カテゴリー「082井関録之助 」の記事

2010.02.26

とけい草

眠りを誘うとけい草は、江戸のちょっと大きい薬種(くすりだね)問屋でなら手に入ると、お(もと 37歳)の言葉を、井関録之助(ろくのすけ 24歳)が報せてきた。

(ろく)さん。その眠り薬は、鶴吉(つるきち)に効いたのか?」
平蔵(へいぞう 28歳)が真顔で問うと、
「さあ。鶴坊に確かめるわけにはいきませんが、翌朝、けろりとしていましたから、よく眠っていて、2人のはげしかった果たしあいには、気づかなかったのではないですか」
「しらんぷりをしているってこともある」

録之助が嫌な表情をみせたので、
さん。許せ」
長谷川先輩。鶴坊に読み書きは教えたし、そろそろ、旅にでようかとおもっているんですよ」
「こんどの日光行きで、旅の味をおぼえてしまったのか」

旅が人間を解放することを、平蔵は知りすぎるほど、身にIおぼえがある。

「おさんをどうするのだ」
「それですよ。6年間、すっかり躰がなじんでしまっていますからなあ。しかし、こんどのことで、5夜我慢したのだから、あれが10倍なら50夜の我慢です」
「ばか。そんな理屈がおんなに通用するものか」
「それでは、夜逃げしかないかなあ」
「おいおい」

録之助は、けっきょく、それから幾ヶ月かのち、父親が吉原の女妓と心中したのを機に、北本所の寮から姿を消した。
平蔵との再会は、文庫巻5『乞食坊主』であることは、鬼平ファンならとっくにご存じ。
は、
「安心しきって怠っていたわたしの躰に、飽きがきたのでしょうよ」
「そうではあるまい。母鳥に深く感謝をしながらも、遅すぎた巣立ちをしたまでのことであろう」
平蔵のなぐさめに、空の巣をのぞく母鳥のうつろな目で、おはうなずいた。

本町3丁目の唐和薬種問屋〔小西長左衛門〕方に、平蔵の姿があった。

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(〔小西長左衛門 『江戸買物独案内』 1824年刊)

ここは、〔小西〕系の薬種問屋の長老格の店であった。
本町には、薬種問屋が軒をつらねている。

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(本町薬種問屋 『江戸名所図絵』 塗り絵師:ちゅうすけ)

その中で〔小西長左衛門〕の店にしたのは、日本橋通り南3丁目の白粉問屋〔福田屋〕文次郎の紹介によった。

確かめたのは、とけい草の効き目であった。
薬効にくわしい二番番頭が、初めて服用した人にはみごとに効くと保証した。
「味は? たとえば、酒に混ぜたらわかるかな」
「番茶なら、わからないでしょう」

礼を述べて帰りかけた平蔵に、番頭は、オランダ渡りのちゃぼとけい草は、もっとよく効くといわれておるが、このあたりで扱っている店はあるまい、とつけ加えた。
「蘭法か」
(こんど、平賀源内(げんない 45歳)先生に会ったら---のことだな)

その足で、上柳原町の〔阿波屋〕に聞きこみに行き、主人の中寿(40歳)の祝いの晩に、番茶がでたかどうかを尋ねた。
酒をあまり飲まない2人が、宴で番茶を喫したといわれた。
その番茶のことを飯炊きの婆ぁさんに訊くと、15日ほど前に安かったので、行商人から買ったと。
番茶を飲む者たちは、喫した夜はよく眠れるので、不思議におもいながら飲みつづけたが、このごろは、かつてほど効かなくなったと証言した。

婆ぁさんにだしてもらい、番茶の葉ののこりを改めていると、帳簿つけの手代・富雄(とみお 23歳)が水を飲みたいといって炊事場へあらわれた。

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2010.02.25

日光への旅(4)

「そうか、それほどに絢爛豪華か」
一足先に帰府した井関録之助(ろくのすけ 24歳)の旅ばなしを聞いていた平蔵(へいぞう 28歳)は、話題が東照宮におよんだとき、あいづちをうった。

平蔵どのも、ぜひ、おのれの目で見るといい。当時の徳川どのの財力のほどがしのばれますよ」
「ご老職・田沼主殿頭意次 おきつぐ 55歳)侯が、お上の参詣の費用づくりをなさっておられるようだ。3年先との風説がもっぱらだが、それまでに書院番士として出仕し、供に加えていただければ、拝観できよう」
「ぜひ、選ばれるように動きなされ」

参考日光東照宮

「ところで、粕壁(現・春日部市)宿の脇本陣の亭主におさまっている亀之助(かめのすけ 24歳)の願いごとはどうなりました?」
「どうなったって、さん、帰りに、亀公に会わなかったのか?」
「ちょっと、急いだもので、あそこを素通りして、越ヶ谷宿泊まりにしたもので---」
平蔵は、録之助がなにか手づまをつかったなとは感じたが、さりげなく、
「火盗改メの庄田組の与力・同心たちがさんとすれちがったのは、千住大橋あたりとおもうよ」
「手くばりしてくださったのですね」
「同門のさんと亀公の頼みだから、無碍(むげ)にはできない。これでも、友情には篤いほうでな」
「助かった---」
おもわず、洩らしてしまった。

