カテゴリー「123三重県 」の記事

2006.10.04

伊三次

宇江佐真理さんの[髪結い伊三次捕物余話]シリーズの5冊目『黒く塗れ』(文春文庫)が出た。

『鬼平犯科帳』とどう関係があるのだ---なんて、荒立てはいわない。
これまでの捕物帳とは一と味違って、人物造形がよくできているんだから。

いや、取り上げたのは、推薦の気分ももちろんあるが、宇江佐真理さんは、本シリーズを書く前に、『鬼平犯科帳』を読み込んだな---とおもえるから。

150_2シリーズの一冊目は、『幻の声』(文春文庫)。

このとき、伊三次は、茅場町に住んでいて、北町奉行所の定町廻り同心・不破友之進の手先をつとめている25歳の廻り髪結い。

この、廻り髪結いは、『鬼平犯科帳』の[ふたり五郎蔵]で、もう一人の五郎蔵の職業だった。

そういえば、伊三次は、鬼平から命じられたことをやる以外の時間は何をしていたろう?
[6-7 のっそり医者]では水売りの姿で宗順医師の家のまわりを警備していたことはあるが、これ以外に職らしい職についた風にも見えない。
おまさは小間物行商、粂八は船宿〔鶴や〕の主人が表の職業だったが。
〔舟形〕の宗平はタバコ屋だが、彦十は?

その伊三次は、伊勢の関宿で捨て子され、宿場女郎衆に育てられ、やがて盗みの世界に入り、〔四ッ屋〕の島五郎一味にいたときに長谷川組に捕縛されて密偵となった。

Ueza_bunko200髪結いの伊三次は、12のときにi父親が不審現場の高いところから落ちて死に、後を追うように母も病死。姉の嫁ぎ先の髪結い床の世話になつたが、20歳のときに飛び出し、不破同心の手配で廻り髪結いをつづけている。

恋人は深川芸者の文吉。男名を粋とする深川芸者に粂八を名乗るの、第1話[幻の声]に出てくる。密偵で船宿〔鶴や〕をまかされているのが〔小房〕の粂八である。

園という名の女性も登場する。
鬼平の亡母も園だし、亡父の隠し子もお園だ。

そういう些事をとりあげるよりも、宇江佐さんが池波さんを見習っているのは、「小説はおもしろくなければ存在価値がない」という信条だ。
こちらの伊三次の生き方もなかなかだよ。
読めば、納得だから

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2006.07.25

盛り立て役---伊三次

密偵 伊三次 が、いまは中央通りと呼ばれる下谷(したや)御成道(おなりみち)、鳥居丹波守(下野国壬生藩。3万石)の藩邸前(台東区上野3丁目)で刺される痛恨の物語が[五月闇]

Toriitanba
伊三次が刺された鳥居丹波守上屋敷前(尾張屋板・人文社)

刺したのは〔強矢(すねや)〕の伊佐蔵

連載がはじまって8年と5か月目、鬼平ファミリーにすっかりなじんでいた読み手の中には、伊三次の通夜をした仁もいたという。

 細身の引きしまった躰がきびきびとうごき、ちかごろは密偵
 として一分(いちぶ)の隙もなくなり、することなすことが
 いちいち長谷川平蔵の「腑(ふ)に落ちる……」ようになっ
 てきていた。

  密偵の翳(かげ)りがいささかもない。役目を遂行する火
 改方の人びとの緊張をときほぐし、笑いをさそうのは、同心
 ・木村忠吾と密偵・伊三次の、たくまぬ諧謔(かいぎゃく)
 であるといえよう。

  困難な探索が重苦しくつづけられているときでも、伊三次
 は双眸をかがやかせて、
 「なあに、もう一息だ。いま少しでござんす」
 かえって同心たちをはげますのである。

