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2006.11.30

『甲子夜話』巻6-29

『甲子夜話』巻6-29

このとき(巻6-28の田沼意次の全盛期)は、勘定奉行松本伊豆守(秀持 ひでもち)・赤井越前守(忠晶 ただあきら)などいう輩も、互いの贈遺富盛を極めた。

京人形一箱の贈物などは、京より歌奴を買いとり、麗服を着せて箱に入れ、上書きを人形としたとかいうぞ。

また豆州は、夏月は蚊帳(かや)を、廊下通りから左右の幾つもの小室へじかに往き来できるようにつなげ、小室ごとに妾を臥せしめ、夜中、どの部屋へも蚊帳をでることなく行けるようにしていたと。

また子息の一人が癇症で雨の音を嫌ったので、幾部屋もの屋上に架を作って天幕を張り、雨の音を防いだとも。

その奢侈ぶりをもって想像するがよい。

(ちゅうすけ注) 松本伊豆守秀持は、たしかに天守番という低い地位から、田沼に才能を認められて勘定(廩米100俵5口)に引き抜かれている。
明和3年(1766)には組頭、6年後の吟味役をへ、安永8年(1779)50歳のときには勘定奉行へ栄進、500石を知行し、伊豆守に叙爵。

田沼の没落とともに天明6年閏10月5日に職を奪われて小普請に貶められた上に、逼塞を申しわたされた。
松平定信派の追求は厳しく、俸禄から100石を減じられてまたも逼塞。許されたのは定信体制がととのった天明8年5月。
寛政9年没(68歳)。

京人形の話は、どこかで見た記憶がうっすらとある。もちろん、松本秀持のことではない。噂の捏造にはタネがあることの見本であろう。
蚊帳の件にいたっては、人生50年ともいわれた当時、50歳をすぎた男が、一晩に幾人もの妾の相手をするものか、と笑うしかない。外野の男たちのあらまほしき妄想といいたい。  

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