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2009.10.26

貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく)(8)

「さようか。〔狐火きつねび)〕のお頭のところの〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 57歳)爺(とっ)つぁんのところに泊めてもらっているのか」
役宅からは4丁ばかりの二条城の北東角、竹田町橋のたもとの一杯呑み屋である。

相模(さがみの)〕彦十(ひこじゅう 38歳)は、銕三郎(てつさぶろう 28歳)が京へのぼるちょっと前に、名古屋の〔万馬まんば)〕の八兵衛(はちべえ 40歳前後)の盗(つと)めを助けたあと、難波へくだって〔生駒いこま)〕の仙右衛門(せんえもん 40歳すぎ)のところで英気をやしなわせてもらってくるとかいい、姿を消していた。

参照】2009年7月14日[彦十、名古屋へ出稼ぎ] 

銕三郎の父・備中守宣雄(のぶお 55歳)が京都町奉行に大栄転をしているとの噂を大坂で聞きこみ、もしやして銕三郎も付随してきているのではないかと、淀川を遡ってきたというわけである。

_160(てっ)つぁんが都にいるというのに、大坂でぼやぼやしてるわけにゃ、いかねえ---で、がしょう」
盃を満たしてやりながら、
「ダチの大鹿はどうした?」
「それがねえ、雌エゾジカを嫁(めと)って帰(け)えってきたところまではご存じやんしょう? その雌がかわいい子鹿を産んだと思いなせえ。そしたら、ダチのやつ、ずるして、子鹿をよこしやがるんでさあ」

参照】2008年5月21日~[相模(さがみ)〕の彦十] () () (
2009年3月5日[雌エゾジカ
2009年3月6日[蝦夷への想い

適当に飲ませ、当座の小遣いとして2分(8万円)わたし、
「いま、ちょっとした物入りがあって手元不如意でな。足りなくなったら、源七爺つぁんに立てかえてもらっておくがいい」

そのうち、つなぎ(連絡)をつけたら。手を貸してくれ---というと、
「その気で大坂からのぼってきやしたんで---」
酒の勢いもあって景気がいい。

暗くなったので、彦十を送りがてら、押小路通りのお勝の住まいまでいき、路地の入口で別れた。

_100は、お乃舞(のぶ 14歳)とその妹(11歳)と夕餉(ゆうげ)をとっているところであった。
姉妹が家を出るにあたっては、与力・浦部源六郎(げんろくろう 51歳)の配下同心・長山彦太郎(ひこたろう 30歳)が介添えしたため、父親もしぶしぶ同意した。
島原へでも売るぐらいのことは継妻と話しあっていた雰囲気であったという。(歌麿『寛政美人』 お勝のイメージ)

姉妹はそろって頭をさげ、銕三郎の手配にきちんと礼をいった。
11や14で、島原へ売られることの意味を知っているのだ。
もさすがに、姉妹の前では、躰の関係がある様子はみじんもみせないが、お乃舞のほうは、なんとなく察している目つきである。

(てつ)さま。おかげさまで、むくの木の皮を煎(せん)じたのを混ぜた髪仕上の〔平岡油〕の売れ行きがたいへんなんです」

3回分が50文(2000円)で、おの取り分は8分・2分の8分だから、1ヶにつき40文(1600円)の手取り---買っていく客が日に10人をくだらないという。
10人で400文(1万6000円)かと銕三郎がつぶやくと、
「いいえ。1人の客が、親類や近所の分といって3ヶも5ヶも買っていくのもいるから、この7日のあいだに、
「240ヶも売れました」
「9600文---といえば、2両をこえているではないか」

売り出し元の祇園町の〔平岡屋〕のほうは、日に500ヶではきかないから、毎日6両(96万円)をかるく超える売り上げで、
「近いうちに、役宅のほうへお礼にあがるといっいました」
「拙への礼はいいから、表の役所の与力が20人、同心50人、それだけにわたる現物をもってくるように伝えておいてくれ。なに、いちど使えば、あとは店に行くから、何倍もになって返ってくるとな」

さまは、あいかわらず欲がない。それでは、私の儲けの半分をさしあげます」
は3両(48万円)を手早く包んだ。

_150「ありがたく頂戴しておく。〔瀬戸川〕のに世話になっている〔相模〕の彦十に小遣いがわたせる。ところで、〔紅屋〕の濃い紫色の口紅のほうはどうだ?」
「あちらは、私の発案ということで、手取りは5分5分ですが、売れゆきは日に5ヶというところです」

「1ヶ、幾らなんだ?」
「80文(3200円)」
「明日から、弟子の若いむすめたちにつけさせるんだな」
「わぁ、いいこと教わりました。ところで、お宝がいる、尼僧さんのほうは?」
乃舞を気にしながら訊いた。
「そのことで寄ったのだ。錦小路通り・室町通りに格好の家がかりられた」
「では、私たちは当分ここで---?」
銕三郎がゆっくりうなずいた。(英泉〔小町紅〕の濃い紫の口紅の女)


参照】[貞妙尼(じょみょうに)の還俗(げんぞく) () () () () () () () () (10
 

参照】2009年10月12日[誠心院(じょうしんいん)の貞妙尼(じょみょうに))] () () () ()() () (


お断り】あくまでも架空の色模様で、貞妙尼も実在の誠心院、泉涌寺および同派の寺院もかかわりがないことをお含みの上、お楽しみのほどを。

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079銕三郎・平蔵とおんなたち」カテゴリの記事

コメント

可愛いくて綺麗な子鹿sign01
これからはあの幻の大鹿じゃなくて子鹿がしばしば現れますかsign02

蝦夷の雌鹿は無事に牢から出て大鹿と暮らせたのですねheart04

投稿: みやこのお豊 | 2009.10.27 18:47

>みやこのお豊さん
レスが遅れてごめんなさい。親類に不幸がありまして、そっちに時間をとられていたもので、チェックが遅れました。
奈良公園の鹿は、10月上旬には角切りということだったので、ずっと待ちつづけ、9月下旬に行ったのですが、成雄鹿は、さっさと山奥へ退避してしまっているらしく、写真に撮れたのは幼雄鹿ばかりだったので、これからは、彼の出現がふえましょう。
もっとも、彦十の鹿との対話をまともに聞いてやるのは銕三郎とみやこのお豊さんだけで、ほかの人は、妄想あつかいなんです。
だれでも、自分のこころの奥に、一匹ずつ、自分の鹿を飼っているとおもうんですがねえ。

投稿: ちゅうすけ | 2009.10.28 07:22

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