カテゴリー「157〔笹や〕のお熊」の記事

2008.04.25

〔笹や〕のお熊(その6)

長谷川さま。お婆ぁさんの用心棒も、これでご用ずみでやすね」
「そうなってほしいが---」
銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)が、こころもとなげに〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち)に応える。

「しっかりなさっておくんなさいよ。姥桜(うばざくら)ってえのは、長谷川さまみたいに精がありあまってるのに、あの技(て)この手筋を教えこんで、自分も法楽にしびれようってんでさあ---今朝のお婆ぁさんの顔つきだと、ゆうべあたり、気を引いてみたってことが、見え見えでやしたが---」
権七の観察眼は鋭い。

【参考】2008年4月20日~[〔笹や〕のお熊] (1) (2) (3) (4) (5)

「一味は甲州とか駿州とかへ引き上げた---と火盗改メ方がいっているのを口実にして、お屋敷へお帰りなさいまし」
「頼んでみよう」
長谷川さま。まさか、花びらももう残ってねえような姥桜に、数奇(すき)ごころをお持ちになっちまったんではねえでやしょう?」
「それは、ありません」
そう断言してみた銕三郎だが、昨夜、湯文字も取りすてて素裸で抱きつかれた時の肉(しし)置きのゆたかな腰や胸の重量感には、まったく無反応だったわけではなかった。
が手をのばしてきて探りあてていたら、逃げ口上が通じなかったかもしれない。

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(国芳『逢悦弥誠』部分 イメージ)

阿記(あき 23歳)の面影に加えて、母・(たえ 40歳)より齢上の女(の)とそのようなことになっては、親不幸の最たるもの---と、理にならないことを自分にいいきかせていたのであった。

両国橋をわたる。
大川の川面(かわも)が、初夏を告げるきらきらした陽を照り返している。
両国西詰・広小路に達した。
昼前にはまだ間があるというのに、あいかわらずの人出で、見世物小屋の呼び込みの声もあちこちから、かしましい。さすがに江都いちばんの賑わいどころだ。

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(両国橋西詰 広小路の賑わい 『江戸名所図会』部分)

とりあえず、水茶屋へ腰を落ちつけてから、〔加納屋〕善兵衛(ぜんべい 60台半ば)に逢ってみるつもりである。
まだ、15,6歳の美形の茶汲みむすめが茶をはこんできても、2人は視線を向けもしない。

この春はじめ、谷中(やなか)の天王寺門前の茶店〔かぎや〕に出た看板むすめ・おせんの評判があまりに高いので、学而塾の悪童連とひやかしに行った銕三郎だったのだが。

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(春信「笠森おせん」 イメージ)

ことのついでに書いておくと、庭番の頭(かしら)格・馬場家(100俵)のむすめであったおせん(14歳)は、ほどなく、同じ庭番・倉地政之助萬済(まずみ 25歳 60俵)に嫁ぎ、店から姿を消した。

2人は、〔初鹿野(はじかの)〕一味のことを、声をひそめて話しあう。
まわりの客が耳にいれても意味が通じないように、名前や事件を伏せている。

「寸前に着替える---ということでした。線香の匂いは、置いてある時に滲(し)みこんだものでしょう。為造の小屋に長く置かれていたのでしょう」
「水油は---?」
「横道にみちびくために、わざと付けたのかも---」
「こんど、付けなかったのは---?」
「そらす気がなかった---ことがなり次第、江戸を離れる算段をしていた」
「忘れたってことは---・?」
「いや。そんな手抜かりをする相手では---」
「ブツが入ったってことは---」
「見張っていたのでしょう」
「どっちを---?」
「双方を。配当がもらえるかどうかの際(きわ)です。みんな、やったでしょう」

「内通(つなぎ)は? 羽前同士とか---」
どの---なかったとおもいます。 それより、通いが---」
「日光の杉並木じゃなくって---と」
「東海道の松並木---」
「そう。松並木でやした」
「住まいなども聞き漏らしたままです。いまも、いるのか、どうか---」

