妙の見た阿記(その5)
「殿さまが阿記(あき 23歳)さまにお会いになるのは、なにも心配することはないのです。むしろ、祖父として、於嘉根(かね 2歳)を抱いてやっていただきたいと、阿記さまも願わしゅうおもっておいででしょう。こんな立派な祖父さまですもの」
「わしもできれば、そうしてやりたいが---」
妙(たえ 40歳)は、すこし眉根を寄せて、夫・宣雄(のぶお 47歳)に言う。
「気がかりは、銕三郎(てつさぶろう 20歳 のちの鬼平)のほうでございます。いまは、ご本家のご当主・太郎兵衛(57歳 火盗改メ・本役)さまのお手伝いに余念がないようですが、いつ、気が変わって、阿記さまとよりが戻るかと---」
「江戸と箱根では、よりを戻したくても、手がとどくまい」
「いえ、阿記さまは、銕三郎が声をかければ、すぐにも、箱根から於嘉根ともども、上府なさるおつもりのように見受けました」
「それほどに慕われて、銕三郎も幸せ者よのう。ふっ、ふふ」
「殿さまらしくもない---笑いことではございませぬでしょう。大権現(家康)さま以来のお旗本の長谷川家に、跡継ぎの男子を産む嫁がきてくれるかどうかの、重大事でございます」
「妙も、大げさな。嫁の来手がなければ、その阿記とやらに、もう一人、つぎは男の子を産ませれば解決しないでもない」
「殿さまはやはり、殿方らしいお考えをなさいます。嫡子と庶子では、お上(おみ)の扱いが異なりましょう? 庶子を産まされる阿記さまのお気持ちもお察しになってくださいませ」
幕臣の場合、早く生まれた男の庶子がいても、家督の権利は、嫡男に優先権があることを、妙が言っている。
「待て待て。なにも、阿記が鉄三郎の男の庶子のを孕んでいるというわけではあるまい。そういうこともあろう---と言ってみただけのことではないか」
「仮のお話でも、そうなった時の阿記さまの気持ちをおもうと---」
「これ、妙。まだ、どうもなっていないことを想像して、そなたが涙ぐむというのも、おかしいぞ」
「阿記さまと、私とは、実の母子のように、こころが結ばれたのでございます」
「困った---妙なことになりおった。お、ここは、笑えぬ」
妙は、宣雄がまだ厄介者であったのに、婚儀もあげないで、銕三郎を孕んでしまった時の20年前の自分に、阿記を重ねているつもりであろうが、じつは、銕三郎をいつまでも「わが子」という母親の目でかばっていることには気づいていない。
この感情は、自然のもので、もつれると解きようがない。
自室で切絵図を広げている銕三郎は、宣雄・妙の父母のあいだで、自分と阿記・於嘉根をめぐっての会話が交わされていようとは、つゆ、おもっていない。
ひろげているのは、北と南の本所、深川、そして下谷(したや)と入谷(いりや)・三ノ輪(みのわ)の彩色切絵図である。
当時の価格で1枚1分をこしていた。1両は4分、そして1両は学者たちによって10万円に換算されている(2008年4月現在)。
銕三郎の目は、とりわけ、深川・北森下町の長慶寺、本所の〔五鉄〕と緑町2丁目の料亭〔古都舞喜(ことぶき)〕、入谷の正洞院に目をとめては、その道筋を念入りにたどる。
〔五鉄〕から竪川ぞいに元町をぬけて右に折れて両国橋をわたる。
それから、神田川ぞいに柳原堤を和泉橋までたどる。
(しかし、ここで橋をわたったのでは、ほとんど武家屋敷と寺だ)
武家屋敷には、要所々々に辻番所が置かれており、盗賊一味が通りぬけるのはむずかしい。
(神田川北側から下谷一帯の武家の辻番所=青〇)
(筋違(すじかい)門まで足をのばしてわたり、お成道を上野へ向かうとどうなる?)
やはり、辻番所を避けて入谷へ達することはできない。
(ということは、両国橋西詰か内神田---うん?)
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