同心・木村忠吾とならべられているが、忠吾がさそいだすのは笑い手が優越感をこめた笑声だ。
伊三次のは、提灯店(ちょうちんだな)の娼妓とのやりとりを話して笑わせるときでも人生の重みを思いださせる。やはり、生得の人柄だろう。

ふんい気をもり立て、乗せてやる気にさせるのはリーダーの大切な役目でもあるが、アシスタントに伊三次のような男がいると助かる。伊三次もそのことをわきまえて平蔵を補っている。

リーダーが応援団出身の部下を重宝するのも似た理由からだ。

伊三次の初顔見せ……というと、[猫じゃらしの女]との答えが返ってこよう。捨て子されての〔丹後屋〕の宿場女郎衆に10歳まで育てられたという過去が肉づけされるのは、たしかに[猫じゃらしの女]だ。寛政2年(1790)1月末の事件だった。

Chochindana
伊三次のなじみ、〔みよしや〕のあった提灯店は赤○(近江屋板)

が、その2年前の[あばたの新助]、同じ年の夏のおみね徳次郎 、秋の[夜鷹殺し]の3篇でも 〔小房〕の粂八 とともにちらっと名前がでている。

もっとも、上記の3篇とも伊三次をまったく肉づけしないから、通りすがりの人物なみの印象でしかない。

鬼平ファミリーの一員として認められるのは、ひとつの話の主役になってから……ということで、正式のファミリー入りはやはり[猫じゃらしの女]ということか。

念をいれておくと、[猫じゃらし…]のときの伊三次31歳>[五月闇]37歳……というと、若い女性読者は「もっと若いと思っていたのにぃ」と叫ぶ。ひそかに恋人代わりの位置を与えていたのだろう。

そうそう、葬られた目黒の黄檗派・威得寺は明治20年に廃寺となり、瑞聖寺(港区白金台3丁目)へ合祀されたが、伊三次の墓がどうなったかは不明。

つぶやき:
岡場所〔みよしや〕のあった提灯店(ちょうちんだな)の俗称のゆらいは、「生池院(しょうちいん)店」がなまったものというから、寺の持ち地だったのであろう。
現在は台東区東上野2丁目。

すぐ上の切絵図---不忍池のに突き出た中島、弁財天の横に生池院が鎮座。

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2006.03.05

〔名草(なぐさ)〕の与八

『鬼平犯科帳』文庫巻18に収録の[一寸の虫]で、血なまぐさい盗めをする盗人〔鹿谷(しかだに)〕の伴助(中年)は、自分が盗人の掟を破ったために、本格派のかつてのお頭〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛(50がらみ)からうけた仕置きへの恨みを忘れていなかった。
(参照: 〔鹿谷〕の伴助の項)
(参照: 〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛 の項)
密偵・仁三郎は、一本うどんの〔豊島屋〕でかつて同僚だった伴助に声をかけられ、行状をさぐるために仕返しの犯行に加わることを承知、一味の〔名草(やぐさ)〕の与八らに引きあわされた。
仕返し犯行とは、忠兵衛の娘おみの(24歳)が嫁いでいる本銀町の菓子舗〔橘屋〕を襲うこと。六造という男を引き込みに入れてもいた。

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年齢・容姿:中年。容姿の記述はない。
生国:伊勢(いせ)国三重郡(みえこおり)名草村(三重県三重郡楠町北五味塚)。
現在は北五味塚に併合されていると推察しているが、もしかしたら吉崎かも知れない。地元の鬼平ファンの方のご教示を俟つ。

探索の発端:本銀町の菓子舗〔橘屋〕をそれとなく伺っている初老の男に気づいた鬼平が、同心・松永弥四郎に尾行(つ)けさせ、湯島天神下の菓子舗〔柳屋〕へ入ったのをつきとめた。〔橘屋〕の内儀おみのの実家である。そこから、〔船影〕の忠兵衛がわりだされ、〔橘屋〕が見張られることになった。

