養子縁組(その3)
幕府が定めた養子とりについての法規を、[武家諸法度]と[御条目]から引いた。
古いほうから、年代順に、並べてみる。
寛永9申年(1632)9月、[御条目]
被相続人の生前に同姓の中からの申請をといい、末期養子は認めず、きびしすぎる。
寛文3年(1663)の[御条目]
寛永9年分につけ加えて、被相続人が50歳以下の場合は、末期養子は品次第と、少しゆるめる。
同姓でも、弟同甥同従弟同甥並に又従弟と、被相続人より年下からの選択を勧める。
同姓の中に適任者がいない場合の救済内規を定めた。
天和3年(1683)7月の[武家諸法度]の一項目に入れる。
一養子は、同姓相応之者を撰ひ、若し無之におゐては、由緒を
正し、存生之内可致言上、五拾以上十七以下之輩及末期致
養子、吟味之上可立之、従雖実子、筋目違たる儀、不可立
之事。
(養子は、姓を同じくする一族の中からふさわしい者を選ぶこと。
もし、ふさわしい者がいない場合は、家格とか縁者などを吟味
して、被相続者が生きている間---なるべくなら50歳までのあ
いだに手続きをとること。
被相続者が50歳以上、または17歳以下であったり、末期養
子の場合は、お上が適否を判断することになる。
実子の場合であっても、嫡子をさしおいて、理由なく次子や第
三子を立てるとぃった、筋目をたがえてはならない)。
宝永7寅年(1679)4月
親族家人による議定を条文に挿入する。
危急の場合の処置には、父祖の功績を考慮にいれた特例を許す。
係累を軽視した貨財目的の養子をいましめる。
享保2酉年(1717)3月11日の[諸法度]。
天和3(1683)年7月の[諸法度]の再公布。
延享3年(1746)5月の[諸法度]
天和3(1683)年7月の[諸法度]の再確認。
ここまでは、紹介済みである。
このあとは『御触書天明集成』(岩波書店 初刷1936.8.15 第2刷1958.5.27)と『御触書天保集成・上』(同 1937.11.30 1958.7.28)に拠る。
天明7年(1787)9月の[諸法度]
天和3(1683)年7月の[諸法度]の再確認。
『御触書天保集成・上』は、天明7年9月の[諸法度]の条項を再録しているのみ。
幕府も後期に入ると、養子縁組の常識が定着するとともに、抜け穴もいろいろと考案・黙認されて、条文は名目上のものになった気配があるが、そのことは、このブログの趣旨ではない。
平蔵宣以(のぶため)も、辰蔵宣儀(のぶのり)も、「法度」どおりの跡目相続をしているからである。
最近のコメント