録之助は、宇都宮城下で〔荒神(こうじん)〕の助太郎(すけたろう 65歳前後)に出会ったことも話した。
「その盗賊一味が、駿府と掛川で妙な仕事(つとめ)をしてな」

参照】【参照】2008月15日~[与詩(よし)を迎えに] (16) (17) (18) (19) (20
20091年1月15日~[銕三郎、三たび駿府へ] () () () () () (10) (11) (12) (13
2009年1月21日~[銕三郎、掛川で] () () () (


経緯(いきさつ)を話してやりながら、4年前にi掛川から小川(こがわ)〔中畑(なかばたけ)〕へ、お(りょう 30歳=明和6年)とすごした4泊の旅をおもいだしていた。
(おが生きていたら、〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛の仕事ぶりや、〔荒神〕の助太郎が宇都宮にひそんでいるわけをどう読みとったろう)

助太郎が宇都宮城下にいたことは、太作が飛脚便で報せてよこし、土地(ところ)で十手をあずかっている者にさぐらせているから、今市での竹節(ちくせつ)人参の植え場の見学がおわったら、後便をだすといってきていたが、そのことは録之助の顔を立てて伏せている。

「お(もと)さんに、5夜も一人寝させて悪かったな」
(37歳)は、日本橋室町の茶問屋〔万屋〕の北本所の寮で、店主・源右衛門(げんえもん 52歳)の隠し子・鶴吉(つるきち 12歳)の乳母をしている。
録之助はその用心棒として住みこみ、たちまち、おとできてしまっていた。

参照】2008年8月22日|~[若き日の井関録之助] () (

「40近いおんなの空:閨のうめあわせ欲は、すさまじいですよ、先輩」
「ばかは休みやすみにいうものだ」
「昨夜は、いや、もう---」
鶴吉(つるきち)は幾つになった?」
「12歳です」
「耳ざとい齢(とし)ごろだ。おぬしたちの睦言がこころの傷になることもあろう」

そこは、おもこころえていて、昨夕は、眠り薬を鶴吉に飲ませたのだという。
「眠り薬?」
「なんでも、とけい草とかいう蔓草の茎葉の干したのを煎じた湯を飲ませると、深く寝入って、地震がきても目をさまさないからって、おが請けおいました」
「なんてご両人だ---」
にがりきった平蔵が、すぐに真顔になり、
「おい。いま、とけい草---といったか?」
「ええ」
「おさんは、どこで手に入れたといっていた?」


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2010.02.24

日光への旅(3)

小山(おやま)で早めの昼飯をとり、宇都宮へは七ッ(午後4時)前にはいった。
城を右手に眺めながら、伝馬町から町はずれの戸祭(とまつり)あたりへさしかかったところで、太作(たさく 62歳)が、ついと横道へ曲がった。
つられて、松造(まつぞう 22歳)も井関録之助(ろくのすけ 24歳)もしたがった。

どん。いま、本通りを江曾島(えそじま)の立場(たてば)のほうへ行く、50代半ばの男の行く先をたしかめてから、戸祭郷の旅籠へきておくれ。見失うなよ」
太作の口調にただごとでないものを感じた松造は、荷を録之助へ押しつけ、さっと本通りへでていった。

のこった録之助が、
「何者だ?」
「〔荒神こうじん)〕の助太郎(すけたろう)という盗賊でございますよ」

太作は、14年前に、銕三郎と藤枝の田中城への旅で、箱根の芦ノ湖畔で出会った助太郎について話してきかせた。
「若---もとい、殿が探しておいでなのです」
「14年ものあいだ?」
「賊とわかったのは、殿が18だかのときに、小田原で奴が仕事(ぬすみ)をしたからでございます」

参照】2007年7月14日~[〔荒神(こうじん)〕の助太郎] () (
2008年1月25日~[〔荒神〕の助太郎] () () (
2008年月日~[〔荒神〕の助太郎] () (10

太助どのは、14年前の、そやつの顔を覚えていたのか?」
「若---殿から、いくども聞いておりますから、忘れようったって、忘れるものではございません」
「忠義ものよのう、おぬしは---」
「向こうだって、その気があれば、わたしの顔をおぼえているかもしれませんが、ま、その気配はなかったようで」

話しているうちに、宇都宮城下でも日光道中の北寄りの戸祭郷の旅籠〔黒羽屋〕へ着いた。
ここは、粕壁で泊まった〔藤屋〕の主人にすすめられていた。

風呂をあび、録之助に酒をすすめているところへ、松造が着いた。
尾行(つ)けはじめたところから3丁(300m)ほど巳(み 南)の煙草屋へ入ったので、しばらく物陰でうかがっていたら、なんと、出てくると、こっちへ戻ってきた。
〔黒羽屋〕をとおりこし、1丁ほど先の路地の奥のしもた屋へ消えるところまでたしかめて引き返したと、松造が告げ、太作の指示を待った。
「ご苦労さん。はやく、湯につかってきなされ」
太作はそれきり、助太郎のことは忘れたように口にしなかった。

録之助松造は、明日はいよいよ日光というので気がゆるんだか、地酒が口にあったかして、3本ずつあけ、さっさと布団にはいってしまった。

膳をさげさせてからしばらく考えていた太作は、帳場で番頭になにかを頼んだ。
番頭のいいつけで出て行った小僧が、30歳近い目玉の大きな男をともなって戻ってきた。
多作は、空いている部屋を借り、その男としばらく話しこんでいたが、金を紙につつんでわたすと、そっと部屋へもどり、松造の隣の布団に横たわったが、しばらくすると、年寄りらしい軽いいびきをかきはじめた。


