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2005.09.09

〔万馬(まんば)〕の八兵衛

『鬼平犯科帳』文庫巻6に載っている[むかしなじみ]で、〔相模(さがみ)の彦十爺つぁんは、20年ほど前に小さな盗みをいっしょにやった〔網虫(あみむし)〕の久六(53,4歳)のつくり話にころりとだまされて、危うく盗めの世界へ逆もどりしかける。
(参照: 〔網虫〕の久六の項)
いち早く事情を悟った鬼平のはからいで、そうはならなくてすむが。
久六のつくり話は、大坂で女に子を産ませたが、仕事の邪魔になるので、人に金5両をつけてゆずったが、再会してみると、子どもともども労にかかってみじめな生活をしているために、金が必要なので盗めをするから助(す)けないかというのである。
彦十爺つぁんにも似たような過去があった。
豆腐屋の出もどり女と本所・中ノ郷のあばら家で2年ほどいっしょに暮らしていたが、名古屋の〔万馬(まんば)〕の八兵衛から助(す)け話がくると、盗みの血がさわぎはじめてどうしょうもなく、女を千住の煮売り屋の男に金5両つけて押しつけ、消えたのであった。

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年齢・容姿:どちらも書かれていない。
生国:尾張(おわり)国海東郡(かいとうこうり)万馬(まんば)村(現・愛知県名古屋市中川区富田町万場)
学習院生涯学習センター〔鬼平〕クラスの堀眞治郎さんが、2003年1月10日の[週刊掲示板]に、「〔万馬〕は『大日本地名辞書』では〔万場〕と記載されているのを、池波さんが〔万馬〕と使ったのは、おそらく岸井良衛『五街道細見』(青蛙房)p153 にある佐屋街道の宿場である万馬を見られたからだと思います。現在は名古屋市中川区富田町万場となっています」と寄せられているのにしたがった
八兵衛のテリトリーは名古屋を中心にした地域と記されている。堀さんのリサーチに感謝。

探索と結末:なにしろ20年近く前のことだし、彦十爺つぁんが無事に鬼平のむかしなじみ兼密偵としてつかえているのだから、逮捕はなかったと推定せざるをえまい。

つぶやき:彦十爺つぁんが〔網虫(あみむし)〕の久六のつくり話にころりとはまったのは、鬼平がいうとおり「人のこころの奥底には、おのれでさえわからぬ魔物が棲んでいる」からである。
久六の誘いに、忘れていたはずの彦十爺つぁんの盗みの血が、われにもなく沸きたった。

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コメント

異説を唱えるのはおこがましいのですが、この「万馬の八兵衛」の[万馬]は現在の名古屋市中川区富田町万場で、昔の佐屋街道
(名古屋-岩塚-万馬-加守-佐屋、佐屋より船にて三里で桑名に通ずる街道)の宿場名だと思います。岸井良衛氏の「五街道細見」の東海道にあります。池波先生が参考になされていた吉田東吾博士の「大日本地名辞書」では「万場」となっていますが、池波さんは岸井良衛氏の「五街道細見」の「万馬」をご存じでこちらを採用されたのだと思います。これに関しては「週刊掲示板の2003年1月10日に「落針」の彦蔵と一緒に紹介していますので、確認下さい。

投稿: 新兵衛 | 2005.09.09 11:57

ご指摘、ありがとうございました。

投稿: ちゅうすけ | 2005.09.09 17:00

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