その時、2人に声をかけてきた目つきの鋭い、若い男が、
「お話中、失礼さんですが---」


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2008.04.24

〔笹や〕のお熊(その5)

銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)が、裏手の井戸で顔を洗っていると、お(くま 43歳)が酒器の洗いものを持ってあらわれた。
笑顔で寄ってきて、銕三郎の尻をぽんとたたき、
「まんざらでもなかったって顔だね。汁っけもたっぷりだったろう?」

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(北斎『させもが露』部分 イメージ)

銕三郎は、おの誤解のままにしておくことにした。そのほうが、おに恥をかかさないですむ。

鬼平犯科帳』のファンを自認なさっている方ほど、
「おかしいじゃないか。酒気ふんぷんたる素っ裸のおに、布団の中へもぐりこまれて、さすがの銕三郎もあわてふためいて、青くなって逃げ出したのではなかったのか」

それを平蔵から持ちだされるたびに、70すぎのおが、たもとを顔にあて、
「恥ずかしいでねえかよ」
と舞台で演ずれば、観客はどっと笑う場面である。
たしかに、話としてはうまくできている。

しかし、である。
まず、銕三郎が〔笹や〕に泊まったのは、小説では、深川・本所でぐれていた時となっている。
17歳まで巣鴨の大百姓・三沢家で育てられおり、父のもとへ帰ると継母の嫌がらせ---それで家にも寄りつかなくなった。

とはいえ、何度も書いたように、史実では、継母は、銕三郎が5歳の時に病歿しており、生母は以前も以後もずっ長谷川家にいたのである。
さらに、銕三郎の20歳前後には、本家の長谷川太郎兵衛正直(まさなお 50歳半ば)が火盗改メの任に就いている。甥の銕三郎がぐれているわけにはいかないのである。

---ということで、苦労して、〔笹や〕に泊まる口実をこしらえた。
40代の前半で後家になったおは、孤閨にたえかね、たしかに、素っ裸で銕三郎に抱きついた。
が、銕三郎とすれば、据え膳をくうわけにはいかない。
ここのところは、池波さんの考えに同感---池波さんも、年上の女性は、若い男に手ほどきしてやるものという立場であるらしい---。
吉原があった時代の人だから、そういう体験もふまえての、助言とみたい。

が、ぼくが設定した銕三郎の立場では、おに恥をかかさないことのほうに力点をおかざるをえなかった。
池波少年だって、吉原での相手との年齢差は、10歳と離れていなかったようだ。

銕三郎の[ヰタ・セクスアリス]も書かないと、エンドレスのこのブログが持たないということもある。
で、おには、昨夜は酔いつぶれて夢の中で銕三郎と楽しんだとおもわせておくことにした。
問題は、収束の仕方である。
銕三郎は、おの用心棒にやとわれているのだ。さりげなく、任を解いておかないといけない。

朝食のあいだも、おは微笑をたやさない。
(これから先が、おもいやられる。いつも、昨夜のテで逃げられはしまい)
銕三郎とすれば、飯の味がしない。

食後も思案しているところへ、〔風速(かざはや)〕の権七がやってきた。
長谷川さま。[読みうり]をご覧になりましたか?」
「いや」
「これです」

なんと、昨夜、盗賊がまたも、ここから近い竪川(たてかわ)の向こう岸、緑町2丁目の---こともあろうに、〔古都舞喜(ことぶき)楼〕を襲っていたのだ。

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(お熊の〔笹や〕・〔古都舞喜(ことぶき)楼」 近江屋板)

行ってみると、火盗改メ方の次席与力・高遠(たかとう)弥大夫(やたゆう 46歳 200俵)と掛かり同心・大林源吾(げんご 30俵2人扶持)が出張って訊き書きをつくっていた。

