とけい草
眠りを誘うとけい草は、江戸のちょっと大きい薬種(くすりだね)問屋でなら手に入ると、お元(もと 37歳)の言葉を、井関録之助(ろくのすけ 24歳)が報せてきた。
「録(ろく)さん。その眠り薬は、鶴吉(つるきち)に効いたのか?」
平蔵(へいぞう 28歳)が真顔で問うと、
「さあ。鶴坊に確かめるわけにはいきませんが、翌朝、けろりとしていましたから、よく眠っていて、2人のはげしかった果たしあいには、気づかなかったのではないですか」
「しらんぷりをしているってこともある」
録之助が嫌な表情をみせたので、
「録さん。許せ」
「長谷川先輩。鶴坊に読み書きは教えたし、そろそろ、旅にでようかとおもっているんですよ」
「こんどの日光行きで、旅の味をおぼえてしまったのか」
旅が人間を解放することを、平蔵は知りすぎるほど、身にIおぼえがある。
「お元さんをどうするのだ」
「それですよ。6年間、すっかり躰がなじんでしまっていますからなあ。しかし、こんどのことで、5夜我慢したのだから、あれが10倍なら50夜の我慢です」
「ばか。そんな理屈がおんなに通用するものか」
「それでは、夜逃げしかないかなあ」
「おいおい」
録之助は、けっきょく、それから幾ヶ月かのち、父親が吉原の女妓と心中したのを機に、北本所の寮から姿を消した。
平蔵との再会は、文庫巻5『乞食坊主』であることは、鬼平ファンならとっくにご存じ。
お元は、
「安心しきって怠っていたわたしの躰に、飽きがきたのでしょうよ」
「そうではあるまい。母鳥に深く感謝をしながらも、遅すぎた巣立ちをしたまでのことであろう」
平蔵のなぐさめに、空の巣をのぞく母鳥のうつろな目で、お元はうなずいた。
本町3丁目の唐和薬種問屋〔小西長左衛門〕方に、平蔵の姿があった。
(〔小西長左衛門 『江戸買物独案内』 1824年刊)
ここは、〔小西〕系の薬種問屋の長老格の店であった。
本町には、薬種問屋が軒をつらねている。
(本町薬種問屋 『江戸名所図絵』 塗り絵師:ちゅうすけ)
その中で〔小西長左衛門〕の店にしたのは、日本橋通り南3丁目の白粉問屋〔福田屋〕文次郎の紹介によった。
確かめたのは、とけい草の効き目であった。
薬効にくわしい二番番頭が、初めて服用した人にはみごとに効くと保証した。
「味は? たとえば、酒に混ぜたらわかるかな」
「番茶なら、わからないでしょう」
礼を述べて帰りかけた平蔵に、番頭は、オランダ渡りのちゃぼとけい草は、もっとよく効くといわれておるが、このあたりで扱っている店はあるまい、とつけ加えた。
「蘭法か」
(こんど、平賀源内(げんない 45歳)先生に会ったら---のことだな)
その足で、上柳原町の〔阿波屋〕に聞きこみに行き、主人の中寿(40歳)の祝いの晩に、番茶がでたかどうかを尋ねた。
酒をあまり飲まない2人が、宴で番茶を喫したといわれた。
その番茶のことを飯炊きの婆ぁさんに訊くと、15日ほど前に安かったので、行商人から買ったと。
番茶を飲む者たちは、喫した夜はよく眠れるので、不思議におもいながら飲みつづけたが、このごろは、かつてほど効かなくなったと証言した。
婆ぁさんにだしてもらい、番茶の葉ののこりを改めていると、帳簿つけの手代・富雄(とみお 23歳)が水を飲みたいといって炊事場へあらわれた。
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