参照】『鬼平犯科帳』文庫巻24[二人五郎蔵]に〔戸祭とまつり)〕の九助の「呼び名」は、ここの地名であろう。

       ★     ★     ★

週刊『池波正太郎の世界 11』[鬼平犯科帳 三](朝日新聞出版)が届いた。

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今週号には、『オール讀物』編集部で池波さん担当だった名女川勝彦さんの[「鬼平名前帳」ができるまで]が寄稿されていておもしろい。
鬼平犯科帳』の盗賊たちの名前といえば、ぼくも調べて、このブロクにあげている。名女川さんの動機fは、登場人物の整理のためであったようだが、ぼくの動機は、雑誌に載った池波さんの書斎の写真に写っていた参考書の脊文字の一つに、明治後期にでた吉田東伍先生著『大日本地名辞書』(冨山房)の1冊を目にし、もしかして、盗賊の呼び名は、地名ではなかろうかと思いついて、調べはじめたのである。

400人ほどでてくる盗賊のうち、300人は上記辞書から採られたと推定できそうであった。もちろん、そのほとんどは池波さんがなにかの機会に取材に訪れた土地にちがいない。

16人は、長谷川平蔵が活躍していた寛政期に板行された鳥山石燕画『画図百鬼夜行』の化け物の名が由来であった。
16人全員は、このブログの盗賊の名でおたしかめいただくとして、とりあえず、数名をあげておく。
呼び名(とおり名ともいう)の色の変わっている「平かな」をクリックで呼びだせる。

〔野槌(のづち)〕の弥平 [1-1 唖の十蔵]
〔蓑火(みのひ)〕の喜之助 [1-3 血頭の丹兵衛]
〔火前坊(かぜんぼう)〕の権七 [1-5 老盗の夢]
〔墓火(はかび)〕の秀五郎 [2-2 谷中・いろは茶屋]
〔網切(あみきり)〕の甚五郎 [5-5 兇賊] 
〔狐火(きつねび)〕の勇五郎 [6-4 狐火]
〔犬神(いぬがみ)〕の権三郎 10-1のタイトル
〔蛇骨(じゃこつ)〕の半九郎[10-6 消えた男]
〔土蜘蛛(つちぐも)〕の金五郎 11-2のタイトル

地名のほうは、その県の、あるいは市の観光資源のつもりで調べ、掲示した。

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2010.02.23

日光への旅(2)

越ヶ谷宿はずれでの事件からあとは、その日の泊まりの粕壁宿(かすかべ 現・春日部)まで、なんのこともなくすぎた。
3人は、まだ明るいうちに、本陣〔高砂屋〕彦右衛門方の向いの旅籠〔藤屋〕にわらじを脱いだ。

部屋は、太作(たさく 62歳)と松造(まつぞう 22歳)が相部屋、井関録之助(ろくのすけ 24歳)は別部屋であった。
録之助は、夕食をことわり、
「道場で相弟子だった、本陣の次男坊と会ってくる」
本陣へ通じている道へ消えた。

季節はずれとみえ、本陣には大名一行はなく、役人らしいのが数組宿泊していた。
刺を通すと、次男坊は、本陣から2丁ばかり南へ寄った中宿の脇本陣格の〔高砂屋別館〕の差配をしているとのことであった。

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(粕壁宿 左緑○=本陣 右緑○=脇本陣
道中奉行製作『日光道中分間延絵図』部分)

道場では、録之助からよく教えられていたのである。
年齢も近く、気もあった。
家から送られてくる充分な金でよく、いっしょに遊んだ。

それが、高杉道場が閉ざされて10ヶ月ほどなのに、24か5で、脇本陣の若亭主である。
(親にめぐまれると、亀之助のように、若くして一家をかまえられる。ひきかえ、30俵2人扶持のご家人の父親、しかも妾腹のわしときたら---)
さすがに録之助もしょげたが、ともかく、〔高砂屋別館〕の戸口に立った。

と、仕切り枠からこっちを見ていた亭主・亀之助(かめのすけ 25歳)が、
井関さん」
転げるようにとびだしてきた。


旅籠の奥庭の塀の外に、亀之助の住まいが建てられていた。
高杉道場の3倍はあるではないか」
感嘆の声をあげると、
「このあたりでは、土地はただみたいなものですから---」
それでも亀之助は小鼻をうごめかした。

酒になった。
こんどの日光行は、長谷川先輩の指示によるものだと打ちあけると、
銕三郎先輩は、京都からお戻りに---?」
初めて知ったらしい。

そこで、京の町奉行だった備中守宣雄(のぶお 享年55歳)の病死のことや、跡目相続をして平蔵名を襲名していることなどを話してやると、感にえた口調で、
長谷川先輩と、岸井先輩は天性の剣技をおもちだったからなあ」
「おいおい、それではおれの剣技が一段劣るといわれているようで、おもしろくないぞ」

長谷川先輩を剣魔とすれば、井関さんは剣鬼といったところでした」
亀之助のあわてぶりに笑いあってすませたが、越ヶ谷はずれで掏摸たちをこらしめた話をすると、亀之助はとたんに真顔になり、じつは、日光道中の古利根川の手前を左に折れた寺町通りのすぐの普門院が無住寺になったのをいいことに、浪人たちが住みついて、なにかと悪さを重ねている。
宿場役人も、相手が悪いと手をださない。

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(左赤丸=普門院 右緑○=本陣 同上)