高遠さま、大林さま。お役目ご苦労さまでございます」
「やあ。長谷川の若どの。お耳がはやい」
「こちらの〔風速〕の権七どのに教えられたのです。いかがですか? 賊は、やはり、〔初鹿野(はじかの)〕一味ですか?」
「灰色装束に身を固めていたから、たぶん、そうでしょう。ただ、前回より少なく、5人ほどだったようで---」
「首領の音松(おとまつ 38歳)は?」
「いなかったようです。差配は、小男の---〔舟形(ふながた〕)の宗平(そうへえ 47歳)とおもわれるのがやっていた」
「被害はいかほど?」
「120両ばかり。あと、板場の男が、逆らって腕を傷つけられました」

「おなじ店を2度襲うとは、奴らも、よほどにせっぱつまったんでやしょう」
言った権七に、大林同心が、
「火盗改メの裏をかいたのよ。エサを2度噛むとは、ふつうは考えないし、〔初鹿野〕一味としても、初めての手口だ」

高遠与力と大林同心、それにつきそっている小者たちが引きあげたあと、銕三郎は、女将・(ふく 38歳)と女中頭・(とめ 32歳)にのこってもらった。
「女将どの。前回と異なっていたのは、大男の首領(かしら)の代わりに小男が差配をとったことのほかに、ほら、小男の水油(みずあぶら)の匂いは?」
「あ、そういえば、消えていました」
「やっぱり---。どの。紅花の手拭いをつかいましたか?」
「いいえ。昨夜は、鼻をかみませんでした」

「女将どの。差しつかえなければ、盗(と)られた120両は、いつ手元にきた金か、教えてもらうわけにはまいらぬかな?」
「一昨日に」
「なんのための金で?」
「支払いをするためでございます」
「どこから?」
「------」
「言えませぬか? 両国広小路あたりですかな?」
「さあ---」

帰り道、銕三郎権七に謎解きをしてみせた。
「あの120両は、手切れ金だったのかも」
「〔加納屋〕の?」
「あの料亭も、これから保(も)たせていくのが、たいへんです」

【参考】2008年4月20日~[〔笹や〕のお熊] (1) (2) (3) (4)


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2008.04.23

〔笹や〕のお熊(その4)

えもいわれぬ微笑で見つめたお(くま 43歳)は、いきなり、湯文字を取りすてると、銕三郎(てつさぶろう 20歳)にむしゃぶりついてきた。
長谷川の若よぉ。久しぶりなんだよう。味をみておくれ」
息が酒くさい。

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(国芳『逢悦弥誠』部分 イメージ)

「おどの。お待ちください。拙の支度ができておりませぬ」
「支度なら、あっちの部屋に敷いてあるよう」

(どう、切りぬければ、おどのに恥をかかさないですまされるか)
銕三郎が考えていたのは、そればかりであった。
は、抱きしめた手をゆるめない。
40女の脂肪ぶとりした重い躰が、銕三郎の動きを奪っている。

「おどの。拙も飲まないと、恥ずかしい」
「女と男がすることに、恥ずかしいことなど、あるものか」
「拙は、経験がない。恥ずかし」
「筆おろしなのかい。法悦々々。うれしいねぇ」

「じゃ、飲もう。それから、いろはの書き方を、腰でたっぷりと教えてやる」
は、素裸のまま、隣の部屋で、酒をととのえはじめた。
足元がそうとうにふらついている。

鬼平犯科帳』でのお熊は、70歳を超えており、傘の骨みたいに脂肪が抜けたしなびた躰つきとなっているが、この時は43歳の姥桜(うばざくら)である。みっしりと肉(しし)置きがあり、汁っけも十分。
ものの本によると、「姥桜」とは、歯(葉)のない老女にかけたとも、盛りをすぎても魅力が失せていない女とも、ある。おは、後者ということにしておこう。

2人は、のべられている寝床の脇で、呑みはじめた。
銕三郎は、裸のままであぐらをかいているおの下腹の茂みを、なるべく見ないようにしながら、言った。
「おどの。口うつしで飲ませてあげましょうか」
「おお、口をあわせてくれるのかい」