結末:〔船影〕の忠兵衛を売ることはできないと、仁三郎は押し入りの場で伴助を刺殺ののち、自裁して果て、〔名草〕の与八は、そのときに捕まった。
[船影〕の忠兵衛は、一味が押し入ろうとして南茅場町の水油問屋〔岡田屋〕で23名が逮捕された。

つぶやき:上から同じように叱られても、それを根に持つ男と、逆に叱正をありがたがって人生の軌道修正の資とする男の違いを描く。
その違いは、天生の素質の違いなのか、それとも、人生体験の差からくるものなのか。ぼくには、後者のようにおもえるのだが。
人生体験の差---謙虚ということを学んだ男と、学びそこなった者の差ともいえようか。

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2005.12.11

〔桑名(くわな)〕の新兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻3の所載の[兇剣]で、〔高津(こうづ)〕の玄丹が〔白子屋(しらこや)〕菊右衛門へまわしてよこした、〔牛滝(うしたき)〕の紋次の依頼---鬼平暗殺の400両は受けとっておいて、菊右衛門は紋次の始末を右腕の〔桑名(くわな)〕の新兵衛へいいつけた。
(参照: 〔高津〕の玄丹の項)
(参照: 〔白子〕の菊右衛門の項)
(参照: 〔牛滝〕の紋次の項)

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年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:伊勢(いせ)国桑名郡(くわなこおり)桑名(現・三重県桑名市桑名)。

探索の発端と結末:〔高津〕の玄丹一味が、大和・大泉の大庄屋・渡辺家への押し入りに失敗して逃亡したとの噂を耳にした〔白子屋〕菊右衛門は、〔桑名〕の新兵衛を相手に、
「今夜あたり、ちょと締めて、土の中へ入れたらええわい」
「あの、四百両は?」
「貰て、おこうかい」
これらの会話は、鬼平が聞いていいないところでおこなわれた。

つぶやき:シリーズ第19話目にあたるこの篇で、次篇あたりで連載を打ち止めにでもするかのように、池波さんは、悪という悪をすべて披露するかのように、どっと吐きだしている。

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2005.10.30

座頭(ざとう)・徳の市

『鬼平犯科帳』文庫巻22は、当シリーズの長篇第3作目 [迷路]である。盗賊方の重鎮は〔猫間(ねこま)〕の重兵衛で、サブが別の一味の首領〔法妙寺〕の九十郎。
(参考: 〔猫間〕の重兵衛の項)
(参考: 〔法妙寺〕の九十郎の項)
密偵では、〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵と〔玉村(たまむら)〕の弥吉のかつやくがいちじるしい。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
(参照: 〔玉村〕の弥吉の項)
その〔玉村〕の弥吉が、〔法妙寺〕の九十郎からえお盗めを助(す)けるように頼まれた。盗め先は、鉄砲洲の薬種屋〔笹田屋〕といわれて、明石橋の向こうをそれとなく見張っていると、座頭の徳の市が〔笹田屋〕から出てくるのを見かけた。徳の市は、按摩をしながら引きこみと〔甞役(なめやく)〕を兼ねていたのである。
徳の市は盲人をよそおって、南小田原町の中2階のある家へ女房と住んでいる。
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明石橋(別名・寒橋)徳の市の家は西本願寺の手前
(〔『江戸名所図会』より 塗り絵師:西尾 忠久)

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年齢・容姿:50前後。盲人をよそおっている。
生国:〔赤堀(あかぼり)〕の嘉兵衛との地縁から、伊勢国のどこかと推察。
(参照: 〔赤堀〕の嘉兵衛の項)

探索の発端:先に記したように、鉄砲洲の薬種屋〔笹田屋〕からと徳の市が出てくるところを屋吉が見かけた。
徳の市とは、〔赤堀〕の嘉兵衛の一味にいたときに、彼が目明きで、按摩に入った家の間取りから金蔵の場所や錠前の形まで読みとることを知っていた。
一方、〔小房〕の粂八が、尾行(つ)けていた女賊お松(27,8)が、徳の市の家へ入るのをつきとめた。