「どうでしょう、井関先輩。こらしめて、追っ払うわけにはいかないでしょうか」
平蔵から、こんどの旅では太刀を抜くことを禁じられているから、鉄条入りの木刀で傷めつけるとしかできないが、
「追っ払うといっても、また帰ってきて、さんがけしかけたとわかると、ここがあぶなくなるよ」
「わたしも、嫁を迎えたばかりだから、それは困るなあ」
「いっそ、長谷川先輩に飛脚便をだして、平蔵さんの知り合いの火盗改メに出張ってもらってはどうだ?」
「やってくださるだろうか?」
「亀さんは、宿場のお偉いさん方へ奉加帳をまわし、火盗改メの出張り賃を集めるのだな。火盗だって、ゼニには弱いのもいるだろうよ。だが、飛脚便は、ここの問屋場をつかってはだめだ。まさかのときにバレる。そうだ、わしが飛脚賃と文を預かって、古河(こが)宿あたりから托すというのはどうだ?」

話がきまり、録之助はちゃっかり、倍の飛脚賃を預かった。

翌朝、宿を発(た)つとき、番頭に平蔵あての亀之助の書状に自分の分を添えたのをわたし、
「江戸への飛脚賃は、いかほどかな?」


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2010.02.22

日光への旅

「おや、井関さま---」
翌日の昼、戻ってきた松造(まつぞう 22歳)のうしろの、井関録之助(ろくのすけ 24歳)の姿をみとめた太作(たさく 62歳)がおどろいた。

日光街道の草加(そうか)宿の旅籠〔岩木屋〕長七方の門口である。

「仔細は松造どのから聞いてくれ。それより、飯だ。腹がへっている」

太作が泊まった部屋へ、昼餉(ひるげ)の用意ができるまでの虫おさえにと、向かいの茶店から草もちとせんべいを、番頭に買ってこさせた。

草加宿は、野田が醤油づくりの本場になってから、醤油によるせんべいを名物にくわえた。

草もちをほおばっている録之助を横目に見ながら、松造が話したところによると、往復6里(24km)を歩きづめで疲れたこともあり、江戸の手前の千住大橋で舟をやとった。

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(千住大橋 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

大川橋(吾妻橋)の手前で、はっと気づいた。
「わが殿に相談すれば、きっと、井関さんに用心棒を頼めとおっしゃるはず、と」

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(大川橋 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

それで源森川から横川へ入ったところで舟を待たせ、大法寺の隣に建てられている茶問屋〔万屋〕の寮へかけこんだ。
わけをきいた録之助は、すぐに、長谷川屋敷へ。
「若---殿さまは、なんと仰せられた?」
よ。お上の日光参詣に先がけて、お参りしてこい、ってなものさ」

平蔵は、3両(48万円)の旅費とともに、忠告を 一つ添えた。
「どんな事態になっても、太刀を抜いては、ことが面倒になる。高杉道場が閉じられたときに持ち帰ったはずの鉄条入りの木刀をもっていけ」

将軍・家治(いえはる)の日光東照宮詣(もう)では、3年後の安永5年(1776)の初夏に行われた。
大行列であった。
供に加えられた幕臣たちは『寛政重修諸家譜』に麗々しく書き加えている。

菅沼攝津守虎常(とらつね 59歳 700石)は、将軍参詣の翌年まで、日光奉行の職にあった---というより、この大行事を画策した老中・田沼主殿頭意次(おきつぐ 55歳 相良藩主)の意を帯しての赴任だった。

日光奉行の在地は、夏組と冬組にわかれており、菅沼摂津守は、秋から春先への冬勤務であった。

旅籠は、雨による川留めでもないかぎり、ふつうは昼飯はださないのだが、とくべつにととのえた。

3人は、手ばやくすませ、1里28丁(7km)北の次の宿場、越ヶ谷(こしがや)へむかった。
太作松造が並んで歩いた。、
録之助は、木刀を入れた袋を肩に、前の2人にはかかわりがない者のように、しかし、なにかあったたらすぐに前へ出るべく、3間(5m)ばかり後ろをわき見をよそおいながらついていた。
前の2人は、知らない者には、親子づれに見えたかもしれない。

越ヶ谷宿では、なにごとも起きなかった。

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(越ヶ谷宿部分 道中奉行製作『日光道中分間延絵図)

ほっと一息ついたとき、宿はずれの元荒川に架かった橋のたもとからでてきた4人ばかりが、行く手をさえぎった。
中の一人、〔左利(ひだりき)〕の佐平(さへい 30歳)がすごんだ。
「おい、爺ぃさんよ。痛い目にあう前に、ふところのものをこっちへ渡してもらおうか」

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,(越谷宿はずれの元荒川 同上)

ついと前へでた録之助は、すでに木刀を袋からとりだしていた。
「胡麻の灰らしいな。佐渡奉行どのから、坑道の水運び人足が足りないからって頼まれていてな。ちょうどよかった、いちどに4人、都合がついた」

男たちが黙って短刀(どす)を抜いた瞬間、うち2人がしゃがみこんでうめいていた。
佐平が左手で突きを入れたときには、すでに短刀を落として左腕をおさえてとびはねていた。
のこる一人が逃げかかるのを、とびかかって肩を撃った。
よろめいて、倒れた。