銕三郎は、いっぱいにふくんで、おの口へ移す。
3回ほどもそうしているうちに、銕三郎は酔いをおぼえ、困ったことに---と、一瞬、あきらめ、阿記(あき 23歳 お嘉根(かね)の母)に(すまぬ)とつぶやいた。

参照】2008年3月19日~[お嘉根という女の子] (1) (2) (3) (4)
2008年4月11日~[妙の見た阿記] (1) (2) (3) (4) (5)

「わか、なんか、ゆうた、---かえ?」
「いや」
「そろ---そろ、い・ろ・は---書いて---みよう---よ。 おい---で、初---筆---の---わ---か」
ごろり布団に躰を投げたとおもうと、はだかのまま太股をおっぴろげ、大の字になったおは、いびきをかきはじめたのである。
そして、夢うつつの中で銕三郎の口を吸っているのか、唇が風にそよぐ花びらのように微妙にふるえる。そのたびに、唇の両端の小皺がでたり消えたり---。

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(国芳『葉奈伊嘉多』[口絵] イメージ)

銕三郎は、上布団をよそってやり、酔いがまわった手で酒器を流しへはこぶと、隣の部屋で床をのべたとたんに倒れこみ、衣服も脱がずに眠ってしまった。

参考】2008年4月20日~[〔笹や〕のお熊] (1) (2) (3)

翌朝---。

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2008.04.22

〔笹や〕のお熊(その3)

「お(くま)女将(おかみ 43歳)どの。その2人がこの茶店に来たことは、他の誰にも話してはなりませぬ。もし、2人の耳にそのことがはいると、女将どのの身によくないことがふりかかってくるやもしれませぬ」
銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)は、〔笹や〕のおの口達者に危険を感じたのである。知恵者〔舟形(ふながた)〕の宗平のことだ、どこに手をうっているか、知れたものではない。

「亭主がおっ死(ち)んじまったから、もう、怖いものはないし、見てのとおりの貧乏茶店だから、盗(と)られて惜しいものはなんにもないけど、長谷川の若が、せっかく言ってくれるんだから、口に錠をかけとくよ」

(しかし、蛙(かわず)の面(つら)つきをした30男を解き放したらしいところが、どうも解(げ)せない)

茶代を、〔風速(かざはや)〕の権七が払おうとすると、おが断った。
長谷川の若と知り合えたんだから、きょうのところは、貰わなくて、いいよ」
「それでは、あんまり---」
「なに、いいんだよ。ところで、長谷川の若よ。ヤットウの腕は、どうだね?」
「出村町の道場で稽古しております」
「強いのかね?」
「まあ---」
「どうだろう、2人組からの悪だくらみが消えるまで、このおさんの用心棒に雇われてくれないかね?」
「用心棒といいますと?」
「昼間は、見たとおりに人通りが多いから襲ってはこれまい。夜、泊まりこんでくれるわけにはいかないかね?」

そういう次第で、半月ほど、銕三郎は〔笹や〕から高杉道場と学而塾へ通うことになった。
は、若い男と差し向かいで食事ができるので、
「お(ささ)がすすむよ」
と、よろこんだ。
しかし、家では晩酌の習慣のない銕三郎は、さっさと食事をすまして、奥の部屋でお目見(めみえ)の予審のための下読みにとりかかる。

参照】お目見(みえ)のための予審 2008年4月17日[十如是] (2)

武事(ぶじ)あるものは必ず文備(ぶんそなえ)あり(司馬遷『史記』)
軍備だけでは片手落ちというもので、学問にも通じておかねばならない。

耳が痛い。
そんなとき、本多侍従(じじゅう)正珍(まさよし 56歳 駿州・田中藩 4万石 前藩主)のところで会った、善立寺(ぜんりゅうじ)の日顕(にっけん)から教わった十如是(じゅうにょぜ)を反芻(はんすう)する。