結末:〔猫間〕、〔法妙寺〕一味とも、全員捕縛。徳の市も同然。死罪であろう。

つぶやき:ストーリーの展開は、例によってあざやかなものである。同心・細川峯太郎の博打と浮気から幕があき、終わりは鬼平と〔猫間〕の十兵衛との対決となる。その間に、かつて逮捕した〔池尻〕の辰五郎がからむといったにぎやかさ。
こういう作家を、〔ページターナー〕---息もつかせずにページをめくらせる作品と呼ぶ。

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2005.10.05

〔貝野(かいの)〕の吉松

『鬼平犯科帳』文庫巻17、長編[鬼火]の終末にチラッと語られる本格派の盗賊〔名越(なごし)〕の松右衛門の配下だった〔貝野(かいの)の吉松。
(参照: 〔名越〕の松右衛門の項)
かつて松右衛門が面倒を見、いまは駒込のはずれで居酒屋〔権兵衛酒屋〕の主となっている元旗本の永井弥一郎とその連れ添い・お浜を見つけ出し、仲間になれとしつこく誘ったのがこの吉松である。
〔名越〕の松右衛門は、小網町の線香問屋〔熊野屋〕作兵衛方へ押し入ったとき、手代と小僧あわせて4人に重傷をおわせたことを、お盗めの道にはずれたと恥じ入り、一味を解散し、自分は飄然と生まれ故郷の伊勢へ身を隠した。
一方の〔貝野〕の吉松は、「松右衛門お頭のやり方は、時勢に合わねえ」と、凶暴な浪人・滝口金五郎(43歳)をを新しく頭にいただき、非道な盗めを始めていた。

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年齢・容姿:書かれていないため、不明。
生国:伊勢(いせ)国員弁郡(いなべこうり)西・東貝野村(現・三重県員弁郡北勢(ほくせい)町西・東貝野)。
播磨国神崎郡神東郡貝野村も候補にしたが、〔名越〕の松右衛門の生国が「伊勢のどこか」とあるので、北勢町をとった。

探索の発端:鬼平の暗殺を請け負った浪人の一人が、大身(7000石)・渡辺丹波守の下谷田圃にある下屋敷へ出入りしたことから、医師・吉野道伯の関屋村の寮が盗人宿になっていることがつきとめられ、賊たちが京橋川ぞいの菓子舗〔加賀屋〕に狙いをつけていることもわかった。

結末:菓子舗〔加賀屋〕へ押し入ろうとする寸前、一味の20名とともに、〔貝野〕の吉松も逮捕された。これまでの殺傷ぶりから、死罪であろう。

つぶやき:盗賊浪人・滝口金五郎一味とすれば、〔名越(なごし)〕の松右衛門の一団のことを知っている永井弥一郎とお浜を生かしておくといつ情報が漏れないともかぎらないと憶測して襲撃した長篇の発端に、鬼平がからんでくるとは、おもい寄らなかったろう。
ということは、読み手も想像の外---ではあるが、ミステリーとしては、謎の底はそんなに深くはないのが惜しまれる。

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2005.09.17

〔白子屋(しらこや)〕菊右衛門

『鬼平犯科帳』文庫巻3の所載の[麻布ねずみ坂]で、指圧医師・中村宗仙(62歳)に、500両で愛妾・お八重(29歳)をゆずると約束した、大坂の香具師の元締〔白子屋(しらこや)〕菊右衛門。
3年前、お八重は京・東寺の境内茶屋〔丹後や〕の経営をまかされており、宗仙の指圧の妙技に、つい、割りない仲となってしまったが、菊右衛門の知られて、けっきょく、売られるような形となった。
江戸へ出てきた宗仙は、富裕な患者専門に高額の施療料をとっては500両に達する金を、取立てにきた浪人・石島某へわたしたが、〔白子屋〕はお八重をよこす代わりに、刺客を送ってきた。