あっけなかった。
腕前の差があまりにもちがいすぎた。

録之助は、4人の目先に木刀をちらつかせ、
「骨折させては、佐渡で人足をしてもらえなくなるから、手かげんしてやったのだ」

宿場役人に縛り綱をもってかけつけろと告げに、松造が問屋場へ走った。

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2009.07.18

井関録之助が困った(2)

「〔万(よろずや)屋〕どの。井関録之助(ろくのすけ 23歳)の用心棒料ですがな---」
長谷川さまのお言葉ですが、こんどの大火で、商いが細りましてな。諸事節約をいたしませんと---」
銕三郎(てつさぶろう 27歳)の言葉をさえぎった茶問屋〔万屋〕源右衛門(げんえもん 51歳)は、あぶらぎった顔に、初冬の寒さなのに、額に汗をうかべている。
日本橋・浮世小路の上方うなぎの〔大坂屋〕の2階である。

「しかし、鶴吉(つるきち 11歳)の手習い・そろばんの束脩(そくしゅう 月謝)でケチるわけにはいかぬでしょう」
「それは、仰せられるまでもなく---」
井関は、鶴吉の手習いをみてやっておるのです。鶴吉がご新造の子であれば---」
「〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう)元締がお亡くなりになってからというもの、急に重石がとれたように、あれが強気になりましてな」
「やはり、ご新造の差し金でしたか---二代目・今助は、拙や井関の親友です」
「え?」
「ご新造にそうおっしゃってくださってもけっこうです。ご新造の行状は、今助元締につつぬけ---と。今助がご新造をゆすりにきても、井関も拙も仲に立ちいりませぬとな」
「ふむ」

「それから、〔万屋〕どの。いつだったか、盗賊に持たせて返す200両(3200万円)を用意しておると申された。それだけの金があれば、井関や寮のたつき(生計)の金子は5,6年は払えましょう」

ちょうすけ注】池波さんは、『鬼平犯科帳』の最終巻近くでは、1両を気前よく20万円に換算していたが、研究者の分野では、当今16万円前後が妥当としている。
参照】2006年10月21日[1両の換算率

参照】2009年5月31日[銕三郎、先祖がえり] (

井関さんは、盗賊ともお親しいとでも---?」
「ご主人。そんなことは申してはおりませぬ。拙の父は、盗族改メのお頭ですぞ」
「失言いたしました」

「ただ、井関は、四ッ目通りの〔盗人酒屋(ぬすっとざかや)〕という店と親しい」
「なんですって?」
「〔盗人酒屋} 」
「盗賊が出入りしているので ございますか?」
「それはしらぬ。ただ、盗賊改メの与力・同心衆が飲みには行っている」
「分かりました。しばらく、200両をとりくずすことにいたします」
「お分かりいただいて、拙も安堵いたしました。ご新造どのにもよしなにお伝えくだされ。では安心して、うなぎを賞味させていだく」

「ところで、長谷川さま。井関さんは、乳母のお(もと 36歳)といい仲とか---」
「それが、〔万屋〕の商いの差しさわりにでも---?」

【参照】2008年8月26日[若き日の井関録之助] () (

「いえ---」
「〔万屋〕さんがおどのに気がおあり---?」
「めっそうもありません。それほど、不自由はしておりません」

「そうそう。ご老職の田沼(意次 おきつく 54歳)さまに頼みたいことでも生じたら、いつにても取り次ぐ」
「いや、その節は、お世話になりました」
「お仲間に、いい顔になられたのでは---?」
「お蔭さまで---」
「大商人は、顔が大切ですぞ」
「恐れいりました」

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2009.07.17

井関録之助が困った

長谷川先輩。親父は、本気のようなのです」
井関録之助(ろくのすけ 23歳)が、言うと、
(ろく)さん。お父上の不始末より、〔万屋〕からのお手当てが減らされることのほうが先でしょう?」
脇から、お(もと 36歳)が口をはさんだ。

東本所・小梅村の大法寺の隣りの〔万屋〕の寮である。
高杉道場での稽古がすむと、父親のことで相談があると、録之助銕三郎(てつさぶろう 27歳)をいざなった。
茶問屋〔万屋〕源右衛門(げんえもん 51歳)が女中のみわ(19歳=当時)に産ませた鶴吉(つるきち 11歳)が乳母・おとひっそりと暮らしているこの寮に、用心棒という資格で住みつき、13も齢上のおとたちまちできて、5年になる。

参照】2008年8月24日[若き日の井関録之助] (

「わかった。〔万屋〕の手当てからから話そう」
〔万屋〕は、これまで、鶴吉の用心棒寮として月1両2分(24万円)をとどけてきていた。

ちょうすけ注】池波さんは、『鬼平犯科帳』の最終巻近くでは、1両を気前よく20万円に換算していたが、研究者分野では、当今16万円前後が妥当としている。
参照】2006年10月21日[1両の換算率

しかし、この晩春の行人坂の大火で、得意先の3分の1ほどが消失したので、商売もそれだけ目減りしたので、半額にしてほしい、と言ってきたというのである。

もちろん、寮の生活費も3分の2に縮めるようにと、おもいわれている。
商売の目減りを口実に、〔万屋〕の家つき女房・お(さい 47歳)の強談判であろう。

大火のあと、諸色の値段があがっているので、じつは増額を申し出ようとおもっていた矢先の始末であった---おも訴えた。
(訴える先が違う)
銕三郎(てつさぶろう 27歳)はおもったが、黙っていた。