如是相(にょぜそう)---表から見える相
如是性(にょぜしょう)--内がわの本性
如是体(にょぜたい)---相や性をあらわす本体
如是力(にょぜりき)---動作としてあらわすための力
如是作(にょぜさ)-----あらわされた動作
如是因(にょぜいん)---そうなるための原因
如是縁(にょぜえん)---因を補う条件
如是果(にょぜか)----そうなった結果
如是報(にょぜほう)---その結果の後日
如是本末究竟等(にょぜほんまつくきょうとう)
            ---その結果の実相

参照】2008年4月16日~[十如是] (1) (2) (3) (4)

蛙(かわず)の面つきの男は、別の一味から借りた者らしい。
その男を帰したということは?

一つには、つぎの仕事は、〔古都舞喜(ことぶき)楼での成果が少なかったために、配下から不満が出そうなので、その埋め合わせの補金だから、人数はできるだけ少ないほうが、分け前が多くなる。

それなら、首魁の〔初鹿野(はじかの)〕の音松が、つぎの支度金を取らなければ、あるいは〔舟形(ふながた)〕の宗平も、自分たち首脳陣が取り分を差し控えれば、多く分けられる。
が、一度でもそうした別の配分の例をつくってしまうと、あとあと、押さえがきかなくならないだろうか。

も一つ考えられるのは、人手が少なくても、十分にまかなえる先を襲う。
ということは、襲う先に寝泊りしている人数が少ないところとなろうか。とりわけ、男手が---。

その一軒に、鼈甲櫛笄の〔加納屋〕を置いてみた。
〔加納屋〕なら、両国広小路に面した米沢町だから、辻番所の前を通らなくても---いや、待て。盗賊たちは、森下町の長慶寺や入谷(いりや)の正洞院の隠れ家を引きはらっている。とすると、両国橋をわたるとはきまっていない。

のこされている手がかりは、水油の匂いだけだ。

参照】2008年3月31日~[〔初鹿野〕の音松] (1)  (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)

その時であった。
銕三郎が寝泊りしている部屋の襖が開き、湯文字一つのおが入ってきたのは---。

参照】『鬼平犯科帳』巻7[寒月六間堀]p217 新装版p228
巻10[お熊と茂平]p262 新装版p275

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(国芳『華古与見』部分 イメージ)


【参考】2008年4月20日~[〔笹や〕のお熊] (1) (2)

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2008.04.21

〔笹や〕のお熊(その2)

「おどの。その〔加納屋〕のことを、もすこし、教えてください」
銕三郎(てつさぶろう 20歳)のために、先に座っていた〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)が腰をずらせて、席をつくった。
長谷川さま。とりあえず、お掛けください。女将(おかみ)。新しいお茶を---」

茶を入れかえてきたおは、得意げに話しはじめた。
〔加納屋〕善兵衛(ぜんべえ)---当主だった時代は伊兵衛(いへえ)といったが、なにしろ、いまは、上は大奥のお局(つぼね)さまから、下は裏長屋の嬶(かかあ)まで、髪飾りをつけない女はいないってくらいの世の中になってきているから、商売は順調---。
とりわけ、〔加納屋〕の鼈甲は上品という評判がたったからたまらない。

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(歌麿『絵本笑上戸』の髪飾り)

「というのも、男と女の秘めごとを書きちらしている枕草子(まくらぞうし)の、なんとやらいう名のある絵描きが伊兵衛とは幼(おさな)馴染みでね。〔加納屋〕の創案した意匠の鼈甲櫛や簪(かんざし)を髪に飾った大奥の女たちが、いとやんごとなきことにはげんでいる絵入りの草子が売れに売れたのが、もとらしい。髪飾りをつけたままで極楽へいくもねえもんだ。のたうちゃ、みんなはずれちまわあな」

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(北斎『ついの雛形』部分 イメージ)

お熊の辛らつな口調は、癖なのだ。
(〔加納屋〕は、お披露目(ひろめ)の奥義(コツ)をこころえておるようだが---)