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年齢・容姿:50男。容姿はこの篇には記されていないので『殺しの四人』(講談社文庫)の[秋風二人旅]から引く。50男。でっぷりした体格--ただし、[麻布ねずみ坂]は寛政4年(1792)の事件、[秋風二人旅]の舞台は、7年後の同11年(1799)。
生国:屋号の〔白子屋〕を(しらこ)でなく(しろこ)と読むと、伊勢(いせ)国:奄芸郡(あんきこうり)白子(しろこ)町(現・三重県鈴鹿市白子)。
池波さんのルビどおり(しらこ)だと、山形県西置賜郡小国町白子沢、福島県岩瀬郡天栄町白子、千葉県安房郡丸山町白子、同千倉町白子と、大坂とは縁遠くなる。
40歳代で大坂の香具師の元締にまでのぼりつめるには、きわめて若い時分から大坂の暗黒街の水に染まっていなければ、とかんがえると、伊勢国の白子(しろこ)と見たい。とりわけ、池波さんは鈴鹿あたりになじみがふかい。

探索の端緒:中村宗仙の指圧治療を受けた鬼平が、高額の施療料に疑問をもち、同心・山田市太郎に見張らせたところ、浪人・石島某が本所・両国一帯を牛耳っている香具師の元締・〔羽沢(はねざわ)〕の嘉兵衛のもとに出入りしていることが分明。
(参照: 浪人・石島精之進の項)
(参照: 〔羽沢〕の嘉兵衛の項)

結末:〔白子屋〕菊右衛門が派遣した浪人・石島某は、取り立てた金をネコばばして、上州・高崎に念流の剣術道場を構えていた。送金が途絶えたのでお八重は殺された。
〔白子屋〕が派遣した刺客を捕えた鬼平は、石島某の悪事を告げ、〔白子屋〕のもとへ返すと、菊右衛門は500両を宗仙へ送ってよこした。
宗仙は、その半金で麻布・永坂の光照寺(昭和40年に八王寺市絹ヶ岡3丁目へ移転)に、お八重の墓を建てた。

つぶやき:〔白子屋〕菊右衛門は、『仕掛人・藤枝梅安』の準主役の一人でもある。梅安は、菊右衛門に仕掛人として仕こまれ、最後には菊右衛門と壮絶な対決をすることになる。その経緯は同シリーズで。
付記すると、藤枝梅安は寛政11年に35歳だから明和元年(1764)の生れで、延享3年(1746)生れの長谷川平蔵より18歳若い。

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2005.09.01

〔鈴鹿(すずか)〕の又兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻2に収められている[お雪の乳房]で、同心・木村忠吾と割りない仲になってしまったお雪(18歳)の父親・〔鈴鹿(すずか)〕の又兵衛は、余生の一時期を、お雪といっしょに暮らしたいと望み、盗っ人稼業からの引退を考えていた。
その矢先に、お雪を預かっていてくれた亡妻の弟で、浅草・田原町1丁目で足袋屋〔つちや〕を開いている善四郎(40男。じつは元盗っ人の〔鴨田(かもだ)〕の善吉)から、彼女が惚れた相手が、選りによって火盗改メの同心と知らされて大あわて。
(参照: 〔鴨田〕の善吉の項)

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年齢・容姿:60歳。顔も躰つきも〔いたち科〕の「川獺(かわうそ)」そっくり。渋紙色でしわの多いちんまりとしてた老顔。細身の小男。
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池波さんの「川獺」のイメージは、鳥山石燕『画図百鬼夜行』(安永5年 1776)に拠ったものだろう

生国:伊勢(いせ)国鈴鹿郡(すずかこうり)伊船(ふな)村(現・三重県鈴鹿市伊船町)
「通り名(呼び名ともいう)」の「鈴鹿」を鈴鹿山脈と捉えると、広範囲にわたることになる。『旧高旧領』から「伊船」村を拾って、現在の鈴鹿市出身とした。