「鬼はばあ、殺してやる」
鶴吉が叫んだとき、銕三郎はほおってはおけないと意を決した。
鶴吉は、そろそろ、母親がおに毒殺されたことをに気がまわりかねない年齢になってきてい。

「掛けあってみるが、さんの手当ての半減は、いたし方がないかも知れない」
長谷川先輩。〔木賊(とくさ)〕〕の2代目元締・今助からも、振り棒師範の中休みを言われたのです」
「〔銀波楼〕も全焼したし、浅草寺境内の床店の多くも焼けたし、ここしばらくは、棒降りでもあるまいからな」
(目黒・行人坂の大火の影響は、さんにまで及んできたか)
銕三郎は、火事の怖さをあらためて実感した。

「それで、さんの父上のほうは、なんだ」
「新吉原が全焼して、廓(なか)があちこちに分散していることは、長谷川先輩もご存じでしょう。この先の小梅瓦町にも、どぶぞいにあった〔壬生屋〕というのが仮屋を建てて客を呼んでいるのですが、そこの妓(こ)に、親父がはまってしまい、金の無心に来はじめたのですよ」
「お父上は、何歳におなりかな?」
「精力の枯れどきの48歳です」
「たそがれ刻(どき)の雨はやまないと言うからなあ」
「そんな---」

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2008.08.26

若き日の井関録之助(5)

長谷川先輩。やりましたねえ」
井関録之助(ろくのすけ 18歳)が、感嘆の声をあげた。

今戸の〔銀波楼〕を出て、今助(いますけ 20がらみ)に送られて今戸橋をわたり、浅草金竜山下瓦町の竹屋の渡し場から対岸の三囲(みめぐり)稲荷社の参道への舟着きへ。
水戸殿の下屋敷の前を通って、源森川に架かる枕橋ぎわの〔さなだや〕で、蚤(のみ)そばが茹であがるのを待っているときである。
さいわい、夕刻前で、ほかに客はいなかった。

ちゅうすけ注】〔さなだや〕は、『鬼平犯科帳』文庫巻2[(くちなわ)の眼]p7 新装版p7、同[妖盗葵小僧]p141 新装版p149 巻12[いろおとこ]p30 新装版p32 に登場。また、短篇[正月四日の客](『にっぽん怪盗伝』角川文庫に収録)にも。

先刻、〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 58歳)が寄こした紙包みを銕三郎(てつさぶろう 22歳 のちの鬼平)がひらくと、元文1両小判が光っていたのである。

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(元文1両小判 ほぼ原寸 『日本貨幣カタログ 2006』より)

「2分(2分の1両)が、たちまち、倍の1両になって返ってきたのだから、すごいや」
「ばか。いじましいことを言うでない」

ちゅうすけ注】1両は4分。1分は4朱。1朱は250文=ただし、鬼平のころには375文前後。

ちようど、そばがきたので、しばらくは、たぐることに専念した。
「うまかった」
これは、蕎麦湯をすすりながらの銕三郎が歎声。

箸を置いた録之助が、
「先輩。ここは、わたしが払わせていただきます」
「16文で、大きくでたな。その腹に巻いた銭箱から払うのだったら、ついでにこの小判をくずして、借りた2分をとってくれないか。利息はつけないぞ。彦十(ひこじゅう 32歳)どのに使い賃をわたしたり、忠助(ちゅうすけ 45歳前後)どののところも払いもたまっているのでな」
「〔盗人酒場〕の呑み代は、おまさ(11歳)さんの手習い師範料で棒引きではなかったんですか?」

参照】おまさの手習い師範料 2008年5月3日[おまさ・少女時代] (3)

「師範料といえば、〔木賊〕の若い衆への師範料も、半分貰うぞ、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち)どのところの支払いもとどこおっておるのでな」
「先輩。あれは、半分と言わないで、全部、おとりください。わたしには、用心棒料があります」

銕三郎は、背をただして録之助に、
「そうではないぞ、。〔木賊〕の林造どのとの話はついたが、われわれが振り棒で殴った者たちの怨みはそう簡単に消えるものではない。の代稽古料のほとんどは、あの者たちとの飲み食いに消えるとおもっておいたほうがいい」
「励みます」

「それからな、言いにくいことだが---お(もと 31歳)どのとの、なにのこと、鶴吉坊に気づかれてはおるまいな」
「ないとおもいます」
「まさか、裸で睦みあっているのではなかろう?」

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(北斎『ついの雛形』部分 イメージ)

「------」
「やっぱり---そんな姿態でやっていては、たちまち、気づかれる。6,7歳の子といえども、町方の子はそういうことには鋭いものだ。幼いころに大人の色事を見てしまった子は、ぐれやすい。くれぐれも隠して行うんだな」
「気をつけます」

「別々の部屋に寝ているんだろうな?」
「お鶴吉坊がひとつ部屋に、わたしはその隣の部屋に---」
「部屋は2つしかないのか?」
「いえ、全部で4つ---」
「それでは、3人とも別々の部屋にすることだ。そして、睦むのは、鶴吉坊からいちばん離れた部屋にしろ」

録之助の父親が、吉原の河岸女郎と心中して30俵2人扶持の小禄の家をつぶしたのは、このときから6年後のことである。

ちゅうすけ注】池波さんは、『江戸切絵図』は主として、最初に手に入れた〔近江屋板〕を愛用していた。で、くだんの〔さなだや〕を〔近江屋板〕で確認したら、なんと、源森川(北十間堀ともいう)の河口には、中堤をはさんで、源森橋と枕橋がかけられている。
〔尾張屋板〕は源森橋・枕橋ともいう---として1橋だけ。現在は枕橋の1橋。
このあたりは、時間をかけてさらに文献をあたってみたい。