たいていは、ねだられた男が買って与える。
高価なものから売れていくっていうのも奇妙な女ごころで、伊兵衛は笑いがとまらない。
男に金があまってくれば、とうぜん、使い道は女か道楽となる。
東両国の尾上町のさる料亭で仲居をしていたお(ふく 28歳=当時)とできて、竪川(たてかわ)・緑町2丁目で売りにでていた〔古都舞喜(ことぶき)の女将に据えたのが10年前。
そのあと、店と屋号と継ぎ名を息子に譲って暇になった善兵衛はまだ50代の半ばだったから、2日とあけずに泊まっていたが、いまでは、あまり顔も見せないとか。
かんじんのものがいうことをきかなくなってきているって、おがこれという客にはこぼしているらしい。

「おの術(て)ですよ。そう言われた男客は、気があるのかなって自惚(うぬぼ)れるけど、このお熊さんに言わせりゃ、おは、客の懐中の小判か南鐐(なんりょう 二朱銀)に誘いをかけているだけなんだけどね」
お熊どの。くわしいですね」
感心する銕三郎に、
「本所・深川のことなら、なんだっておさんの地獄耳にはいるのさ」
40すぎ女のそれだが、それでも嫣然と笑ったときに、奥歯がほとんど抜け落ちてしまっているのが見えた。

「で、〔古都舞喜楼〕は繁盛しているんですかい?」
権七が訊いた。
「そこそこだってさ」

「お女将の出は?」
「近在の葛西(かさい)の、どこかって聞いたね。親は花づくりもしている小百姓とか」
「〔加納屋〕さんは?」
「先々代が、美濃の加納宿---商人(あきんど)の多い、中山道の宿場だそうな」

「甲斐につながる線はありやせんね」
権七どの。〔軍者(ぐんしゃ)〕は、〔舟形(ふながた〕の、と割れました。羽前だそうです。紅花染めの手拭いを懐中にしているとか---」
聞きとがめたおが、
長谷川の若さまよ。なんだね、その紅花染めの手拭いって?」
「羽前生まれの舟形って通り名の男が、懐中にしている---」
「---手拭いは分かった。その男がどうかしたのかね?」

軍者---つまり、知恵者(ちえしゃ)って呼ばれている---」
〔手っとりばやくいうと、軍師だね」
「そういうことです」
「何の軍師だね?」
「盗賊の---」
「〔古都舞喜楼〕へ押し入った?」
「そうです」

「こいつぁ、おったまげた。その軍師なら、ここで茶を飲んだよ」
「何時です?」
「5日ほど前になるかなあ。雨もよいの日だったよ。〔古都舞喜楼〕が賊に襲われた2日あとだ」

の話は、こういう次第であった。
どちらも5尺(1m50cm)そこそこの男が、〔笹や〕の縁台でお茶を飲んだ。
50がらみの男が、蛙によく似た面(つら)つきの30歳前後とおぼしい男に、
「ちょうすけ(長助)どん。助っ人、ありがとうよ。かんざき(神崎)のに、あっしがよろしくと言っていたと伝えておくんなさい」
「これをお返しいたしやす」
受け取った小さな包みと入れ替わりに、風呂敷包みを押しやり、
「〔軍者〕さん、このたびのお勤め、おみごとでやした。また、声をかけてやってくだせえ。ずいぶんとお達者で---」
その時、〔軍者〕と呼ばれた50がらみのほうが、大きなくしゃみをして、あわてて懐から黄味がかった淡紅色の手拭いをだして、口をぬぐった。

お熊どの。その〔軍者〕と呼ばれた男は、どちらへ去りました?」
「二ッ目之橋のほうさ」

ちゅうすけ注】そう、お察しのとおり、面が蛙に似ているのは、文庫巻10の1篇で題名にもなつている[(かわず)の長助]にまちがいない。〔神崎〕の、といわれたのは、長助のお頭の〔神崎」の伊之助。万事にはしっこかった長助が助っ人に借りられたのである。p69 新装板p64