探索の発端:〔小房〕の粂八が、偶然に〔鴨田(かもだ)〕の善吉)を見かけたことから、見張りがはじまり、芝・横新町で煙草屋〔しころや〕を装っている〔鈴鹿〕の又兵衛へまで、糸がたぐられた。
(参照: 〔小房〕の粂八の項)

結末:芝・松本町の明樽問屋〔大黒屋〕へ押し込んだ〔鈴鹿〕の又兵衛一味は、待ち伏せていた鬼平たちに逮捕された。
木村同心との仲を裂くべく、お雪を連れた〔鴨田〕の善吉は、つつがなく京へ逃避できたよもう。

つぶやき:〔鈴鹿〕の又兵衛が営んでいる煙草屋の屋号〔しころや〕の「錣(しころ)」は、兜(かぶと)の鉢から左右や後部に垂れている首の保護材の呼称。
鈴鹿山脈の中に「錣峰」と呼ばれる山でもあるのだろうか。それれとも、鈴鹿郡にそういう武具職人のいる村でもあったか。
〔鈴鹿〕の又兵衛一味が盗み装束でそろいの「錣頭巾(しころずきん)」をかぶって押し入ったわけではあるまい。

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2005.08.31

〔長嶋(ながしま)〕の久五郎

『鬼平犯科帳』文庫巻7に収められている[盗賊婚礼]で、2代目〔鳴海(なるみ)〕の繁蔵の使いで、江戸の盗賊の首領〔傘山(かさやま)〕の弥太郎の番頭格の〔瓢箪屋(ひょうたんや)〕勘助のもとへやってきた〔長嶋(ながしま)〕の久五郎を見て、勘助は「広野の中の一本杉のような男(やつ)」と好印象をもつ。届けられた手紙の主旨は、、親同士の約束だからと、自分の妹(じつは情婦)を花嫁として押しつけようとするものであった。
(参照: 〔鳴海〕の繁蔵 ・2代目の項)
(参照: 〔瓢箪屋〕勘助の項)

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年齢・容姿:年齢の記述はないが、〔傘山(かさやま)〕の先代に恩を受けているというから、40台前半か。めったなことでは表情を変えない。
生国:紀伊(きい)国桑名郡(くわなこうり)長島(現・三重県桑名市長島町)
「長嶋」は『旧高旧領』にないので「長島」で検索した。美濃国本巣郡長島村も信濃国小県郡長島村 も〔鳴海〕に地縁がないとはいえないが、池波さんは、織田信長の長島攻めで覚えた地名であろうと推量して、三重の「長島」を採った。

探索の発端:生母の実家、巣鴨村の三沢家を訪ねた鬼平は、従兄弟の仙右衛門と、駒込片町の円通寺(文京区本駒込3丁目)への墓参りをすませ、岩ぶち街道に面した小料理屋〔瓢箪屋〕で午餐をとり、その料理のよさに満足した。
それから半月後。
5,000石の大身旗本で旧知の林内蔵助の駒込・動坂の下屋敷で、岸井左馬之助ともどもにご馳走になり、巣鴨村の三沢家に泊まるつもりで〔瓢箪屋〕の裏手にさしかかったとき、屋内で起きている騒ぎに気づいた。
2人で打ちこんでみると、〔傘山〕の弥太郎と〔鳴海〕の繁蔵の妹お糸(じつは繁蔵の情婦お梅)との婚礼中、繁蔵の配下の〔長嶋〕の久五郎が、偽の花嫁の正体を暴露したための混乱であった。

結末:かつて、先代〔傘山〕の弥兵衛に大きな恩をうけていた〔長嶋〕の久五郎は、偽りの婚儀の次第をぶちまけるとともに、〔鳴海〕の繁蔵を刺し、自らは用心棒の土山浪人に斬られた。

