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2009.07.18

井関録之助が困った(2)

「〔万(よろずや)屋〕どの。井関録之助(ろくのすけ 23歳)の用心棒料ですがな---」
長谷川さまのお言葉ですが、こんどの大火で、商いが細りましてな。諸事節約をいたしませんと---」
銕三郎(てつさぶろう 27歳)の言葉をさえぎった茶問屋〔万屋〕源右衛門(げんえもん 51歳)は、あぶらぎった顔に、初冬の寒さなのに、額に汗をうかべている。
日本橋・浮世小路の上方うなぎの〔大坂屋〕の2階である。

「しかし、鶴吉(つるきち 11歳)の手習い・そろばんの束脩(そくしゅう 月謝)でケチるわけにはいかぬでしょう」
「それは、仰せられるまでもなく---」
井関は、鶴吉の手習いをみてやっておるのです。鶴吉がご新造の子であれば---」
「〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう)元締がお亡くなりになってからというもの、急に重石がとれたように、あれが強気になりましてな」
「やはり、ご新造の差し金でしたか---二代目・今助は、拙や井関の親友です」
「え?」
「ご新造にそうおっしゃってくださってもけっこうです。ご新造の行状は、今助元締につつぬけ---と。今助がご新造をゆすりにきても、井関も拙も仲に立ちいりませぬとな」
「ふむ」

「それから、〔万屋〕どの。いつだったか、盗賊に持たせて返す200両(3200万円)を用意しておると申された。それだけの金があれば、井関や寮のたつき(生計)の金子は5,6年は払えましょう」

ちょうすけ注】池波さんは、『鬼平犯科帳』の最終巻近くでは、1両を気前よく20万円に換算していたが、研究者の分野では、当今16万円前後が妥当としている。
参照】2006年10月21日[1両の換算率

参照】2009年5月31日[銕三郎、先祖がえり] (

井関さんは、盗賊ともお親しいとでも---?」
「ご主人。そんなことは申してはおりませぬ。拙の父は、盗族改メのお頭ですぞ」
「失言いたしました」

「ただ、井関は、四ッ目通りの〔盗人酒屋(ぬすっとざかや)〕という店と親しい」
「なんですって?」
「〔盗人酒屋} 」
「盗賊が出入りしているので ございますか?」
「それはしらぬ。ただ、盗賊改メの与力・同心衆が飲みには行っている」
「分かりました。しばらく、200両をとりくずすことにいたします」
「お分かりいただいて、拙も安堵いたしました。ご新造どのにもよしなにお伝えくだされ。では安心して、うなぎを賞味させていだく」

「ところで、長谷川さま。井関さんは、乳母のお(もと 36歳)といい仲とか---」
「それが、〔万屋〕の商いの差しさわりにでも---?」

【参照】2008年8月26日[若き日の井関録之助] () (

「いえ---」
「〔万屋〕さんがおどのに気がおあり---?」
「めっそうもありません。それほど、不自由はしておりません」

「そうそう。ご老職の田沼(意次 おきつく 54歳)さまに頼みたいことでも生じたら、いつにても取り次ぐ」
「いや、その節は、お世話になりました」
「お仲間に、いい顔になられたのでは---?」
「お蔭さまで---」
「大商人は、顔が大切ですぞ」
「恐れいりました」

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