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2008.04.20

〔笹や〕のお熊

〔五鉄〕の前を素通りした銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)は、竪川(たてかわ)に架かる二ッ目ノ橋を南へ渡った。
竪川は、一ッ目ノ橋の西で大川(隅田川)につながり、逆に東は中川に注ぐ運河である。
幅8間余(16m)、江戸城に対して縦(たて)に本所を貫いているために、竪川の名がついた。
深川の小名木川(おなぎがわ)の補助として、家康が開通を命じた。
小名木川は、浦安からの塩を江戸城へ運びこむための運河として設計されたと伝わる。
海に面していない甲州の武田信玄が塩を絶たれて困った故事を、家康がおそれたのだと諸書にある。

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(両国橋の東=〔五鉄〕・〔古都舞喜楼]・〔笹や〕・弥勒寺・五間堀など)

竪川には、一ッ目から四ッ目まで橋が架かっており、その先は渡しである。
銕三郎がわたった二ッ目ノ橋の向こう、左手には広大な境内をもつ弥勒寺(みろくじ)の山門が見える。
ものの本に、

真言新義の触頭(ふれがしら)、江戸四箇寺(しかじ)の一室なり。

とある。
弥勒寺の山門は、二ッ目ノ橋の通り(二之橋通りともいう)に面している。

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([本所・弥勒寺] 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

ある自称・鬼平通のホームページに、弥勒寺の塔頭(たっちゅう)から、いまは独立している3寺の中の一つ---竜光院の五間堀に面した山門の前に、お(くま)婆ぁの〔笹や〕を置いた地図が描かれていたが、文庫巻10[お熊と茂平]の読みちがいでしかない。

師走(しわす)の雪の晩に、五間堀の前の、寺の小さな門のところへ行(ゆ)き倒(たお)れになっているのを、弥勒寺の坊さんが助けてやったのが縁(えん)で、住みついたのさ---(p269 新装版p282)

このころは、竜光院は広大な弥勒寺の境内にある塔頭の一つでしかなかった、と史料にある。

池波さんは、ほとんど毎日、『江戸名所図会(ずえ)』をひもといて、飽きることがなかった。
お熊婆ぁの〔笹や〕は、文庫巻7[寒月六間堀]ではじめて登場するが、

お熊の茶店の南どなりは〔植半〕という大きな植木屋であった。その向こうに弥勒寺橋が見える。(p218 新装版p228)

この植木屋の垣根へ、老武士・市口瀬兵衛(いちぐちせへい)が倒れこむところから事件が推移する。

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(弥勒寺門前の板庇の〔笹や〕と赤○=植木や)

江戸名所図会』の[本所・弥勒寺]と題された長谷川雪旦(せったん)の挿絵は、竪川・二之橋通りに面して山門があり、そのすこし手前(二ッ目之橋寄り)---辻番の木戸に接して、板庇(いたびさし)の民家が描かれている。
池波さんが、雪旦の挿絵からお熊の茶店に見たてた。
そう推断するのは、挿絵で、その南どなりに「植木や」(赤○)とのただし書きがふられているからである。
庭石なども散在させている見本置き場の庭への枝折戸(しおりど)も見える。
こういう風景を目にすると、眼前に江戸の下町がありありと浮き上がってくる。

ちゅうすけ注】〔植半〕の屋号は、向島・綾瀬川べりの木母寺(もくぼじ)境内の一角で、『鬼平犯科帳』の時代からすこしあと、植木商いから料理店も開いた植木屋半右衛門こと、植半に負っているとみる。
木母寺には、いまでも「植半」と彫られた奉納石灯篭が2基のこっている。
引用の『江戸買物独案内』の左側の〔武蔵屋〕は、鯉料理で有名。鯉濃(こいこく)は精がつくと。

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(向島・木母境内の料亭〔植半〕 『江戸買物独案内』 1824刊)

