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2005.03.23

〔瓢箪屋(ひょうたんや)〕勘助

『鬼平犯科帳』文庫巻7に所載の[盗賊婚礼]で、本格派の〔傘山(かさやま)〕一味の2代目・弥太郎の大番頭格。先代の弥兵衛のときから仕えている。表の顔は、駒込富士前町の料理屋〔瓢箪屋〕の主人。

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年齢・容姿:60がらみ。白髪、蜻蛉髷(とんぼまげ)の小さな好々爺(こうこうや)。
生国:出羽(でわ)国山本郡(やまもとごおり)高畑(たかばたけ)村(現・秋田県大曲市小貫高畑(おぬきたかばたけ))。

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(赤○=大曲旧市内 青〇=小貫高畑 明治23年 参本部製)

探索の発端:〔鳴海(なるみ)〕の繁蔵の項でも記したが、巣鴨村の三沢家を訪ねた鬼平は、従兄弟の仙右衛門と、駒込片町の円通寺(文京区本駒込3丁目)で生母の墓参をすませ、駒込富士前の岩ぶち街道に面した小料理屋〔瓢箪屋〕で午餐をとり、その料理のよさに満足。
(参照: 〔鳴海〕の繁蔵の項)
あいさつに現れた主人は、そうそうに引きとった。鬼平の感想は、
(これでは、あまり儲かるまい。これは、あの主人が道楽でしていることか---?)

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駒込の富士浅間社(『江戸名所図会』 塗り絵師:西尾 忠久)

それから半月後。
所用で〔瓢箪屋〕の裏手にさしかかると、屋内で起きている騒ぎが---。岸井左馬之助とともに飛び込んだ。

結末: 先代同士の約束を盾にとって、2代目〔鳴海(なるみ)〕の繁蔵がたくらんだ婚礼だったが、花嫁はニセモノとばらした繁蔵配下の〔長嶋〕の久五郎は、繁蔵を短刀で刺殺した。
〔傘山〕の弥太郎と勘助は、両手を突き出し、頭をたれた。

つぶやき: 先代の〔傘山〕の弥兵衛の出身は冨山県上新川郡大山町と推測している。出府し、本格派の盗賊の首領として関東一円を縄張りにしていた。
表の顔だった武州・八王子の休み茶屋〔古屋〕の主人として、8年前の天明5年(1785)に畳の上で大往生をとげるとき、弥太郎へ、嫁は同じ本格派の〔鳴海〕の繁蔵どんのむすめという約束を交わしている、と告げた。

先代の「弥兵衛が倒れたとき、勘助は、生まれ故郷の出羽・高畑へ帰っていた」とあるのが、勘助の生国を割り出した手がかりだが、じつは、出羽国には、「高畑(たかはたけ)」という地名が同じ山本郡の田沢湖町にもある。
しかし、観光資源としての孔雀城址がある大曲市のほうを採った。

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コメント

瓢箪屋で平蔵と仙右衛門に出した料理は、
・芹の味噌椀
・わけぎと木くらげの白味噌和え
・鱒の味醂漬けの焼き物に嫁菜そえ
ですね。
こういう、なんでもむないような料理をおいしそうにつくらせる勘助老人は、さすがです。

このうち、2番と3番は私もつくってみました。けっこう、家庭料理風で、いけましたよ。

投稿: 与力Aの家内 | 2005.03.23 17:47

>与力Aの奥方さん

与力の奥さんは、「奥方」と呼ばれます。
八丁堀の7不思議の一つ----「奥様あって殿様なし」は、八丁堀の与力・同心の奥さんは「奥様、奥方」と呼ばれ、それに対するご亭主は「殿様」でなければらならないのに、「旦那」と呼ばれます。

さて、池波さんの食味談義は、多くの人のこころを引きつけています。
A夫人もそのお一人のようですが、作って試すところがなまなかではありませんね。

投稿: ちゅうすけ | 2005.03.24 08:12

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