おまさ、[誘拐](12)
[誘拐]の1年前――すなわち[炎の色]でのお夏(なつ)、およびおまさに、いろんな意味でかかわりがありそうなあたりに網をはってみた。
えっ? どうして松平伊豆守信明(のぶあきら 35歳 三河・吉田藩主 7万石)がお夏やおまさとかかわりがあるの?……訊ないでほしかったなあ。
2、3日前に書いたとおり、松平定信(さだのぶ 36歳=寛政5年 白河藩主 11j万石)が前年――寛政5年(1793)7月23日に将軍補佐と老中首座を解職されたので、平蔵(へいぞう 50歳=寛政7年)としては功績をゆがめて評価する上役がいなくなり、頭上の重っくるしい黒雲が晴れた気分になっていたところであった。
その分、おまさ救出のためにめぐらす案が、なんの制約もなしに立てられたとおもうのだが----。
それはともかく、いささか不安なのは伊豆守信明の寛政6年の年齢である。
『寛政重修l諸家譜豊橋市史』は側室が産んだ男子なので幕府にとどけなかったとし、当主・信礼(のぶまや 享年34歳)が若死したので、幕府に「丈夫届」をだして菊之丞(のち信明)を世子としたと。
「上部届」の委細は下記【参照】を。
【参照】2012年1月6日[「朝会」の謎] (6)
(のぶあきら 32歳 三河・吉田藩主 7万石)が正しい。
が、伊豆守信明が36歳であろうと33歳であろうと、おまさの気持ちにはまったくかかわりはない。
[炎の色]で〔峰山〕一味と〔荒神〕のお夏一味が醤油酢問屋〔野田屋〕卯兵衛方を襲うという夜、
寝床へ入って両眼を閉じたとき、おまさの胸の内は、
(荒神のお頭だけは、御縄にかけたくない)
このおもいが、込みあげてきて、消えなくなってしまった。
捕らえられれば、いかに女といえども盗賊の首領だ。
打ち首は、まぬがれまい。
(けれど、到底、逃げることはできないだろう)
おまさは知らず知らず、左手て゛右の二の腕を摩(さす)っていた。
お夏に摩られていたときの感触とは、まるでちがう。(文庫巻23[炎の色]p254 新装版p )
そのうちにおまさは自分の乳房をつかんでいた。
おまさの心の動揺であった。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)
最近のコメント