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(赤○=〔さなだや〕)

[若き日の井関禄之助] (1) (2) (3) (4)

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2008.08.25

若き日の井関録之助(4)

長谷川先輩。今夜、お付きあいください」
「なんだい? が奢ってくれるのかい?」
銕三郎(てつさぶろう 22歳)が大仰に驚いてみせたので、齢下の井関録之助(ろくのすけ 18歳)が照れた。
高杉道場の井戸端である。

30俵2人扶持のご家人の脇腹に生まれた録之助の懐は、いつもピーピーであった。
剣術の筋のよさを認めた高杉銀平先生も、録之助の家庭の事情を汲んで、束脩(そくしゅう 月謝)は大目に見てくれている。

_100「〔万屋〕が、小梅村の寮へ生活費をとどけてきたついでに、わたしの用心棒料を2ヶ月分、前払いしてくれたのです」
「1ヶ月1両2分の約定だったから、3両!」
「生まれて初めて、3両という大金を手にしました。もっとも、小判は1枚だけで、あとは元文1分金6枚と明和5匁銀がごっそりでしたが---」
「ばか。〔万屋〕が気をきかせたのだ。が大きい金で支払ったら、相手方が出所を疑うよ」
「あ。なるほど---。これも、長谷川先輩が交渉してくださった賜物です。奢らせてください」
(右の写真:1分金 『日本貨幣カタログ 2006』より ほぼ原寸)

参照】用心棒のことは、2008年8月15日[井関録之助] (3)

「奢りは、この次でいい。まず、高杉先生への束脩をお納めしろ。それから、1分金を2枚、貸してくれ」
「先生には、これまでの分として、2分(2分の1両)包むつもりです。長谷川先輩の2分は、はい、いま---」
録之助が汚れた袴の紐をほどき、帯を解いて腹に巻いたさらしの中から1分金を2枚とりだして銕三郎へわたし、また、着なおす。

「なんだか、暖まっちまっているぜ、この1分金---」
「あったかだろうと、冷たかろうと、1分金は1分金として通用しますから---」
「あたりまえだ。明後日、稽古がおわったら、顔を貸してくれ」

今戸の香具師(やし)の元締・〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう)のところへの使いは、〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 32歳)に頼んだ。
林造は、今戸橋北詰で、女房のお(ちょう 50歳)に、料亭〔銀波楼〕という店をやらせている。
ならびの名亭〔金波楼〕とともに、けっこう繁盛しているのは、おの人なつっこい人柄による。

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(〔嶋や〕のモデル〔金波楼〕 『江戸買物独案内』)

ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』文庫巻4[五年目の客]p47 新装版p49 「気のきいた板前がいて、ちょいとうまいものを食べさせてくれるので」平蔵がひいきにしている〔嶋や〕のモデルが〔金波楼〕である。
〔嶋や〕は、巻4[血闘]p141 新装版p150 、巻6〔大川の隠居]p210 新装版p221 にも登場。
巻22[迷路]p46 新装版p43 では店主・亀次郎、女将・おと明かされる。
〔金波楼〕のたたずまいは、ブログ[大人の塗り絵 わたし彩の江戸名所図会]の小林清親画[浅草・神田あたり]でうかがえる。

世間で怖れられている仁とはとてもおもえないほど、温和で痩身の林造に、銕三郎は意外なおももちがした。
長谷川銕三郎と申す若輩です。お初にお目にかかります」
「〔銀波楼〕の亭主・林造です。わざのお越し、ご苦労さま」
「こちらは、道場で同門の、井関録之助うじです。日本橋・室町〔万屋〕方の頼みで、小梅の寮の用心棒となられました」
「ほう。それはそれは---で、ご用の筋は?」

銕三郎は、懐から紙包みをだし、林造の前へ押しやり、
「先日、小梅村で、小さな子どもと戯れていた、こちらのお若い衆たちを、いたずらをしていると見誤り、ちょっとした出入りをしてしまいました。普段、道場で使っている振り棒がお若い衆にあたったようにもおもわれます。つきましては、お詫びかたがた、お見舞いといいますか、医者代を持参いたしました。いまだ、部屋住みの身であり、金策に手間どり、今日になってしまいました。ご寛恕のうえ、お納めいただれば、かたじけのう---」
2人して、頭をさげる。

そのさまをじっと見ていた林造は、
「医者代と申されましたか? なんの、なんの。うちの若い者どもは怪我などしておりません。これはお引きとりくだされ」
紙包みを押し返してきた。
柔和な表情だが、目は冷たく光っている。

「それでは、お頭(かしら)からお許しをいただけたと、安堵してよろしゅうございますか?」
「もちろん」
「では、改めて、お若い衆たちの酒代というには少額ですが、お納めくださいますよう---」
「そういう名目なら---」
ぽんぽんと手を打つと、先日の今助(20がらみ)が脛(すね)と右手首にさらしを巻いてあらわれた。さらしの下は湿布薬らしい。