つぶやき:「恩は着せるものではなく、着るもの」は、池波さんが長谷川伸師からゆずられた処世訓である。久五郎は受けたのがどんなであったかはは、死にぎわにもあえて語らない。それが物語りにより深みを添えている。

2005年10月17日(火) 取材リポート

「広野の中の一本杉のような男(やつ)」と、勘助に好印象を与えた〔長嶋〕の久五郎を育んだ風土はどんなところなのか、この目で確かめたかった。
近鉄名古屋線が桑名駅を出るとすぐ、揖斐(いび)川と長良川をわたり、長島駅。
1121b

永禄10年(1567)と元亀元年(1570)の2度、長島攻めに失敗した織田信長は、3度目の正直とばかりに天正2年(1574)、川からと陸からの数方向から攻めたて、一揆側を餓死寸前にまで追いこみ、男女2万近くを殺した。
司馬さんの『国盗り物語』(新潮文庫)はこの合戦を割愛している。門徒の末裔である司馬さんが、書くに耐えなかったとはおもいたくはないのだが。
ともかく、〔長嶋〕の久五郎のすがすがしさには、門徒の心情がひそんでいるようにおもえてならなかった。

駅前のタクシードライヴァー氏に、「一揆の遺跡へ見たい」と頼んだ。
「一揆が立てこもった願証寺はいまは長良川の川底に沈んでいます。再建された願証寺に、一揆の記念の石碑があります」
それでいい、と出発。
島中には温泉があったりして、けっこう、財政は豊かだったらしい。それに目をつけた桑名市が合併をのぞみ、この春、実現した、とは、長島育ちのドライヴァー氏の弁である。

新生願証寺は、水田の中に見えた。
1122b

史実によると、元の願証寺が河川改修工事で川底へ沈んだのは明治27年(1894)とのこと。新しく建てられたのは、そのあとであろう。
〔長嶋〕の久五郎が生まれたのは、一揆後200年ほど経ってからだ。が、一揆についての話はずっと聞いて育ったろう。
境内に、一揆の記念碑があった。
1123bb

空は、いまにも雨を落としそうに、雨雲がうねっていた。

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2005.07.17

〔朝熊(あさくま)〕の宗次

『鬼平犯科帳』文庫巻22は、長篇[迷路]である。〔猫間(ねこま)〕の重兵衛と鬼平との壮絶な対決の本筋に、脇役が何十人もからむ。その1人が、同心・細川峯太郎に博打の元手を貸す浅草・福井町の香具師(やし)の元締めの〔鎌屋(かまや)〕富蔵がそうで、乾分の〔朝熊(あさくま)〕の宗次が口をそえた。
(参照: 〔鎌屋(かまや)〕富蔵の項)

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年齢・容姿:どちらの記述もない。
生国:伊勢(いせ)国度会郡(わたらいごうり)朝熊(あさぐま)村(現・三重県伊勢市朝熊町)。
「朝熊」の村名は、空海が山中で修行していたとき、「朝熊獣出で、夕に虚空現ぜり」ゆえに名づけたと吉田東伍博士『大日本地名辞書』は記している。
町内の朝熊神社は、内宮摂二十四社の一とも。
『鬼平犯科帳』では、濁らないで(あさくま)とルビがふられている。

探索の発端:細川同心が博打をやめたので、探索されずにすんだ。

結末:上記に同じ。

つぶやき:この〔朝熊(あさくま)〕と濁らない「通り名(呼び名)〕は、密偵の伊三次が文庫巻9[泥亀(すっぽん)]で一度だけ使用したことがある。
(参照: 朝熊の伊三次の項)
再び登場したのは、池波さんが忘却したのか、あるいは、伊三次が使ったのは、推定どおり、〔泥亀〕の七蔵を安心させるためだったか。
朝熊神社の地図---
http://map.livedoor.com/map/?MAP=E136.45.20.0N34.29.1.2&ZM=8&SZ=850%2C600&OPT=e0000011&KN=1&COL=1&x=433&y=299

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