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2006.11.26

『甲子夜話』巻1-26

_120 『甲子夜話』は、松浦(まつら)静山(1760-1841 肥前・平戸6万1700石の藩主・清としては1775から1806)が隠居後に聞き書きした膨大な雑文集。

大石慎三郎さんは『田沼意次の時代』(岩波文庫)で、「田沼時代を知るには好適の史料とされ、田沼時代を語る場合には必ずといってよいほど引用されている史料である」が、「問題の多い史料」であって、とくに田沼関連の文章には要注意---とする。

その根拠として、「彼の叔母、戸籍上では妹は、本多弾正大弼忠籌(ただかず 陸奥・泉藩主 2万石)の室(妻)となっている」「この本多忠籌は、田沼意次の政敵である松平定信の最大の〔信友〕」であった。

「さらに、彼自身の室松平氏は伊豆守信礼が女となっている」が、その兄は松平伊豆守信明(のぶあきら 三河・吉田藩主 7万石)で、「忠籌と並んで松平定信を支えた二本柱」

そんなわけで、静山の筆が田沼意次におよぶときには、公正さを欠くと。いや、悪意に満ちた捏造があるといったほうが、より実体にちかいかもしれない。

で、『甲子夜話』(東洋文庫)から、各項を順次、文意を伝えてみたい。

『甲子夜話』巻1-26

先年、将軍(家斉)の不興をこうむって田沼氏が老中職を罷免され、常盤橋内の役宅を即日明けわたすことになったとき。
急のことではあったが、家器を車に乗せて蠣殻町(浜町)の下屋敷へ運んていた。その宰領をしていた一人が、
気を変えて、車ごと消えたという、
田沼氏が小身から栄進をはじめたときに召し抱え、才幹もあるので目をかけていた男だったが、零落した主人の先行きに不安ほおぼえたのであろうか。
こんな大騒ぎのときもときであったから、田沼氏も捜索すべき手はずみつかず、そのままにしたと。家器を不正に手に入れたものは、また、不正に失う---とは、このことであろう。

(ちゅうすけ注)これは、ためにする噂ばなしで、役宅の即日引き払いということはなかった。

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コメント

ちゃんと史実と照らし合わせると、二百年前の悪意ある捏造も見抜けるんですねえ。田沼の汚名を雪げますね。身内が関係しているとつい中立でなくなるというのは、いつの時代も人情って変わらないのだとも感じます。

投稿: えむ | 2006.11.26 19:04

>えむ さん

松浦静山の門閥名門寄りの姿勢は、『甲子夜話』での、徒組から町奉行にまでなった根岸肥前守鎮衛への痛烈・悪意の中傷でも、長谷川平蔵の功績を軽視した筆づかいにも現れています。

同じ筆づかいをするのが、名門でもない、森山源五郎隆盛のエッセイです。しかし、学者さんたちは、そのことを明かさないで、自説の補強に引用なさっています。

投稿: ちゅうすけ | 2006.11.27 13:15

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