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2006.12.03

『甲子夜話』巻30-35

『甲子夜話』巻30-35

かつて田沼氏が執政だったとき、その家老の井上伊織はことさらに時めいていた。

その一例をあげると、輪王寺の家司の阪 大学が、貨財の融通の件で伊織の宅へ行き、面会を乞うた。
取次ぎがいうには、主人は出勤を前にして灸治をしておりますので、今朝はお会いできませんと。
大学は「急を要するお願いなので、どのような接見であろうとかまいませぬ」と押しての目通りを請うた。

「そういうことであれば、お通りください」といわれて入ってみると、伊織は出勤前なので継上下を着けており、腰掛に腰をおろして三里(膝)に灸をすえていた。
灸をすえている人を見ると、船手頭向井将監(政香 まさか)であった。
また、羽箒で灸の灰を払っているのは勘定奉行松本伊豆守(秀持 ひでもち)ではないか。

大学も大いにおどろきながら、退出したという。
これはのちに大学からじかに聞いた話である。
あのころの世態、耳にするも愕然にたえないばかりである。

(ちゅうすけ注) 輪王寺の家司が向井将監政香の顔を知っていたとは思えない。井上伊織が紹介したのであろう。
将監はこのころ40代(2400石)。なにかの相談ごとがあってたまたま伊織を訪ね、出勤前に施灸の場にゆきあわせ、それなら心得があるといって火種をもったとも考えられる。そのあたりを省略しているのは悪意によるものであろう。

松本伊豆守秀持は、田沼に才幹を認められて勘定奉行に引き上げられ、500石を給され、また田安家の家老を兼帯して役料1000俵を得ていた。田沼の腹心中の腹心。このころ、50台なかば。
彼が打ち合わせのために井上伊織を訪ねているのは別に異とすることではない。これも、たまたま施灸の場に居合わせたから、羽箒をもっただけだろう。

まあ、井上伊織ほどの仁のそばに、そういう雑事をする召使いがいないほうを怪しむべきではなかろうか。

それより、輪王寺の家司・阪 大学の金銭話の結末はどうなったのだろう。うまくゆかなかったから、意趣返しに、30年もむかしの話を愚痴ったか。

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