雄(のぶお 49歳=当時)と母・妙(たえ 42歳=当時)ときたときの2人のやりようであった。
【参照】2008年8月19日~[〔橘屋〕のお仲] (6) (7)
宣雄とこころが通じあっていた先代の忠兵衛は、数年前に70何歳かで亡じ、京都で修行していた息子があとを継いで名声を保ってい、紀州藩のご用指定をかわらずにうけていた。
忠兵衛とよもやま話をしていると、お栄が猿芝居師をみちびいてきた。
立っていった平蔵に、
「先刻は過分の見料を投げていただいた上に、さらにのおこころ遣い、ありがとう存じやす」
礼を述べた猿使い師に、教えこめば猿は、手文庫から小判を3枚、つかんでくることができようか---と訊いた。
「3日も仕込めば、賢い猿(こ)ならできやす」
との応えに、
「3枚は、なにゆえとおもうか?」
「重さでやしょう? 小判をしまう紙入れをどこへつけてやるかにもよりやすが、4枚だと動きが鈍りやしょう」
うなずいた平蔵は礼をいい、とっている宿にはいつまで滞在しているかを尋ねた。
【参照】2011年6月29日~[おまさのお産] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)
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