鬼平犯科帳』を10倍楽しむ、愉しみ方の一つが、池波さんがそうしていたように『江戸名所図会』の挿絵を、小説の場面々々にあわせて詳細に観察し、推理することであろう。
長くつづけていた〔鬼平〕クラスでは、細部まで目がとどくように、また独自の発見を期待して、雪旦の挿絵を塗り絵に使った。
その成果が、ブログ[わたし彩(いろ)の『江戸名所図会』] http://otonanonurie.image.coocan.jp/である。

弥勒寺の門前---といっても斜向(はすむか)いだが---茶店を開いたのは亡夫・伊三郎で、お熊は看板女房だったのかも知れない。もっとも、お熊が生粋の本所・深川っ娘(こ)であったことはまちがいなかろう。
伊三郎が逝ったのは、いま書いている年号である明和2年(1765)の初夏から、6ヶ月ほど前であったろう。
明和2年---お熊は43,4歳の、出来たて後家であった。
もちろん、きょうの場合、銕三郎は、まだ、お熊とは出会っていない。出会う必然性がなかった。

鬼平犯科帳』では、本所・深川でぐれていた銕三郎に、酒などをふるまってやったことになっているが、本家の大伯父が火盗改メに2度も任じられているというのに、その甥っ子がいかがわしい場所に出入りしていていいものか。
しかも、ぐれの原因の一つであった継母・波津(はつ)は、史実では、銕三郎が5歳の時に死んでしまっていて、この世にはいなかった。

も一つ史実に沿うと、長谷川家が鉄砲洲・湊町から南本所・三ッ目通りへ引っ越してきたのは、銕三郎が19歳の暮れである。
それから、まだ、何ヶ月も経っていない。

さて、明和2年の某日の午後の、銕三郎へ戻ろう。

茶店〔笹や〕の前を通りすぎようとすると、
長谷川さま、長谷川さま」
と、声がかかった。なんと、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 33歳)であった。

「どうして、ここへ?」
縁台に腰かけてお茶を呑み終わっている権七の横に、銕三郎が立つ。
「足が衰(な)えないようにと、この前の弥勒寺(みろくじ)さんのご本尊・川上(かわかみ)薬師さんを拝みにきた帰りの一服でさあ」
権七の口ぶりは、大分に遠慮がなくなってきている。

茶店の女将がお茶をもってあらわれた。
「あ、女将(おかみ)どの。持ちあわせがないのもので---」
立ったままの銕三郎に、
「わたしゃあ、お熊さんってんだけど、初めて見る顔だねえ」
「この南の五間堀の堀留めの東---三ッ目通りに越してきたばかりの、長谷川です」
「道理で。まだ、部屋住みだね。いやさ、とって食おうとはいわねえから、これからも、せいぜい、その若々しい顔を見せとくれ」
40女の無遠慮な目つきで、しげしげと銕三郎の品さだめをしている。

長谷川さまこそ、どちらへ?」
権七が問いかけた。
〔古都舞喜(ことぶき)楼〕の女将の話をたしかめに---と言ったのを聞きつけたお熊が、割って入った。
「〔古都舞喜楼〕って、先だって盗人に入られた料亭だろう? おって女将は、旦那が老(ふ)けて足が遠のいたもんで、若い侍(の)を見ると、舌なめずりするって評判だよ」
お熊は、自分のことは神棚にあげている。

「お女将どのの旦那というのは---?」
「西両国・米沢町の鼈甲櫛笄(べっこう・くし・こうがい)細工所の〔加納屋〕の、いま隠居してる伊兵衛爺さんだよ。そうか、店と名を息子にゆずって、善兵衛になったんだった」

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(〔加納屋〕鼈甲櫛笄細工所 『江戸買物独案内』 1824刊)

(両国広小路!)
銕三郎には、なにか、ぴんとくるものがあった。

[〔笹や〕のお熊] (2) (3) (4) (5) (6)

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