林造今助の耳になにごとかささやき、ふたたびあらわれた今助は、手に紙包みをもっていた。
長谷川さんとやら。これは、うちの若い者とお近づきになったしるしに、一杯おやりいただく酒代です。ただ、うちの若い者たちは、いま、手いっぱいの仕事をかかえており、ごいっしょできないのが無念です」
「ありがたく、頂戴いたします」
銕三郎は、ごく自然な手つきで紙包みを懐へしまった。

「ところで、長谷川さんとやら。お使いになった振り棒というのは、どういう武器ですかな?」

「武器ではありませぬ。剣術のための素振りの棒です。早く申せば、樫(かし)の太めの棒に鉄条を添えて重くしたものです。これを毎朝、300回、500回と振ることによって、腕の筋が鍛えられます」

「なるほど。その振り棒のあつかい方を、うちの若い者たちに、師範していただくわけにはまいりませんかな」
「こちらの、井関どのなら、それだけの余裕もあるかと---」

「では、井関さんを、長谷川さんの代稽古ということで来ていだきましょう。振り棒は、井関先生のほうで5本ほどあつらえてください。代金は、お持ちくださったときに---。師範料は、長谷川大先生ともで、月2両ということでよろしいかな?」

[若き日の井関禄之助] (1) (2) (3) (5)

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2008.08.24

若き日の井関録之助(3)

「〔万(よろず)屋〕どの。いかがでしょう、そういうわけだから、この井関うじを、鶴吉坊の用心棒ということで、寮につめさせては?」
銕三郎(てつさぶろう 22歳 のちの鬼平)が、横の井関録之助(ろくのすけ 18歳)を目でしめして言った。
相手は、日本橋室町の茶問屋〔万屋〕の主人・源右衛門(げんえもん 46歳)と、内儀・お(さい 41歳)である。

源右衛門夫婦が、誘拐(かどわか)されかかった鶴吉を救ってもらったお礼にことよせて、2人を店に近い浮世小路の蒲焼屋・〔大坂屋〕へ招いたのである。

〔大坂屋〕の亭主・金蔵は、うなぎを腹開きにして串を打ち、タレをつけて焼きあげる上方風の蒲焼調理法を江戸へ持ちこんで、好き者たちのあいだで人気を高めている。
それまで、武家の多い江戸では、切腹を連想する腹開きを嫌っていた。

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(左の〔春木屋〕に、「丑の日元祖」とある。この丑の日は、年に4回ある11月の土用のことと。ただ、『万葉集』に大伴家持(やかもち)の歌で「石麻呂(いしまろ)に吾(われ)物申す夏痩せに吉(よ)しというものぞ武奈伎(むなぎ)とり食(め)せ」という歌があるので、夏痩せ回復説も捨てがたい)

内儀・おが同席したのは、浅草・今戸一帯を地盤にしている香具師(やし)の元締・〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 58歳)に鶴吉の誘拐しを依頼したことがバレ、林造から、銕三郎が火盗改メに報らせるせる前に、口止めしておいたほうがいい---とすすめられたからである。

「用心棒のお手当ては、いかほどで---?」
「そうさな。食い扶持はそちら持ちということで、月1両2分、年18両、3年ぎめ---ということでは、いかがかな、内儀どの?」
「よろしゅうございましょう」
は、誘拐しの罪で入牢か遠島になるよりは---と、承諾した。
1両2分は、いまの貨幣価値に換算すると、22万円ほどになる。税や社会補償費を引かれない、まるまる手に入る金高である。
録之助は、夢かとばかりに、頬がゆるみっぱなしになった。
30俵2人扶持の下層ご家人の、しかも脇腹に生まれた録之助にとっては、宝の山へ入ったほどの待遇・手当てであった。

井関うじの用心棒の件と、誘拐しの罪は別です」
その言葉にうなずいた源右衛門が、用意しておいた金包みを、銕三郎の膝もとへすべらせた。
「〔万屋〕どの。とり違えていただいては迷惑千万」
金包みを押し返し、
「これからも、もし、鶴吉に危害を加えるようなことが企まれたら、ただちに火盗改メへ報らせるということです。さように、お心得おきいただきたい。いや、本日は、ご馳走にあいなりました。蒲焼は上方風もなかなかの風味ですな」
ついと、立ち上がった。

けっきょく、おには、執行猶予がつけられただけだったのである。
心労はかかえたままである。
これの心労が、おの寿命をちぢめたのかもしれない。

帰り道、井関録之助が、銕三郎に深ぶかと礼を言った。
長谷川先輩。なんとも、はや、かたじけのうござりました。命が救われたおもいです」
「武士たるものが、大げさに言うでない。それだけのことをしてのけたのだから、とうぜんの報酬だ」
「それだけのことをなさったのは、長谷川先輩のほうです。それなのに、金包みを、なぜ、押し返されたのですか?」
銕三郎は、にやりとへ、
「あれを受けとると、あとの仕事がやりにくくなる」
「あとの仕事といいますと---?」
「〔木賊〕の林造とのかけひきだよ」
「はあ---?」
「いまに、わかるさ。それより、よ。おどのを可愛がってやるんだよ。自分だけ愉しんでないで---」
「------?」

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(歌麿『小松引』部分 イメージ)

の師範をうけてから、急にいっぱしの性戯を体得したような気分になり、先輩面(ずら)してみたい銕三郎であった。
若い男は、性のことについては、師範しだいということらしい。
にいわせると、
「単純なところが、可愛いのです」

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(清長 柱絵 『梅色香』部分 イメージ)

[若き日の井関禄之助] (1) (2) (4) (5)


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